手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コンテスト必勝法

 種明かしの話ばかりかかわっていると、自分自身が低い次元の世界に置かれているような気がして滅入ってきます。気分を変えて、コンテストについてお話ししましょう。

タイトルに、「コンテスト必勝法」と書きました。マジックコンテストに必勝法なんてあるのでしょうか。そこで私は断言します。「あります」。あなたが本当に入賞したいと考えているならお読みください。伝授いたしましょう。

 

 私は、日本奇術協会のコンテストの審査員や、大会責任者を何度もつとめました。30代になってから、SAM(アメリカ奇術協会、現存する世界で一番古いマジック団体、初代会長はハリーフーディーニ)の日本地域局を立ち上げて、日本中に40の支部を作り、毎年日本国内で世界大会を開催してきました。国内大会は毎年コンテストを開催し、そこで審査委員長を務めました。その間にはSAMの本大会(アメリカ国内)で審査員も務めました。いまだに九州奇術連合会では審査委員長をしています。卒爾ながら、コンテストに関しては隅の隅まで知り尽くしています。

 ですが、私自身が審査員に向いているかと言うと、きわめて不向きだと思います。私は審査員をしたいからそんな活動をしてきたわけではありません。立場上手伝ってきただけです。出来れば日本国内で優れたジャッジが育ってきたなら、そうした役は専門家に任せたいと思っています。

 しかし、プロのマジックコンテストのジャッジなどと言うものは存在しません。ジャッジだけでは生きては行けないのです。そのため、マジックのディーラーや有志に任せるほかはありません。時に採点に間違いが起きるとすれば、それこそ、とりあえず選んだジャッジがマジックを知らないために起こることが問題なんだろうと思います。このことは後でお話ししましょう。

 

 私がジャッジをあまりやりたがらない理由は、私が大会に参加すると言うことは、必ず出演が絡みます。出演と、審査員と言う二つの仕事を短い時間にすることは激務だからです。審査員は客席に座って点数をつけるだけではないのです。SAMの本大会などは、事前にジヤッジミーティングと言うものがあり、二時間ほど、SAMは本部役員がジャッジに、どんなマジシャンが欲しいのか、を説明します。これはとてもいいシステムです。SAMがなぜコンテストをするのかと言う、基本理念がしっかりジャッジに伝わるからです。日本国内のコンテストはほとんど、ここが不明確です。

 SAMに限らず、コンテストの主催者が欲しいのは、プロマジシャンです。きっちりとした演技ができて、その演技が洗練されている人。そしてマジシャンの人柄が一般のお客様に愛されるような人。マジックの世界だけでなく、一般の外のお客様にも、強い影響力を持ったマジシャンが欲しいのです。そうした人が育ってプロになってほしいのです。そうでないと、コンベンション自体がどんどん小さくなってしまうからです。

 

 本大会のジャッジは五名います。私が担当したときは、三人はアメリカ人、そのうち一人はプロマジシャンです。アメリカ人以外の一人はドイツ人、そして私です。

 さて、審査員は演技を見た後で、ディスカッションをします。夕方5時から深夜12時まで続きました。どんな話をしたかと言うことは後でお話しします。ドイツ人、アメリカ人、日本人と三か国のマジシャンがディスカッションをすると、時に議論が白熱することがあります。するとアメリカ人は役柄から調整役に回ろうとしますが、ドイツ人は安易なことには一切妥協がありません。時にはアメリカ人のおかしな理論をこっぴどくやっつけてしまいます。ここで面白い話がいくつもありますが、それは後でお話しします。かなり真剣な議論でしたので、終わった時は相当に疲れました。

 それから大会参加者を呼び出して、一人ずつフィードバックをします。この時点ですでに深夜12時を過ぎています。フィードバックと言うのはSAM独特の考え方で、コンテスタントに、「あなたの演技の何がよくて、何がダメか」を審査員が一人ずつ話します。つまり審査員は、何が素晴らしいマジシャンなのか、SAMはどんなマジシャンを求めているのかを公開するわけです。これはとてもいい方法です。日本国内のSAMの大会でも採用していました。

 日本の大会ですると、参加者はほとんど素直に聞くだけなのですが、アメリカ人はそう簡単にはいきません。しっかり自己主張をして、自分の正当性を語る人もいます。アメリカ人はこうした点がはっきりしていて、時には審査員を打ち負かす人までいます。中には理屈にもならないようなことを言って、審査員に毒づいて、足でドアをけって去ってゆく人もいます。当然審査員から顰蹙を買います。

 こうして一人一人を相手にすると、明け方まで話をすることになります。この間トイレ休憩は一回のみ、アルコールは禁止、食事はハンバーガーのようなファストフードを事前に買っておいて、他の審査員の話の隙間に食べます。

 これが終わると各賞状にジャッジ全員がサインをします。すでに朝になっています。そしてその日の午後の総会後、授賞式をします。部屋に戻っても寝る時間はなく、授賞式までの間にブラックタイ(黒い蝶ネクタイ、黒いタキシードに着かえます。私は黒紋付に袴姿です)授賞式は舞台上で一人ひとり名前を読み上げ、賞状とトロフィー、賞金を渡します。

 ここまで全て済ませて、SAM本大会の審査員の仕事は終了します。詳しくは後でお話ししますが、これだけの仕事をしても謝礼と言うものは一切存在しません。次の代の優秀なマジシャンを育てるために、みんなが奉仕をするのです。まったくの善意の活動です。しかし、審査員はコンテスタントのみんなから感謝され、敬愛されるかと言うなら、必ずしもそうはならない場合があります。大会終了後になっても、ジャッジにさんざん悪態をつくコンテスタントもいます。「あいつらはマジックのことなんか何もわかっていない」と、怒りをあらわにします。しかし、これだけは申し上げますが、SAMに限らず、すべてのコンベンションは次に出て来る人をつぶすためにコンテストをしているのではありません。

 「あいつらは悪意で俺を落とした」と言う人があります。審査員は個々のコンテスタントに特別な感情はありません。そのことはフィードバックでも詳しく説明しています。当人も頭ではわかっているのかもしれませんが、それでも審査される立場の側からすると「なぜあの人が入賞して、俺は入賞しないのか」と言う、細かな点差の部分で疑問に感じる人がいることは事実です。

 

 えこひいきとか、派閥の力学で入賞者に便宜を図る、と言うのはよいことではありません。しかし、わずかな点差で特定の人を優遇する気持ちが審査員にないかと言うなら、それはあるでしょう。仮に、ここに同点の二人のマジシャンがいたとして、一方が、マジック界に有能だと思われるマジシャンがいたなら、おのずとそのマジシャンにわずかによい点数がつくことは普通にあります。

 コンテストも人間のすることですから、全く公平には決まりません。ただしそれは裏工作で決まるわけではありません。コンテスタントの中には、SAMの本大会に来る前に、あちこちのローカルなコンテストに出て入賞している人もいます。そうした人たちは、SAMのコンテストに来る前から、マジック関係者が名前を知っていますし、演技の内容まで知っている場合が多いのです。言ってみれば本命の優勝候補者です。

 かつてのランスバートンがそうでした。子供のころからSAMのローカルのコンベンションでチャレンジをしていて、かなり名前を知られていたのです。やがてIBMのコンテストで優勝し、FISMでチャンピオンになりました。その後の活躍はみなさんご存じのとおりです。まさに彼の生き方はミスターマジシャンで、マジック界が求めていたマジシャンだったわけです。

 

 仮に、関係者に名前も演技も知られていないマジシャンでも、ローカルコンテストの役員が、わざわざ彼をSAMの審査員に引き合わせて宣伝してくれるような場合もあります。そうしてあいさつされたからと言って、審査員は特別な配慮はありません。しかし、マジックの世界でこのマジシャンを支援する輪ができつつあるとなれば、多少の考慮にはなります。こうして優遇されるような人が、必ずその先にランスバートンのようにプロとして成功してゆくかどうかは未知数ですが、早くから方向の見えている人で、周囲の支持も厚く、若いうちから名前の知られているようなコンテスタントなら、自然と成功は早まります。わずかな点差で、そのマジシャンが優位に立つこともありうるわけです。なぜと問われるまでもありません。その人は既に主催者の基本理念に合致した人だからです。

 

 コンテスト必勝法の一つは人の支持を得ることです。

大会組織も、審査員も、観客も、とにかく多くのマジシャンを仲間に取り込むことはとても大切なことです。仲間や先輩方の熱い支持があれば、それは既に将来を約束されたポジションに立ったようなものだからです。

 コンテストに出る人の多くは、どうしたらよい手順ができて、どうしたらそれが評価されるか、つまり自分が認められるにはどうするか、どんなアイディアが必要かなどと、自分の手順にばかり考えが集中しがちですが、それは極めてミクロなものの考え方と言えます。少し広く物を考えてみれば、まず、あなた個人がマジック界から支持されているかどうかと言うことがとても大切なことなのです。

 とにかくあなたがマジックが好きなら、あちこちでマジックを見せることです。内容が面白ければ自然と支援者ができてきます。所属するマジッククラブの会員であったり、先輩であったり、プロマジシャンであったり、とにかく、いろいろな伝手を利用して、自分を支持してくれる輪を作ることです。

 支持者のいるマジシャンと言うものは外から見ると、とても強く見えます。それだけで一つの実力なのです。これは後でプロになった時も十分生かされます。プロの活動と言うのは、本来支持者を多く持つと言うことが仕事なのですから、アマチュアの時代から支持者を持っていると言うことは、全くぶれずに活動していることになるのです。

