手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

日が差してきたか

 30日のヤングマジシャンズセッションはほぼ完売です。後は当日分の5席くらいを残すのみです。

 

 来月、14日、15日の猿ヶ京合宿は今のところ参加者は8名です。気分転換に温泉につかって、マジックのレッスンは如何でしょう。

 

 まだはっきりとは言えませんが、1月に東京と大阪、(ひょっとして名古屋)でマジックショウができる可能性があります。子供を対象とした企画で、子供は無料で公演を見ることが出来ます。無論、我々の出演料は支援してもらえます。有り難い企画です。

 この企画が通るなら、私の好きなメンバーを組んで、ショウの構成を考えてみようと思います。何とか若手もベテランも、みんなが舞台に上がれるように工夫します、ようやくいい流れになってきました。

 

人力車の笈(おい=竹で編んで作った背負い箱)

 今日は傘手順の稽古です。このところ傘を出す機会が増えて来ました。それは傘のエンディングに人力車を作って、私が人力車に乗って引っ込むと言うアイディアを考えたところ、予想以上に好評で、最近はこれを頻繁に演じています。

 松旭斎天一先生の明治時代のポスターに、七変化を演じている絵柄が描かれています。そこに、傘を利用して、人力車に見立て、支那人になって引っ込んで行く絵柄があります。これは面白い、早速真似してみようと、傘を二つ車輪にして、梶棒を二本、弟子と私で電車ごっこのように互いに棒を持って、私は中腰になってしゃがんで引っ張られて行きます。これなら確かに人力車に見えるのですが。先ず私が中腰で移動することが苦痛です。傘を二本しっかり押さえて、なおかつ梶棒まで手に持って、しゃがんで前に進むことがいきなり腰を刺激します。足はよちよち歩きをしなければいけません。ほとんど拷問に近い動きです。

 そこで新規に捨て箱を作り、あらかじめ上手に置いておき、その捨て箱に出した傘を飾り立て、演技が終わった後に、その箱に私が座って引っ込んでゆくと言う工夫を考えてみました。いろいろ苦労の末、2年前に完成しました。そして職人に注文し、一年半後に黒漆の笈(おい)が完成しました。

 いい出来です。舞台に置いてあってもこれが人力車になるとは誰も思いません。と言うのも、飾りつけの際に、人力車と気づかれないように、車輪の部分は少し高めに飾っておきます。初めから人力車のように見えては趣向が生きないからです。私が箱に乗る段になって、車輪が下がるようになっていて、初めて全貌が現れます。幸いどこで演じても好評で、あちこちで使っています。

 人力車で引っ込むことで傘も傘手順の小道具も、全て舞台から消え去って、舞台が素の状態に戻ります。これが私の望んでいた舞台です。道具をたくさん飾り立てても、終わった後に道具が残らない。次の背景に速やかに移行する。これが私の意図する構成です。結果としてとてもいい効果を生んでいます。30日にヤングマジシャンズセッションでこれを演じますので、ご期待ください。

 

この先コロナはどうなるか

 日本やアジア諸国ではコロナが収まりつつありますが、アメリカ、イギリス、フランスは依然としてコロナが収まる気配がありません。ラスベガスのショウは全部中止です。マジックキャッスルも店を閉鎖しています。ニューヨークの42番街も軒並み劇場は閉鎖です。アメリカの芸能人はどうやって生活しているのでしょうか。

 来年の秋までに、マジックキャッスルが再開されるなら、出演したいと思いますが。どうもその可能性は薄いように思います。今度の騒動で、アメリカマジック界が完全に崩壊しないことを願います。何とかマジシャンも生き延びて、来年秋頃には再会できれば幸いです。と。よその国を心配するほど私にゆとりがあるわけではありません。このままでは私もどうなってしまうのか予想もつきません。

 誰もがワクチン待ちの状況でしょうが、ワクチンはそう簡単には作れません。来年夏でもできるかどうか。そうなればオリンピックの開催も厳しいかもしれません。何かと言うと世間の話題に口を出してくる、小池都知事が、一切オリンピックの話をしないところを見ると、政治の世界ではオリンピック中止は既成事実なのかもしれません。

 オリンピックを当て込んでホテルを建設した企業は倒産の可能性があります。旅行会社、航空会社も危険です。えらい時代になりました。コロナはいずれ解決するに違いありませんが、今は神頼みの状況です。

 ただ、救いはあります。みんなが手洗いマスク、うがいをするために、今年はインフルエンザがほとんど出て来ません。インフルエンザだけでなく、風邪の類の伝染病がことごとく収まっています。今頃ならあちこちでこほこほ咳をしている人が多くいるものですが、今年はなかなかそうした人を見ません。手洗いマスクうがいは、大きな効果があるのでしょう。そうなら毎日マスクをすべきですが、この先、日常生活にマスクが定着して行くのはどんなものでしょうか。とても重苦しく、息苦しい生活です。

