手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

衆寡敵に勝つ 2

今日(30日)は朝から鼓の稽古。その後に前田の稽古を見ます。今日は銀行さんが来たり、大阪のチケットの依頼を受けたり、色々と忙しい一日になるでしょう。 4日の岡山行きは更に一泊して、5日の帰りになりそうです。久しぶりの岡山ですので、知人の市長さん…

衆寡敵に勝つ

昨日は10月3日の大阪公演の稽古、その後、荷物を作って大阪に送りました。 今日(29日)は、10月2日の大阪の指導のために道具と、3日の楽屋の道具を、一つのスーツケースにまとめようと思います。 その、3日の大阪公演の後、翌日4日に岡山に行って、長らく私…

衆寡大勝す(しゅうかたいしょうす)

昨日は、学生の、谷水さん、柳沢さん、高木さんの三人が、私の小道具作りのために手伝いに来てくれました。まず、舞台で使う卵を作りました、本物の卵に穴をあけて、中身を抜き取って、「抜き卵」を作ります。 通常、一遍に30個くらい作ります。まず、中身の…

知ると知識は違います 3

昨日26日は日本舞踊のお浚い会でした。私としてはかなり気持ちを集中させて会に挑んだのですが、3か所ほど手が飛んでしまいました。そしていつものごとくその場で創作してしまいました。私の踊りが、どんどん勝手な振り付けになって行くのを脇で章吾先生が見…

知ると知識は違います 2

今日(26日)は日本舞踊の浴衣浚いです。午後に家を出て根津に行きます。昨晩、鏡の前で一人で踊りの稽古をしてみて、恥ずかしくなりました。以前はもう少し巧いと思っていたのですが、なんだかふにゃふにゃしていて踊りにすら見えません。「偉いことになっ…

知ると知識は違います

明日は踊りの浴衣浚い(ゆかたざらい=仮発表会)です。コロナの影響で、夏に催していたものが今になってしまいました。場所は、不忍通りふれあい館、(文京区、根津2-20-7)14時30分から開催です。入場無料です。素人さんのお浚い会ですから、無料は当然です…

大腸検査その3

昨日の続きです。結局午前中に薬品の入った水を2リットル飲みました。いくら甘味や、塩味が付いているとは言え、2リットルの水はなかなか飲めるものではありません。相当に無理して飲みました。すると、30分もしないうちに、強烈な便意を感じました。 トイレ…

大腸検査その2

どうもこのところ病院ネタが多くなって、マジックのブログを期待している方々には期待はずれで申し訳ありません。私にとっては大変に興味ある体験ですので詳しく書こうと思います。 昨日(22日)、指定されたレトルトの食事を自宅で温め、3食頂きました。朝…

手妻の語る世界 3

さて、明日大腸検査のためのカメラを入れます。そのために、体内を空っぽにしなければなりません。今日から三食は専門の食事をします。朝は鳥雑炊だそうです。レトルトの袋一つです。他のものは食べてはいけません。朝はまぁ、いいとして、こんなもので三食…

手妻の語る世界 2

すみません、ブログを一日休んでしまいました。昨日は、学生さんが7人習いに来ました。皆さん熱心です。ようやく習うことの大切さ気にが付いたようです。習うということは、マジックそのものの知識を得ることのほかに、その周辺のカルチュア―を学ぶことにな…

手妻が語る世界 (お休み)

今日は玉ひでの公演。同時にNHKの撮影です。相当に忙しい一日になりそうです。舞台は一回っきりの本番です。毎回やっていることをするのですが、舞台は魔物です。うまく出来るといいと思います。このところ、周辺に仲間が増えて来て、色々手伝ってくれます。…

手妻が語る世界

明日、人形町玉ひでで公演があります。毎月一回の公演が定着してきて、このところ観覧希望者が増えています。有難いことです。玉ひではご存知と思いますが、軍鶏鍋(しゃもなべ)の専門店です。260年間同じ場所で、ずっと軍鶏鍋を出してきました。 それが、…

大腸検査説明会

今日16日は大腸検査の説明会に行ってきました。高円寺から梅が丘の世田谷健康センターに行くのですが、1時間もあれば確実に行けるものと持っていましたが、とんでもない。ラッシュ時間の過ぎた後の小田急線は急行と各駅の接続に時間がかかり、10時5分に新宿…

病院通い 

今年はどうしたものか病院通いが多くなりました。糖尿病は毎月一回、十五年間、検査に通っています。糖尿と言うものは全く自覚症状がありません。甘いものや酒を飲み続けていると自然自然に体が悪くなります。しかしそうなるまでには時間がかかります。血糖…

