手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

財産の寿命 2

財産の寿命 2

 

 せっかくマンションを建てても、耐用年数が来た時に再建できなければ、その建物は無価値になります。古いマンションにも財産としての価値があるのは、マンションの所有者が、わずかでも土地を持っているからです。

 つまり建物の価値は、土地の価格が担保になっているのです。さて、私がささやかに投資をしたマンションですが、7年住んでいるうちに、大変な幸運を生み出しました。私がマンションを買ったのは、昭和56年です。それが昭和58年ころから、日本中、急に土地の値上がりが始まったのです。バブルの始まりです。

 この時代は、日本の経済が当たり続けていた時代です。毎年物価が10%も値上がりしました。銀行の定期預金が7%くらいの利息が付いた時代です。土地も毎年10%値上がりしていました。

 土地が毎年10%ずつ値上がりすると言うことは、土地を買って、3年放置しておくだけで、土地の値段が30%値上がりすることなのです。銀行に現金を預けていてはそんな利息は付きません。だから、個人も会社も争って、土地を買い求めました。

 当時は一般企業も儲かっていましたので、余った資金で、土地を買ったり、他社の株を買ったりしていました。そのため株も、土地もうなぎのぼりで高騰を続けたのです。

 始めのうちは土地が二倍も三倍も値上がりしていると言う噂を聞いても、それは、六本木とか、赤坂の土地であって、板橋の古いマンションがそんな値上がりするとは思ってもいませんでした。ところが、いろいろと、不動産屋さんの知り合いと話をするうちに、私のマンションも二倍以上の値上がりをしていると言う話を聞くようになります。

 「藤山さん、家を買ってもそこに住んでいるだけでは財産は増えませんよ。支払いの済んだ分と値上がりしている分を併せれば、それが資産となって、もう一軒マンションが買えますよ」。と、うまい話を持ち掛ける不動産屋さんがいます。

 聞くと、私の家の評価は4000万円あると言うのです。私は思わず飛び上がりました。「こんな古い小さなマンションが4000万円!!」。「そうですよ。藤山さんは、ローンの1200万円のうち、もう300万円は支払っています。残りのローンは900万円です。そうなら、差し引き3000万円の資産があるのです」。

 「驚きです。何ら努力もしないで、ただそこに数んでいただけなのに、3000万円の資産ができていたのです。そうであるなら、どこかマンションを買って、自分が住むなり、人に貸すなりして、そこから収益が上がれば、暮らしは随分よくなります。何もしなければ収益も上がらないのです。そこで、少し不動産に興味を持って、新聞のチラシなどを熱心に見るようになりました。

 ところが、そうするうちに、天皇陛下が病で倒れます。昭和63年夏の話です。するとそれ以降の仕事がパッタリ止まりました。ホテルのパーティーのような仕事が来なくなったのです。困りました。そこで銀行に行って、借り入れを頼みました。銀行はすぐに500万円を貸してくれたのです。

 驚きです。こうもあっさり銀行が500万円を貸してくれるとは思いませんでした。更に、銀行は、「ついでにマンションでも持たれてはどうですか」。と言って、幾つかの物件を勧めて来ました。あのお堅い銀行が、自ら不動産のセールスを始めたのです。信じられません。世の中どうなったのでしょう。

 とにかく500万円を借りて、チームを集めて、「これでしばらく凌ぐことができるから、仕事が来なくても大丈夫だ。とにかくみんなで練習をしよう」。と言って、仕事がない日に稽古場を借りてひたすら稽古をしました。そうした中で、その年の10月に、リサイタル公演をしました。本当は仕事が来なくて、お金もなかったのでリサイタルどころの話ではなかったのですが、銀行から借り入れた500万円が妙に自信を付けさせてくれました。

 結果として、この最悪の中でのリサイタル公演が、一回目の芸術祭賞受賞につながったのです。天皇陛下が倒れられた時には、天皇陛下が先に逝くか、私が逝くかと危ぶまれていたものが、資産を持って仕事をするとなると、そんな心配など吹き飛んでしまいました。

 成功すると言うことは、物事をポジティブに考えられるかどうかにあるようです。然し、何もかもうまく行かないときに、物事をポジティブには考えられるものではありません。特にお金がないと言うことは深刻です。人はおいそれとお金を貸してはくれません。

 どうやってお金を作るかは、その人の人柄や才能、性格によるものでしょう。でも少なくともある程度の資金は持っていなければ話になりません。そうした点私は幸運だったのです。

 

 不動産屋さんの社長さんは言いました。「藤山さん、資産の中で、最も固いのは土地です。株は暴落すると紙くずになります。現金は持っているだけでは目減りします。絵画や、骨董も、景気のいいときは高値で取引されますが、景気が悪くなればガタッと値が下がります。ところが、土地は下がりません。

 日本と言う国は、室町時代以来、土地の値段が下がったことがないのです。室町も江戸時代も明治も大正も、応仁の乱関ヶ原の戦いがあっても、日清戦争日露戦争があっても、太平洋戦争以後も、いくら戦争に負けたって、土地の値段は上がり続けてきたのです。なぜだかわかりますか?」

 「分かりません」。「土地は戦争でもして、勝たないかぎり増えないのです。日本の土地に一億の人が住み続ける限り、土地は値が上がり続けるのです。そうなら、5坪でも10坪でもいいから土地を持つべきです。資産を増やしたいなら土地ほど有利な資産はないのです」。

 この話は説得力がありました。確かに土地が下がった話は聞いたことがなかったのです。しかも昭和63年は、土地の値段がピークに達していました。始めはマンションを持つことばかり考えていましたが、不動産屋の社長の言葉を聞いて、これは土地付きの家を持たなければ意味がないな、と気付きました。そうしてあちこちの土地を探しているうちに高円寺の土地を見つけたのです。私に現金など全くありません。あるのは古いマンションだけです。とてもそのマンションで土地を買うことなどできません。然し、工夫するうちに買えたのです。まさにマジックです。その話はまた明日。

続く