手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ご近所の話

 私の家の前は細い道で、道を挟んで高円寺マンションと言う大きなマンションが建っています。私の家側一帯は静かな住宅街なのですが、向かいのマンションだけが異様に大きく、見た目が不釣り合いです。もうできて50年になるそうですが、各部屋はオーナーが買って、賃貸で人に貸しています。便利なところにあるために、部屋はどこも満室なようです。

 このマンションの表側が環7通りになります。東京の大幹線道路ですから、朝から晩まで車やトラックが走っていて騒々しい所です。しかし、私の家は、大きなマンションが塀のごとくに蓋をしてくれていて、一本路地に入ると、全く騒音がしません。このあたりの住宅街は、朝は小鳥のさえずりで目が覚めます。

 今から32年前に、自宅と事務所と駐車場を全て一緒にした建物を建てようと、都内のあちこちの土地を探していました。最終的にここを見つけたのですが、選んだ条件は、高円寺駅から歩いて7分という便利さと、住宅街で静かなこと。すぐに決定しました。

 別に金があってしたことではありません。当時は銀行が積極的に資金を貸してくれたのです。銀行の話に乗って、6000万円借金しました。30年ローンです。

 いろいろな意味で、私がここに家を建てたことが、私の人生を決定したと言えます。まず舞台活動はとても便利になりました。どこへ行くにも便利です。しかも環7通り沿いですから、よく人が訪ねて来ます。打ち合わせなども便利です。

 私は家を持ったことを目いっぱいはったりをかまして宣伝しようと思い。自分の名刺に、「藤山ビル」と書きました。本当は「第2藤山ビル」と書きたかったのです。第1藤山ビルはありません。でも、第2と書くと、複数のビルを所有しているように見えますから、宣伝効果は抜群なのではないかと思いました。然し女房に反対されました。

 更にチームを会社にして、「東京イリュージョン株式会社」としました。これは宣伝効果は抜群で、当時、株式会社を持っているマジシャンはいませんでした。よほどいい仕事をしているマジシャンなんだと思わせるに十分でした。

 私がこの名刺を松本幸四郎さんにお渡ししたときに、幸四郎さんは、「それで、テナントは何軒くらい入っているのですか」。と真面目に聞かれ、言葉に窮してしまいました。全階ひとまの鉛筆のようなビルですとは言えません。

 それでも、私にとっては自慢です。4階で寝ていて、3階で食事をして、2階が事務所でここでチームと打ち合わせをして、1階の駐車場から車で仕事場に出動です。まるで宇宙船の基地みたいです。私は長いことこんな生活がしてみたかったのです。

 それが叶ったのですから、当初は大満足でした。但し、毎月42万円のローンが鬼のようにやってきます。バブルで景気のいいときは、何ら問題がなかったのですが、平成5年になって本格的な不況が来てからは、どうやって毎月返済してよいか、日々悩まされました。それでも何とか返済をして、昨年末で30年のローンが終わりました。めでたしめでたし、と言いたいところですが、それがために、私の髪の毛は真っ白になってしまいました。人は苦労をすると年を取るのだなと知りました。

 

 この土地を買って、まだ何も建ってもいない頃から、私は頻繁に高円寺へ通いました。向かいのマンションには当時喫茶店がありました。このマンションの一階は全てテナントが入っていましたが、場所が、繁華ではありませんし、環7沿いで騒々しいため、なかなか地元の人しか集まっては来ません。然し、地元の情報を聞くにはいい所ですので、必ず喫茶店で一休みして、ご近所の話を聞いていました。

 すると、昼にやってくる上品な奥様がいます。驚いたことに、指にはソラマメほどもあるダイヤの指輪をはめています。喫茶店のママさんに奥さんの情報を聞くと、「あの人はねぇ、元から高円寺に住んでいるお家で、お爺さんは陸軍中将か何かだったらしくて、硬いお家なんですよ。お爺さんは早くに亡くなって、その娘さん、と言ってもお婆さんだけど、お婆さんとその息子さんと一緒に暮らしているのよ。奥さんは息子さんのお嫁さんなのよ。息子さんは不動産屋さんを経営されていて、このところ景気が良くて、二年くらい前に、自宅を新築して、マンションと自宅を建てたんですよ。マンションの地下には広い駐車もあって、奥さんはベンツに乗ってお出かけするのよ」。

 まるで絵にかいたような金持ちです。私は家を建てた後、毎日近所を散歩していました。私の家の裏手の住宅街に、結構大きな、綺麗なマンションがあります。それがソラマメダイヤの奥さんの家です。奥さんは少し肉付きがよく、目がぱっちりとしていて、宝飾品をさりげなくあしらって、いい仕立ての服を着て、ベンツに乗って、お出かけします。それを見て私は、

 「あぁ、世の中にはこんな立派な家を建てる人もいるんだなぁ、金持ちと言うのはこういう人のことを言うんだなぁ。私のしていることなんて小さいなぁ」。

と、思っていたのです。ところがところが、バブルが弾けて、一遍に仕事が来なくなってしまいました。私が困ったのは勿論ですが、不動産屋さんのご夫婦も生活が立ち行かなくなったようです。ある日突然、自宅とマンションは売りに出され、ご夫婦はどこかに消えてしまったのです。そして、自宅にはたった一人お婆さんが残されました。

 家もマンションも人手に渡ったため、お婆さんは家から出て行かなければならないのですが、行く当てもないため、ずっと住んでいます。半年か一年くらいそこにいたようですが、その後アパートを提供されて移ったようです。

 この時私は諸行無常を知りました。奢れる者は久しからず、すべて、風の前の塵に同じ。どんなに立派なダイヤをはめていようとも、ベンツに乗っていようとも、消え去るときはあっという間に消え去って行きます。気の毒なのはお婆さんです。全く息子の言葉に乗せられて、家を建て替えたのはいいけども、家も財産もすべて失ってしまい。親代々の家も追い出されました。その後どう生きて行ったかは知りません。然し、息子夫婦は親の前に顔出しもできず。逃げまくっているのでしょう。こんな人生が幸せなわけがありません。

 しかし、私も人のことは言えません。ここで借金を背負って、破産したら、家も財産も(財産は初めからありません)。すべて失って、負債だけを背負うことになります。ここでご教訓。金持ちを羨ましがってはいけません。奢れる者は久しからずです。身の丈に合って生活をしなさい。でもそうは言っても、少し背伸びをして生きるのはスリリングで面白い人生ではあります。

続く