手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

バブルはいつ弾けたか

バブルはいつ弾けたか

 

 実際にその時代に生きていると、自分の生きている時代が何時代なのかなんて全くわかりません。昭和50年代末から、平成5年くらいまでを、バブル時代などと言いますが、それはバブルが終わってしばらく経ってから、「あぁ、あの時代はバブル時代だったのだ」。と気付いてそう名付けたわけで、当時生活していた者にとっては、普通の生活であって、バブル時代だとは誰も思わなかったのです。

 但し、昭和58年くらいから、日常の生活は急に贅沢になって行きました。会社はどこも残業が続き、残業代が出るお陰でサラリーマンは呑み歩いていましたし、OLはあちこちのフランス料理、イタリアンレストランでしょっちゅう食事をしていました。それがキャリアのあるOLと言うわけではなく、普通の勤め人がフランス料理を食べていたのです。

 マジックマニアも残業代でマジックの道具が買えるために、マジックショップは連日にぎわっていました。

 働く人の多くが、マンションや、住宅を買い求めるようになりました。銀行も積極的にローンで資金を貸し出すようになったのです。

 私はバブルより前の昭和57年に中古マンションを購入しました。ところが、この時期までは銀行の審査が厳しく、私と女房の収入では、なかなか中古マンションのローンが立たなかったのです。信じられない話ですが、かつては銀行は個人に金を貸さなかったのです。ところが、それから1年もすると、ローンの審査が簡単になって、年収がある程度あれば誰でもマンションが買えるようになりました。私は何とかローンを立てることに成功しました。

 町のあちこちに高級外車を販売するショウルームが出来て行きました。ヤナセなどの会社が急に大通りに出来て、ベンツが町中どこにでも見られるようになりました。

 

 そのバブルが一体いつ弾けたのか、と考えると、これが簡単には言えません。「この日から日本が不景気になった」。と言う象徴的な日にちはわからないのです。ただ、私が肌で感じて、「この先危ないのではないか」。と思ったのは、平成元年に、NHKが特別番組を組んで、東京の一等地を買い漁っていた不動産会社が倒産した時の番組を見た時でした。麻布不動産だか麻布建物とか言う名前の当時有名な不動産屋で、その社長は、投資の番組などによく出演していて有名な人でした。

 ところがその社長が、平成元年だか二年だかのNHKの番組で、会社が傾いて、銀行の支払いが出来なくなった姿を見てびっくりです。国が物価高騰を恐れて、日銀が貸し渋り始めたのです。それまで、多くの不動産屋は、銀行から金を借りて土地を入手し、手に入れた土地を担保にまた銀行から借り入れて、更に土地を買って、と、次々に不動産を買い、土地はほぼ右から左に売れて行ったのです。

 そうした土地やマンションを買ったのが企業で、当時の企業は、本業の儲けを残しておいては税金が高くつくために、福利厚生費だとか、工場への投資だの、支店の設立だのと名目を付けて、不動産を買いまくっていたのです。

 一般の会社が儲かっている限り、不動産や株は売れ続けました。会社は本業から離れて投機に執心しました。株価も不動産価格も一気に値上がりして行きました。数か月前まで1億円だった土地が、たちまち2億円、2億5千万円と跳ね上がったのです。それが昭和58年以降のことです。

 私は、昭和57年に中古マンションを1600万円で買いました。まだバブルが膨らむ前でしたから、そんな値段だったのです。それが、昭和63年に、そのマンションを不動産屋に査定してもらったところ、3800万円の価値があると言われました。

 ビックリです。汚ない小さなマンション3800万円です。何もせずにただ住んでいただけで、2000万円以上も値上がりしていたのです。そして前述のNHKのテレビを見たときに、「不動産は今がピークに違いない」。そう思いました。

 当然でしょう、いくら不動産は値下がりしないとは言え、数年で二倍以上値上がりするのは異常です。「これは早く売るに限る。売って確実に値下がりしない土地を買おう」。そう思って、土地を買うことにしました。マンションは値下がりしても、土地は値下がりしないと固く信じていたのです。

 そこで、以前にマンションのローンを借りた銀行に行きました。同じ貸付係の課長が座っていました。ところが、課長は、以前とは打って変わって物凄く愛想が良くなっていました。不動産の物件チラシをたくさん持っていて、会うなり私に不動産を勧めて来たのです。驚きです。銀行はお金は貸しても、不動産の仲介などは決してしなかったのです。こうも大っぴらに物売りをするとは意外でした。

 私は、住宅兼事務所を立てる土地を買いたいと相談しました、課長はにっこり笑って賛成してくれました。そして、私のマンションと、そしてこれから買うであろう土地の二つを担保にすれば、6000万円までは貸せると言うのです。

 いや、ちょっと待ってほしい、私は、古い中古マンションを買っただけで、他に財産を持ってはいないのです。これから買うであろう土地はまだ見てもいないのです。にもかかわらず、もう6000万円と言う話がされているのです。

 今から思えば、「あの時がバブルのピークだったんだなぁ」。と思いました。方やテレビでは不動産が崩壊しかけている番組が流れていました。但しそれは会社が投機にしていた土地のことで、個人の住宅はまだ貸し出しが緩かった時代のです。「そうなら、今のうちに土地を買って建物を建てさえすれば、長年の夢である、住宅と事務所が一つになった建物が建つなぁ」。と捕らぬ狸の皮算用で、夢が膨らみました。

 あの時代は若くて、ある程度稼ぎのある人なら、大きく飛躍することは夢ではなかったのです。バブルを悪く言う人はたくさんいますが、私は間違った時代だったとは思いません。日本人が数千年の歴史で初めて庶民に至まで豊かさを手に入れた時代だったのです。

 但し、そのあととんでもないバブルの落ち込みが来て、収入が激減して、高額なローンが支払えずに、うろうろする時代が来ましたが、誰もバブルが弾けるとは考えてもいませんでした。政治家も日本政府も銀行家も企業もこんな風になるとは予想していなかったのです。ましてやマジシャンなんて何の考えもありませんでした。でもその時代に生きたことを私は恨んではいません。夢のある面白い時代でした。

続く