 

 しかし決して忘れてはいけません。仲間や先輩が支持してくれると言うことは、善意の活動なのです。善意は無償であるから尊いのです。無償の善意をもらったなら、感謝を忘れてはいけません。コンベンションもコンテストもすべて善意によって成り立っています。そこで入賞したなら、いつでもコンベンションにお返しをできるように、あなたも善意でこたえなければいけません。

 ところがマジシャンの中には、まるでコンテストは自分が世に出るための踏み台のように考えている人があります。売れたらさっさとテレビに仕事に集中して、コンベンションに見向きもしなくなる人もあります。自分が何者で、なぜマジシャンになったかをいとも簡単に忘れてしまうのです。

 コンテストはあなたの努力もさることながら、周囲の支援があなたを大きくしたはずです。ところが、コンテストで入賞すると、成功は自分の才能と勘違いする人が出てきます。たちまち欲が丸見えになって、仲間や先輩の主催する公演に高額なギャラを要求したり、せっかく先輩が、演技に関していいアドバイスをしてくれも、先輩の言葉を聞かなくなったり、反発をするような人がでてきます。ようやく小さなコンベンションで一つタイトルを取ったにすぎないのに、もう天下を取った気持ちでいます。わずかばかりの成功が、その人を尊大にしています。

 大会の主催者や、ジャッジは自然自然とそうしたコンテスタントの心の内を見ています。少しもマジック界全体を見ずに、自分の成功にばかりこだわる人は、人から愛される演技をしないものです。当然評価も下がります。

 ここが危険です。善意に対して、あなたの欲がむき出しになると、それまで支援していた人たちがぱっと離れてゆきます。いったん人が離れると、そこから先の道は急に閉ざされてゆきます。一つの成功が必ずしも次の成功を約束してはくれないのです。常に仲間の支持に感謝しつつ、一つ一つ地道にチャレンジしてゆかなければ、大きな成功はつかめないのです。

 

 次に、オリジナリティや手順構成に関してお話ししようと思いますが、今日はもう紙面が一杯一杯になってしまいました。この先は二、三日先にお話しします。

指導と言う名の金もうけ

 今から15年前のことになります。

私はハワイのマジックコンベンションに出演しました。

とても小さなコンベンションで、参加者は300人程度だったと思います。

 私はそこで、ステージとクロースアップ、それにレクチュアーの3つを依頼されました。正直なところ、私にそれほど多くの期待をかけてもらうのははなはだ荷が重かったのです。3つも用事を引き受けたなら、ゆっくりハワイのホテルで食事をすることも、昼にラウンジでゆっくりアルコールを飲むこともできません。正直面倒だなぁ。と思っていました。

 私は二十代からずいぶん多くのマジックコンベンションに出演してきました。FISMはコンテストには一度も出ていませんが、3度ゲストとして出演しました。楽しい思い出では数々ありました。でも、正直なところ、40代あたりから私は、コンベンションに出演することにあまり強い意欲は感じなくなりました。

 確かにマジック愛好家の中で、私のマジックを評価してもらうことは誠に名誉なことではあります。しかし、やはりプロとして生きて行くなら、マジックの理解者ばかり相手にしていては活動が狭すぎます。もっともっと外に向かって生きて行くべきだと考えていました。むしろ、コンベンションに出演するときは、その中で稼いでやろうなどとは考えずに、マジック愛好家や若手に食事やアルコールをご馳走して、次に育ってゆく人を応援してやらなければいけない。そんな風に考えるようになりました。

しかし思いとは裏腹にハワイのコンベンションは多忙でした。

 

 まず初日は、クロースアップでお椀と玉を演じました。おわんと玉は、カップ&ボールの日本版と言ったもので、日本の古典ですが、それを私がアレンジした作品です。私の演技はよほど珍しかったようです。演技が終わると、スタンディングオベーションになりました。無論私は最高の気分でした。

 

 その翌日はレクチュアーです。レクチュアーの講師は、私とダロー マーティネスでした。ダローはアメリカで看板のクロースアップマジシャンです。そのダロー-が朝、私が朝食をとっている時に寄ってきて、「シンタローあなたはアメリカでは有名だ。やはりあなたがレクチュアーの最後を締めるべきだ、ぜひ私を先に出させてくれ」。

 そんなふうにダローにした手に出られては嫌とは言えません。これも名誉なことと思い、私は後に出ることにしました。しかし、ダローが一体どんなレクチュアーをするのか興味があります。少し早く行って、先に自分のセットを済ませ、そのあとでゆっくりダローの指導を見ようと思い、早めにレクチュアールームに行きました。

 驚いたことにそこに既にダローがいました。彼はビニール袋に入った、パケットカードをたくさん持参していて、長いテーブルに順に商品を並べていました。そして一作づつ値札を書いていました。恐らくカードのトリックだけでも30品くらいあるでしょう。それに指導用ビデオ、ノート、あらゆる販売物がびっしり並んでいます。

 彼はひたすら値札を書き続けています。そしてテーブル一杯に商品を並べた後、私の方を見て、私が商品を並べるスペースがないことに気づいたのか、「オオ、ソーリー、シンタロー、君のスペースが必要だったね」と言うので、「ダロー、心配はいらない。私は商品やビデオは販売しない。なにもないから、君のやりたいようにやっていいよ」すると彼は驚いた表情をして。「なにも販売しないのか」とつぶやきました。

 

 さて、ダローのレクチュアーが始まると、彼が一つ一つマジックを解説してゆきますが、必ず解説が終わるたびに、「このトリックがこれだ」と言ってビニール袋を持ち上げ、値段を告げました。つまり彼のレクチュアーは、習っただけではできないものばかりで、トリックを買わなければできないものだったのです。参加者の中には、中学生や高校生のマジック愛好家がいます。彼らはコンベンションの参加費を払うのがやっとで、トリックは欲しいけど買う余裕はありません。多くの受講者は、順にマジックの解説をしつつ、商品の宣伝をしてゆくダローのスタイルを見て、テーブルの上に並んだ商品の数だけこの動作が続くんだと観念し、レクチュアー会場は何となく重苦しい雰囲気に包まれてゆきました。

 一時間のダローのレクチュアーが終わり、販売時間になり、大幅に休憩時間をオーバーしてようやく私の出番です。私の指導内容は30品目なんてありません。シルク、お札、カードマジックの3つだけです。シルクは天海のシルクバニッシュです。参加者はほとんどシルクを持っていません。そこでみんなにティッシュペーパーを配り、ティッシュペーパーを丸めて、シルクのハンカチに見立てて、シルクの消し方を教えました。天海特有の難しいハンドリングですが、時間をかけて教えると、みんなできるようになりました。

 アメリカのレクチュアーと言うものは、解説はごくあっさりとしていて、あまり込み入った種明かしはしません。もっと詳しく知りたければ、レクチュアーノートなり、ビデオを買いなさい。と言うことです。私のように、手を取って教えると言うのは、個人レッスンの範疇になり、全く別予算の指導法になります。私にとってはそんなことは関係ありません。何とかみんなができるように懇切丁寧に指導をしました。

 次のお札は、キャッシュカードを裏表改めて、手の中で広げるとお札に変わるものです。私のアイディアで珍しいものです。これもみんなにカードと1ドル札を持たせて、受講者と一緒になって何度も稽古をしました。すると、みんなできるようになりました。そしておしまいに、簡単なカードあてをしました。以上3つが私のレクチュアーでした。私が、「それではこれで私のレクチュアーは終わりです」。と言うと、参加者の中から、「シンタロー商品はないのか」と質問されました。「商品なんてないです。シルクとカードなら皆さんの家に帰ればあるでしょう。あえて売るものなんてありません」。「それならビデオはないのか」。「ビデオが欲しいなら、ジェームス吉田さんのマジックショップに私のビデオがあります。そこで買ってください」。「レクチュアーノートは」「今見た通りです、教えたことはみんなあなた方の頭の中にあるはずです。それで十分ではありませんか」。

 ここで多くの人が、「まったく物を販売しないレクチュアーなんて初めてだ」と言って、ほぼ全員が立ち上がってスタンディングオベーションが1分以上も続いたのです。私は、正直驚きました。そのあとは参加者が寄ってきて、みんなが、「最近のレクチュアーはディーラーショウなのかレクチュアーなのかわからないようなものばかりで、少々失望していたんだ。シンタローのレクチュアーは素晴らしかった、これが本当のレクチュアーだ」とみんなから褒められました。

 実はこうしたレクチュアーこそ私のやりたかったレクチュアーだったのです。この道でどうにかなったマジシャンが、後輩のために時間を割いて指導をする、そこに見返りは一切求めない。これが本来の指導であろうと思ったのです。それが実践できた私は幸せだと思いました。

 

 長々自慢話めいた話をしましたが、私が言いたいことは何かというなら、コンベンションと言う場は小銭稼ぎの場ではないと言うことです。無論、ディーラーやメーカーなら、利益を上げることが目的ですから、商売するのは当然です。しかし、プロマジシャンは、既にギャラをもらってコンベンションに来ているのですから、コンベンションではあくせくせず、マジック愛好家のために奉仕をする気持ちでレクチュアーをすべきです。後輩から金を儲けようとするのは卑しい行為です。プロマジシャンならもっと高潔に構えていたいものです。

 

