手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ワクチン接種済み

ワクチン接種済み

 昨日(30日)、またぞろ緊急事態宣言が出され、東京の近隣の都市が指定されました。私は首をかしげてしまいます。東京は既に緊急事態宣言をしています。にもかかわらず、感染者の数が減らないという現実がありながら、なぜ千葉県や、神奈川県、埼玉県は、感染者が減らないことの対策に緊急事態宣言を要請するのですか。

 既に緊急事態宣言を発令しても感染者を減らすことができないなら緊急事態宣言は無駄です。もうこのやり方で感染者を減らすことなどできないのです。

 そうならこのまま放っておけばいいかと言うとそうではありません。解決を緊急事態宣言にこだわるところが問題解決をこじらせているのです。問題解決は三つあります。

 

1、病床数を増やす。

2、ワクチン接種を早める。

3、通常生活を勧める。

 

 以下そのことをお話しします。

 

1、病床数を増やす。

 分科会は必ず、感染者が増えると必ず病床数がひっ迫して、既に危ない状態だ。と言います。奇妙です。1年半以上もこの状態が続いていながらなぜ一般病院はコロナ感染者のための病床を増やそうとしないのでしょうか。

 すでに政府は30兆円ものコロナ対策費を使っています。30兆円もあれば、1万人でも2万人でも入院できる病院がいくらでもできるでしょう。なぜそれを第一にしないのですか。

 答えは簡単です。分科会はコロナを過大に考えすぎていて、コロナ菌をエボラ出血熱と同等の危険度に指定しているからです。そのため、感染者の処置をするためには、多くの人員と設備を必要とします。町の小さな病院ではその要求に対応し切れないため、そもそもコロナにかかわろうとしないのです。

 もし危険度をワンランク下げれば、今いるスタッフと、治療設備で対応が出来ます。そうなら感染者を受け入れる病院はいくらでも増えます。病床数が増えれば、感染者が10万人になっても、日本の病院は受け入れられるのです。

 マスコミが過大に騒いだお陰で、コロナは独り歩きをし、実態以上に恐ろしい病気と捉えられています。しかし今やワクチンが出来た以上、コロナはインフルエンザと同等の感染病です。むしろインフルエンザよりも罹りにくい病気です。

 そうであることをテレビや、分科会ははっきり言うべきです。今感染者が増えているのは、一年半にも及ぶマスコミの煽りから、多くの人が実態を知って解放されたからです。

 この先、一時的には感染者は増えるでしょう。然し、それが50万人、百万人にはなりません。日本人の日頃の衛生観念から考えたなら、この先、イギリスを超えた感染者が出るとは考えられません。

 大概の医師は、コロナがそう危険な病気とは考えていないのです。実際、イギリスでは連日5万人の感染者が出ていても平常の生活をしています。フランスも、アメリカも同様です。アメリカではもう、マジックキャッスルも、ラスベガスのショウも始まっています。

 アメリカではすでにマスクもしていません。アメリカでは日々10万人が感染していても、その程度なら安全と言って、平常生活を送っています。方や日本では7000人の感染者で緊急事態宣言を出して大騒ぎです。一体何を騒いでいるのですか。

 解決は緊急事態宣言をすることではありません。宣言をしたとしても感染者は減りません。それは東京が既に答えを示しています。今、一番の解決は病床数を増やすことです。

 

 2,ワクチン接種を早める。

 私はすでにワクチン接種を済ませています。実際、日本では既に30%以上の人がワクチン接種を済ませています。そうなら、ワクチンを接種した人と、そうでない人をうまく区別できるように、バッジやカードなどを頂けないものでしょうか。

 胸に保菌者のバッジを付けたなら、マスクは不要にしてください。誰をも感染さないし、誰からも感染されないのですから、マスクは不要でしょう。現実には60代以上で仕事をしている人はたくさんいます。そうした人たちが、ワクチン接種を済ませたなら、どんどん社会に出て働いてもらうべきです。

 不要不急などと言っていてはいけません。積極的に仕事をしてもらわないとこのままでは経済がどん底に落ち込みます。新幹線も飛行機会社も青息吐息です。保菌者が積極的に働くことで社会を活性化しなければいけません。それを妨げるような妄言やおかしな煽りはやめるべきです。

 