コロナは人災

昨日は大阪の指導の後、千房さんにお伺いして、10月3日のマジックセッションにスポンサーになっていただいたお礼を申し上げました。実を言うなら千房さんは今大変な状況です。全国に70店あるチェーン店が、コロナによる売り上げダウンで苦戦しています。本来…

母親のこと 14

このところ「母親のこと」を早くにまとめたいと思うあまり、日常のことが記録から漏れています。実は今、大阪のホテルでブログを書いています。毎月の関西の指導の3日目です。 12日は、富士の指導。このところ参加者も少ないのですが、来る会員さんはとにか…

母親のこと 13

話が弾んでたけちゃんの登場になってしまいましたが、たけちゃんことは、論創社から、「たけちゃん金返せ」。と言う本を2018年に出しました。結構評判よかったので、よろしかったらそちらをご覧ください。 ここでは母のその後について書きます。私は舞台に立…

母親のこと 12

話は少し戻りますが、私が高校に入ったくらいになると、それなりに舞台でまとまった収入を得るようになります。そんな時には母親を誘って外で食事をご馳走したりしました。母はそれを素直に喜びました。寿司のときもありましたし、洋食のときもありました。…

母親のこと 11

私は学校と舞台で俄に忙しくなります。平日は学校がありますから、日曜日か夜なら舞台を引き受けられます。更に夏休みや春休みには地方の公演も引き受けられます。一人でどんどん会社のパーティーや、お座敷まで出演しました。出演料はそっくり私の小遣いに…

母親のこと 10

私がマジックを覚えてみたいと親父に話すと、何人かの奇術師から種を貰って来てくれました。その奇術師の名前はよく覚えていないのですが、間違いのない人は、松旭斎小天花さんのお父さんで天遊さんでした。ミリオンフラワー(紙の花が咲く手品)、サムチッ…

母親のこと 9

さて親父は条さんと言う相棒を得て漫才を始めます。昭和38年のことです。その時に、条さんは、「キャバレーの仕事をしませんか」。と尋ねてきたそうです。初め親父は、「キャバレーは・・」、としり込みをしました。キャバレーと言うのは、お客様がアルコー…

クロネコの都築さん

クロネコヤマトの元社長(その後会長)、都築幹彦さんが8月16日に亡くなりました。享年91。私はどれほど都築さんにお世話になったか知れません。 都築さんはクロネコヤマトの社長時代からマジックを趣味にしておられて、会長職を2年務めた後、さっとすべての…

母親のこと 8

私は池上で生まれ、12年間池上で暮らし、都合5回池上の町中を引っ越しました。母にすれば、子供が2人いて、家賃の更新のたびの値上げを求められるのは、辛かったのでしょう。安い間借が見つかればすぐに引っ越していたのです。 一ノ蔵にいた時に、私と親父が…

母親のこと 7

昭和30年代と言うのは、まだ一般家庭に電話が引けていませんでした。勿論携帯電話などはありません。仕事の依頼はもっぱら手紙のやり取りでしていたのです。 親父のチームは、一人、商店の息子がいたため、店には電話があったので、そこを窓口にして仕事を取…

母親のこと 6

私の話をしましょう。私は昭和29年12月1日に生まれました。深夜だったそうです。お産が夜にかかったために、親父も、祖父母も、狭い部屋にみんな集まって遅くまで起きていたそうです。祖父は、鯛焼きをたくさん買って来て、「祝いの尾頭付きだ」、と言ってみ…

母親のこと5

親父の稼ぎがまったく当てにならないことを知った母は、何とか自分自身で身を立てなければならないと考えます。然し、子供が二人もいて、しかも私はまだ生まれたばかりですから、手がかかります。外に働きに出ることが出来ません。 そこで昔覚えた編み物の機…

母親のこと 4

昨日は、イベントの依頼が来て、企画書を頼まれました。来年1月の話ですが、まとまれば大きな仕事になります。急ぎ企画書を送りましたが、まとまるかどうかは先の話です。然し、大きな企画を持ち込まれることは、まだ世間が私を求めてくれている証拠で、何と…

母親のこと 3

昭和29年母親は親父と同棲するようになりました。兄も一緒です。兄は前の年、小学校に上がりました。親父が独身だと言って借りていた部屋に同居していましたが、家主が子供がいることを知って、出て行ってくれと言って来ました。当然です。 この時代は、戦後…

母親のこと 2

話は昭和19年に戻ります。それまで親父は、川崎の旭町にある裏長屋に、両親と6人の兄弟と一緒に暮らしていました。祖父はブリキ職人で、腕が良かったらしく、若いものを何人か使って大きな仕事をしていたようです。然し長屋住まいです。 当時、大都市では、…