 このハワイのコンベンションは私にとって、もう一つ幸せなことがありました。三日目のゲストショウで私がクロージングアクトとして蝶を飛ばしました。私が出る前までの観客の様子は、アメリカ人らしく、口笛を鳴らしたり、床を足で踏んだりして賑やかに見ていました。ところが、私が出てきて演技をすると、全く物音がしなくなりました。あまりに静かです。その時私は、「まずかったなぁ、アメリカ人にはこの芸は地味すぎたかなぁ」、と内心反省をしました。終わりに差し掛かって吹雪が散るところでも普通は拍手が沸き起こるのですが、反応はわずかです。「これは失敗だっかな」。と思いました。しかし、演技が終わったあとに、じわじわと拍手が起こり、やがて観客が立ち上がり、しまいには全員総立ちになって長い拍手が続きました。

 そのあと楽屋に次から次と人が訪れて褒めてくれました。主催者がやってきて、「スタンディングオベーションになるマジシャンはこれまでも大勢いたけれども、クロースアップもステージもレクチュアーまでも、三つものスタンディングオベーションをさせたマジシャンはシンタローだけだ」。と褒めてくれました。

 正直この時は舞台人として、人生で最も充実し、幸せを感じた時でした。演技がうまく行ったと言うことも喜びではありますが、それよりも何よりも、私がこう生きて行きたいと言うことを実践して、それが愛好家から評価されたことが嬉しかったのです。

 

 話を戻して、私は指導と言うものは、本当に習いたいと思う人に、自分の人生で工夫したこと、考えたことを素直に、包み隠さず伝えること。そしてそこに見返りを求めない。それが正しい指導なんだと思います。しかも、教えることはマジックの内容も大切ですが、それよりも、指導家の姿勢、マジシャンとしての人生、それらすべてをひっくるめて正直に見せることが指導なんだと思います。

 そんなことを考えながら、最終日の晩、仲間とラウンジでスコッチ&ソーダを飲みながら遅くまで談笑をしました。遠く浜辺の波の音を聞きながら、気心の知れた仲間や、若いハワイのマジシャンと話をするのは幸せなひと時でした。

 

種明かしと指導

 

 今回は種明かしと指導について私の考えをお話ししましょう。初めに申し上げますが、種明かしと指導は全く別物です。しかし、種明かしをするマジシャンがしばしば言い訳として、「自分は指導をしているんだ」と主張する人がいます。

 かつて、テレビの種明かし番組が頻繁にされた時でも、我々がテレビ局に 苦情を言いに行くと、決まってプロデューサーや、直接種明かしをしたマジシャンが同じことを言いました。それは根本を取り違えています。

 マジックは秘密を公開しないことによって成り立っている芸能ですから、むやみに種明かしをしてよいと言うものではありません。それが「指導を目的とした種の公開である」と言えば種明かしが許されると言うのはおかしなことです。指導は種明かしの免罪符ではありません。指導であるなら、そこにはTPOが求められます。つまり場所柄をわきまえてやれ、と言うことです。守るべきルールを守って公開しない限り、種明かしは指導にはなりません。

  

 ネットはだれでも無料で見ることができます。しかも24時間いつでも見られます。つまりネットは、人の集まる広場で、だれかれ関係なく、無制限に種明かしをしているのと同じことで、無条件に際限なく種が公開されてしまいます。こうした場所でマジックの種を公開することがそもそもの間違いです。

 その日の晩にどこかのレストランでマジックを見たお客様が、家に帰ってネットで検索すれば、瞬時に種仕掛けがわかります。いや、家に帰らずとも、マジックを演じている脇で、スマホを検索すればすぐに解説が出てきます。

 こうまでおおっぴらに公開されれば、もうマジックは不思議を生み出す芸能ではなくなってしまいます。私は、これまで度々、ネットのマジック指導は指導ではない。種明かしだと申し上げました。指導と種明かしはどこが違いますか。指導には、いくつかのルールがあります。ここに3つのことを申し上げましょう。

 

 一つは、指導をする場合、受講者の習いたいと言う意志を見極めて教えなくてはいけません。「ちょっと知りたい、ちょっと秘密をのぞいてみたい」は誰でも思うことです。そうした人と、「マジックを覚えて演じられるようになりたい」。と言う人とは明確に区別しなければいけません。

 単なる興味でマジックを知りたいと言うレベルの人に、マジックを教えてはいけません。そうした人は本来、受講者ではありません。仮に教えたところでマジックの練習などしません。彼らは演じる側に回ろうとは考えていないのです。彼らはいわば、マジックの良いお客様なのです。種さえ教えなければ何度でもマジックを見に来てくれる善意の人たちなのです。

 その人たちに種を教えてしまうと、「なぁんだ、マジックなんてこんなものなのか」と、それまで面白がっていたものがいっぺんに興味を失ってゆきます。しかも、さっきまで善意の人だったものが、性格が豹変して、脇で種を言うようになったり、「マジックなんてレベルが低い」などと言ってマジシャンを軽蔑するようになります。むやみに種を教えたことが全く逆効果になって、マジックを演じるうえでむしろ障害になってきます。それ故に、誰でも彼でも種を教えてよいというわけではないのです。

 初めに、習いたい人の意思を確かめると述べました。それは、言葉を変えて言えば、マジックをやりたいと言う人に義務を教えることです。例えば月謝を取る。あるいは、技術の習得には練習が必要で、時間がかかると言うことを事前にしっかり教える。また、道具が高額である。などなど、習得するために越えなければならないハードルをしっかり教えて、理解させなければいけません。

 マジックを学ぶために、果たさなければならない義務があることを知ると、本来、興味の薄い人は自然とマジックから離れて行きます。それでよいのです。彼らには良いお客様であってほしいのです。元々マジックは不向きな人たちなのですから。

 例えば、ほとんどの子供はマジックが大好きです。私がマジックショウを演じた後に、よく、「マジシャンになりたい人」。と子供に尋ねると、半分以上の子供がさっと手を上げます。しかし、実際に子供がマジシャンになって行く確率は一万人に一人もいないでしょう。野球選手や、パイロットや、漫画家になる確率よりも、マジシャンになる確率は低いでしょう。なぜかは明らかです。覚えるために多くの時間を練習に費やさなければならない。いろいろ費用が掛かる。そもそも自分に才能がない。いろいろな理由がわかると、大多数の子供はマジシャンになるこをあきらめます。ここで多くの子供があきらめるから、世の中はマジシャンだらけにならないのです。

 あらゆる障害を乗り越えてでもマジックを学びたい、とする人がいたなら、そうした人たちにはマジックを教えてもいいでしょう。

 

 しかし、ネットでの種明かしは、習いたい人と、種を知りたいだけの人を区別してはいませんね。ネットは誰かれ関係なくむやみに種を公開しています。そこに資格を問いません。人を育てると言いながら、同時に本来良いお客様になってくれる人たちにまで種を公開して、失望させています。たった数人、数十人のマジシャンを育てるために、数万人、数十万人の観客を失っているのです。なぜそんな効率の悪いことをするのでしょうか。私は、前にマジック界は崩壊寸前の状況にあると言いました。その理由の一つがこれです。今やマジックの価値は只になってしまっています。只で教えて、なおかつ、数十万人のマジックに無理解な人を育てているのです。マジシャン自らが寄ってたかってマジックを無価値にしています。これは指導ではなく種明かしです。

 ところが、ネットでマジックを覚えている少年少女にすれば、私の言っていることはまるで、頭の古い閉鎖的な爺さんのたわごとだと思っているでしょう。せっかく自分たちが無料で習える機会を得たのに、その道を閉ざしてしまう頑固爺いが邪魔をしていると思っているでしょう。その通りです。私は頑固爺いなのです。

 なぜ私がネットの種明かしに反対するかは明快です。今の状況が続けば、数人のマジシャンと、何百人かのアマチュアマジシャンが育つかも知れません、しかし、そのマジシャンの周りには、数十万人の種を知っている人が育ってしまいます。つまり、せっかくマジックを覚えた少年たちがいざ、マジックを見せようとすると、みんなに「それ知っている」。と言われ、せっかくマジックを披露しようとしても、お客様がいなくなってしまうのです。安易に種を教えると言うことは、観客も安易に種を知ってしまうのです。みんなに、「そんなの古いよ」「誰でも知っているよ」。と言われ、結果、マジックは光を失ってゆくのです。

 本当にマジックを習いたいなら、理解者だけが入場できるようなネットを作って、そこで指導をしたらどうでしょう。それが本来の指導だと思いますが違いますか。

 

 二つ目は、相手のレベルを見て、どこまで教えてよいかを見極めなければいけません。際限なく何でも種明かしをしてよいというものではないのです。

 全くの初心者と、数年マジックを経験している人と、プロを目指している人とでは指導内容が違います、プロを育てようとするなら、観客との接し方から教えなければいけません。マジックがうまいまずいを言う以前に、まず、マジシャンが人に愛されていなければ仕事として成り立ちません。いかに人から愛される人格を身に着けるか、それをどう指導しますか。指導はどこにターゲットを絞るか、何を教えるかが大切なのです。

 全くの初心者のための指導でも、習う人に、あらかじめゴールを示すことが大切です。それがなければ無制限な指導をすることになります。素人を対象にしたカルチュアーセンターでのマジック指導ですら、10回とか20回などと区切って指導をする場合、カリキュラムを作ってどこまでできるようになるかを示します。それが、一年、二年と続いてきたなら、もっと規模の大きな方向を示さなければならなくなります。長くなればなるほど指導家としての資質が問われることになります。