 3、通常生活を勧める。

 世界中の人々からすると日本のオリンピック活動はおかしなことばかりです。せいぜい一日3000人規模の感染者(開催時)で、オリンピックを開催して、各国の参加者は入国の際に検査をして、もし感染の疑いがあれば二週間休養をして、大会に参加しています。

 つまり政府とすれば万全の対策でオリンピックに挑んだわけです。そんな中にも感染者は出ましたが、でも感染者の数はわずかです。そんな状態でありながらなぜ無観客のオリンピックを開催するのですか。

 各国の参加者にすれば、ここまで徹底してウイルス管理がされていたのなら、観客を集めて大会を開催すべきだと思うでしょう。私もそう思います。政府もマスコミも、あまりに過大な反応をしていると思います。

 大人も子供ももっともっとオリンピックを見て楽しむべきです。二度と来ない今を、もっとおおらかにオリンピックを楽しむべきです。二兆円も税金を使っているのですから。楽しまなければ勿体ないです。

続く

 

 

夢をかなえる

夢をかなえる

 

 子供が何かに興味を持って練習を始めたときに、両親は、出来ることなら何とか子供の夢をかなえてあげようと考えるでしょう。逆に言うなら、子供にとって夢を実現させる第一歩は両親の理解を得て、両親をスポンサーにできるか否か。ここが入り口になります。

 私の家のように、親父が芸人であれば、私がマジックを始めたときには親父は大喜びで、積極的に応援してくれました。私にとってのスタートはすんなり進んだわけです。

 然し、多くの家は子供が芸能をすることに対しては怪訝な目で見るのが現実でしょう。

 それは親からすれば、芸能の道は細く、仮に子供に才能があったとしても、子供が果たして芸能で生きて行けるかどうか。なまじ半端に支援したばかりに親はずっと子供のスポンサーになり続けなければいけないのではないかと、新たな不安が生まれるからだと思います。

 そうした親の不安は、家庭内に、ある程度支援できる豊かさがあればこそで、まだ恵まれた家庭であると言えます。全く親が生きて行くのに精いっぱいであったり、親が芸能に無理解であったりすれば初めから子供の夢は断たれてしまいます。

 夢の前には常に現実が立ちはだかり、その道で生きて行くためには日々、どう生きる、どうやって稼ぐ、という現実が突きつけられるのです。

 もちろん、親が無理解だからと言って簡単にあきらめる人はそうはいないでしょう。好きな道であれば、何が何でも続けて、やがて自身が働くようになれば、その収入で趣味の道を伸ばして、やがてプロになって行く人もあります。つまり、自らがスポンサーとなって芸能を続けるわけです。

 

 突然何でこんな話をしたのかと言うと。オリンピックを見ていて、13歳の西矢椛(もみじ)さんが金メダルを取ったと言うことは、当人の才能もさることながら、100%親の理解がなければ不可能なことだと思うからです。

 恐らくご両親は自身の人生のすべてを投げ打って子供の夢をかなえるために協力したのでしょう。いや今も支援し続けているのだと思います。

 それでも、子供がオリンピックで金メダルを取ったと言うならそれは快挙です。話題にもなり、新たに企業のスポンサーもつくでしょう。椛さんの将来に明るい可能性が生まれたことは間違いありません。然し、そうしたスター一人を生むために、入賞に至らない選手がたくさんいて、それを支える家族がまたたくさんいるのです。

 

 私の10代の頃に、フィギュアスケートのチャンピオンで佐野稔さんと言う人が活躍していました。今も解説者で活躍されていますが、私と同じ年だと思います。

 当時はまだフィギュアスケートと言うものが認知されていなくて、佐野稔さんが出たことで初めてスケートの面白さを知ったと言う人が大勢いた時代です。

 この人のご両親は、山梨で温泉ホテルを経営していて、相当に収入もあったようですが、フィギュアスケートと言うのは練習のために桁違いな投資が必要で、スケートリンクを丸々数時間一人で借り切らなければなりません。広いスケートリンクをたった一人で独占するのです。それもほぼ毎日です。

 結局、ご両親はホテルを手放し、財産のすべてを佐野稔さんに投資しました。佐野稔と言う一代の名人を生むために、両親は自身の人生を犠牲にしたのです。

 恐らく羽生弦さんの両親も同様なのではないかと思います。フィギュアスケートと言うのは今は大変に光り輝いているスポーツですが、両親に相当に資産がなければトップに立てない世界なのです。

