手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

2019-01-01から1年間の記事一覧

九奇連物語3

昨日は、大阪指導の後、空堀通の居酒屋そのだで忘年会。そのだは昭和の昔を思わせる小汚い店なのですが、実はこれがまだ出来て4年くらいの新しい店。古くこしらえてあるのが趣向です。稽古を終えた5人が集まり、ハイボールとジンジャーエールで乾杯。その…

菊正の樽

昨日は名古屋の指導でした。今回から片山幸宏さんが加わりました。手妻をレパートリーにしたいそうです。彼は京都の仕事が多いようです。そのおりしばしば「和服の演技はないか」。と、聞かれるそうです。潜在的に京都は和物の需要が多いと判断して、それな…

師走はせわし

このところ多忙な日が続き、ブログも書けずに申し訳なく思っております。あれから27日に大掃除をし、28日から3日間、富士、名古屋、大阪と指導に出かけました。その間にテレビの撮影などあり、身動きが取れません。 今は岐阜にいて、これから名古屋の指…

藤山大樹芸術祭賞受賞

このところブログが遅れ遅れで済みません。急遽テレビの仕事が立て続けに入ったり、出演の打ち合わせが来て身動きが取れません。忙しいことはありがたいのですが、私のやりたいことができずに苦しんでいます。 これから時間のやりくりをして、九奇連物語3を…

九奇連物語2

九奇連の発足当時、私は27歳でした。毎年海外に行き、コンベンションにゲスト出演していました。いずれは日本でコンベンションを立ち上げ、運営できたらいいと思っていましたので、九奇連は組織を作る意味で、随分いい勉強をさせていただきました。 これまで…

九奇連物語

さて、50人でスタートした九州奇術連合会(当初は九州地区マジック懇親会という名称でした)は、翌年には80人、更に翌年には120人と、順調に会員を増やし、3年目に九州奇術連合会として発足しました。会長はそれまで世話役をしていた原田栄次氏、副…

九州奇術連合会を作る

さて、私のキャバレー時代のことですが、キャバレーは毎晩8時と10時ころにショウをします。地方都市などへ行くと、例えば仙台2日間、山形2日間、酒田2日間、などと、一週間分のスケジュールを事務所が作ってくれます。日曜日はキャバレーは休みですか…

キャバレー時代

もう40年も前のことになりますが、私は10代の末からキャバレーの仕事をしていました。当時キャバレーは日本中に3万軒はあったそうです。主だった駅には必ずと言っていいほどキャバレーがありました。キャバレーとは、社交場ですが、生バンドがいて、ホステス…

粋と遊び

昨日は、弟子の前田は国立劇場に芝居を見に行きました。本当は私が出かける予定だったのですが、私は午前中から用事が出来てしまい。見に行けません。そこで弟子が代わりに出かけました。前田にすれば初歌舞伎です。いろいろ収穫を得たようです。 日本の文化…

大阪稽古処

今日は大阪の稽古指導に朝から出かけました。前田将太も一緒です。このところ急激に私のところにマジックや、手妻を習いたいと言う若手が来るようになりました。やはり基礎を積んで、マジックをするのと、ただやみくもに道具を買い集めてマジックをするのと…

芸人 上、中、並、

私の親父はお笑い芸人で、舞台も面白かったし、日常がまた面白い人でした。何か計算を立てて生きると言うことができず。着の身着のまま、飲みたいときは酒を飲み、食べたいときは好きなものを食べ、金がなくても博打をし、少し稼いではまた遊んでいました。…

東さん最良の日

昨日は両国の江戸博物館の会議室で、「小野坂東氏の業績研究」と題するフォーラムが13時からあり、そのあと17時から東さんを囲んでのパーティーが両国ビューホテルで催されました。私は両方に参加し、丸半日、東さんをじっくり考えることができました。 昼か…

FISMブラッセル2

トリックスが私の交通費、宿泊費を持ってくれたおかげでベルギーまで行けたのですから、せっせと道具を売らなければいけません。実際、私は連日和服を着て、売り場に立ちましたので、よく目立ちます。地元のテレビ局などは必ず私を映しています。お陰で私は…

FISMブラッセル

私が初めてヨーロッパのコンベンションに行ったのは、1979年FISMブラッセルが最初でした。24歳でした。いきなり 二千人の大会に出かけたのですから、見るものすべて驚きでした。日本にいては、親父の持ってくるちゃちな余興の仕事か、松竹演芸場か、キャバレ…

まじめな芸人

私は子供のころから舞台に立っていましたし、子供としては恵まれた稼ぎをしていました。舞台の仕事は親父がせっせと付き合いの仕事を持って来てくれますし、大学に入った時に既に、プロダクションにも所属していましたから結構仕事があったのです。ただし、…