 

 どうも気持ちが腫れません。こんな時には、ぱっと頭を切り替えて、ハワイや、沖縄に行って、海を見ながらハイボールでも飲んでいたいものです。

 ハイボールと言えば、このところ缶のハイボールが流行っていますが、缶のハイボールウイスキーの香りが立ちません。ウイスキー本来の味わいに欠けます。私が好きなハイボールはバーボンのハイボールです。

 以前はバーなどでは普通にバーボンのハイボールが飲めたのですが、今はバーボンウイスキーそのものをあまり見かけなくなりました。味が濃くて、癖の強い酒ですが、炭酸で割ることで実に穏やかな味わいになります。炭酸で割ってもいい香りが建ちます。如何にも大人が飲む酒です。あれが私の好みなのですが、たまにはバーボンウイスキーを脇に置いて、肴はからすみを軽くあぶったものか、福井のへしこ、或いは炙った鯖で酒が飲めたなら最高です。

 ウイスキーと塩気の魚と言う取り合わせは、私に取っては体に悪いものばかりですが、バーボンの癖の強さは、塩気を呼びます。へしこのような、強烈な塩気でバーボンを呑むと、「ああ、いい人生を過ごしているなぁ」。と実感します。まぁ、何のかんのと能書きを垂れてもただ酒が飲みたいだけなのです。

 コロナからへしこに話が飛びましたが、気持ちを切り替えることは大切です。同じ悩みを持ち続けていると顔つきが悪くなります。やはり芸人はいつでも呆気羅漢と生きて行きたいものです。

続く

 

 

 

グランドデザインを考える

 昨日(26日)は、和田奈月と、その仲間がやってきて、水芸の稽古をしました。来月のテレビ出演のために、藤山流の水芸をいたします。以前にも奈月は度々私の型で水芸を演じています。然し何年も経つと、振りも甘くなります。そこで、昨日お浚いをしました。また、今回手伝う新しい仲間も稽古をしました。この出演で、奈月の水芸の仕事が増えることを願っています。

 どうも私は今週は忙しく、今日(27日)は、朝から舞台公演の件で打ち合わせがあり、午後からは生徒さんが2人習いに来まます。明日(28日)は、一日中、30日のヤングマジシャンズセッションの稽古。明後日(29日)はテレビ局との打ち合わせ。午後からは道具の荷物まとめ。そして30日はヤングマジシャンズセッションです。コロナ禍の中、毎日忙しいのは結構です。

 

ミスターマジシャン待望論を書き終えて

 昨日まではミスターマジシャン待望論を書きました。これは、マジック界の各セクションに手本となるマジシャンがいて、若手の指針となるような生き方をしてもらいたいと言う思いから書きました。随分反応が良く、900人くらいの反応がありました。

 マジシャンはいかにして、マジックで稼いでゆくかについてお話ししました。今、演じている演技がお客様の求めている演技でない限り、収入にはなり得ません。そのため何を演じるかについてお話ししました。

 その話の流れの中で、コンテストの評価を当てにするなと申し上げました。コンベンションに擦り寄って生きることも、必ずしも成功につながらないと書きました。

 更には、演技そのものを見直す必要があることを書き、絵コンテを描いてみてはどうかと提案しました。その例として、私の手順。大樹の手順を紹介しました。書けばまだまだ色々なことが書けます。然し、ミスターマジシャンはここまでとしました。

 

 コンベンションの問題点

 ところで私がブログを書き始めた時に、一番書きたかったことは、コンベンションについてです。私自身20数年前に日本国内でSAMの組織を立ち上げ、プロもアマチュアも含めて700人の組織を立ち上げました。そして、機関誌を発行し、年次開催で日本各地で世界大会を運営しました。日本で一番大きなマジック団体だったのです。

 しかし私は途中、SAMから離れました。それはコンベンションを運営することの間違いに気付いたためです。そのことは同時に私の人生の失敗でもありました。私が関わったSAMジャパンの10年間は私の人生の成功を遅らせました。

 無論、多くのプロ、アマチュアの皆さんから絶大な信頼を集め、SAMは活動しましたし、今でもあの組織が良かった、楽しかったと言ってくださる愛好家はたくさんいます。然し、私にとってSAMに関わったことは私と私の事務所を疲弊させました。もし、私がコンベンションに関わることなく、別の形でマジック界を支援していたなら、マジック界はもっともっと洗練された社会になっていたでしょう。