 

 但し、子供に才能があるか否か、成功するかしないかと言うこととは別に、親の人生を考えたときに、子供の夢に投資をすると言うことは、同時に自分自身の人生を変えるきっかけでもあるわけです。勤め人としてこのまま生きて行っていいのだろうか、と言う、疑問が湧いたときの解決として、子供のチャレンジは、同時に親の人生の新たな扉を開くきっかけになるわけです。案外こうしたきっかけを面白いと考える親がこのところたくさん現れてきているように思います。

 

 サーフィンで銀メダルを獲得した、五十嵐カノアさんなどは、お父さんがハワイに移住し、子供をハワイで育てようと決断して、始めからサーファーを育てようとしています。まったく人生を親子ともどもどっぷりサーフィンに浸かっています。

 そうした中からカノアさんのような人が出て来るのは必然と言えます。このところ、日本人の中に自由奔放に人生を描いて、独自の生き方を見つけようとする人が出て来ていることは面白いと思います。

 今の時代は新しい価値観を社会に提供できる人が光り輝いていると思います。独創的な生き方をして見せる両親がいることで初めて突き抜けた才能の子供が育つわけです。

 現代の日本人はそうした親子の生き方を面白いと考えるような風潮が生まれて来ています。いい傾向だと思います。多くの人が、人と同じように生きることが必ずしも幸せなわけではないと言うことにようやく気付いてきたのです。

 そうなると、マジシャンにも出番があるのでしょうか。マジックで60年以上も生きてきた私なんぞが何かアドバイスをする時代が来たのかもしれません。

 まったく大空を素手で泳いで雲を追いかけるような人生を送ってきて、何とか今まで生きて来れたのですから、これこそ奇跡です。何とかこの生き方を人に教えてあげなければいけません。題して、「根拠もないのに楽して生きる」。これです。この生き方を人に説いて回るのが私の人生なのです。

続く

 

 

源内と志道軒 2

源内と志道軒 2

 

 歴史の中で眺めていると、平賀源内と言う有名人が、大道で講釈をする深井志道軒を、本にして出したことで志道軒が有名になれたと思う人がありますが、話は逆です。

 高松から出てきた男が、当時江戸で有名だった志道軒に憧れ、志道軒に密着し、志道軒の本を出したことで、作者の源内が一躍有名になれたのです。

 勿論、一から十まで志道軒のお陰ではなく、大道芸人の一生を本にするなどと言う発想自体、当時珍しかったわけですから、源内の着眼点は優れたものといえます。

 これが宝暦13(1763)年のことです。この時代のヨーロッパを考えて見ますと、音楽家のバッハが亡くなるのが1765年です。まだヨーロッパでは宗教の力が人々を支配していて、個人の自由が束縛されていた時代です。

 同時代に日本では、源内が、侍をやめて、江戸に出て、講釈師の生き方に憧れ、講釈師を追いかけ、本まで出していたのです。そしてそれを庶民が喝采をして本を買い漁っていたのです。信じられないほどの自由さがあり、庶民文化が開花していたのです。

 源内は志道軒の自由奔放な生き方をそっくり受け継いで、その後、乱れた人生を送ります。乱れつつもそれが堕落とならなかったのは、折々に自分の活動を文字にして周囲に伝えていたことです。それによって平賀源内と言う人物がただならない人であることを知らしめたのです。

 ここは自営業で生きる人にとって、とても重要なポイントです。どんな職業であろうと、どんな研究をしようと、個人の活動と言うのはなかなか人に知られないのです。

 それはマジシャンも同じです。マジックのアイディアをひたすら考えて、稽古をしていても、結果を示さない限り、マジシャンの活動はまったくないも同じなのです。

 結果とは出演することですから、稽古だけをしていても人に影響を与えることはできません。然し、そんな時でも折々に今、何をしているかを周囲の人に伝えることが大切です。それがなければ人との縁が絶えてしまうのです。

 こうした点、源内は天性の文化人であり、文筆家として自分を売り込む天才だったのです。

 