 受講者の能力や、才能を見極めて、順に順にレベルアップを図って指導してゆくことはとても大変な仕事です。しかしそれが指導なのです。

 特にネットで問題視されていることは、実際、プロで活動しているマジシャンが演じているトリックを平気で公開してしまうことです。ネットで種明かしするマジシャンはほかのマジシャンを守っていないのです。マジシャンの側からすれば大変に迷惑です。マジシャンがそのトリックに到達するまでに、数年、あるいはそれ以上の年月を費やしてしてやっと辿り着いたであろう作品を、いとも簡単に、初心者にまで公開してしまうのは無謀です。

 それを習った少年少女の側からすれば、「いいマジックを覚えた」。と言って満足するでしょう。しかし、それが数年もしないうちに、今度は自分がマジックを演じる側に立った時に、ネットの種明かしマジシャンによって、彼らが演じようとするマジックを種明かしされるのです。その時初めて、ネットの種明かしマジシャンが、善意の人ではないことを知るのです。

 指導家が自分の知っていることを片っ端から教えれば、それで人が育つと言うものではありません。残念ながらネットの種明かしは、初めに種ありきで、受講者を本気で育てようとしているようには見えません。しかも種を明かしたがるマジシャンが増える一方です。受講者の都合など二の次になっています。結局やっていることは種明かしで、指導とは別物です。

 

 三つめは、指導している人の資質です。 

 ネットで種明かしをしているマジシャンが何者なのかがわかりません。この文章を書くために何人かのネットで種明かしをしているマジシャンを見ましたが、私の知っているマジシャンが一人もいません。無論、マジシャンはたくさんいますから、私が知っていようがいまいが、どこかでマジックの活動をしているのでしょう。しかし、この世界でどうにか名前が出た人なら、名前くらいは聞いています。しかし、誰も知りません。どんな演技をする人で、どんな活躍をした人なのか、情報を知る手立てがありません。

 カルチャーセンターの講師ならば、ギターリストでも、お茶、お花の先生でも、それぞれ経歴が書かれていて、受講生は経歴を評価して集まってきます。経歴があって、教えるわけですから、指導の内容も、最終目的も明確です。受講生はその先生になりたいと思って集まるのです。これは指導課と受講者の良い関係と言えます。

 

 しかし、ネットの種明かしは、教えている人がマジシャンなのかどうかもわからないのです。今回ネットで種明かしをしている人の演技を見ました。どのマジシャンも、やっていることは上手です。好きでしているようですので、相当やりこんで手慣れた人もいます。

 しかし、まず、10分20分と言った、当人のメインアクトを見せてください。教えるよりも前に、そのマジシャンが、何をマジックと考えているのか、マジックを駆使してどんな世界を表現しようとしているのか、そしてその演技がどこで評価されたのか、音楽の世界でも、演劇の世界でも、そこの評価のある人が指導家になるのではないですか。経歴が評価されて、そのマジックに憧れている人がネットを見て習いたいと思うなら、受講生と指導家がつながります。(それでもネットでマジックの種明かしをしてはいけません。ネットは種明かしをする場ではないのです)。

 しかし、ネットマジシャンの実力は未知数ですし、この社会で評価がされた経歴がありません。本当に教えるべき力があるのかどうかも分かりません。

 

 種明かしをしているマジシャンは、指導をするよりも先に、まず、この社会で自身の演技が評価を得ることを第一にすべきでしょう。まずそこをクリアしてから指導をされてはどうですか。それなくして、種明かしをすることでわずかばかりの収入と、名前を知られるなどという、次元に低い活動をしていると、自身の夢がいつまでも達成できず、種明かしが、自身のフラストレーションのガス抜きになってしまって、本来マジシャンがしなければならない、独自の幻想の世界を作る。という目的がいつまでたっても達成できなくなってゆきます。

 ネットの種明かしマジシャンが、マジックが好きで、相当やりこんでいることはわかります。しかし、種明かしを見る限り、演技はすべて段取りだけです。マジックが夢を作り上げてはいません。種明かしは、手とカードばかりが映されます。そこにはマジシャンの心の表現もなければ、語りかけもありません。この映像を見て、種ばかり覚えた受講者は一体何者になろうとするのでしょうか。やはり同じようにネットで種明かしをするマジシャンになってゆくのでしょうか。 

 無秩序、無資格の状態で、無制限にマジックの種が公開されている現状は、この先取り返しのつかない問題がいくつも出てくるでしょう。こんなマジックの世界は、ほかの芸能と比べたなら、とても誇れたものではありません。少しも明るく楽しい世界に見えません。

 自身で独自の世界が作り出せず、マジックの財産を売り食いしているだけにしか見えません。恥ずかしいですね。種明かしマジシャンは才能の無駄遣いをしています。早く自分のしていることに気づくことです。

 

 

 11月29日のマジックショウ、BIG SESSIONのチケットはすでに半分が売れています。S席は既に完売です。残るはA席のみです。お早めにお申し込みください。詳細は東京イリュージョンの告知板をご覧ください。

 

 

 

 

そもそもプロというものは

 今から20年も前のことですので、ご存じない方も多いかと思います。私は、ザマジックと言う季刊誌(年4回発行)に「そもそもプロマジシャンというものは」と言う、エッセイとも、指南書ともつかないものを書いていました。

 なぜ、そんなものを書こうと思ったのかと言うと、前年の1998年に文化庁から芸術祭大賞をもらいました。それ以前にも二回、芸術祭賞はいただいていましたが、大賞が来たことで一応頂点に至ったと諒解して、以後は、私を育ててくれたマジック界にお返しをしてゆこうと心に誓いました。

 しかし何をどうしたなら人の役に立つのか様々思案しているうちに、ふと、マジック雑誌、ザマジックをパラパラとみているときに、おや、と感じました。この雑誌は初めからしまいまで、トランプの絵と手の絵ばかりが描かれていて、全く人の人生や、人の生き方が書かれていないのです。

 普通、演劇雑誌や音楽雑誌なら、有名タレントが対談をして、生き方や、日々に身の処し方が書かれ、舞台の演技姿がグラビア写真でたくさん載っているものですが、ザマジックは、ものの見事に種仕掛けしか書かれていません。そうしたことの好きな人が買ってマジックを覚える雑誌ならそれでいいのですが、

 仮にこれを読んだ子供たちが、ここに書かれていることがすべてと勘違いして、プロになろうとしたらとんでもないことが起こると思いました。

 マジックのイフェクトだけにしか興味のない少年が、上京して、人との接し方も知らない。先輩との言葉の使い方も知らない。ほかのジャンルの人がどう苦労して生きてきたかも知らず、観客がなぜマジックを見にくるのかも知らない少年が、マジックさえできれば生きて行けると勘違いして、やみくもに活動しても、世間から叩かれまくって、全く相手にされず、ごみのように扱われて失意のうちにマジシャンの道をあきらめてゆく結果にしかなりません。

 イフェクトやトリックを学ぶことは楽しいことですが、それ以前に知っておかなければならないことは山のようにあります。それを誰が教えるのか。教えるにしても、上から目線でこうやって生きて行きなさいなどと書けば、若い人は反発します。何とか面白おかしく、くだらない話をしながら物の成り立ちを教えなければいけません。

 そこで、それが私の仕事かと、「そもプロ」を書く決意をしました。話は、プロになりたてのコワザ君が、ベテランでうるさ方で、少しインチキ臭い、スジ山金太郎を訪ねていろいろマジックについて質問をします。毎回、東京の有名な料理屋に行き、その料理がなぜうまいか、どうしてここに人が来るのかを実際料理を食べながら、スジ山が能書きをたれます。そうした話の中から徐々にマジックがどういう形で成り立っているのかを知って行くという話です。

 全編を通して語っていることは、マジックは種仕掛けを知っているだけではどうにもならない。不思議なマジックをしたから、と言って人は君のショウを買ってはくれない。観客にとんでもない夢の世界を作り上げて見せなければ仕事にはならない。と言うことを繰り返し語っています。

 

 正直、ザマジックのような雑誌に、私が物を書くことは無意味なのではないかと、文章を書きつつも悩みました。トランプの絵と手の絵にしか興味のないような子供たちに、生きることの難しさを語ることは、犬にパンツをはけ、散歩から帰ったら手を洗えと教えるようなもので、10年言っても、手も洗わずパンツもはこうとしないのではないかと思いました。

 しかし初回が出てすぐから反応はすさまじく。中学生や高校生社会人、あらゆるマジック愛好家から感動したという手紙をもらいました。(当時はメールがありませんから、みんな真面目に手紙を書いてきたのです)そして、「もっともっといろいろなことを教えてください」。と言うメッセージが来ました。

 そうなら、ひとつ気を入れて書いてやろうと、毎晩ステージの仕事から帰ってくると、ワープロ(当時はまだコンピュータがなかったのです)、の電源を入れ(ワープロはすぐには温まらず、始動に時間がかかりました)、この間に、ウイスキーの水割りを作り、さぁ、今晩はどんなことを書いてやろうと構想を練ります。このひと時が自分にとって至福の時でした。正直言って、このころは忙しくて、時間が足らなかったのですが、それでも真面目に雑誌の期限は遅らせることなく書き続けました。