 同時に、もし、SAMに関わっていなかったなら、私はもっと大きな活動をしていたでしょう。現実に、SAM立ち上げ後の10年目に、SAMの実務を他の会員有志に任せた時、私はそこでできた時間で手妻の道具製作と、手順作りに没頭し、先にお話しした赤と白の手順を拵え上げ、その年の秋の芸術祭の大賞がとれたのです。私に1年時間があれば、それなりに大きな仕事はできるのです。

 そうならコンベンションに関わったことの何が問題だったか、そのことを書きたいとは思いますが、まだ書けません。余りに人に話せない問題がたくさんあるのです。もう少し時期を待たないと差し障りがあります。数年後に真実をお話ししましょう。

 

グランドデザインを考える

 絵コンテだの、グランドデザインだのと言う話をすると、マジシャンの中には、「それなら誰かに自分の演技のグランドデザインを頼もうか」。と考える人が出るでしょう。当然です。確かに一度自分の手順を第三者に客観的に見てもらって、どうしたらよりよくなるのか、を尋ねることは有意義です。

 然し、自身のメイン手順と言うのは、自身の人生に匹敵するくらいの宝物です。よくよく人を見てアドバイスを求めなければいけません。自分のメイン手順を、演出する、グランドデザインを描いてもらう。となったら、決して、身近な友人や、芸能界での実績を持たないような人に演出を頼んではいけません。

 実績と言っても、マジック界の中での実績ではなく、少なくとも、東宝や、松竹などの舞台で演出を手掛けている先生方に話を持ってゆくべきことなのです。それを恐れて、手近な仲間で間に合わせようとするから、芸能人として大きく扱われないのです。

 

 以前私が、キョードー大阪の社長、橋本福治氏にリサイタルの件で相談したところ、氏はその場で、東京のパルコシアターで一週間くらい公演してはどうかと言うアイディアを出してくれました。そしてすぐにパルコシアターに電話をしてくれました。

 その上で、「演出は誰にお願いしますか」。と聞かれ、咄嗟に人の名前が出ないで躊躇していたら、「三谷幸喜さんでいいですか」。と逆に名前を出されました。びっくりです。「いや、三谷さんなら申し分ありませんが、三谷さんが手妻の演出をしてくれるでしょうか」。「頼んでみましょう、三谷さんは初物には大変興味のある人です。手妻の演出と言うのは日本でまだ誰も手掛けていないでしょうから、日本初と言えば興味を持つと思います」。そう言ってすぐに三谷さんの事務所に電話をしてくれました。

 この時私は、つくづく相談する人は頼れる人に話さなければだめだと知りました。頭の上に重くのしかかっていた黒い雲が一気に晴れたような気がしました。初めから、「無理だ、きっとやってくれない」、と思っていては何もできません。人を介してでも、もっともっと前に出て、能力ある人に接して行かなければ本当の意味でプロではないんだと知りました。三谷幸喜さんは有難いと思うと同時に、自分がその人と話ができる立場になったことを嬉しく感じました。自分が一生をかけて作り上げた手順なら、決して責任のない人に演出を頼むことなどしてはいけないのです。

 プロと言うのは、外の世界のプロと対等に話ができる人のことです。テーブル一つ作るのでも、プロの職人に頼まなければだめです。初作はベニヤ作りでもいいですが、2,3年たって手順がまとまったのなら、プロに本物を依頼しなければいけません。プラスチック製のワゴンに風呂敷を巻いて、ガムテープで止めたような道具を使っていて、プロと称しても誰も信用しません。

 同様に、自分の演技の演出を人に依頼するなら、目いっぱい無理してでも本当の演出家を頼むべきです。そこに予算を投資できないなら、自分自身の芸術性を磨いて、自分で何とかすることです。本当の本物になってください。人は本物を求めているのです。

 

 ちなみにパルコシアターはその後、改修することになり、更にコロナの問題で出演は止まっています。でも、時期を見てチャレンジしてみようと考えています。

続く

 

ミスターマジシャン待望論 8

 大樹が私の所を卒業した後も、彼の活動は決して順風なものではありませんでした。何のかんのとその後3年くらい、私の仕事を手伝いつつ、自分の仕事をしていました。

 大樹は浅草にあった婦志多(ふじた=高級お座敷、今はありません)で、月に一回、自分の会を催していました。口コミでお客様を集め、一回5人とか10人と言った、いたって小さな会を開いていたのです。ところがここに、加山雄三さんが、裏道を散歩するテレビ番組で偶然訪ねて来ました。加山雄三さんはえらく大樹の手妻を気に入り、その番組の大半を大樹の演技に紹介してくれました。この番組に他局が刺激されて、テレビ番組で大樹を使うようになり、大樹は少しテレビで顔を売るようになりました。