 大変有名な話ですが、源内は知り合いのうなぎ屋が、「夏場に炭の前でうなぎを焼いていても、見た目が暑苦しくて、人が店に入って来ません。何とかうなぎが売れる良い手はないものでしょうか」。と、源内に相談すると、源内は紙に「土用丑の日 うなぎを食する日 平賀源内」と書いて店の親父に渡したのです。

 土用丑の日がうなぎと何の関係があるのか、庶民は知りません。然し、暑い夏こそウナギを食べてスタミナを取る。という意味のことを、もっともらしい講釈を添えて、親父に伝えます。親父は、言われるままに張り紙を店の前に出すと、面白いように人が入ってきて、うなぎが売れたのです。

 今日でいうキャッチコピーの始まりです。今に続く土用丑の日は、長い解説を一言で伝えた見事な宣伝文句だったのです。

 

 安永5(1776)年に源内は、長崎を旅します。そこで古道具屋を覗くと、偶然エレキテルを見つけます。エレキテルとは、静電気を応用した発電機です。オランダ製で、主に治療器具として使います。今日でも肩こりなどに弱電流を流して、神経を刺激することで血流を良くする治療があります。あれと同じことをオランダでは既に考えていたのです。

 恐らく源内はそうした治療器具があることは知っていたのでしょう。ただし残念ながら機械は壊れていました。然し、オランダ語で書かれた解説書が付いています。源内は、わずかながらオランダ語が分かります。

 そこで源内はエレキテルを買い求め、江戸に持ち帰り、出入りの指物師に指示して修理をします。道具は、外に付いたハンドルを回すと、中に鳥の羽根の付いた軸棒があり、羽根は回転しつつ鉄の板と接触することで静電気を起こします。それを両極からコードを伸ばして、両端を治療個所に充てると、電気が発生し、神経を呼び起こす仕掛けです。

 源内はさっそく電気治療を始めます。当時の人々にとって、電気の刺激は珍しく、電気効果と電気ショックですぐに話題になります。やがて物好きな人が、電気を直に体感したいと集まってきます。

 そこで源内は、電気を体感したい人を座敷に輪になって座ってもらい。手をつないでもらって、両端の人にコードを握ってもらいます。すると一瞬にして全員が感電して、大騒ぎになります。

 これは面白いと、次々と人々がやってきて、治療よりも感電ゲームを楽しむようになります。あまりの人気で、源内はほかの研究が出来なくなります。

 すると、噂を聞いて興行師がやってきて、見世物に使いたいので、エレキテルを売ってくれと持ち掛けます。

 源内は、研究材料であるエレキテルを見せ物にするなどもってのほかと興行師を追い返します。然し、興行師はあきらめません。

 源内が、エレキテルを修理した指物師を探し出し、目の前に金を積んで複製を依頼します。指物師は始め、源内との義理から断りますが、大金を前に目がくらみ、エレキテルをコピーし、興行師に売り渡します。

 興行師はさっそく南蛮渡来のエレキテルと銘打って興行を始め、大当たりをします。

 これを知った源内はショックを受け、ノイローゼに罹ります。まったく人が信頼できなくなり、被害妄想に陥ります。

普段でも何かうわ言のような言葉を発し、目が上の空になっています。

 ある日、別件で職人を招き、道具の製作を相談しているときに、今いる職人を、エレキテルを売り払った指物師と勘違いをし、突然刀を抜いて、二人の職人を切り殺してしまいます。

 源内は捕まって牢屋に入れられます。当時の裁判などは捕まってしまえば死刑も同じで、寒い冬のさ中に一重の着物で、火の気のない牢屋に入れられるわけですので、たちまち体を壊し、源内は、安永8(1779)年12月18日獄死します。

 

 話は蛇足になりますが、見世物のエレキテルは、大坂にまで回って、道頓堀で興行します。そこへオランダの使節団が来日し、たまたまエレキテルを見て、興行師に複製を依頼します。将軍への謁見を済ませ、帰路大阪に立ち寄り、約束のエレキテルを買い受け、オランダに持ち帰り、母国で、「日本人はここまでエレキテルを模倣する力がある」。と言って周囲を驚かせたと言う話が残っています。

続く

源内と志道軒 1

源内と志道軒 1

 

 日本の歴史上の文化人の中でも、奇矯と、独創性、自由奔放さにおいて、平賀源内の右に出る人はいないでしょう。全く型破りな発想で、ありとあらゆる新規事業に手を染め、それがどれも高いレベルを持っていて新たな道を開発したことが今も驚きを以て語られています。