 すると、地方都市の駅のプラットホームにいても、新幹線に座っていても、大学生や中学生から声をかけられるようになりました。「僕はザマジックが書店に出るころになると一週間前くらいから毎日本屋に行って早く本が来ないかと様子を見ています」「本が届くと必ず初めにそもプロを見ます」と言った素直な言葉から、子供で「一度コワザさんのように有名料理屋で食事がしたいのでごちそうして下さい」。図々しいのまでいます。そのうち、そもプロを読んでプロになる人が出てきます。これはあまり歓迎されることではありません。そもプロは疑似体験にすぎません。実際のプロ活動は、もっともっと過酷なのです。

 中には私のところに弟子入りを希望する人も出ました。これはもっと難しいことです。実際ずいぶん迷惑をかけてやめていった者もいます。どんなことでもすると言って、3か月持たないでやめた者もいます。それでも早く辞めた者は手間がかからないので助かります。人一人育てることは教える側も人生をかけなければならないことですので、簡単なことではありません。

 

 そもプロは11年書き続けて終わりました。終わった理由はザマジックが廃刊になったからです。本心はもう少し書きたかったのです。

 この時、11年の原稿をまとめて、同じタイトルで一冊の本にしました。その本が出たのが今から10年前(2010年)のことです。そもプロの本はよく売れました。「大学のクラブの部室にそもプロがあって、毎年の後輩がそれを見ています。」とか、熱心に毎回メールで感想を送ってくれる人がいました。続編依頼も多くありました。中には、高校生のころからの読者が、その後、会社の経営者になったり、弁護士になったりして、私を料理屋に招待してくれる時もありました。いい心がけだと思います。そして座敷で私の話を聞きながら、「ここ、ここ、この語り方がスジ山金太郎なんだよなぁ」、と言って、すっかりコワザの了見になって感慨に浸っている人がいたりします。

 今の今でもまだ「そもプロ」の本を持って楽屋に尋ねてきて、サインを求める人がいます。それも、マジシャンだけでなく、音楽家や、ジャグラー、俳優までもが自分の芸能に役に立つから、と言って「そもプロ」を購読してくれています。もう東京堂出版には在庫はないでしょうが、今もネットで結構取引されているようです。

 まぁ、「そもプロ」はこの20年、私にとって思いがけない楽しい経験につながりました。とんでもなく年齢の離れた人たちとも話ができるようになりました。私は、これでマジック界へのお返しの一つは達成できたと思いました。

 

 ところが最近の、ネットでの種明かしやマジックメーカーの無節操な販売を見ると、結果、昔とあまり変わっていないということに気づきます。マジシャンの活動は往々にして低俗で、人に夢や憧れを提供していません。なぜもっとゴージャスな活動を、若い人たちに提供できないないのでしょうか。マジックは夢の世界だ、とはよくマジシャンは言いますが、実際マジシャンの活動から夢を感じさせてくれる人がほとんどいないではありませんか。

 こんなことを続けていては、誰もマジック界に見向きもしなくなってしまうでしょう。そうならもう一度、私がマジックについて、何がよくて何がいけないか、どうしたらゴージャスな世界がつくり出せるのか、を詳しく書いてみようかと思います。

 

 せっかくブログで五千人ものアクセスが集まったのですから、人が私を求めていると判断して、今一度いろいろ書いてみます。

 ただしあれから20年もたちました。私は少し年を取りました。もう徹夜はできません。物を書くスピードはナメクジのように遅く、頭はトロく、性格はますますいい加減になってしまいました。どうか、気長に待ってください。確実に書いてゆきますから。

 

 さて私は、11月10日に福井市で開催される天一祭に出演します。ゲストはDr.レオン、ほかに精鋭の若手を何組か連れてゆきます。詳細は東京イリュージョンのネットをご覧ください。http://www.tokyoillusion.co.jp/index_j.html

 

 前日には、福井の子供歴史文化館に出演しています。ここは入場無料ですが、地元の子供たち優先ですし、席数にゆとりがありませんので、是非にと希望される方は、子供歴史文化館に直接お問い合わせください。

 

 それから、11月29日に、東京の座・高円寺で、私とナポレオンズマギー司郎の三組の会をいたします。40年以上の仲間です。昔の演技、今の演技、それに対談など致します。面白いものになるでしょうから来てください。そして。昭和の三組は置いておいて、我々は、令和の新しい三組を推薦しました。原大樹、片山幸宏、魔法使いアキットの三本です。次の時代のスターになる人たちです。彼らに演技をしてもらいましょう。どうか応援してください。詳細は東京イリュージョンをご覧ください。

 

 9月28日は、富士市で手妻とマジックの指導があります。

29日には名古屋のUGMで同様に手妻とマジックの指導をいたします。

30日は大阪で同様の指導をいたします。

 マジックは直接プロ指導を受けなければ本当のところはわからないのです。受講希望の方は、東京イリュージョンまで(http://www.tokyoillusion.co.jp/index_j.html )メールや電話をください。 

 

いけないことはいけない、でも

 今日は朝から鼓(つづみ)の稽古です。鼓は月に4回、お師匠さんが私の自宅に見えて、ご指導くださいます。鼓は口唱歌(くちしょうが)と言ってお経のようなものを丸暗記して、それに合わせて鼓を打ちます。ポーポースポポー、ポーポーポー 、とか。チリカラチリトトなどと暗記をすると、鼓の手が自然に出てきます。しかし暗記をするのが大変で、朝九時からの稽古で、鼓をすると眠っていた頭の中がすっきりします。

 とても素晴らしい世界ですので、よかったら皆さんもやってみませんか。

 

 昨日、4日のアクセスは1日で2000人を超えました。画面を眺めているうちに目に見えて読者の数が増えてゆくのは痛快です。どうやら皆さんは私が10年前に出した「そもそもプロマジシャンと言うものは」の、続編が読みたいのではありませんか。それなら少し時間を割いて、マジック界の様々なことを書いてみましょう。

 

 昨日は、M君と言う、マジック愛好家の若者が、マジック界の中で自分の立ち位置が見つからず、悩んだ末にグッズ販売を始めたのですが、私から見ると、自分の趣味のマジックの領域からでない商売に見えました。案の定、経営が芳しくなく、苦し紛れに、カード偽造に走ったのではないかと言うお話しをしました。

 彼のしたことの罪は罪として、私がM君に対して思うことは、マジックを愛する心を持った若者が、なぜ愛するマジックで生きて行くことができないのか。わずか、身一つを生きてゆくだけの収入すら得ることができないのはなぜか。私は何度か彼から様々な質問をされ、そのたびにアドバイスしました。しかし、M君は、私の話を仕事に生かせませんでした。どうも彼には人が見えていないようでした。仕事とは人との接点を見出すことなのですが。そこがわかっていないようでした。

 

 人は物事がうまく行かなくなると、ついつい自己本位な考え方をして、自分の欲を満たすために平気で人に迷惑をかけます。初めは遠慮がちにことをして、やがて間違いが通ると知ると、今度は自己の正当化を始めます。周囲が何も言わなければ、間違いを繰り返します。そこに、収入が絡んできて、稼げるようになると、周りのマジック愛好家が馬鹿に見えてきて、やがてわがまま勝手なふるまいが日常化してゆきます。

 世の中に、生まれた時から強欲で、人に嫌がらせをするような人はいません。どの人も元の心は純粋です。それがいつの間にか間違いを犯して、人に無理解になります。

  話は長くなりましたが、今日お話しすることは四つ目の問題で、アイディアの盗作と、無断販売の問題です。ここに書かれていることは最近、私に降りかかってきた話で、マジック界全体のことではありません。しかしマジック界で頻繁に起こる話ですので、お話しましょう。

 

 先月、マジックメーカーが私のマジックの手順をそっくり真似して、それをDVDに出して販売をしました。抗議をすると、すぐに謝りの電話が来て、二度と販売しないと言ってきました。この代表者は、学生の頃からよく知っている人だけに、謝ったのなら、不問にして、ことを収めました。解決がついたことですので、ここではメーカーの名前も当人の名前も伏せます。

 ただ、なぜ私のように古くからマジックの活動をしているマジシャンの作品を、しかも、多くの人が私の作品と知っているものを無許可でコピーして出したのかが不思議です。この世界で生きる最低のマナーがいとも簡単に崩れてしまうことが問題です。

 

 それに先立って、今年の4月、私の蝶の手順をそっくり真似て、DVDと小道具をつけて販売したメーカーがありました。実際販売を始めたのは3年前だそうです。ビデオで指導しているマジシャンは私の良く知っているマジシャンです。私は、彼が蝶のレクチュアーしているという話は以前から聞いていました。しかしそれは古典のやり方だろうと思って関与しませんでした。しかし私の手順であることを知り、これは看過できないと思い、遅ればせながら今年春に私は彼に会いました。

 彼曰く「蝶は古典芸だから誰が教えてもいいのではないか」。私は、「あなたの教えた蝶は、古典の蝶ではなく、私の改案した蝶だ。私のアイディアがたくさん入っている。それを自分のアイディアだと言って販売することは許されない」。蝶と言う芸を指導するなら、古典の作品と私の作品がどう違うのかぐらいのことは知っていなければいけません。いや彼は知っていながらとぼけているのかも知れません。

 すると彼は「蝶のDVDを出すことが著作権に触れますか」。と今度は法律を持ち出してきます。私は、「明らかに法律違反です」。と言い、なぜ法律違反なのかを話しました。彼は私の話を聞いて、素直に自分の間違いを認めました。そして二度と私の蝶の演技の指導はしないと誓約書を書きました。この話もこれで解決です。

  