 いい流れです。私も何度か座敷で手妻をしていて、テレビに撮ってもらった経験があります。ただ、私が座敷で手妻をするのでは寸法が収まり過ぎていて、当然なのかもしれません。やはりここは、古い料亭で、20代の若いマジシャンが活動していると言うところがテレビ局にとっては新鮮な話題になったのでしょう。

 その後、大樹はマスコミに露出したお陰で仕事も増え、ようやく自活して行けるようになりました。そうした中、2018年にアメリカのペン&テラーが企画している、フールアスと言うテレビ番組に出演して、「七変化」を披露し、そこでペン&テラーに絶賛され、人気に火が付いてきました。その映像は無断使用でSNSで流されたにもかかわらず、1000万回以上の再生を記録し、たちまち海外から仕事の依頼が殺到しました。コロナさえなければ今も海外を飛び回っていたはずです。

 

 この大樹の活動こそがマジック界に大きな成果をもたらしました。今までコンベンションのコンテストに出場して、タイトルを取ることがマジシャンの成功の道だと思っていた若手に、いきなり、マジシャンにとってコンテストは必ずしも成功の道ではないことを実践して見せたのです。もっと外に出て、外の観客を相手にしない限り、本当のチャンスは来ないんだ。と言うことを身を持って示したのです。

 大樹の成功は、近年のマジック界の活動がともすると先行きが見えなくなり、全体に閉塞感が漂っていたいたことに対する打開策であったと思います。彼の活動にすぐ反応して、片山幸宏さんは同じくフールアスにチャレンジして、そこで優勝をしています。片山さんはFISMで第三位を受賞していますが、その後どう活動してよいのか悩んでいたようです。思い切ってアメリカのテレビに出て行ったのは成功です。

 無論、外に目を向けているのは、大樹だけではありません。タンバさんのように、海外の劇場のオーディションに積極的に申し込んで、そこで出演を勝ち取っている人もいます。彼のしている活動こそが、本来多くの芸人が生きて行く方法なのです。とてもいい流れです。もっともっと多くのマジシャンが、マジックの組織や、アマチュアの活動に頼ることなく、外に外に出て行ってくれたらいいと思います。

 

 ただし一つ申し上げておきます。大樹の成功からアメリカやヨーロッパのテレビ番組を狙うマジシャンは増えてはいます。それは間違いではありませんが、大樹の根本の成功はそこにはありません。彼が5人10人と言う小さな会を毎月続けていたことにこそ成功のカギがあります。

 彼は婦志多から頼まれて手妻の会をしていたのではありません。大樹自らが頼み込んで座敷を借りて会を始めたのです。店は別段自分のお客様をそこに呼んでくれるわけでもなく、全く大樹が料金を支払って、自前で座敷を借て会を催していたのです。

 そんな状況ですから、一回一回の公演は利益が出るどころではありません。毎回維持して行くのがやっとだったでしょう。然し、毎回会を開催すると言うことが大きな成功につながります。

 それは、私が今も人形町玉ひでで、20人程度のお客様の前で毎月手妻を見せていることと同じです。それ自体は利益は出ません。しかしそこで会を催していると、例えば、テレビ局が、取材したいとか、私の番組を作りたい、などと言う話が来た時に、

 「藤山さんは今どこに出演していますか」。と問われて、別件で頼まれた会社のイベントのパーティー会場等をテレビ局に紹介することはできません。とは言え、「いえ、どこにも出演していないんです」。と言ったら話は前に進みません。出演している場所がないと言うことは売れていないことになってしまいます。そこで、「毎月玉ひでの座敷で手妻を見せています」。と言えば、テレビ局は「そこを取材させていただいてもいいですか」。と話がつながって来ます。

 これが大きなチャンスなのです。毎月必ず出演している場所がある。しかもそこはレストランや、酒を提供する場ではなく。純粋に「藤山新太郎を見る会」がある。と言うことが、テレビ局の信用を大きくします。多くのマジシャンはそこの価値に気づいていません。「少人数の公演なんかしたって手間ばかりかかって全然儲からない」。と思っています。それは目先の数字でしかものを見ていないのです。

 大樹は私のところで学んでいますから、会の大切さを知っています。小なりと言えども、自分の支持者を集めた場所で手妻を見せる。それが毎月開催されている。これがどれほど大きなチャンスを生み出すかを知っているのです。

 小さな会でも毎月開いて、自分のお客様を作って行くのです。そして、そこで、日頃演じないような珍しい演目を見せて行くのです。毎月のことですから、レパートリーはたくさん必要です。たくさんの演技を持っていれば、あらゆる仕事に対応できます。日頃の努力を惜しんで何もしなければ何も生まれないのです。