 西洋絵画を描いたかと思うと、戯作本を出し、本草書(植物、鉱物の研究書)を出せばこれも当たり、発明をし、時にエレキテルなどの珍奇な機械を作り、と、何をやらせても当時のレベルの最先端にいた人で、天才と言えば天才、奇人と言えば奇人、日本の歴史上誰とも違う、コアな人です。

 

 平賀源内は、享保13(1728)年に、高松松平家の家臣の家に生まれます。家は本草学の研究家で、源内も早くから本草学を学びます。真面目に学者の道を行ったなら、その道でそこそこ成功もしたと思いますが、源内は平凡な生き方に飽き足らず、武士の道を捨てて江戸に出て行きます。

 宝暦11(1761)年。源内は閉ざされた地方の武士の生き方から解放され、江戸に出て来ます。江戸では神田白壁町の長屋に住まいし、とりあえず本草学の本を何冊か出します。これがそこそこ当たり、多少その名を知られます。その間に、当時の江戸の文化人に接触を始めます。

 そこでとんでもない老人に出会います。源内が終生師匠と崇めた講釈師の深井志道軒(ふかいしどうけん)です。

 源内が後年、奇矯で知られ、自由奔放に生きたのも、その原型は志道軒にありました。宝暦13(1763)年。源内35歳、志道軒は84歳です。

 志道軒は、毎日浅草観音の境内に葦簀(よしず)張りの小屋を建てて、講釈を語っていました。こう書くと、みすぼらしい場末の芸人と言うイメージを思い浮かべますが、どうして、どうして、志道軒は、当時、市川團十郎、花魁(おいらん)の高尾太夫と並び江戸三大名物になっていたのです。

 江戸見物にやって来る武士も町人も、この三人を見なければ江戸見物に行ったことにはならなかったのです。

 志道軒は、浮世絵にもなり、そのつるつる頭でしわくちゃな顔で講釈をしている絵が、飛ぶように売れたのです。それだけでなく、焼き物の置物になった爺さんの志道軒が土産物屋で売られていたのですから、その人気は大したものでした。

 恐らく源内は友達に連れられて、浅草の小屋掛けに出かけたのでしょう。そこで見た芸人は、今まで出会ったどの老人とも比較の仕様がない、けた外れな老人だったのです。

 先ず、そこそこいい身なりをしたつるっぱげの老人が現れます。老人が持っているのが、30㎝ほどの男性の一物を象った木製の杓で、老人は、助平な話をしながら、時に杓を撫で、時に杓を机に上でたたきながら調子を取って話して行きます。その杓とくだらない話に観客は大喜びです。話は猥談だけでなく、社会の風刺も手厳しく語ります。普通なら早速役人につかまり連れていかれてしまうような話でも、志道軒だけは例外らしく、役人も笑って見ています。

 それが話が進むに連れて。英雄豪傑の戦記物になり、やがて仏教思想を語り、和歌にも精通し、観客は、一方ならない志道軒の知識に傾倒し、満場の拍手で講釈を終えます。

 源内は一目見て、志道軒がただものでないことを知ります。単に助平で、ナンセンスな講釈なら、一顧だにしなかったかも知れません。然し、奥に知識や、仏教哲学があることを知り、志道軒に急接近します。

 

 志道軒は元々僧をしていて、かなり高名な寺で修行をし、高い地位に就きます。寺の経理を任されて、お陰で帳簿をちょろまかし、蓄財ができ、別宅を作り、女を住まわせ、遊びにふけるようになります。それがばれて寺を追われ、女は志道軒の金を持って逃げ、それからは無一文になって困窮し、大道で飴売りまでするようになります。

 見かねた大道の仲間が、知識があって、語りのうまい志道軒の才能を惜しんで、講釈師になることを勧め、浅草で葦簀張りの小屋で講釈を始めたのが50歳です。

 以後、エロと、言いたい放題の漫談が受けて、観客を集め、しまいには江戸の三大名物に数えられるようになります。

 

 自由奔放に生きた志道軒を見て、源内は衝撃を受け、志道軒から自分の生きる姿を見つけたのでしょう。源内は、志道軒に密着し、志道軒の生い立ちから芸風から、すべて書きまとめ、宝暦13(1763)年に「風流志道軒伝」と言う読み物を出します。