 さて、講師が間違いを認めた後、今度はマジックのメーカに電話をしました。話はうんざりするほど、言い逃れ、言い訳の連続でした。そしてしまいには法律の話です。

 私はメーカーの代表者が学生だったころから知っています。私が関西でレクチュアーを開催すると、彼は必ず参加していました。その頃は素直で純真なマジック愛好家でした。やがて自ら店を出して道具の製作を始めます。すると徐々に悪い評判が立ちます。

 代表者は昔から私の蝶を習いたがっていました。実際教えてほしいという依頼は何度かありました。しかし、教えればきっと商品にされてしまう。それゆえ断りました。

 それが三年前ついにコピーされました。そこで今年遅ればせながら、メーカーに電話をしたわけですが、彼の主張は「古典に著作権はない」と言います。「これは法律違反です。まず、この演技は古典ではなく私の作品です。しかも、あなたは道具やトリックをコピーしていないから法に触れていないと考えているようですが、法は著作権だけではありません。例えば、花鉢に活けてある牡丹の花にとまった蝶が、離れた瞬間に二羽になる演技は古典にはありません。まったく私のオリジナルです。直接種の模倣ではなくても、演技の流れや、振りやストーリーが同じなら、知的所有権によって違法になります」。聞きなれない法律を知って、彼は非を認めました。そののち会って謝罪すると言いいましたが、なぜか体調不良だという理由で、まだ会っていません。

 

 何とか蝶の問題は解決しましたが、私には気になることがあります。コピーをしたり無断で指導したりする人に苦情を言うと、必ず法律問題が出てきます。何十年も前、アマチュア時代から知っているマジック愛好家が私にそんな言い方をします。

 私が真似をされて苦情を言っていることは、法で争うために言ってるのではありません。単に迷惑だから苦情を言っているのです。ちゃんと間違いを認めなさい。と言っているのです。ただそれだけです。非を認めたなら、相手が傷つかないように穏便に話をまとめようと言っているのです。別段補償金を取ろうとは思っていないのです。同じマジックの仲間の間で起こったことです。間違いと分かればそれでいいのです。それがなぜそこで法律の話が出てくるのでしょうか。

 仮に私が、「法律には触れない」。と言ったら、そのまま居直る気でしょうか。居直ったとして、それで済みますか。私が被った迷惑はどうなりますか。私の感情を害したら、この狭い世界を一層狭く生きなければならなくなりませんか。

 世の中のほとんどの人は法律で生活しているわけではありません。日常生活で法律なんて不要です。人はほとんどのことは良識で決めているのです。道端に物を捨てないのは、法律で罰せられるから捨てないのではなく、良識があるから捨てないのです。

法で縛られている国と言うのは後進国です。先進国は個々の国民に良識があって、法があろうがなかろうが、間違ったことはしないのです。

 マジックも同じではありませんか。法に触れようが触れまいが、人に迷惑がかかることは同じマジック愛好家として、やってはいけないでしょう。苦情を言われたら、まず良識で判断して、速やかに謝り、二度と繰り返さないのが仲間ではありませんか。

 それを法を持ち出すということは、むしろ日ごろ法律すれすれに生きているから法にこだわるのではありませんか。私が後輩に迷惑だからやめてくれと言うことを、後輩が、法律を盾に反対するという姿は、ほかのジャンルで通用すると思いますか。落語家の先輩と若手が法律を出して話をしますか。あまりに世の中の常識からかけ離れていると思いませんか。

 実は、ここがマジックの世界の大きな問題だと思います。マジシャンの中には、人が見えていない人がたくさんいるのです。自分自身がマジックの世界の中でどう生きて行っていいのかがわかっていないのです。彼らにとっての興味はマジックそのものであって、イフェクトやトリックばかり、ほかのことが見えていないのです。観客も、仲間も、先輩も、アマチュアのことも、つまり人が全く見えていないのです。

 ネットでマジックを覚えて、ネットでトリックを買って、ひたすらそれを演じて、誰かに認めてもらいたい。それで生きて行きたいとそればかり考えています。

 マジシャンとなって生きて行くには、観客を熟知していなければプロにはなれません。コンテストで優勝するには、コンベンションの主催者がどんなマジシャンを求めているのかがわからなければ優勝しません。マジックグッズの販売をするなら、購買者のニーズがわからなければ物は売れません。すべては人が何を考えているのかがわからなければ何をしても成功しないのです。ところがマジックをされる人は人のことがわからないでマジックをする人が多いのです。そこが問題なのです。

 

 私は、初めに、マジック界に起こった四つの問題の根は一つなんだと言いました。根とは何でしょう。それはマジックばかりを見て、人を見ていないことです。しかし、マジックの世界はマジック愛好家の善意に守られて出来上がっています。何のかんのとマジック愛好家はマジックを愛する人を温かく見てくれるのです。しかし、往々にして、仲間の善意に気づかず、平気でマジック愛好家を裏切ったり、愛好家を餌にして生きて行こうとする人がたくさんいます。彼らは目に見えない形でマジック愛好家に助けられていることを知らないのです。目には見えないけれどの仲間を守る垣根があります。それがどれほどありがたいことで、どれほど重要なことなのか、それをわからずに平気で垣根を壊そうとします。

 ネットで種明かしをしている人たちも、詐欺で捕まったM君も、勝手に種明かしをしたマジシャンも、無断で人の作品を販売するメーカーも、マジックの世界にいるから何とか許されているものの、本来は決して許されるべき人たちではないのです。

 私自身、これまでも、よほど警察に訴えてやろうかと思うほど腹の立つ、性根の悪いマジック関係者に何度か出会ったことがありますが、それでもじっと我慢して、何とか許そうと思い直しました。

 それは、先のメーカーの代表者も、学生の頃は純粋な顔で私からマジックを学んでいたのです。その姿を私は今も覚えています。

 盗作したマジシャンも、私が蝶を飛ばす姿を、舞台袖で目を輝かせて見ていた姿を私は記憶しています。あの顔に嘘はない。彼らは純粋にマジックが好きなんだ。そう思うと、彼らのマジックを愛する心だけは真実なのだから、その人を100%の否定はしないようにしようと思い直します。かつて彼らにあった純粋なまなざしに免じて、私は最後の言葉は言わないようにしています。たとえ相手が間違ったことをしても、彼らの心の中にあったマジックへの愛情に免じて、少し許してやるのです。これがマジック愛好家が持っている垣根です。

 一寸の虫にも五分の魂と言う言葉があります。とるに足らない虫でさえ、心の中には小さな真実を持っています。ましてやマジックを心の底から愛した人なら、その愛情の一点だけは評価してやらなければいけないと私は考えます。

 早く自分の間違いに気づいて、いつまでも愛好家を餌にして小銭稼ぎをせずに、自分のわがままを押し通さずに、自分は自分の才能で生きているなんて高慢な考えを持たずに、マジックの先人、マジックの仲間に生かされていることを忘れずに、わずかでもいいからマジックの世界に恩返しして欲しいのです。

 

 以上、最近マジック界に起こった四つの問題(そのうちの三つ)について私見を述べました。参考になれば幸いです。

 

 

間違いは間違い、嫌は嫌と言うべき

 ネットでの種明かしは前々から多くのマジック愛好家が問題視していました。

しかし、多くの愛好家が、種明かしで迷惑をこうむっているならなぜはっきりと迷惑だと言わないのですか。陰でネットで種明かしをしている人の悪口を言って、こそこそ批判して、それで問題が解決しますか。何が間違っているのか、どうしたらいいのか、

ちゃんと結論付けて、みんなでコンセンサスをまとめたらどうですか。

そう思って私はブログに書きました。

 

 もう一度申し上げます。

マジックの種仕掛けは、著作者のいるものはその個人のもの。そうでない作品、

(私は古典と申し上げました)はみんなの共有物です。

 共有物は、マジックを愛する人がそれを借りて演じることは認められています。

しかし、特定の人がそれを勝手に種明かしをしたり、自分の作品だと偽ることはできません。著作権がないから何をしてもいいということではないのです。仲間と共有している、という原則を踏み外してはいけません。

マジックの世界で活動したいなら、最低このルールは守らなければいけません。

 

  実は8月に、JCMAの田代茂氏は、ネットでの種明かしがあまりに目に余るために、有志の署名を集めて種明かしをした人,や奇術協会への抗議をしました。

私が見るところ、最も当然な活動と言えます。

 種明かしをした人の中に、奇術協会の役員、Tさんがいました。協会はその問題を真摯に受け止め、Tさんは役員を辞任しました。

ここまではマジック愛好家が権利を訴え、主張が通ったことになります。

 さて、この先に、田代氏自身が刑事事件に巻き込まれます。この事件がどういう理由で起こったのかは私はよくわかりません。ただしこの件は現在も係争中ですのでここでは述べません。時期が来たならお話ししましょう。

もう一度、昨日、私が最近のマジック界の問題と申し上げた四点を繰り返します。

 

一つ、ネットでの種明かしの問題。

二つ、マジック団体会長の刑事事件の問題。

三つ、マジシャンが起こした詐欺事件の問題。

四つ、アイディアの盗作、無断販売の問題。

 

 二は後回しにして、今日お話しする三つ目の詐欺事件の問題です。

この問題は既に現行犯逮捕されていることですから、逃れられないものです。

逮捕されたM君は、以前にも偽造カードの件で逮捕されていますから、彼に弁護の余地はないでしょう。

 私はM君を良く知っています。昨年暮れ、私が銀座博品館劇場で二日間リサイタルをした時に彼は二日間とも見に来ています。私からすれば、M君は、純粋にマジックの好きな、素直な若者でした。

