手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

芸術祭に参加する

芸術祭についてお話ししましょう。文化庁芸術祭と言うのは、毎年、10月10日から11月9日(年によって若干の違いはあります)までの一か月間開催され、東京と大阪で催されます。参加資格はプロの実演家であること、内容は6つの部門に分かれていて、音…

大樹よ大樹たれ

今日と明日は夜6時に、藤山大樹のリサイタル公演があります。場所は座高円寺、この劇場は私の家から徒歩3分のところにあり、かなり凝った作りをしていて、とてもきれいな劇場です。私はこの劇場の設立以来しばしば利用しています。11月29日のビッグセ…

サルバノの風

今は東西冷戦などと言う言葉は死語になってしまいましたが、 私が生きてきた昭和30年代以降の社会情勢はまさに冷戦時代でした。ヨーロッパの三分の二は西側陣営として、アメリカが守り、残る三分の一はソ連(今のロシア)が軍事制圧し、ポーランド、チェコ…

大阪指導

今日は朝から大阪での指導。 これから出かけます。 つきましてはブログはお休みです。 また明日。

天一祭

来月11月10に福井市で天一祭が開催されます。この祭りは、私が9年前に「天一一代」と言う本を出版するために、天一先生の故郷である福井市に何度か訪れ、町に残る天一先生の資料、旧跡を調べた時に、市長、県知事に会い、「天一先生ほどの偉人が福井市…

うたかたの夢

一昨日、ピラミッドをもう一度工夫して手順を考えてみたいと書きました。昨日、早速私の金属の道具を制作してくださる岩野鉄工所に電話をしました。岩野鉄工所はもう40年以上のお付き合いで、先代の岩野善二郎さんの頃から私の道具を作っていただいていま…

座敷で手妻

今、もう、来年のスケジュールを決めています。今年の7月8月と公演した、神田明神の劇場公演がその後中断したままになっています。これを来年2月から再開します。毎月一回ないし、二回手妻のショウをいたします。日本人は勿論、海外のお客様が来てくださる…

天皇ご即位を見ながら

126代の天皇陛下のご即位をテレビで見ながら、日本と言う国は、とんでもなく古い伝統を持ちつつ、ハイテク産業で成功している稀有な国であることに誇りを感じました。ご即位の翌日、滞在中の各国要人に対して、野村萬斎さんと、市川海老蔵さんがイベント…

ノームニールセン一代記 その2

さて、このころのニールセンさんは仲間のマジシャンと比べても、仕事にも恵まれず、まだ自身のマジックをどうしていいのかまったく当てもなかったようです。 ある時、子供のおもちゃで、貯金箱に金属の板が数枚斜めについていて、上からお金を落とすとチリチ…

ノームニールセン一代記 その1

ノームニールセンさんとはこれまで、もう何十回もお会いしています。ともにステージを踏ませていただいたこともしばしばですし、日本国内のSAMのコンベンションにも何度も出演していただいています。海外のコンベンションなどでお会いしても、必ず一緒に食事…

フレッドカプスの上着

私は10代の頃に、テレビでフレッドカプスの演技を見て、すっかりとりこになってしまいました。そのころお粗末ながら私もスライハンドマジックをしていましたので、何とかうまくなりたいと思って、あれこれビデオを見ていましたが、1970年代のマジック…

ルーツからマジシャンを読み解く

実際にルーツからマジシャンを読み解いてみると面白いことがいろいろ出てきます。 例えばスライディーニは、その存在からして職人気質で、技に妥協がなく、細部にまでこだわりぬいて作品作りをします。これは徹底した2、技術崇拝型です。 対しでダイ バーノ…

3つのルーツ

どうも私の文章は一度読むと私の毒気にあたり、それにもめげず読んでいると、その毒がマヒして来て中毒症状になり、だんだん快感を覚えて抜けられなくなるようです。 私は毎朝6時半ころにパソコンを広げるのですが、そのころにはすでに20人近くの人が見に…

スライディーニのマジック

トニー スライディーニ師と初めてお会いしたのは東京でのレクチュアーでした。私が20代の頃です。 残念ながらその時は、私は自分の舞台を終えて急いで会場に行ったのですが、半分ほども見ることができませんでした。しかし、大阪でもレクチュアーがあるこ…

