手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

スライディーニのマジック

 トニー スライディーニ師と初めてお会いしたのは東京でのレクチュアーでした。私が20代の頃です。

 残念ながらその時は、私は自分の舞台を終えて急いで会場に行ったのですが、半分ほども見ることができませんでした。しかし、大阪でもレクチュアーがあることを知り、幸い私も仕事で大阪に行くため、早速大阪のレクチュアーを申し込みました。お陰で大阪で、ゆっくりスライディーニ師の至芸を堪能することができました。

 

 ダイ バーノン、スライディーニ、ゴッシュマン、この三人はクロースアップ創成期の名人で、それぞれ個性的な演技で評価を得ていました。アマチュアや研究家の間ではダイバーノンの評価が高かったのですが、私が実際ショウを見た感想は、バーノンの演技は、愛想もなく、内容は地味で、あまり面白いものではないように感じました。面白さでいうなら、スライディーニ、ゴッシュマンは文句なく完成度の高いエンターティメントでした。

 実際、三人を比較したなら、最もプライベートパーティーで稼いだのはゴッシュマンでしょう。まだ評価の定まらなかったクロースアップでいち早く収入を上げて、豊かに暮らして見せたのはゴッシュマン只一人だったのではないかと思います。

 ゴッシュマン師の、小さな塩のビンとコインの手順は名作中の名作で、コインに塩をかけると消えると言う単純なものですが、消えたコインがテーブルの上に置いた塩のビンの下に敷かれているのは何度見てもいつ置いたかがわかりません。

 スポンジボールが出て来る手順も、実に美しく、相手の肩から、肘から、ふわっとボールが出てきます。まったく今生まれ出てきたように見えます。私は直接師から演技を見せてもらいましたが、太った体の割には細い指先で、指先で観客の袖先をつまみ、そこから自然にスポンジボールが出て来るのはまさに魔法でした。師のレクチュアーではその出し方を解説し、その後で、スポンジボールを販売するのですが、もちろんボールは飛ぶように売れます。しかし、誰もあれほどきれいには出せません。その後、多くのアマチュアの引き出しには、使われることのないスポンジボールが山ほど詰め込まれて、邪魔者扱いをされる結果になります。

 

 そうした中でダントツに面白いマジックを見せたのはスライディーニでしょう。師の演技はどれも3分から5分にまとめられ、一作一作完結して、起承転結ができています。内容はシンプルで、煙草を外の紙と中の葉をバラバラにほぐし、手の中でもんでいると元の煙草に復活する。結んだハンカチが何度やってもほどける。紙を丸めてボールを作り、それが一つずつ手の中で消え、消えたボールは紙箱の中から出てくる。一枚のコインが出たり消えたり(ワンコインルーティン)する。

 言葉で言ってしまえば何でもないものばかりですが、目の前で見せられるとまさに神業でした。

 

 師は、イタリア系アメリカ人で、小柄で、痩せていて、顔は何となくひねていて、それでいて目が大きく、愛嬌がありました。師はバーノンと同じく、若いころはナイトクラブでステージマジックをしていました。内容は、新聞紙の復活や、シルクがたくさん出て来る手順で、新聞紙の復活は、今も日本のアマチュアが演じているもので、あの手順はスライディーニ師のものです。私は直接、両師のステージアクトは見ていないのですが、内容はバーノン師と比べると、スライデイーニ師のほうが幾分明るい手順のように感じられます。それでも当時のほかのステージマジシャンから比べたら地味だったと思います。

 クロースアップが徐々に世間に認められるようになると、師も仕事が増え、コンベンションなどに出演したり、レクチュアーなどをして、多くの生徒を持つようになります。生活も安定したようです。しかし、日本に来た時には生徒も減って相当苦労していたようです。そんな中の日本ツアーは恵みの雨で、ずいぶん潤ったようです。

 

 さて、私はその晩、大阪に泊まったのですが、師の部屋の隣でした。一緒に食事をして、さて部屋に戻ろうとすると、師が「マジックを覚えたいか」と聞いてきます。もちろん覚えたいと言うと部屋に入れてくれ、レクチュアーでは演技だけを見せてくれたワンコインルーティンを初めから指導してくれました。

 しかしこの時、いかに師からマジックを習うことが簡単でないかを知ります。この演技は、ありとあらゆる点が細かく、計算されていて、一師がつ一つ説明しては私が演じ、ダメ出しをして、また私がやり直すの繰り返しをしますが、ダメ出しが多すぎて少しも前に進みません。

 まず、師の演技は、座り方、テーブルクロスを膝に掛ける掛け方、肘を置く位置、何から何まで決められています。師は、お客様を一人、自分の左側に座らせます。自身はそのお客様に体を向けた形で斜めに座ります、そして、右手、右肘をしばしばテーブルに置き、演技をします。この姿勢ができて初めて、パーム(コインなどを隠し持つ)や、ラップ(コインなどを密かに膝に落とす)ができるようになります。

 更には、セリフにもきっかけがあり、単語一つ一つが動作につながる意味を持っていて、単語のアクセントに合わせてコインを落としたり、落としたコインを密かに拾ったりします。決して言葉を変えたり、タイミングを変えることはできないのです。

 かくして師の演技は様式化され、師独特の世界が誕生するのです。しかし、ここで多くの生徒は疑問を感じます。つまり、師の演技を覚えるためには、師、そのものにならなければならないことを知ります。表情も、座り方も、セリフも、師、そのものでなければならないのです。それ以外の演じ方を師は決して認めないのです。

 ある意味、徹底した職人芸と言えます。しかし、芸能としてみた時に、あまりに幅がないのです。あくまで師の芸は、師が演じた時が一番面白く、他の生徒の演技は物まねでしかないのです。このためかどうかはわかりませんが、師のマジックはどれも珠玉の作品ばかりですが、それを演じる人が少ないのです。

 私は数時間かけて、師からワンコインルーティンを習いました。五本の指を広げた状態で、コインをラップして、なおかつそれが観客に見えない方法など、全く神業にしか見えないことが、しっかり細かく習えばできるのです。しかし、それは師になりきらなければできないのです。

 師の教え方は、バーノン師と比べると、もうひと時代前の指導法のように思います。バーノン師は、個性的な動作や、セリフまで指導はしません。教え方もあっさりしていて、ポイントしか指導をしません。そのため習った生徒は作品を、どんどん自分の演技の中に取り込んで、違ったものにしてゆきます。そのことを師は否定しません。

 この辺が、バーノン師が今日まで、普遍的に生き残れた理由かもしれません。スライディーニ師は、演じる作品があまりに自家撞着していて、変えようがないのです。これはこれで面白いのですが、時代とともに、不自然さばかりが目立ち、作品が固定されたままで生き延びるゆとりができないのです。

 私にとってワンコインルーティンを習えたことは幸せでした。そして師の素晴らしさは十分堪能できました。しかし時代とともに、師の優れた作品と、師の名声は薄れて行き、今日、あまり人の話題に乗らなくなってしまったことは残念に思います。

 何にしても名人三人と言葉を交わし、その演技を個人的に見せてもらえたことは今思えば幸せでした。