手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

入門 4

入門 4

 

 入門すると、まず、着物の着付け、かたずけを覚えます。自分自身で着物が着られる。また畳める。これは基本ですから、必ず出来なければいけません。

 それもきっちりと着られて、しかもさりげない着こなしが出来なければいけません。初めの内は何とも着慣れない感じがしますが、早くに慣れて、自然な着こなしを身に着けることが大切です。

 そのため、稽古だからと言って、着物を着ないのはいけません。せっかく着物を着るチャンスなのですから、率先して着物を着て稽古しなければいけません。

 和服は、これから何百回、何千回と着て行くわけですので、着物を着ると言うことがどういうことなのか、体で会得して行くことが大切です。一回一回の稽古が、着付けの練習の場になりますので、いい加減に来たりしないでちゃんと足袋から、襦袢から、気付けてしっかり着こなす癖を身につけなければいけません。

 仮にテレビ局で、着物の着付けのお手本を頼まれるようなことがあったとしても、自然にきっちり着こなして見せることが出来るくらいにならなければいけません。

 手妻師は、手妻を残し維持することと同時に、着物文化の伝統保存している人なのですから、いい加減な着こなしをしてはいけません。

 時に長時間来ていると、着物がだんだん崩れて、裾先が開いてしまったり、襟が広がってしまったりします。そんな時でも、着たままで着付けを直す方法を自然に身に着けておくことが大切です。

 昔の人なら、日常何でもなく出来たことが、今は一つ一つ学ばなければできません。先輩や師匠に習っておかないと、いつまでたってもきっちり和服を着こなすことが出来ません。

 

 舞台衣装は、基本的に絹物を着ます。綸子(りんず)とか、緞子(どんす)とかいったものを着るのですが、これはとても高額な衣装です。しかも、綸子も緞子も、街の呉服屋さんに行ってもなかなか舞台向きな、いい反物はありません。

 やはり色柄から自らが選んで、仕立てる以外ないのです。手妻をやりたいと言う人がまず初めにぶつかる壁は、和物は何から何まで高価だと言うことです。

 マジシャンの中には、化学繊維の着物を買って来て、それに出来物の袴を併せて済ませてしまう人がいますが、それは要注意です。先ず化学繊維の着物は簡単に洗濯が出来て便利ではありますが、帯を結んでもつるつるとしてはだけやすく、風合いが絹や木綿の和服とはかなりかけ離れています。

 また見た目も無駄にピカピカ光って落ち着きがありません。いい仕事先に着て行こうと考えるなら、化学繊維はやめたほうが良いと思います。また、既製品の着物だと、袖先が短い場合が多く、丈もゆったりとしていないものが多いのです。着物は着た時に手首が袖に隠れるくらいに長い方が袖さばきが美しく見えます。裾(すそ)も床に引きずるぎりぎりくらいの長さに作って、そこに帯を閉めると2㎝くらい着物が詰まります。この長さが理想的です。

 私は、化学繊維の着物を着るなら、むしろ、木綿の生地から着物を仕立てたほうがいいと思います。木綿は安価です。地味な柄が多いのですが、それでも、仕立てて着てみると、なかなか重厚な感じがして、昔風に見えていいものです。

 私も普段は木綿の着物を着ています。木綿は、着崩れがしにくく、肌に当たっても暖かく、日常着るにはまことに都合のいい衣装です。稽古着にしてもいいですし、春夏秋は浴衣で稽古をして、冬だけ木綿の着物で稽古をすると言うのが普通に行われていた着方です。

 ついでに申し上げますが、着物は、シーズンによって着る物を変えます。春秋は、単衣(ひとえ)と言って、裏地を付けない薄手の着物を着ます。夏場は浴衣、或いは、絽(ろ)、紗(しゃ)と言った、着物を着ます。絽や紗は絹で出来ていて、高級品ですので、稽古着には使いません。冬場は袷(あわせ)と言う、裏地の付いた着物を着ます。通常着物と言うと、この袷の着物を着物と考えている人が多いようです。袷は冬場に着ますが、秋でも春でもぎりぎり袷を着ても構いません。むしろ一重の着れる季節の方が短いのです。

 こうした着こなしは、日常のものです。舞台上は、夏冬の使い分けはしません。夏でも袷の着物を使います。それは、手妻の演者と言うのは、舞台上の役になり切っていますので、袷の着物に裃(かみしも)と決まった姿は、夏でも冬でも変わりません。

 それはちょうど、歌舞伎が、夏に「助六」を演じることがあっても、助六は絽の着物で出て来ることはありません。夏でも綿入れの分厚い着物を着て出て来ます。「石切り梶原」も綿入れの着物に、裃姿は一年中同じなのです。

 やはり舞台は、薄手の着物を着るよりも、吹(ふき=袖や裾に綿を入れて膨らませたもの)の着いた綿入れの、袷の着物にしたほうが贅沢に見えます。夏場の野外ステージなどは、綿入れの着物で演じると、まるで我慢比べのようです。実際熱くて汗が吹き出しますが、それでも袷を着たほうが舞台はきっちりまとまります。

 この道で生きて行くと言うことは何から何まで費用が掛かります。そのため、なるべく多くのお客様と仲良くして、仕事のチャンスを頂くようにして、一本でも多く仕事を手に入れ、その収入で着物などのいいものを身に着けるようにして行かなければいけません。

 そうであるなら、マジック愛好家ばかりを相手にして、理解者の前で指導をしたり、自分の優位を得意がっていたりしていることは実際にはマイナスです。それでは成功は手に入らないのです。外のお客様に愛され、自然自然に人の輪が広がって行って、外のお客様から舞台の依頼をいただくようにならなければ、着物一着仕立てることは出来ないのです。

 安価な着物を着ていてはいいお客様と出会えず、いいお客様と出会えなければいい舞台にも恵まれず、いい舞台が得られなければいい着物も変えません。結局負のスパイラルから一生抜け出すことは出来ないのです。

 大きくなりたい、いい仕事をしたいと願うなら、まずいい着物を着て、きっちり着こなして見せることを始めにして見せなければ成功はしないのです。何度も言いますが、手妻で成功するには、巧く傘が出せることではないのです。

続く