 大きな収入を生むためには小さな投資を繰り返さなければいけません。そこを怠るとマジックの活動は急にさび付いてきます。と、私が日ごろ弟子や若手に言っていることではあっても、言葉だけでなく、実践して成功したマジシャンが出て来ると、私の発言も価値を持って来ます。これは私の自慢ではありません。どうしたらいいマジシャンが育つかと言うノウハウを皆さんにお伝えしているのです。

 漠然と将来を悩んでいたり、コンベンションに寄りかかって生きていても、可能性はわずかです。もう少し広く物を見てください。プロになる方法、プロとして生きる道はもっともっと他にあるのです。

ミスターマジシャン待望論 終わり

 

ミスターマジシャン待望論 7

 さて、大樹は、「七変化」の手順ができると、それをFISMのコンテストに出したいと言い出しました。大樹のこれまでの行動を思えばそれも理解できます。然し、私は正直な気持ちで言うなら、コンテストに出ることは無意味であると思いました。

 ここまでの手順を作り上げたのなら、もうコンテストの評価を求めるレベルではないと考えていたからです。多くの若いマジシャンにとっては、FISMに出て、そこでチャンピオンになることがマジシャンとしてトップになる道だと考えています。しかしそうでしょうか。

 私の経験で言うなら、これまで三度FISMのゲストに出演しました。(横浜大会、リスボン大会、北京大会)そこで、リスボンでは蝶を演じました。北京では水芸を演じました。日本のマジシャンで三度FISMのゲストに招かれたのは私だけです。然し、私自身は少しも満足のゆく演技はできませんでした。恐らく私の演技を見た多くのFISMの参加者も、私を高く評価をしてはいなかったように思います。

 無論、終演後は多くの海外の愛好家がが寄って来てくれて喜んではくれました。そもそも私の演技は世界的にも珍しいものですから、面白がってはくれます。然し、それは私の意図する評価ではありません。世界大会であるなら、着物を着たマジシャンと、中国服を着たマジシャンと、頭にターバンを巻いたマジシャンがいれば、見た目に世界大会に見えるから呼ばれたような気がします。どうも、マジック大会の中の色物のような扱いです。私自身、毎回、演じた後に違和感を感じました。一言で言うなら私が求めている世界とは違うのです。

 FISMの観客も、FISMの審査員も、役員も、彼らが求めているものは、簡単に言えば、指の間に物を挟んで、その物が増えるマジックが好きなのです。それが次々、現象がかぶさって、どんどん不思議が生まれてくるようなものに熱狂し、そこに理由なんて求めないのです。因果関係の全くない、ただただ不思議な現象が続いて行く演技が好きなのです。それは私から見たなら、芸能芸術とは程遠く、ただただ順番にびっくり箱の蓋を開けていくような、こけおどしにしか見えないのです。

 もし、そうした演技を私が納得できるものなら、私もこの世界に残って、彼らを追いかけて、少しでも彼らに近づこうと努力をします。然し、どう見ても彼らのしていることは一般の芸能の世界では食べて行ける代物ではないように見えます。「あんなことをしていたら、仕事にならないだろうなぁ」。と思うような演技ばかりなのです。

 それはFISMに限らず、IBMでもSAMでも、コンベンションの中で催されるコンテストは、見るたび疑問を感じます。中には優れたマジシャンもいますが、どうしてもコンテストで評価されると、コンベンション的なものの考え方が育って、一般の舞台仕事と違和感を感じるような演技が出来てしまいがちです。

 

 私が育てたいと思うマジシャンは、狭い世界のヒーローではなくて、どんな舞台に出しても喜ばれるようなマジシャンなのです。他のジャンルの芸能人に混ざって光り輝いているようなマジシャンを育てたいのです。

 そうした芸能人にするにはどうしたらいいか、そう考えて新しい手順のコンセプトを立ち上げたわけです。然し出来上がった作品でFISMに出て、評価を求めると言うのは私から見たなら逆走しているとしか思えないのです。

 FISMの審査には10年ほど前から芸術点と言う点数が加味されました。然し、審査員の中で芸術を理解している人がどれだけいるのでしょうか。何を芸術と心得ているのでしょう、そして、どんな点数をコンテスタントに下すのでしょうか。審査基準にも、何が芸術なのかと言う基準が示されていません。曖昧なままに審査がなされています。

 私は大樹に、もっと大きな世界に出て、自身の演技を訴えたほうがいいと言いました。少なくともコンベンションでの評価よりも、マスコミや劇場などで、一般の観客を対象とした評価のほうが大切だと思います。実際、私自身そうした場所で評価を得て、今日まで活動してきたわけです。