 一昨年、岐阜でFISM予選があった時にもM君は、観客で見に来ていました。私はその最終日に名古屋で打ち合わせがあったために名古屋の新幹線口に出ました。そこで偶然M君と会ったのです。そして一緒に焼き肉屋へ行きました。

 私はM君がマジックの販売をしていることを知っていましたから。「どう、仕事はうまくいっているの」と尋ねると、「えぇ、まぁ」と言葉を濁しました。その様子から、彼の仕事の難しさを感じました。

 この時、M君はしきりに私にいろいろな質問をしてきました。それは昔からそうだったので、いつものことだと思って話をしました。私は彼よりも年上ではありますが、だからと言って世の中のことを何でも知っているわけではありません。(何でも知ってそうな顔をしているだけです)しかし彼の質問は矢継ぎ早でした。

 この時、私は彼が危ない所に来ているのではないかと予感しました。つまり自分の心の内を相談する相手がいないのでしょう。もっと頻繁に私のところに尋ねてきていたなら、一つ一つ解決策も話せたでしょう。あの時すでに、あまりに多くの問題を抱えて、身動きができなくなっていたように見えました。この後、カードの偽造問題で逮捕されてしまいましたから、内心は不安だったのでしょう。

 昨年の博品館劇場で私は、「蝶のたはむれ」を演じましたが、蝶を客席の通路まで行って飛ばしてみました。この時、M君は二日間とも通路側に座って見ていたのです。

彼はその蝶を実に素直な表情で見ていました。心のうちにマジックへの愛情が見える男だけに、何とか彼の心の内を救ってやりたいとは思いましたが、その後に話をすることはありませんでした。そして先月、八月の逮捕につながったわけです。

 逮捕されたときに彼は職業をマジシャンだと言ったようです。マスコミは面白がってマジシャンの詐欺事件として取り上げました。しかし私の知る限り、彼はマジックグッズの製造販売はしていても、マジシャンとして活動していた形跡は知りません。正直な気持ちとして、マジシャンとは言ってほしくなかったです。

 

 これを読んでいる方々はなぜ私がM君のことをこんなに詳しく書くのかとお思いでしょう。実は、ここにマジック界の大きな病いがあるように思うからです。彼は学生の時から、私のチームに頻繁に出入りしていて、私の一門の弟子修行に興味を持っていたのです。しかし私のチームに入ることはなく、マジックの販売のほうに進みました。

 彼が、私のもとで修業して、マジシャンとして成功するとは考えられないと思っていましたから、販売に進むことは妥当な選択かと思いました。徒弟制度は、弟子のマジック指導だけでなく、日常の生活や精神面をケアすることが私の仕事です。そこに彼は興味を持っていたらしく、その後も何かにつけて私に相談に来るようになりました。

 しかし彼の姿を見ていると、精神面のつながりを求めたいと思う反面。マジックを種仕掛けのみに置き替え、マジックを物として商売にして、利益を上げようという、即物的な仕事から離れられなかったように見えました。

 

 特定の作者のアイディアをDVDで解説して、グッズを入れて、ビニール袋に詰めて、5000円程度で販売する。悪いことではありません。しかし、そうした商売がこの先のトレンドになるだろうか。私は何度も彼にそのことを疑問として伝えました。

「時代はそこにないのではないか、ないとするなら、その商売はやがてうまく行かなくなるよ」

 あまりに狭い購買者のニーズに合わせて物を作って販売するということは、うまく行かないのではないかと危惧したのです。 物を物として販売することは限界に来ています。私は、この10年、マジック界は既に危険な時代に入っていると考えています。マジックの小道具に値段を付けて販売することも、マジックの種仕掛を教えることで、マジッククラブを維持することも、今あるコンベンションと言う催しそのものも、そう遠くない将来に、総崩れになる時代が来る。と予言します。いや、予言ではなく、これは私にとっては確定事項です。

 マジックというものが芸能であるなら、ビニール袋に入って、ぶら下がって販売している道具を買って、マジシャンになれるわけはないのです。指導するにしても、そんなに簡単に、二十代三十代の若者が、ネットで、にわか指導家になって名をなせるはずもないはずです。プロに関しても、ショップでわずかばかりの種を買った若者がすぐにプロマジシャンになれること自体、絶対嘘くさい社会だと、なぜ多くのマジック愛好家は気が付かないのでしょうか。それは全て幻想の世界なのです。

 

 私が杉並区役所に頼まれてマジックの指導をしたときのことですが、そこに習いに来ている人がいて、その人は私から習っていながら、同時にマジッククラブを作って、私から習ったものを指導していました。どうしてそんなことが成り立つと思っているのでしょうか。マジックとはそんなに安易な世界だと思いますか。しかしそれを許しているのはマジックの愛好家なのです。そんな社会がこの先も安定して続くと思いますか。

 

 マジックに値段をつければ、必ずその先は安売り合戦になります。そして安売り合戦の先にあるものは、ネットで只で教える種明かしに行きつきます。ネットで種明かしをする人たちを非難することはたやすいことです。しかしなぜそうした人たちが生まれたのか、そこを真剣に考えるマジック愛好家がいますか。

 

 M君が逮捕された姿を見て、あるいは、ネットでマジックの種明かしがおおっぴらにされているのを見て、あるいは単なるアマチュアが一年もしないうちにマジッククラブの会長になって、先生と呼ばれる姿を見て、あるいは、常に売っている道具を買い漁って、プロマジシャンが成り立っている姿を見て、この社会が丸ごと嘘の世界であることは誰が見ても明白でしょう。

 ほかのジャンルのミュージシャンや、俳優は七転八倒の苦しみで芸能活動をしているのです。ピカソはビニール袋に入った絵を買ってきて、画商に転売したわけではありません。ベートーベンはネットで聞いた音楽で交響曲を書いたわけではありません。自分に降りかかる苦悩を自分で解決して作品を作っていったのです。

 皆さんは何で今のマジック界がこの先も成り立つと思っているのでしょうか。この世界は間違いなく消えてゆきます。

 マジックグッズの販売も、指導も、マジッククラブの維持も、プロ活動も、なぜもっと真摯な気持ちで活動できないのでしょうか。M君の会社がグッズが売れないから詐欺に走った、それはやむを得ないことだとは言えません。しかし、彼の活動は、どこか生き方が安易だったように思います。マジックの世界に安易に生きた末に行きついた結論だったように思います。彼は、マジシャンに迷惑をかけて、マジシャンの地位を貶めてしまいました。悲しい結末です。

 

 私は今日、これから日本舞踊の稽古に出かけます。そして夜はホテルのパーティーに出演します。海外のお客様のパーティーです。60を過ぎた私が、毎月毎月先を心配せずに生きてゆけることに感謝しています。また、二、三日のうちにブログを書きます。

 

 

マジック界の様々な問題

 先月8月には、マジック界で、思いもよらない問題がいくつか起きました。

なぜこんなことが立て続けに起こるのか、実は、それぞれの問題は、大元をたどれば一つのことにつながります。私のところに意見を求めてくる方も多いので、ここは丁寧に私見を述べようと思います。問題は大きく四つあります。

 

一つは、ネットでの種明かしの問題。

二つ目は、マジック団体会長の刑事事件の問題。(これはまだ未決のことですので、完全に結論が出てから、近々お伝えします。)

三つ目は、マジシャンが起こした詐欺事件。

四つ目は、これは私にもかかわることですが、アイデアの盗作、無断販売の事件。

 

 ひとつずつの話が、どれも多くの問題を抱えていて、簡単にお話しすることはできません。今日は「ネットの種明かし」について書きましょう。

 

 ネットで種明かしをすることはいいことか、悪いことか、いや、それを語る以前に、種明かしがいいか悪いか、実は、マジック界はここに基準がありません。

種明かしはマジックにおいて最も基本的な問題ですが、これまで明確な答えが示されていないのです。 答えがないまま、頻繁に起こる個々の問題を、個々の人が、自己の裁量で対処しようとするから、常に判断が分かれます。種明かしをした側からすれば、

「マジックの普及のつもりでしている。なぜこんなに言われなければならないか、」

とか、「あの人は怒られないで、なぜ俺だけが言われるのか」などと、不満が残るでしょう。第一種明かしがいけないと言っても、何ら罰せられることがありません。多くの場合、やったもの勝ちになります。陰で話がくすぶるだけで、苦情は苦情のままに終わります。結果として、種明かしは繰り返されることになります。

 

 私が奇術協会の役員をしていた時には、度々種明かし番組を作るテレビ局があり、その都度私や、北見マキ、松旭斎すみえは抗議に出かけました(今から20年前になります)。抗議をして、テレビ局から謝罪文も取りました。しかし、いくら抗議をしても、ほかの番組で新たな種明かし番組がされたなら、全く鼬ごっこになります。それでも抗議を繰り返しました。私が種明かしに抗議しているときに、多くのマジシャン、またはアマチュアは、「抗議なんて無駄だ。結局テレビ局には勝てない。」と言う人が圧倒的でした。しかしそうではなかったのです。効果は徐々に現れました。

 テレビ局は、我々が思っている以上に、視聴者の好みを気にしますし、事の善悪に対して敏感です。ひとたび、視聴者から種明かしがばかばかしいからやめろと、攻め立てられるようになれば、番組を変えざるを得なくなるのです。

