手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アバンギャルドな邦楽 3

 今日は夕方から舞踊の稽古に出かけます。来月舞踊の小さな発表会があります。私は穂積みゆきさんと末広狩を踊ります。二人で組で踊るわけです。短いものですが、陽気な面白い踊りです。9月26日(土)、場所は、文京区の、不忍通りふれあい館です。14時30分開演です。文京区根津2-20-7

 どなたでも無料でご覧になれますが、コロナウイルスの影響で、劇場内は50名様までの入館になります。事前に東京イリュージョンまでご予約ください。03-5378-2882

 芸能に生きると言うことは、仕事がないからと言って嘆いていてばかりいてはいけないのです。こんな時こそ新しい芸能を学んで、それを披露して生きて行かなければいけません。どんな時でも、呆気羅漢と生きていなければいい芸はできません。

 

アバンギャルドな邦楽 3

 歌舞伎音楽が、ただ能からそのまま古い手法を盗み取ってきたわけではありません。実は様々なところから新しい音楽を取り入れているのです。

 歌舞伎の勧進帳などは江戸の音楽文化の集大生のような作品です。江戸の末期、七代目市川團十郎が、高尚癖と言われるほど能に傾倒して、歌舞伎に能を取り入れていました。そして、一世一代の大作を作り上げたのが勧進帳です。

 能に安宅と言う作品があります。義経主従が都を追われ、奥州仙台まで逃げ延びる途中、加賀(石川県)の安宅の関で、関守の富樫の左衛門に呼び止められ、嫌疑をかけられますが、弁慶の機転でうまく逃げ果(おお)せるというストーリーです。勧進帳も流れは一緒です。然し勧進帳はその内容が実にアバンギャルドなのです。

 まず初めはオーソドックスに能がかりで始まります。「旅の衣はすずかけの―、露けき袖や萎(しお)るらん」と、謡の語りが厳かに始まります。続いて、能の囃子がゆっくり鼓、大鼓で鳴り響きます。前にも申しあげた通り、ここは本来はもっといろいろな楽器がメロディーなど奏でていたところかと思いますが、歌舞伎は能のままそっくり、渋いリズムを取り入れています。

 このあとやおら三味線が鳴り、大薩摩(おおざつま)と言う、当時、巷(ちまた)で流行していた武将物を語る勇壮な節が出て来ます。まさにロックの音楽です。「ときしも頃は如月(きさらぎ)のー」と激しく唄い出します。しかし、状況説明は既に初めの能がかりで終わっているわけですから、本来は大薩摩は不要なはずです。それをあえて加えて語らせるのは、既に江戸のこの時代でも、能のセリフが理解しづらくなっていたのかもしれません。つまり、能の現代語訳を始めるのです。

 そこでいよいよ義経主従の登場になります。それを待ち受ける富樫の左衛門と緊迫したやり取りをしますが、ここで、当時江戸の大道で流行していた山伏問答を取り入れます。「なぜ、山伏は杖を持っているのか、なぜ刀を持っているのか」、細かく問いただしますが、弁慶はすらすらと全ての質問に答えて行きます。こんなところは能にはありません。更には、勧進帳があるなら勧進帳を読んで見ろと言われ、窮した弁慶が何も書いていない巻物を引っ張り出して、すらすら読み上げて急場をしのぎます。

 うまく逃げ果せた義経は森の中で、弁慶の機転をねぎらいます。ここでやはり当時大道芸で評判だった説教節を取り入れています。弁慶は主の義経に褒められ、勿体なさのあまり、「ついに泣かぬ弁慶も、一期の涙、殊勝なり」。と説教節がしみじみ語る中、弁慶ははらはらと涙を流します。富樫の前ではあれほどの才能を見せ、何を言われてもびくともしなかった弁慶が、義経にねぎらいの言葉を掛けられるとたちまち、大きな体が脆くも地面に崩れ落ちるのです。この説教節をよくぞ七代目は勧進帳に取り入れたと感心します。まさに勧進帳のテーマはここに集約されます。

 つまり、血を分けた兄の頼朝から権力争いで疎まれ、都を追われた義経ではあっても、その姿は都落ちとなり、何一つ持つべきものもなくなった主に、ただ一つ、誠を尽くしてここまで忠義を貫く家来がいる。これが勧進帳のテーマなのでしょう。

 お終いは、富樫にふるまわれた酒を飲んで弁慶が上機嫌で延年の舞を舞って逃げて行きますが、この延年の舞で能のリズムに戻り、そこに三味線を加えて賑やかなフィナーレを作ります。お終いには、幕外で出弁慶が飛び六法まで踏んで引っ込んでゆきます。

 六方と言うのは江戸の初期、ヤンキーが周りを驚かせるために、とんでもない恰好をして、大袈裟なふりをして街を歩いたときの歩き方で、本来まともな人のやることではありません。それを弁慶にさせて、舞を舞ったがために主に遅れてしまい、慌てて主を追いかける最後の場で飛び六法をさせたのですから、とんでもない演出です。本来六法を踏んでいる場合ではないのです。然し、今これを見ると、弁慶の思いがよく伝わります。これだけの大作には、これぐらいの派手な終わり方が必要なのでしょう。

 七代目に能を教えた能役者が、初演の勧進帳を見た時に、初めからお終いまで笑い転げたと言います。それはそうなのでしょう。形こそ能を取り入れはしても、その手法は江戸時代の現代演劇なのですから、能役者から見たならへんてこな芝居だったのでしょう。然し今勧進帳を見るとよく出来た芝居だと思います。

 しかも、大薩摩や、山伏問答、説教節など、江戸の現代曲を積極的に取り入れて、それを三味線音楽(言ってみれば今日の歌謡曲)で、歴史劇をまとめたというのはものすごい才能だと思います。勧進帳を見てしまうと、能の安宅は物足らなく思います。

 煎じ詰めれば芸術は、些末な矛盾はどうでもよく、伝えたいテーマがしっかり語られていれば、名作になり得るのでしょう。

続く