 

 然し、大樹はコンテストに出て見たかったのでしょう。結果は、アジア代表には選ばれました。然し、本選での入賞はありませんでした。

 FISMの審査員には、親狐が子を思う情も、お寺の鐘のゴンも響かなかったのです。この時のアジア予選は香港で開催され、私も参加しました。然し向こうに行ってみると、大方の流れは韓国にあって、ユ・ホジン、やルーカスの人気がコンテスト前から高く、実際のコンテストの演技も素晴らしいものでした。

 かつて、日本のSAMのコンベンションにやってきていた韓国人を思えば、彼らのレベルは数段成長していました。個々のマジシャンの実力も上がっていました。

 然し、それはコンテストの中で見た評価に過ぎません。彼らがしている演技でマジシャンとして生きて行けるかどうかと考えると、疑問だらけの演技です。

 

 かつて、彼らは日本に来た時に、みんなマーカテンドーに会いたがりました。マーカテンドーはスライハンドで海外で評価を受け、FISMで入賞し、マニュピレーションを目指す若者のスターでした。然しその彼がスライハンドでは生活が出来ず、常にそれほど売れるとも思えないようなグッズをブースに並べて、道具販売をしていました。

 彼を追いかける世界中の若者が、彼を尊敬するのは素晴らしいことですが、なぜ、彼の姿を見て、食べて行けるスライハンド演技を模索しないのか、私には常に疑問でした。そして、マーカテンドーの生き方はそっくり韓国のマジック界に継承されました、韓国の若手は必死になってスライハンドを稽古して、FISMを目指しました。そして彼らはチャンピオンを獲得しました。素晴らしいことです。

 然し、いかにしてスライハンドで生きて行くかについての答えを出してはいません。マーカテンドーの苦悩をそっくり受け継いでしまっています。いや、マーカテンドーより始末の悪い結果です。彼らは、糸ネタを使い、黒ネタを使い、角度の浅い手順を平気で作りました。そして入賞しました。然し、その手順をどこの仕事場で見せるのでしょう。一度こっきりのコンテストなら、どんな手段を使っても何とかなるかもしれません。然しその先どうやって生きて行きますか。

 結局、苦労して作った種を売り、ビデオを売って生活するしかないのですか。それではマーカテンドーと同じです。マーカテンドーに憧れて、生活まで真似てそれで満足ですか。彼らは次の時代のスライハンドマジシャンの生き方を示していないのです。

 そんな相手と大樹は戦わなければならなかったのです。然し、大樹は、FISM本選に出てわかったようです。私が、「もうこの先はプロとして生きて行きなさい。特定のアマチュアを相手にするのではなく、マジックを自分自身の仕事とするには、どんな場所でも、どんなお客様にも喜んでもらわなければ生きては行けない。自ら条件を付けずに、みんなが喜ぶ演技をしなければだめだ」。大樹は私の言うことがわかったようです。

続く

 

 

ミスターマジシャン待望論 6

絵コンテを作ってみる 3 「七変化」

 大樹が考えた「変面」はSNSでは再生回数が1000万回を超え、国内、海外でも大変な話題となりました。これがどう作られて行ったのかをお話ししましょう。

 大樹は、学生の頃に既に変面を演じていました。それはいわゆる中国の芝居の影響をうけた物で、このころ、仕掛けを売り出しているマジックショップがあり、それを買って応用したものでした。

 大樹はこれを大幅に改案して、自身の得意芸にして行きたいと言っていました。着眼点は良いかと思います。然し、私はいくつかの問題を感じました。そこで私はコンセプトを立ち上げ、提案しました。

 

1、和で演じる

 私が見せてもらった学生時代の大樹の演技は、ベトナムの衣装のようなものを着て、変面を演じています。これを得意芸にして生きて行くには、和服に直さなければ、売れません。面も、日本的な面に直して、面が変わるたびに、所作や、舞踊で、日本の市井風俗を表現しなければ、芸能になりません。大樹は学生時代から日本舞踊をしていましたから、それを生かさない手はありません。まずそこを改良して、和に直して、芸能としての演技を作らなければいけません。

 

2、不思議さを押さず、役を演じ分ける

 1でも述べましたが、面が変わることの不思議さを強調するのではなく、変わった瞬間から別の人格を演じるから芸能になるのです。舞踊の衣装変わりは、例えば「道成寺」のように、衣装が変わった瞬間に、それまで年増(としま=既婚の女性)を演じていたものが、十代の娘に変わって、幼い娘を演じ分けるから芸になるのです。

