手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには

鎌倉芸術館

 12月4日に、三遊亭三三師匠の落語会に出演します。夜6時半からです。詳細は、東京イリュージョンの掲示板をご覧ください。横浜、大船、鎌倉近辺のお客様はお近くですのでどうぞお越しください。

 

マジシャンを育てるには

 昨日(1日)は、自分の誕生日の話と、サムタイの話をしてしまい、一昨日(11月30日)に問題を投げかけた、「古いものを古いまま教えたのでは人は育たない」。と言う話が飛んでしまいました。今日は、そのことを詳しくお話ししましょう。

 

 海外のマジシャンが、私の芸についての質問して来るときには、決まって以下のことを聞かれます。

1つは、古い作品をそのまま演じて演技として成り立つのか。

2つ目は、それを見たいと言う観客がいるのか。

3つ目は、習いたいと言う弟子がいるのか。

 このことを順にお話ししましょう。

 

 1つ目の、古い作品をそのまま演じることで演技が成り立つかどうか、ですが、結論を申し上げるならNOです。いかなる古典も、時代とともに発展させなければ生き残れません。それは、能でも、歌舞伎でも、落語でも同じです。

 手妻に限らずマジックでも同じでしょう。古い作品を古いまま演じていたのでは全く話題にならないでしょう。ことさら手妻だけが古典ではないはずで、カップ&ボールも、コインもカードも、どれも百年以上前の技法や、手順が残っています。然しそれをそのまま演じただけでは何ら話題にはならないのです。手妻も同じです。

 江戸時代に演じていた能、歌舞伎、落語は、今とはかなり違うものでした。演じ方も、スピードも、演じる場所も、条件も随分違っていたのです。一見営々と同じことを繰り返しているように見えますが違います。見る観客もかなり違います。

 江戸時代の人は、ちゃんと学校を出た人などはほとんどいません。簡単な読み書きしか習っていなかったのです。複雑な話など理解出来なかったのです。

 明治大正になっても同じでした。私の師匠である清子も、小学校までの義務教育しか受けていなかったでしょう。そんな時代の子弟の教育は、理屈など話さずに、師匠のすることをそのまま見て覚える。と言うのが稽古だったのです。子供だった私が、習いながら、疑問点を質問すると、師匠はとても怒りました。

 「お前は頭でものを考ようとするから覚えられないんだよ。見て覚えるんだ」。

と言いました。昔の師匠はみなそうです。なぜ師匠が怒るのか、初めは理解できませんでした。然し、少し経つとわかりました。師匠も知らなかったのです。「なぜそうするのか」、そんなことを考えずに習っていたのです。

 昔の人は言葉の数が足らなかったのです。そのため細かく説明ができなかったのです。教える師匠が仮に優れた人だったとしても、習う側の理解が浅ければ、あまり詳しくは教えなかったのです。

 それでよく指導ができたなぁ、と現代の人は思うでしょうが、出来たのです。師匠の師匠は、自身の生活を見せることでマジックや手妻の考え方を教えていたのです。それを見た弟子が、徐々に体で学んで行ったのです。

 その教え方を現代にそのまま持って来てもうまく行きません。現代人は昔の人よりはるかに知識があります。多くのことを知っています。そのため、矛盾すること。無駄なこと。理由のわからないことを受け入れようとしません。師匠に言われた通りそのまま何も考えず覚えると言うことは現代人にはできないのです。

 そこで、今の指導方法は、なぜそうなるかと言うことを詳しく話すことになります。つまり、教える側がよほど詳しくわかっていないと指導家になれないのです。

 作品の種類、時代背景、作者の意図など、昔の師匠なら教える必要のなかったことまで教えなければ、今の若い人は納得できないのです。演技者は芸能人としての才能があればそれでいいのですが、指導をする人は研究者でなければ教えられないのです。

 私が人にマジックや手妻を教えようと考えた30歳くらいの時に、とにかく聞かれたならちゃんと説明できる指導家になろうと思いました。今ではそう珍しい事ではないかもしれませんが、当時はどの師匠もそれが出来なかったのです。

 更に、手妻には、矛盾した手順や、あまり意味のない手順、或いは、呆気なく終わってしまう手妻など、短すぎて、いまでは成り立たない手順などがたくさんあります。逆に長すぎてつまらないものもあります。そうした作品にはアレンジを加えなければ生き残れません。この仕事が大変に難しく、今でも多くの時間を費やします。

 例えば、蝶や、水芸には前口上があります。時候の挨拶から始まって、これから蝶を飛ばしますと言う話をするのですが、それが3分も4分もかかります。蝶を演じると言って、4分間蝶が飛ばないのです。これは今の時代では成り立たないでしょう。

 当然口上はカットすべきです。ところが、口上の中には、いいセリフがあったりします。「如何にも江戸を感じさせるセリフだなぁ」、と言うようなものがあります。さぁ、そうなると、江戸のセリフを残すべきか、すぐにマジックに入るべきか。どちらかを選択しなければいけません。 ここが演者のセンスになります。

 私は若いうちは、とにかく演技を刈りこんで、短くまとめることに専念しました。明らかにつなぎで話しているようなセリフは大きく切りました。然し、50を過ぎたころから、少しずつ口上を足し始めました。そのセリフがあると、世界が見えてくるようなところは価値があります。

 それから、演技と演技の間に、少し、時代背景など語るようにしています。これもあまり長くなると学校の授業のようになりますので、刈り込んでお話ししています。こうして私の公演は形が出来て行きました。それを今の若い人が見ると、

 「手妻は間に歴史を解説したりして、世界が完成していて、アカデミックで素晴らしいですねぇ」。と褒めてくれます。でも、それは昔の手妻ではありません。

 多くの人が、手妻を見て、文化的で、美しくて、素晴らしいと言ってくださいます。それは私が、「こんな手妻の世界を作り上げたい」。と想像して作り上げた世界です。江戸時代はもとより、昭和ですらそんなことをした手妻師はいなかったのです。

 昭和の手妻師の中には、蝶を演じた後で、新聞と水や、毛ばたきの色変わりを演じていた人もあったのです。なぜそんなことをしたのかは分かりません。恐らく同じマジックだからしていたのでしょう。然し、そのセンスでは生き残れないでしょう。

 昭和40年代の、恵まれなかった手妻師の生活を思うにつけ。その時代に戻ることは無意味です。自身が手に入れた技術や、素晴らしいと思った世界を、極上の世界に作り上げるセンスがない限り、この道で生き残ることはできないのです。それはマジックも手妻も全く同じではありませんか?。

 すなわち、「古いものを古いまま演じていて、それで生きて行けるのか」。と言う、海外のマジシャンの質問の答えは、NOなのです。

 明日は、現代のお客様が手妻から何を求めているのか、についてお話ししましょう。

続く