手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

粋と遊び

 昨日は、弟子の前田は国立劇場に芝居を見に行きました。本当は私が出かける予定だったのですが、私は午前中から用事が出来てしまい。見に行けません。そこで弟子が代わりに出かけました。前田にすれば初歌舞伎です。いろいろ収穫を得たようです。

 

 日本の文化を考えるときに、粋と言う言葉が折々に出てきます。なんとなく語感は、洗練されたもの、無駄のないもの、美しい、センスがある、などと言う言葉に置き換えられそうですが、実際、粋を考えて見てみると、どれも意味が違うように思えます。

 粋と言う意味は、正しき行いを少し崩して行動することに粋を当てている場合が多いように思えます。男の着物の帯を、背中の真ん中で結ばずに、左か右に少しずらして結ぶ。とか、髷(まげ)の先をまっすぐ伸ばさずに、左右どちらかに少し曲げて乗せるとか、羽織の裏地を表地の数倍費用をかけて作るとか、銀でこしらえたキセルを、銀をいぶして、黒光りするようにして目立たなくして使うとか、今日の人が見ると、なぜそれが洗練された行為なのか、首をかしげてしまうものもあります。

 江戸の初期にファッションをリードしていたのは武士階級でした。生産者を支配していた武士は、戦がなくなった後に、武器に投資しなくて良くなった分、収入を思いっきりファッションに使って、贅沢が始まります。

 若くて二枚目で、腕力のある武士が、派手ななりをして江戸を闊歩すると、世間は喝采したわけです。無論、町人もそれを真似するようになります。

 衣装は、町方と武士が張り合うようにして、贅沢になります。絹ものが日常着られるようになり。帯も、それまで紐のように細いものだったのがどんどん幅が広がり、それにつれて、柄を織り込んだりして、精緻な帯が現れます。女物は特に顕著で、帯の幅が広くなるにつれ、初め腰で結んでいたものが、どんどん上に上がってきて、胸まで来るようになります。そうなると結び目も、初めは体の前で結んでいたのですが、20センチを超える帯を前で結んだのでは、結び目が大きすぎて、日常に作業に支障がきたすために、後ろで結ぶようになります。良家の子女は引きずるようにして来ていた着物も、上げをして、足のくるぶしまで詰めて着るようになり、襟は首から少し離して、うなじを強調するような着こなしがはやります。

 しかしここまでは武士と町方の贅沢合戦で、別段粋が介入することではありません。

やがて、元禄のころには、武士の家計は疲弊して、どこの屋敷も借金で生活するようになります。これまでの贅沢な暮らしぶりは鳴りを潜めます。それに対して町人は大手を振って贅沢をするようになります。それを苦々しく思った政府は、度々贅沢を取り締まるお触れが出るようになります。贅沢はしたい、でも処罰を恐れた町人は色々と工夫をするようになります。

 絹ものを着てはいけないと言われると、絹を木綿の織り方で、ゴワゴワとした肌触りの反物をこしらえます。紬です。外見はゴワゴワして木綿に見えますが、実際着てみるとても柔らかく、しかも適度に保温性があり、着心地の良いものが出来上がります。紬はたちまちヒットします。

 あるいは、それまで派手な絵の描いてあった着物の上に、地味な木綿を着て、遊びに出かけ、座敷に上がるとパッと木綿の着物を脱ぎ棄て、中から極彩色の絹の着物が現れ、女衆を喜ばせたります。羽織も、それまで来ていた派手な絹の生地の裏に、木綿の生地を合わせにこしらえて、外では木綿を着ているように見せかけ、遊びの場所では裏返して絹の羽織を着て見せます。リバーシブルの先駆けです。

 今日でも、地味な着物に対して、襦袢が派手な絵が描いてあったり、羽織の裏に金襴の生地を使ってあったりするのは、江戸時代の名残です。普段、地味な紬を着ていても、袖先や、着物の裾が捲れた時に、はっとするような派手な色の襦袢が見えると、それを粋と感じる文化が生まれてきます。

 つまり粋とは、武士の身の処し方、服の着こなしを正当なものと評価したうえで、それに対抗して、思いっきり派手を極め、その派手を表に出さずに隠しつつ、チラリちらりと、洗練度を見せることで、反骨精神を訴えるもの。と言えるのではないかと思います。言ってみればかなり屈折した贅沢の仕方で、分かり合えるマニア仲間の世界の中で熟成された文化だと思います。

 ある意味、フランス語のエスプリは日本の粋と相通ずるところがあるように思います。エスプリとは、英語で言うスピリットのことで、直訳すれば精神と言う意味ですが、フランス人がエスプリと言う時に、精神を語ることはまずないでしょう。言葉は本来の意味を離れて発展し、あの芸はエスプリが効いているなどと言うと、心に響くものとか、うまいことを言うとか、洒落ているとか、ずっと軽い意味に使われる場合が多いのですが、そうならなぜちょっとセンスのある行動をエスプリなどと大げさに言うのかと考えるなら。フランス人にとって、そのちょっとした動作、洗練さ、にこそフランスの精神を感じるからなのかもしれません。

 フランスと言えばベルサイユ宮殿のような金ピカな建物を連想しますが、実際のフランス人の求めるものは、もっと日常的な、さりげない言葉や、さりげない身の処し方に、洗練さを見つけることがエスプリを感じるのだと思います。

 それは、戦国時代に、千利休が、豊臣秀吉の作った金の茶室を見て、毎日秀吉に茶道を指南していながら、自分の精神文化が何も理解されていなかったことに失望したことと結びつく話です。金ピカの茶室をほめたら、侘びも寂もないのです。

 幸い、日本人はあからさまな金ピカ文化を喜びません。香港の大富豪のように、金色のロールスロイスを乗り回しているような人を、金持ちとは認めても、それに憧れることはしません。どこかに利休が生きていますし、江戸の粋が自制心になっているのでしょう。いいことです。

 さて、そのさりげない粋を舞台にどう表現しらいいのでしょうか。ここに江戸の文化を再現する者の立場が試されます。ただ、箱から絹帯を出して、傘や扇子をたくさん出せばそれでいいわけではありません。それでは金のロールスロイスを乗り回す金持ちと同じレベルになってしまいます。そこをどう見せるか、粋はなかなか奥深いものです。