手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アバンギャルドな邦楽 2

 昨日は、玉ひでさんでの公演。20名が集まり、満席でした。このところお客様からの引き合いが多く、予約が先まで続いている状態です。有難いことです。

 昨日はケン正木さんがきました。ケンさんと私は48年に渡る付き合いで、ずっと共にマジック活動をしてきた仲間です。彼は今、奇術協会会長になって、相当に苦しんでいるようです。そもそもコロナウイルスの影響で、プロ奇術家の活動が成り立たないような状況で、どんどん協会員が減少しているようです。

 彼が会長になるときに私は、「今、会長になることは、火中の栗を拾わせられるようなものだから、やめたほうがいい」。と言ったのですが、彼は引き受けてしまいました。彼には脳梗塞の持病があり、その体で今回の困難に立ち向かうのは危険です。

 終演後色々話を聞いていると、だいぶストレスが溜まってきているようです。早々に協会をやめている私とすれば、何とか助けてあげたいとは思いますが、立場上、いかんともしがたい状況です。私や、ナポレオンや、前田知洋、カズカタヤマなど、ある時期、ごっそり協会をやめていますが、協会の問題は体質と運営にあります。なぜ、能力あるプロが抜けてしまったのか、そこに気が付かなければ、協会は人が減るばかりです。

 冷たいようですが、行き着くところまで行かなければ、協会の再生はあり得ないと思います。何とか努力をして再生させようとするケンさんの意気込みは素晴らしいとは思いますが、晩年の残された人生を、徒労に終わらぬように、祈るばかりです。

 

 今回の若手は、ザッキーさん、早稲田さん、日向さん、前田で、早稲田康平さんが新規に入ってきました。オーソドックスなスライハンド手順で、カード、リング、ゾンビを演じました。これから自分の個性を作って行かなければいけません。ここが正念場です。そのためにもここで自分を磨いてほしいと思います。来月も同じメンバーです。皆様よろしくご支援ください。

 

アバンギャルドな邦楽 2

 太古から続く日本のリズムを継承し、そこにストーリーをつけて舞踊化したものが能です。紆余曲折の末に、楽団員は少なくなり、間(ま)に抜けまでできて(私の推測ですが)、楽器も残されたのは四拍子のみの、リズムをベースとして、語り、(謡、うたいといいます。実際に聞くと、歌と言うよりも語りにしか聞こえません)。になって行きます。

 内容が、昔の武将や、権力者をテーマとしたものが多かったためか、能は、歴代の権力者が愛し、素人ながら大名が演じることが流行りました。能役者(当時は猿楽役者)、は、各大名に保護され、同時に独特のリズムも温存されました。こうして、能は明治に至るまで保護され、芸能の上位に位置して残されたのです。

 能はひとまず、ここで置いておいて、日本の音楽が劇的な変化を迎えるのは戦国時代です。三味線が南方から入ってきます。それまで、メロディ楽器としてよく使われていたのは琵琶でした。大きな瓜を半球状に割いたような楽器で、それを背中に抱えて、琵琶法師が村々を歩いて回って、平家物語を語る、などと言う絵は、鎌倉時代からあちこちの絵巻物によく描かれています。

 鎌倉、室町の時代は、農村においては、芸能に接することも、娯楽と呼べる楽しみも少なかったらしく、年に一度来る琵琶法師が楽しみだったようです。村に来れば、法師は、理解ある金持ちや、庄屋の家に泊まり、数日、或いは半月も滞在して、連日村人を集めて、続き物の平家物語などを聞かせていたのです。

 琵琶は4絃です。大きな撥(ばち)を駆使して優しく、時に豪快に演奏します。然し、三味線の軽便さにはかないません。南方から伝わった三味線は、初期の頃は、今日のギターのピックのような小さな爪を使って演奏していたのですが、日本に入ると、三味線の奏者と言うものがいませんでしたから、とりあえずは琵琶法師が弾いて見せたのです。そのため撥を使って演奏するようになり、琵琶の奏法が三味線に混ざりあうようになります。

 三味線は楽器のみが日本に入って来ただけではなく、都音階と言う、独自の音階を日本に伝えます。今日邦楽が使っている5音音階です。これによって飛躍的に日本の音楽がメロディックになります。今日、我々が謡を聞くと、お経を聞いているように聞こえます。単純な音の高低はあっても、メロディーが聞こえて来ません。ある意味、ヨーロッパの中世のグレゴリア聖歌にも共通しているように思えます。音楽と言うものが、神聖なもので、快楽とは別の所にあった時代のものに聞こえます。

 それが三味線が入って来ると一変します。音色は妙に快楽的で、遊びの要素がたっぷり入ってきます。左手の絃を弾(はじ)く音ですとか、右手の撥を強く打ち叩く音などが一緒になって、激しく、ダイナミックな音楽が生まれます。

 琵琶の音に慣れていた当時の人が三味線を聞いたときには、今日のヘビメタを聞くような衝撃があったのではないかと思います。奏法も、琵琶よりも遥かに手が軽く動き、速弾きが可能です。こうなると流行らないはずがなく、三味線はたちまち日本中を席巻します。

 これにいち早く飛びついたのが、女歌舞伎や、その後の歌舞伎舞踊の集団です。江戸の初めころにはすでに、三味線はメロディ楽器として首座に収まります。

 歌舞伎は舞踊として演じていたころは、三味線を使って派手な曲を作って曲に合わせて踊ってていたのでしょうが、やがて、芝居小屋を構えて長時間興行するようになると、ストーリーがなければ時間を維持することが難しくなります。そこで、能から作品を拝借して、ストーリーのある芝居を作り始めますが、この時、能で演じていたリズムが一緒に入ってきます。入ったと言っても一方的に歌舞伎が能を盗んだわけです。

 能のリズム感は独特ですから、リズムを取り入れただけでその時代をイメージさせることが出来たのでしょう。早速能を取り入れると、それまで怠惰に流されていた歌舞伎が妙に高尚なイメージになって行きます。一格上がった感触を得ます。これから歌舞伎は頻繁に能を盗み取って独自の時代劇を作り始めます。

 そこで能のリズムを取り入れるのは良かったのですが、そこに三味線を無理無理はめ込んで行きますから、本来能が語ろうとしていたストーリーと、その後に加味された三味線音楽には食い違いが生まれます。曲の解釈だけでなく、拍子も、メロディーの嵌め方にも無理が発生します。しかしそんなことはお構いなしに三味線が入り込んで、能のリズムに無理に曲を乗せて行きます。

 それがどういうことかと言えば、例えば、今日、ベートーベンの音楽をロックバンドが演奏したり、ホルストの惑星(ジュピター)をボーカルが歌ったりすることが日常行われていますが、あれが、本当に、ベートーベンやホルストの望む音楽かと言えば、恐らく違うはずです。美しいメロディーの裏側で、ベースたドラムがかなりアクセントを強くしてリズムを刻んだりします。あんなリズムは決してホルストは望まないでしょう。然し現代人はそこを違和感なく受け入れてしまいます。本来の意味とは別の需要が生まれているわけです。今日我々が聞く歌舞伎音楽はそれとほぼ同じことで、原作とは関係ない所に生まれた音楽なのです。この話はまた次回。

続く