 或いは、舞踊の「三つ面子守り」のように、持っている面で、色々な年代の男女を即座に仕分けて見せるから芸能芸術たりうるのです。

 マジックの変面が物足りないのは、役を演じ切らないからです。ただ、顔が変わる変化を不思議さだけで引っ張ろうとするから、何回か変るとお客様に飽きられてしまうのです。不思議を押し売りせずに、演じ分けることの面白さに主眼を置かなければ長く伝えて行く芸にはなりません。

 

3、なぜ変面をするのか

 変面は、なぜ変わるかと言う理由がないのです。理由もなく面が変わります。いわば不思議の押し売りを繰り返しているのです。確かに初めは面白いのですが、お客様にすれば、理由のないものを長々と見せられていると、やがて飽きて来ます。そこで、なぜ変面なのかと言う、コンセプトを作り上げなければいけません。

 私は、狐を主役に仕立てて、狐が街道をゆく旅人を驚かせて、旅人の弁当などをくすねて、穴倉で待っている子狐に持って行くと言うストーリーを考えました。何度も変わる変面は、狐のたわいもないいたずらなのだと言うことを始めにテーマにします。そして、時々出て来る自身の素顔も、実は、狐の化けた姿なのだと言う設定にするのです。あくまでこの物語は狐の話なのです。 そのため、話の初めと終わりは狐でなければいけません。このことは次の考え方につながって行きます。

 

4、ビッグフィニッシュを作らない

 演技のお終いに大きなものを持って終わらないようにしなければいけません。大きなものや、たくさんの物を出すことはマジックとしては常套手段でも、芸能としての品位は低くなります。物で終わるのではなく、大きな感動を与えることが必要なのです。たくさんの物を手に持って終わるのではなく、たくさんの感動をお客様に与えなければいけません。感動を物で済ませてしまうからマジックは意識の低い芸能に見えるのです。

 世の中の名人と呼ばれたマジシャンはそのことがわかっています。フレッドカプスは、握った手から塩がこぼれて行って終わるだけです。チャニングポロックは一羽の鳩を空中に投げてハンカチに変えて終わりです。いい芸能は、何を出したかではなく、終わった後に余韻を残します。

 大樹の変面も、いくつもの面を手に持って終わるのではなく、お終いは狐に戻って、旅人からせしめた弁当を急ぎ子狐に持って行こうとする母心に変わり、小走りに走り去るようにしたらどうかと話しました。去った後には、お寺の鐘の音が、ゴーンと聞こえます。それを聞いたお客様は、「ああもう夕暮れなんだなぁ。きっと母狐は腹を空かせた子狐のために帰って行くのだろう」。とお客様に思わせたなら成功です。つまり取りネタは、お寺の鐘のゴーンです。こんなフィニッシュはマジックにありません。

 これがすなわち手妻の発想なのです。物を出して終わるのではなく、例えば傘を出して、侍が一人立っている姿を演じて終わります。傘を出す不思議が結末ではなく、侍が一人立つ、孤高の姿こそがフィニッシュなのです。ここの味わいがわかると、人は手妻から離れられなくなります。

 

5、私は大樹に一つだけ、ネタに関わる提案をしました。それは、中国の変面は平たい面が多いのですが、できれば立体的な面を出せないかと言う点です。

 これは言うのは簡単ですが、実現は難しいことです。然し、大樹は工夫して狐の面や、髭が付いた面、角の付いた鬼の面を出しています。変面を得意芸としたいなら、変面の弱点をしっかり理解して、そこを克服しておかなければ、この一芸で長く生きて行くことはできないと思います。

 

 私が大樹に伝えたことは、マジックの種ではありません。イフェクトや、ギミックは全て大樹が考えたのです。実際製作を始めると、売っている変面のキットを買ってくるだけでは解決しません。衣装を和服に変えたことで、従来の変面の仕掛けは全く使えなくなりました。全く新しいギミックを考え出さなければならなかったのです。細かなトリックもすべて大樹が考案したものです。

 ここまでお話すればもうお判りと思いますが、私は、大樹にマジックを教えてはいません。コンセプトを伝えました。そして、全体の漠然としたラフな絵コンテを描いて見せただけなのです。これは自動車会社と、ジウジアーロなどの工業デザイナーとの仕事の仕方と同じです。

 私のしたことは、ジウジアーロの絵コンテです。演技の全体デザインを伝えることで芸能としてのアドバイスをしたのです。それが大樹の演技を骨太なものにしました。結果、この作業は大きな成功をもたらしました。手妻に新しい作品が生まれたのです。

 

 この演技が出来てから、私は、私が引き受けている文化庁の学校公演で、大樹の変面を一演目として取り上げました。学校公演は、8人の邦楽演奏家による生演奏です。作曲も杵家七三(きねいえなみ)師匠に依頼しました。連日子供たちの前で、生演奏で大樹の変面を見せたのです。拍手大喝采です。