仲良し三組

明日は、夜にマギー司郎さんと、ナポレオンズのボナ植木さんと三人で一杯飲む会を開きます。年に3,4回、この三人は連絡し合って、一杯やるのを楽しみにしています。マギーさんと初めて会ったのは私が高校生の時ですから、50年近い前です。ボナさんとは…

バーノン師の芸

今日は朝から鼓の稽古、鼓はお師匠さんが私の自宅に来てくださいます。そのあとは日本舞踊の稽古で本郷に出かけます。二つの稽古は私にとってとても楽しいひと時です。伝統芸能にどっぷりつかっている面白さを堪能できます。 私は20代で毎年アメリカに行って…

ダイ バーノン師に会いたい

ダイバーノン師に会いたいと言う思いはアメリカに行ってあっけないほど簡単に達成してしまいました。マジックキャッスルの玄関先に、白いベンチがあり、そこはダイバーノン専用の席になっていました。夕方になるとバーノン師がやってきてそこに腰を掛けます…

チャニング ポロックの思いで

チャニングポロックと出会えたきっかけは全く偶然でした。今から40年前、当時私は毎年アメリカに行き、必ず一週間マジックキャッスルに出演し、その後は決まって、マネージャーのアーノルドファーストさんとレクチュアー旅行に出ていました。 マジックキャ…

昔の名人

台風一過、過ぎてしまえば嘘のように快晴です。でもまだまだ、北関東や、東北では被害に苦しむ人がたくさんいるようです。私の生徒さんにも、足利に住む人がいて、ニュースで渡良瀬川が決壊したと言う情報を聞いて、心配で朝方電話をしました。幸い何事もな…

弟子を持つ

昨晩は六本木のオズマンドに行きました。スペインのジャビ ベンテツさんと言うサロン、クロースアップマジシャンと、高橋匠さんを見ました。二人ともやっていることは技巧的でうまいと思いました。ジャビさんは古典の作品をうまくアレンジして、不思議な現象…

アダチ龍光の芸

生前、アダチ龍光師は、人気のあるマジシャンでしたが、アマチュアの間では評判が悪く、師の演じるマジックを一顧だにしない風潮がありました。私は若いころからそれは間違いだと考えていました。マジックの会合などで、師の芸はここが素晴らしい、あそこが…

志ん生、龍光、おやじの三人旅

私の父親、南けんじと、志ん生師匠、アダチ龍光師匠はずいぶん仲が良かったようです。この話は、父親、南けんじから直接聞いた話で、昭和25,6年の話です。 南けんじは昭和20年にスイングボーイズと言うコミックバンドをこしらえて、人気者になり、寄席…

アダチ龍光師のこと

私は若いころずいぶんアダチ龍光師にお世話になりました。師は当時、奇術協会会長で、テレビにもよく出演されていました。おしゃべりが絶品で、立川談志師をして、昭和の三大名人と言わせたほどです。 ただし、今残っている師のビデオを見ると、その面白さは…

日々のこと

今日、明日はマジックを習いに来る生徒さんの指導。 その間に鼓と日本舞踊の稽古、これは私自身の稽古です。 こんな生活を20年以上も続けています。 さらには、手順の修正や、新たなアイディアを工夫しています。 生徒さんや、弟子のための手順つくりもし…

歴史上の人

今日は、午後から澤田隆治先生の事務所に伺います。 そこへ前田将太を連れてゆきます。 澤田先生に弟子の大樹のリサイタルチケットをお渡しすることが目的ですが、 前田を連れてゆくことは、歴史上の偉大な人を目の前で見ることを体験させたいと考えて、連れ…

なぜコンテストに出るのか

さて、実際コンテストに出ると言うことはどんなメリットがあるでしょう。 私自身も20代の頃はいろいろなコンテストに出ました。受賞もしましたし、入賞しないこともありました。でも出たことに悔いはありませんでした。良い思い出がたくさんあったのです。…

コンテスト必勝法 その4

この数日間に関西の指導が挟まってしまい、コンテスト必勝法が話の途中になっていましたので、完結させるべくお話ししたいと思います。必勝法1,2,3、でお話ししたことを再度箇条書きにして、まとめて行きます。 1、支持者、仲間を作れ マジックは個人…

人を育てると言うこと

昨日は大阪で指導をしました。 大阪の生徒さんは一人ずつ習うものが違います。 それぞれ5分程度の演技を起承転結、細かく精査してみてゆきます。 ジュンマキさんは小刀を使って紐切りと、連理の曲を稽古しました。 うまくできれば古風な演技が完成します。 …