手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

財産の寿命 3

財産の寿命 3

 

 自分の住んでいるマンションが二倍以上の価値になったと知ると、気持ちが急に大きくなりました。「そうなら、このマンションを売って土地を買おう。そして出来れば、自宅と事務所を兼ねたビルを建てよう」。そんな妄想が沸き上がって来たのです。

 銀行とは何度も出かけているうちに、貸付係の人と大分仲良くなりました。そうすると、銀行にとって、好きなお客様と言うのがどんな人なのか、だんだんわかって来ます。

 それは例えば、不動産を持っているとか、お金を持っていればいい人かと言うと、そうではありません。不動産を持っていても、自分が住んでいるだけなら利益を生みません。お金も箪笥にしまっているだけでは利息が付きません。そうした消極的な人に銀行は興味がないのです。

 銀行が付き合いたい人、お金を貸したい人は、利益を生むことに熱心な人です。ファンドを持つ、債権を持つ、アパートを持つ、ビルを持つ、そうしたことに投資のできる人が銀行は好きなのです。

 私は、自宅と事務所を一緒にしたビルを建てたいと考えました。でも自分が住むビルを建てたいと言ったら銀行は貸してくれません。自分が住んでも利益が出ないからです。

 そこで、先ず、私は私のチームを株式会社にしました。当時私のチームはイリュージョンショウで多忙でしたから、株式にしたほうが、地方の自治体などと契約する際も、有利だったのです。

 そうして、私は法人になった東京イリュージョン株式会社に事務所を貸そうと考えたのです。私と東京イリュージョンは全く同体なのですが、これを個人と法人に分けたのです。私の家に貸事務所のスペースを作って、そこを会社に貸すことにしました。

 その上で、銀行に、アパートローンと言う名目でローンを組んでもらうようにしました。問題は、土地代の5500万円です。借り入れるにしても担保はどうするか、自宅のマンションは売って建築資金にします。これには一切手を付けられません。

 ではどうやって土地を手に入れるか、それは、これから買う土地を担保にするのです。信じられない話ですが、バブルの時期は、まだ所有もしていない土地を担保に、その土地の評価価格の80%まで銀行はお金を貸してくれたのです。

 

 例えば歌手の千昌夫さんは、稼いだお金でビルを買い、次に買う土地をビルを担保に土地を買い、買った土地を担保にビルを建てていたのです。こうすると、ほとんど元手がなくても次々と土地やビルが建って行ったのです。

 私と千昌夫さんを比べることは出来ませんが、その真似をしたのです。これから買う高円寺の土地と、私の両親の自宅を共有担保にして、銀行から6000万円を借りました。それで土地代を購入し、マンションをすぐに売って、それを建築資金にあてて、ビルを建てました。そしてめでたく平成二年に藤山ビルは完成したのです。

 これは一種の錬金術です。全然お金がなくて、ビルを建てたのですから。私はすぐに名刺を作って、住所に藤山ビルと入れました。すると、仕事先は「ほうっ、自社ビルですか」。と言って驚いてくれます。これは仕事の信用につながりました。

 本当は、建てたビルの名称を「第2藤山ビル」にしたかったのです。「第1」がないのに「第2」です。でも知らない人が聞いたら、「相当にビルを持っている人だ」。と思うでしょう。これはいい宣伝になる。そう思って「第2藤山ビル」と名付けようとしたのですが、女房が大反対をしました。「はったりばかりじゃ駄目よ、実力も必要よ」。言われればその通りです。

 

 6000万円のローンは、毎月の支払いが42万円でした。30年ローンです。当時34歳でした。完済は64歳になります。その時私はローンの支払いに何ら不安がありませんでした。チームは当たっていましたし、イベントの仕事はいくらでもありました。

 毎月42万円の支払いと聞くと大変ですが、1,2階の事務所は東京イリュージョンに貸して22万円の家賃を取っている形になっています。3、4階の自宅は、20万円の家賃を自分が払っています。それなら普通のことです。

 自社ビルを持ち、チームは当たり。そのチームは株式会社になっています。子供も生まれました。昭和63年以降はいいことずくめでした。何ならもう一棟ビルを建てようかと思っていたくらいです。

 

 それが平成5年になって、突然仕事が来なくなりました。5月6月7月と、事務所の電話が一本も鳴らなくなったのです。バブルがはじけたのです。会社の倒産があちこちで聞かれるようになりました。平成になってから、不動産屋さんの倒産が続いていました。証券会社が倒産しました、その後、大手の銀行が倒産しました。えらいことになりました。日本全体が崩壊するのではないかと思うほど、騒ぎが大きくなりました。

 土地の値段は半額以下になりました。室町時代以来日本の土地は値が下がったことがない。と言っていたのに、歴史始まって以来土地の価格が下がったのです。私に土地は絶対値が下がらないと言った不動産屋の社長はどこかへ消えてしまいました。人の言う絶対なんて絶対当てになりません。

 それから先は、支払いができなくなった個人や、会社が銀行から取り立てを受けることになります。然し、借り手もさるものです。銀行は土地を担保にお金を貸しているのですから、支払いができないのだから、土地を持って行ってくれと言いました。ところが銀行は、値の下がった土地を引き受けたがりません。評価額が下がれば、赤字になってしまうからです。そこで現金で支払ってくれと言います。借り手は金は無いと突っぱねます。結果、貸し手と借り手が土地の押し付け合いをします。

 せっかく建てたビルが人手に渡り、廃墟になって行ったり、手堅く生きてきた和菓子屋さんが、銀行に乗せられて、ビルを建てたら、テナントが集まらなくて倒産しました。日本の社会がどんどん壊れて行きました。

 無論、私も返済に苦労しました。急に仕事が来なくなったのですから、全ての支払いができなくなりました。然し、私の場合は、自分の家賃程度のローンでしたから、高いとは言ってもまだ何とかなりました。

 一連のバブル騒動を見ていて私は、人が長く安定して生きて行く方法なんてあるのだろうか。と訝しく思いました。

 結局世の中なんて、紙に描いた絵の中で生きている様なもので、社会全体が芝居の書き割りのようなものなのです。価値があるとかないとか言っても所詮紙に書いた世界です。土地の値段が上がったとか、マンションの値段が3倍に上がったとか、下がったとか、自分の生活とは何ら関係のないところで、紙の上だけで物の値段が決まって行っただけなのです。それに一喜一憂するなんて全く馬鹿馬鹿しい時代でした。

 結果、銀行はどんどん利息を下げて、みんなが支払いやすいローン価格にまで値段が下がりました。それによって、私も、チームも生き延びることができました。

 ちなみに私は数年前に30年のローンを完済しました。幸運と言えば幸運ですが、支払いは地獄の日々でした。今考えてもバブル時代は馬鹿馬鹿しい時代でした。

続く