手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

母親のこと 12

 話は少し戻りますが、私が高校に入ったくらいになると、それなりに舞台でまとまった収入を得るようになります。そんな時には母親を誘って外で食事をご馳走したりしました。母はそれを素直に喜びました。寿司のときもありましたし、洋食のときもありました。私も高校に入ってから背が高くなり、スーツを着て、母と一緒に銀座などを歩くと、母はまるでデートをするような気持で喜んでいました。

 私の舞台も、頻繁に見に来ていました。その際に母の友人もつれてくることがありましたが、私がスーツ姿でロビーに顔を出して、母の友人に挨拶をすると、母はとても自慢顔でした。話はずっと下って、晩年に母が入院するようなときも、私は必ずスーツにネクタイで見舞いに行きました。それは母の希望だったのです。看護婦さんや、病室の患者さんが、相当事前に母に吹き込まれていたと見え、「まぁ、立派な息子さんだこと」。と言って寄ってきました。むしろ私が恐縮してしまいます。

 母が年を取って病院の車いすを利用するようになっても、私はスーツを着て、母の車いすを押して、病院内を歩きました。これが母には得も言われぬ快感だったようです。特に私がテレビ出演したすぐ後などに車いすを押していると、看護婦さんなどが集まってきて、あいさつをされます。それを見て母はますます嬉しそうにしていました。

 私にすればめんどくさい仕事ではありますが、これも親孝行と割り切ってそのようにしました。

 

 但し、私が結婚をする時には少し難しい問題が起きました。日頃は物静かな母なのですが、私の女房とはあまり折り合いがよくないようでした。そこで、当初は上板橋の家に同居する考えでいたのですが、これでは無理と考え、マンションを買うことにしました。金があってしたことではありません。万やむを得ずしたことです。当初はローンの支払いで毎月苦労しましたが、結果はそれが後々人生のチャンスを作りました。

 

 私は子供のころから舞台に出ていましたが、高校に入ってすぐ位に仕事が途絶えました。それまでロープやハンカチのマジックで舞台に出ていたのですが、大人になって来ると、もっとインパクトのある物でないと受けないと知ります。勿論ロープやハンカチ物が悪いわけではありません。私のやっているマジックがデパートのマジック売り場の道具ばかりで内容が月並みだったのです。もっと突っ込んで深みのある手順を持たなければ仕事につながらないのです。

 これまでは松旭斎清子から習っていたのですが、清子のレパートリーは数が少なく、高校に入るともう習う芸がなくなっていました。そこで、あちこちの名人を尋ねて、習いに出かけるようになります。

 良く教えてくれたのはダーク大和師でした。それから渚晴彦師、喋りを習ったのはアダチ龍光師。アマチュアで奇術研究家の高木重朗先生。この先生には格別に面倒を見てもらいました。今思えばどなたも当時の一流マジシャンでした。お陰でマジシャンとは何をするものなのかがわかってきました。そして、あれこれ習ううちに何となく自分の型も出来て来ました。

 

 ところで、親父は、私がギターを隠して以来、自分自身も、喋りに主力を置こうと考えるようになりました。然し、そうは言ってもまだ時々ギターを出して営業に出かけていました。そんなときも私が、ギターをやめろとやかましく言いました。やがて親父はギターを諦めるようになります。親父は、毎月、浅草松竹演芸場と名古屋の大須演芸場に出演していました。もうすでにイベントに仕事はかかって来ません。ひたすら、浅草と名古屋で漫談のネタを固めていたのです。幸い、親父の喋りは仲間内で評判になり、それなりに贔屓が付くようになりました。その時点で親父は既に50を過ぎていました。自分の芸を見つけるには随分寄り道をしたことになります。

 やがて私が大学に入るようになり、松竹演芸場に出演していた時に、ツービートの北野武さんが演芸場に出るようになります。この人の演芸場の初舞台を見ています。とにかく面白くて面白くてびっくりでした。すぐに楽屋に行って仲間になりました。そして初日に喫茶店に行って長々話をしました。以来5年間。私とたけちゃんはいつも一緒に喫茶店に行ったり、舞台が終わると一杯飲みに出かけるようになりました。

 たけちゃんは私の親父に興味を持ちました。筋を振ったかと思うといきなり落としてしまう親父の漫談はスピーディーで、たけちゃんの好みにあったのでしょう。親父もたけちゃんを良く可愛がりました。3人で一杯飲みに行くことも頻繁にありました。

 但したけちゃんは普段は地味な人で、分かり合った仲間と話をするときはめちゃくちゃ面白いのですが、バーで知り合った初対面のお客様の前では全く話ができませんでした。当人も何か面白いことを言おうとは思っていても、気持ちばかりが先に立って、言葉が出ません。肩をひくひくさせるばかりで、全くしゃべることが出来ないのです。

そんな時に親父は、「全くたけしは根暗だなぁ。そんなことじゃぁいいお客さんはつかめないぞ。もっと自分が心を開いて、陽気にならなけりゃぁ、お客さんは少しも楽しめないじゃないか」。と説教します。それをたけちゃんは、、はい、はい、と頭を掻きながら聞いていますが、いくら陽気になれと言っても、元が陰気な人が、いきなり陽気になれるわけがないのです。言われれば言われるほど、たけちゃんは下を向いて縮こまってしまいます。随分シャイな人なんだなぁと思いました。

続く