 実際、何度もテレビ局に抗議に行くうちに、テレビ局の内部でも、「種明かし番組を作ることは、結局弱い者いじめをしていることにならないか」という雰囲気が生まれてきました。私は抗議をするたびに、「立派な大学を出たプロデューサーが、人生をかけてする仕事ではないでしょう」と言いました。この言葉はプロデューサーにとってはかなり堪えるセリフだったようです。内心自分たちも種明かしなどと言う低レベルの番組を作ることを恥じていたのです。局内でも種明番組が冷淡にみられるようになり、彼らは、局内での評判も下がっていったのです。

 こうした交渉で私が学んだことは、たとえ法に触れていないことでも、人が嫌がることをする人には、根気よく抗議をすることが大切だと言うことです。種明かしをされたらマジシャンが困ることは誰でも判断がつきます。それをわかっていながら人の嫌がることを繰り返していると、やがて番組制作者は、組織からからも冷遇されてゆきます。

 

 大切なことは、我々が、迷惑をこうむっているということを、はっきり何度も、何年も、繰り返して言うことなのです。マジシャンが本心、種明かしを望んでないなら、ひたすら地味な活動を続ける以外解決の道はないのです。

 アマチュアは種明かしの問題を、プロマジシャンに押し付けてはいけません。プロマジシャンは抗議のために生活している人たちではありません。むしろテレビ局とは仲良くしてゆきたいのです。あくまでプロマジシャンは、マジック界の表の顔として生きてゆく人たちなのです。本来、多くのアマチュアはプロを支えてやらなければなりません。(実は多くのアマチュアはこの意識が希薄です)

 本来種明かし問題に動くべき人達は、各マジック団体や、マジックショップ、マジックメーカーであるべきなのですが。彼らは個々でネットで批判するひとはいても、組織として動こうとはしません。不思議です。

 彼らは何のためにマジック組織を起こしたのでしょうか。日本各地にあるマジッククラブは、毎月2つ3つのマジックを習い覚えるためだけの組織でしょうか。彼らがマジックを趣味とするなら、その何割かの時間を割いて、奇術界のために活動することはいわば義務なのです。義務を果たさずに、権利だけを主張していると、やがてそこに、一層わがままな人間がやってきて、今ある組織を壊してゆきます。

それが近年のネットの種明かしにつながるのではないでしょうか。

 

 ネットの種明かしはいけないことでしょうか、いけないとしたら何がいけないのでしょうか。各マジッククラブが毎月会員を集めて種仕掛けの指導をすることとネットのマジック指導は何が違うのでしょうか。こうした問題になぜマジックの団体は傍観者でいられるのでしょうか。迷惑なことをされたならなぜ抗議をしませんか。

 

 マジックは秘密を公表しないという原則によって成り立っている芸能です。ここに、純粋に不思議を演じようとするマジシャンがいたとして、その脇で訳知りにそのトリックを吹聴する人がいれば、それはマジシャンにとって迷惑です。映画館や、劇場で、今演じている芝居の結末を大声で言うような人がいれば、それは社会的に通用しない人なのです。そのことは誰でもわかることです。

ネットの種明かしはそれと同じことをしています。 ネットは無料で、だれかれの区別なく種が公表されてしまいます。そのことはテレビと同様です。何の気なしにつけたテレビからマジックの種明かしがなされたら、マジックに興味も何もない人ですら種が知れてしまいます。多くのマジックに無関心な人が、種を知ると、「なんだ、あんなことでマジックがされているのか」とマジックそのものを軽蔑して見るようになります。「いや素晴らしい。これでできるなら私もしてみよう」そう思う人は実はわずかです。知らなくてもいい人たちにまでトリックを公表する必要がどこにあるでしょうか。結果として、種明かしはマジックの価値を下げて、自ら下衆に落ちる行為をしているのです。しかも、そのことで迷惑するマジシャンがいることに無理解です。

 ネットで種明かしをしている人は、マジシャンをつぶしているのです。自分が広い意味でマジック界の一員である意識がないのです。秘密を公開せず、共有するというルールからはみ出しているのです。それでいて、「昔からあるマジックを種明かしして何が悪い」と居直る人がいます。そうです。古いマジックには著作権がありません。権利で種明かしを縛ることができません。しかし、古典はマジック愛好家がみんなで秘密を共有して守ってゆくべきものです。著作者がいないからと言って、勝手に種明かしをしてよいものではありません。今もその作品を現役で使っている人がいることに無理解なのはこの世界で活動する人のすることではありません。そうした自己本位な考えが、純粋にマジックを演じようとする人の活動を邪魔しているのです。

 人に配慮のない人が、種仕掛けを知っているという理由だけで、指導家となって、ネットで種明かしをしてもよいのでしょうか。種の知識を語る以前に、指導家となるならまず、人間関係をしっかり身につけなければならないのではありませんか。

 多くの種明かしをする人が言い訳とする、「マジック界の普及のために種明かしをしている」というのは、大きく目的を間違えています。種仕掛けだけとらえて、それを公表することでマジックが普及することなどありえないのです。それは種の暴露であって、マジックの普及にはつながりません。

 

 私のよう徒弟制度の中で育ったものは、師匠から習うことと言うのは、種仕掛けだけではありませんでした。まず人との付き合い方、あいさつの仕方、仕事先との応対の仕方、お客さんへの礼状書き、つまり社会でいかに生きてゆくかが修行のほとんどでした。それができた上でのマジックの稽古だったのです。人との付き合いができなければ長くこの道で生きてゆくことはできないのです。いや、仮に、生きたとしてもいい仕事は手に入らないのです。良いマジシャンが育つには、種仕掛けの指導だけではどうにもなりません。もっと人として基本的なことを繰り返し学ばなければ人は育ちません。

 話を戻して、マジック界は、優れたマジシャンが育たない限り、マジックの普及はしません。顔も映さず、手元だけ映ったトリック解説をいくら見ても、わかるのは種仕掛けだけです。その解説をしている人を尊敬しようとは思わないでしょう。多くの人は、愛すべきマジシャンが、いい夢を作り上げてくれた時にこそマジックを素晴らしいと思います。まず人なのです。優れた人を作り上げない限りマジック界は優れた社会にはならないのです。

 マジシャンがいくつトリックを知っているかが重要なのではありません。まずマジシャンに魅力があって、そのうえで極上の世界を見せてくれる人が現れない限り、多くの人は、マジック界に寄っては来ません。

 

 私はかつて、IBMやSAMやFISMのコンテストチェアマンに質問をしたことがあります。「なぜコンテストをするのですか」と、すると三つの団体のチェアマンは同じ答えを述べたのです。

「優れたマジシャンが欲しい。それも、マジック界の中で優れていると称賛されるようなマジシャンではなく、一般の観客が見て、マジックを素晴らしいものだと思ってくれるような、一般に通用するようなジシャンを育てたい。そうしたマジシャンが現れて、初めてマジックコンベンションにたくさん人が来るようになるんだ」

 日頃コンテスタントの演技を見て、スチールが見えるだの、流れが古いだの、種や、演じ方に文句をつけるチェアマンが、その実、芯から求めていたのは、人だったのです。優れたマジシャンが育たないことには、コンベンションに人が集まらないのです。

 冷静に考えてみてください。アマチュアのマジック団体も、メーカーも、マジックショップも、ネットの種明かしも、彼らの活動の究極的な目的は何ですか。優れたマジシャンを作ることにあるのではないですか。そこから逆算して、優れたマジシャンを育てることに反した行為はすべて間違った行為だと思いませんか。

 無論、みんなすべての人がプロマジシャンになれるわけではありません。ディーラーも、研究家も、アマチュアも、いろいろなマジック愛好家がいてこそのマジック界です。しかし芯となるものは優れたマジシャンを育てることにあるのです。

 

 先日ネットを見ていたら、レモンに通うカードを種明かししている人がいました。あれは無論古典です。昔は私も演じていました。優れたマジックです。今も現役で演じる人がいるはずです。それをネットで種明かしをしてしまうことに何の意味があるのでしょう。今、実際演じている人に迷惑がかかると思いませんか。

 古典の名作をネットで種明かしする資格がどこにありますか。それを公開して種明かししたものに何の勲章が手に入りますか。指導家としての尊敬ですか、わずかばかりのネット収入ですか。その見返りに多くのマジシャンから恨まれて何の得がありますか。仮に、そのネットを見てマジックを覚えた人は、優れたマジシャンになりますか、いや、そこから学んだ人は、種明かししている人と同じように、世間の見えない、種でしかマジックを考えられない狭い視野のマニアを作ることにしかならないでしょう。そこから優れたマジシャンが育ちますか。

 そもそも種明かしをする人は、自分がマジシャンとして見せる実力を持たないから種明かしをしているのではありませんか。種明かしをする人は自分が演じるマジックで人に大きな夢や喜びを与えられないから種明かしをするのではありませんか。わが身をもう一度眺めてごらんなさい。今の活動に将来がありますか。自分がマジックの世界で生きてゆきたいなら、仲間に迷惑の掛かるようなことはしないことです。そうした基本がわからない人が指導をしてはいけません。種明かしはマジシャンを育ててはいません。やっていることは限りなくマジックの価値を只にしてしまっていることにしかならず、行為は、種の暴露であり、自分の身過ぎ世過ぎの手段にしかなっていないのです。

 教える人はまず初めにしっかり学ばなければいけません。学ぶことは種仕掛けだけではないはずです。中途半端なままおかしな指導はおよしなさい。人の嫌がることはせぬことです。老婆心ながら申し上げます。