 実は志道軒が今日その経歴を知られているのも、源内の書き物のお陰です。今日では、平賀源内を調べて行くうちに、そのサブカルチュアーとして、深井志道軒が出て来るのですが、話は逆で、実は、始めに志道軒の人気があり、その人気にあやかって、源内が、志道軒の伝記を書いて、ヒットさせ、そのおかげで平賀源内は人に知られるようになったのです。

 いわば、源内にとって、志道軒は恩人であり、師匠なのです。年齢も、孫と爺さんほどの差があり、本来話が合うはずはないのですが、その自由な生き方が、二人の天才を結び付けたのです。

 芸人は、いかに人気があっても、生きていればこそ話題になりますが、死後、その芸は語り継ぐことは難しく、時が過ぎれば忘れ去られて行きます。

 書籍を残し、絵画を残し、エレキテルを残した源内は、今も語られています。明日は、エレキテルについてお話ししましょう。

続く

 

熱戦オリンピック

熱戦オリンピック

 

 毎日、テレビではオリンピック競技が放送されています。何年にも及ぶトレーニングの成果を凝縮した、いわば、苦難の末の結晶を我々は有難く拝見しているわけです。

 サッカー、野球、バスケットボールなどの、比較的よく目にする競技の他に、およそ、オリンピック以外で目にすることのない競技があります。重量挙げであるとか、機械体操とか、卓球とか、見た目はポピュラーなスポーツながら、日ごろ目にする機会はありません。これらのレア競技が見られることはオリンピックならではと言えます。

 

 柔道は大会初日からいきなり金メダルが出ました。高藤直寿さん。5年前のリオオリンピックの際の金メダル候補と言われていながら果たせず、銅メダル。それから5年の修業を経ての金ですから、このオリンピックにかける意気込みは並大抵ではなかったでしょう。涙を流して語る気持ちは私にもわかります。思わずもらい泣きをしてしまいました。

 25日に阿部一二三さん、妹の阿部詩さんが兄妹で金メダルの快挙は素晴らしいものでした。二人がマスクをして並んでいるととても良く似ています。柔道は日本のお家芸と言いながらも、兄妹の金メダルは初です。大健闘です。

  26日には、大野将平さんが金メダル。こちらは日頃から古武士の風格があって、勝っても負けても表情を変えません。まったく柔道家の鏡のような人です。

 その柔道も、大技が次々に飛び出して、現代の柔道にように、寝技や抑えばかりで点を取る柔道とは一線を画しています。わかりやすい伝統的なスタイルです。まったく日本柔道のお手本のような人です。

 優勝の際には、多くを語らず、淡々とインタビューに答えていましたが、井上康生さんを見たときにはすぐさま抱き着いて、顔をくしゃくしゃにして泣いていました。本当は泣きたかったのです。井上康生さんももらい泣きです。トップに立った人同士にしかわからない思いでしょう。辛い、苦しい思いをずっと隠しつつ、大先輩の前では思わず本音が出て、思いのすべてを見せてしまいました。これぞ武士と呼ぶにふさわしい男です。

 

 男子体操は、強豪のロシア、中国に挟まって、銀メダルを取りました。金は僅差で逃がしましたが、それでも大健闘です。

 日本の体操は、初日に内村航平さんが鉄棒から落ちて、暗雲が垂れ込めました。長らくオリンピックで活躍して、日本の体操をリードしてきた内村さんにとって、東京大会が、これほどの醜態を見せる場になるとは予想もしなかったでしょう。

 マジックも同様ですが、大きな失敗が出たときには、どんな立派なビジョンを描いていても、一瞬で夢も希望も、何も表現できなくなるのです。そんなときには一人で責任を受け止めなければなりません。良かれと思ってしていたことがうまく行かないときほどつらいことはありません。

 これがもし東京大会が予定の通り、昨年、2020年に開催されていたならどうだったでしょう。内村航平さんはきっと金メダルを獲得して、記録を伸ばし、帝王にふさわしい引退の道を作ったのではないでしょうか。いや、きっとそうなっていたでしょう。わずか一年のオリンピック開催の遅れが明暗を分け、厳しい結果を生みました。観客である我々に出来ることは、これまで楽しい夢を見せてくれた内村さんの健闘を讃え拍手を送ることです。お疲れさまでした。