池上街道

昨日、大阪のテレビ局から電話がかかってきて、急遽、近々大阪でテレビ撮りをすることになり、スケジュールをずらしたり、場所を設定したりと、忙しいことになりました。それでも仕事があるのはありがたいことです。 昨日東急ハンズの帰りにJR新宿駅の改札近…

創作意欲

一昨日は、NHKの番組制作者さんが来て、打ち合わせをしました。詳細は今は話せませんが、決まりましたらお知らせします。 昨日は東京会館で、ショウの打ち合わせをしました。東京会館の料理長、鈴木直人様の叙勲パーティーでの手妻のショウです。その打ち合…

マジシャン10人続編

昨日のマジシャン10人が、閲覧者が400人を超えました。気分を良くして、続編を書きましたが、あまりに芸談が専門的になってしまいましたので、noteの方に移しました。ご興味の方はそちらをご覧ください。 https://note.com/hiden_shintaro/n/n2ceefa9e819c

マジシャン10人

かねがね私は、今の日本のマジック界に、10人の若手マジシャンが欲しいと思っていました。私は年間数回マジックショウを開催していますが、せっかくマジックショウを普及させたいと思っていても、二回もショウをすると、もう目玉となるような、出てもらいた…

たけちゃん金返せ4

たけちゃんの面白さは密室の会話にあります。元々人前に出て、みんなを笑わせるような人ではありません。舞台に立つのは生きて行くためにやむを得ずしていることで、本来は数人が集まる中でばかばかしいことを言うとめちゃくちゃ面白い人なのです。 昔、中学…

たけちゃん金返せ3

この小説のタイトル、たけちゃん金返せは、私がたけちゃんに53000円を貸したままになっていることからつけた名前です。当時、たけちゃんは漫才の仕事が少なく、生活が苦しかったため、キャバレーに出ようと考えます。 ただ、キャバレーはアルコールを飲んだ…

たけちゃん金返せ2

昨日に続き、たけしさんの話をします。たけしさんのことはずっと今日までたけちゃんと呼んでいました。私より7歳年上ですが、私は子供のころから舞台に立っていましたので、芸の上では先輩です。演芸場のギャラも私の方が3倍くらい余計に取っていました。…

たけちゃん金返せ

私は昨年小説を出しました。「たけちゃん金返せ」(創論社)です。私は子供のころから浅草の松竹演芸場に出ていました。勿論マジックをしていたのですが、そこへ、私が20歳の時、当時漫才を組んですぐの、ツービートの北野武さんが演芸場に出演するように…

別に体は悪くありません

昨日は糖尿病の検査でした。数値はむしろ改善されていました。私は糖尿の数値を守っていれば、どこにも問題はありません。今まで、けがも入院もなかったのです。その糖尿も、アルコールと、穀類を控えるようになってからは良くなっています。それでもときど…

マギー司郎さんのこと

マギー司郎さんは私よりも8歳年上です。ナポレオンズのお二人とは2歳違いですので、話も合うのですが、マギーさんとは一世代違います。しかし47年間ずっといい仲間なのです。一昨昨日の公演はやっていてもとても楽しいものでした。楽屋も和気あいあいとし…

人生最高の食事

昨日、昼には、秋田から手妻を習いの来た小野学さんにご指導をし、晩は、私の誕生日を女房和子と娘のすみれと三人で、高円寺の料理屋で祝ってもらいました。 その間も、朝から私が書いたブログが話題になっていて、読者が一日で2200人を超えました。と言うの…

コピーの範囲

一昨日のBIG SESSION以来、何人かのマジック関係者から、アキットさんの舞台が、ティナレナートさんの演技のコピーではないかと指摘されました。そのことについて触れておきましょう。私が見た限りでも、アキットさんの演技は、コピーと取られても弁護のでき…

いいショウ、いいお客様

昨晩のBIG SESSIONは演じる側も楽しく演じられ、お客様も喜んでみていただけて、久々充実の舞台でした。お客様の乗りがまるでロサンゼルスのマジックキャッスルのお客様のようで、素直で、明るくて、ある意味、従来のマジックの催しのお客様と違った流れを感…

BIG SESSION

今日は、座高円寺でビッグセッションと言うマジックの公演です。何十年やってもマジックの公演は楽しみです。通常マジシャンは、芸能事務所から仕事の依頼を受けて、パーティーなり、会社主催の催しなどに出演するのですが、私は年間数回、(場合によっては…

妖しげな芸人

さて、12本リングと言うものがどこから来たもので、誰の手順なのか、詳しいことはわかりませんが、私が調べた限り、日本に伝わってからの継承の経路ははっきりしています。明治のかなり早い時期に、大阪の奇術師で、天長斎(てんちょうさい)ミカドと言う人…