手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

花の他には松ばかり

花の他には松ばかり

 

 能の道成寺の冒頭、「花のほかには松ばかり、花のほかには松ばかり、暮れ初めて鐘や、響くらん」。花とは桜のこと。桜が辺り一面に咲いて、桜の他には松が茂るのみ、夕暮れになって、寺の鐘が寂しく響く。

 わずかな歌詞で周辺の景色が語られ、時刻までが想像出来ます。季節はまさに今、四月の風景です。能ではここで若い僧、安珍紀州の村に住む、清姫の悲恋が語られます。歌舞伎では、それからさらに数百年が経た時代に白拍子花子と言う、舞の達者な芸人が、道成寺に招かれ、舞を披露すると言う時に、釣鐘を見て、突然清姫に憑依して、数百年来の清姫の怨念が甦(よみがえ)ります。

 いきなり能だ歌舞伎だと言う話になってしまいましたが、今私は道成寺の鼓と太鼓を学んでいます。毎週毎週、朝9時に梅屋巴先生がアトリエに来て下さって、私と朗磨に鼓、太鼓を教えて下さいます。さて、道成寺長唄の中では屈指の大曲で、歌舞伎でも、これを舞うとなると1時間かかります。曲の演奏だけでも30分以上かかります。

 それを、鼓を学び、鼓が終わると太鼓を学びます。鳴り物はすべて口唱歌(くちしょうが=口伝えで譜面なしで暗記する)と言う、伝承方法で、かれこれ1年間かけて学びます。ようやく終盤の山尽くしに入ろうとしていますので、あと数か月で終了するでしょう。随分大変なお稽古です。

 私は演奏会を開くわけでもありませんし、ひと前で演奏することもありません。ただ芸能の素養として学んでいます。もう20年間鳴り物(鼓、太鼓)を続けています。

 「そんなことは無駄だ」。と思う人も多いでしょう。無駄と言えば無駄なのです。ところが、私が手妻を演じていると、三味線の演奏の合間に鼓や太鼓がリズムを刻んでいるのが聞こえます。勿論誰でも鼓や太鼓の音は聞こえますが、頭の中でよほどしっかり意識をして聞かないと、拍子から自然に体が動いて行くようにはなりません。

 聴いていると、メロディーとリズムが必ずしも一体となっていないことに気付きます。奇妙です。リズムは心臓の鼓動と同じ、メロディーは感情の表出です。それが一致しないのはなぜか?。大きな疑問が生まれます。

 実は歌舞伎音楽は、本来あった能の拍子、語りを、数百年後の江戸時代になって、当時の最新の楽器、三味線と当時の流行りの音楽、長唄によって、かなり種類の違う音楽を加えてアレンジしてしまったのです。それが1600年代のことです。

 恐らく当時の人にとって三味線音楽は日本の音楽の大革命だったでしょう。そもそも奈良、平安のころに使われていた、散楽や、田楽のリズムに、古くからの語りを取り入れて演奏していた能に、東南アジアで流行っていた音階を取り込み、流行り歌や、楽器演奏をそっくり取り入れて造り替えてしまったのです。

 それはちょうど、1900年代になって、世界中で、それまでクラシック音楽をベースに作られた平明な音楽が歌われていたものが、黒人の歌うゴスペルなどが流行り出し。それがブルースになったり、ジャズになったり、サンバやルンバやタンゴに発展して、音楽が一遍に広がりを見せて行ったことと似ています。やがて黒人のリズム感はロックを生み、音楽の世界全体を呑込んで行きます。

 1600年代の日本の音楽はまさに20世紀のロックの発展の時代に似ています。当時の流行は、それまでの日本人が聞いたこともなかった独特な音階で演奏されます。しかも三味線は、それまで使われていたメロディー楽器の琵琶よりもはるかに取り回しが良く、軽快な演奏が出来ます。当時の若い人が三味線に飛びついて行ったのは、現代の若い人がピアノやヴァイオリンからギターに移って行き、ロックバンドがあちこちで活躍するようになって行ったのと同じことです。

 

 戦国時代末期、出雲阿国が歌舞伎踊りを始めたのもちょうどこのころで、歌舞伎はその後、昔の物語に三味線を加え、長唄を唄いながら、能の話に添いつつも現代舞踊を作って行ったわけで、それが今日に残る娘道成寺です。

 話の筋は昔を語っていますが、内容は全くの現代劇(江戸時代の現代)です。ところが、ここに困った問題が起こります。道成寺のベースに流れているリズム感は、奈良、平安時代のもので、そのリズムの上に音楽として乗っているメロディーは、江戸時代の物なのです。これがうまく重なっていればいいのですが、時に、メロディーと関係のないところでリズムが盛り上がったりします。

 私は始めのうちはなぜこのようなリズムを打つのか見当がつきませんでしたが、リズムが先にできて、メロディーが数百年後に作られたためと知り、納得しました。

 私は三味線や長唄は元々習っていたのですが、その後に鳴り物に興味を持ち始め、稽古に通うようになりました。これが結果と日本のリズム感を掴むことに役に立ち、ようやく三味線音楽と言うものの構成が分かりようになりました。

 分かったからどうと言うものではありませんが、能の拍子は、意識をしていないと全く聞こえてきませんので、三味線の音だけを聞いて舞踊を踊ったり、手妻をしたりしても、時にリズム感のない演技をしがちです。和の音楽はリズム感にかけると思っている方が大勢いらっしゃいますが、それは、ベースに流れる拍子が聞こえていないだけであって、実は相当に複雑なリズムを刻んでいます。その面白さが分かると、日本の芸能が一層面白いと感じるようになります。

 弟子が何人も育ったなら、一度一門会の余興で、舞踊から、鼓、大鼓(おおつづみ)、太鼓、三味線、長唄を全員一門だけで演奏をして、舞踊をやって見たいと思います。さて、あと10年以内にそれが達成できるでしょうか。

続く