 

 昨日(26日)。卓球の水谷隼さんと伊藤美誠さんのコンビが金メダルを取りました。長らく中国にその地位を奪われていた日本の卓球界が、今回初めて、金メダルを手に入れました。

 卓球は日本で考えられたスポーツです。そうなら、金メダルをたくさんとっているのかと思いきや、コンビで行う卓球は初めての金メダルだそうです。

 卓球は安定とは無縁のスポーツかと思われます。どんなに実力があっても、実績があっても、わずかな判断ミスからガタガタと崩れて行きます。今回の中国のコンビがその例でしょう。絶対の優勝候補があえなく破れます。厳しい世界です。

 

 スケートボードはオリンピックとしては比較的新しい種目でしょう。名人上手が少ないだけに、若い人にとっては王者になるチャンスの種目です。

 一昨日(25日)は、男子ストリート部門で堀米雄斗さんが金メダルを取りました。22歳です。22歳で若いと思っていたら、翌日には女子の部門で、13歳の西矢椛(もみじ)さんが金メダル。同時に中山楓奈さんが16歳で銅メダル。日本人のティ-ンが二人も表彰台に上がりました。これは驚きです。

 13歳でも世界王者になれると言うのが、多くの小、中学生に夢と希望を与えたことでしょう。いいですねぇ。そんな世界を見ていると無限に夢が膨らんできます。

 但し、西谷さんの成果を見て、一般道路でスケートボードをする子供が続出するのではないか、と心配になります。よほど注意してやらないと大怪我をしますし、周囲の人にも迷惑がかかります。簡単な道具でどこでもできますが、然し、かなりアクロバチックで危険な種目です。この先けが人が続出しないことを祈ります。

 

  開会式の視聴率が56,4%もあったそうです。最近テレビ離れが激しいと言いながら、この視聴率は快挙です。オリンピックが始まるまではどこのテレビ局も悪い噂を垂れ流して、オリンピックをやめろ、やめろの大合唱をしていたものが、ふたを開ければ手のひら返しでアスリート礼賛です。

 日ごろから努力をして、この日に挑んでいるアスリートの気持ちを思えば、どうしてオリンピックを悪く言えるのでしょう。オリンピック自体に問題は多々あったとしても、オリンピックをやめろと言う理由がありますか。連日苦しいトレーニングをしてきたアスリートの心をどれほど不安に陥れて来たのか、テレビ局は分かっていますか。あまりに短絡的で、狭量な発言です。いや、世の中にどんな人たちがいても結構ですが、人のリーダとなるような人たちが間違った方向を国民に煽ってはいけません。

 やると決めたらちゃんとやる。その姿勢をきっちり保ったのは菅首相です。菅さんはガースーだの、ぼんくらだのと言われていますが、その姿勢は立派です。

 今回のオリンピックに対して菅さんの姿勢は終始一貫していたと思います。テレビのワイドショウがオリンピックの映像を流すことは結構ですが、始めにオリンピック関係者やアスリートに謝罪してから映像を流してほしいと思います。

 コロナと言い、オリンピックと言い、テレビは無責任に悪口を言い、話を煽り過ぎます。今回のことでテレビ局は底の浅さを露呈しています。大企業でありながら、大野将平さんのような、風格も本道に生きる姿も曖昧です。寂しい限りです。

続く

 

 

 

 

ネットのファッショ

ネットのファッショ

 

 私は小林賢太郎さんと一緒に仕事をしたことがあります。もう20年くらい前、私がNHKの演芸番組に出演したときです。当時小林さんはラーメンズと言うコンビでコントをされていて、番組内で進行役をしていました。

 他のテレビ番組でも、このコンビのコントを見たことがありますが、風刺が効いていて、知性のあるコントでした。当時のコントはナンセンスなものが多かった中で、この二人だけはちょっと異質でした。単語にこだわったり、日常を客観視して冷めた目で見て、その不自然さを笑いにしたり、その後のコントが目指すスタイルを早くに表現していました。特に知性的と言うところがNHKにも気に入られていて、進行役に抜擢されたのだろうと思います。

 

 私とは至って薄い縁でしたが、ラーメンズさんのコントは興味があって、その後も折々見ていました。

 その後、最近になってラーメンズを解散したと言う情報を聞き、更に、オリンピックの演出に選ばれたと言うニュースを聞いて、正直驚きました。

 「コントを演じていた小林賢太郎さんが、オリンピックの演出を手掛けるとは、大出世だ、必ずしも多くの人に支持されるタイプのコントとは思えない、いわば玄人受けのコントを演じていて、ここまで来たことは正直すごい。いや日本の観客も芸能を評価する審美眼を持っていたのだ」。と思いました。

 ところが、そう思ったのもつかの間、たちまち昔のコントネタから、ユダヤ人差別のネタが出て来て、騒動になり、オリンピック委員会は直ちに小林さんを解任。

 これは一体どういうこと。

 

  これまで一連のオリンピック関係者の騒動は、例えば森喜朗JOC会長の辞任も、開会式の総合統括者の佐々木宏さんと渡辺直美さんとの豚騒動も、まぁ、結果としてやむを得ないのかな、と思います。

 但し、どちらも早くに真摯に謝罪していれば、さほどに大きな問題にはならなかったのではないかと思います。両人ともに女性蔑視を軽く考えていて、当初、冗談で返したり、表立って謝罪しなかったために問題をこじらせてしまったと思います。

 そして、その後に出て来た小山田圭吾さんの障害者いじめは、もう犯罪です。これはいかに昔の話だとは言え、許されるものではありません。辞任は致し方ないと思います。

 然し、更にその後、出てきた小林賢太郎さんはどうでしょう。ホロコーストを昔のコントでネタにしていた。ホロスコートユダヤ人の大量殺害)は重大な差別であることは事実です。然し、コントの流れの中の話を、ホロコーストと言っただけで差別と決めつけるのはいかがなものでしょう。

 それを言ったら、ツービート時代の北野武さんのネタは差別だらけです。ブス、ばばあ、やくざ、うんこ、言いたい放題だったのです。

 然しです。然しながら、漫才、コントで言ったことを即、差別と決めつけるのは、漫才の芸能を理解していないとしか思えません。漫才は、片方が問題発言をして、もう片方が、それをたしなめることで笑いが起きるのです。いわばマッチポンプの関係で、差別や蔑視発言をして、言いっぱなしただけでは人は笑いません。片方で問題発言をして、片方が火消しをする。それをお客様が笑う。この三つでワンセットなのです。

 コントや漫才の、問題発言を聞いて、お客様が笑うのは、火消し役の発言があって初めて笑うのであって、お客様は差別を笑ったのではありません。同時に問題発言をした相方は、それを正当化するために発言したわけではなく、問題発言は相方に、「やめなさい」と言われて、軌道修正がなされて、お客様が笑うことで正しい道が示されるわけです。笑いの芸とはそうしたもので、常に片方の言い過ぎに対してたしなめる役がいるから成り立つのです。

 それを、片方のセリフだけを捉えて、「ホロコーストと言った」。と、それをネットに取り上げて、「あいつは差別をしている」。と騒ぎ立てるのはどうでしょう。彼らは決して差別はしていないのです。コントの全体を見ればわかることです。

 私は、今のネットで騒ぐ人たちを見ていると、余りに思考が狭量だと感じます。「いけないことはいけない」。それはその通り、でもあまりに短絡に言いすぎるのが問題です。

 一度誰かが言いだして、それで大炎上すると、もう誰も止められません。いいも悪いも冷静に精査することなく、みんなで責任者を責めて辞めさせてしまいます。

 これは魔女狩りです。発言者が誰かの間違いを見つけ出すと、まるで鬼の首でも取ったかのごとく騒ぎ立てて、お祭りが始まります。彼らは正義を手に入れると、たちまち強者の立場になり、あとはひたすら相手を罵倒します。

 自分たちの言い過ぎ、やり過ぎ、間違いなど顧みることなどないのです。何の資格もない人たちが人を裁こうと必死になって騒ぎます。これは正義の名を借りたファッショです。

 

 小林賢太郎さんはこの先演出家として活動して行こうと張り切っていたのでしょう。それが思わぬところでファッショの嵐に会い、前に進むことが出来なくなりました。まったくお気の毒です。然し、才能ある人ですから、いずれ大きな成功を掴むと思います。その日を楽しみに待っています。

続く