 然し、演じる側はまだまだ慢心できません。毎回、部分的な演技の長短を秒単位で手直しして、少しずつ演技を仕上げて行きました。そして音楽を録音をし、曲は完成しました。こうしてどこに出しても恥ずかしくない「七変化」が完成したのです。

 但し、このあと、大樹と私の考えが分かれます。それはまた明日お話ししましょう。

続く

 

ミスターマジシャン待望論 5

絵コンテを描いてみよう。

 自分自身が何をしたいか、それを実現させるためにどんな世界を作り出したいのか。一昨日、昨日は そのことをお話ししました。さてここでいよいよ絵コンテを描いてみます。絵コンテは夢を現実に形にして行くための下書きになります。

 実はこの時が、私にとっては一番自分自身が創作に関わって、格闘する時で、アーティストとしての充実を実感する日々になります。

 

 一昨日、話の途中になっていた、自動車会社と工業デザイナーの関係ですが、自動車会社は何も工業デザイナーに依頼しなくても自動車は作れます。全ての自動車部品は自前で作り出せるのです。然し、彼らは、外部のデザイナーに自動車のデザインを求めます。なぜそんなことをするのでしょうか。

 それは自動車会社が作る部品はあくまで素材なのです。言ってみれば、マジックショップのネタの製作と同じです。ネタはいくらあっても、それは素材であって、芸能芸術にはなり得ません。何万点もある細かな部品を、どうやって未来の自動車にして行くかはコンセプトを作り上げて、全体をひとまとめにして行かなければできません。

 自動車を客観的なものの見方で眺めて、アートとしてまとめ上げて行くのが工業デザイナーの仕事です。工業製品にアートが必要か、とお考えでしょうか。「自動車は動けばいい」。なんて言っている人に限って、自分が自動車を買う時にはボンネットを開けることもしないで、外見だけで何百万もする車を買っています。結局人は外見で車を判断をしています。然しそれはあながち間違った判断ではありません。車の外見は、内部の部品のバランスの総合結果によってできているからです。

 そもそも車作りとは矛盾の塊なのです。室内を広くしたい。しかし、車のボディーは小さくしたい。それ矛盾です。確かにボディーの鋼板や骨格を薄くすれば多少は解決します。然し、そうすると事故から運転者の体が守れなくなります。もっと車を丈夫に作りたい、然し、燃費は良くしたい。またまた矛盾が発生します。

 自動車の製作過程の本を読んでいると、初めにベルトーネがラフに描いた自動車の絵が、実際にパーツの専門家とのせめぎあいで少しずつ修正が加えられてゆくのがわかります。時に複雑怪奇な車が出来上がったりします。それでも、名車と呼ばれるものは初めに描いた夢が必ず残されています。ここが車作りにコンセプトが守られているか否か、リーダーの力が発揮されているか否かの分かれ目なのでしょう。

 自動車とは妥協の産物なのです。芸術として許せるか否か、製品として満足できるかどうか、安全は、燃費は、走りは、居住性は、そのせめぎ合いが自動車を作るのです。いい車はボンネットを開けて見るとわかります。いい車は綺麗にパーツが収まっています。いいものは必然的に美しいのです。

 

 車の話が長くなりました。自動車会社と工業デザイナーの合作が車を作ります。我々マジシャンは、創作をする時に、その二つの矛盾した作業を一人でしなければなりません。ここはセンスが要求されます。私の演技で言うなら、結局、傘の7分間の演技も、蝶の7分間の演技も、すべて、細かなパーツに至るまで全て一から作る結果になりました。傘も、テーブルも、衣装も、シルクの帯も、ギヤマン蒸籠も、二つ引出しも、蝋燭台(ろうそくだい)や毛氈(もうせん)に至るまで、全部注文製作です。

 注文制作などと言うと、職人に口で言って、作らせているだけのように思うかも知れませんが、見本となる初作はすべて私がベニヤ板を切って製作します。色もデザインも私が塗ります。この世にないものを作るのですから、すべて私の夢を実現させるために、へたくそな道具作りをしてとにかく作ります。

 仮の道具が揃ったなら稽古です。そこで初めに戻って、絵コンテが稽古に活かされます。いろいろ作った道具ですが、使えるものもあれば駄目もあります。ギヤマン蒸籠と、二つ引出しはよくできた道具でした。どちらも過去にないいい作品になりました。

 然し、7分の演技に同時に二つの作品を収めると言うのが困難でした。蒸籠だけでも4分かかります。引出しも5分かかります。これだけで9分です。そこにオープニングの帯と真田紐が入ります。合計11分を超えてしまいます。何とか全体で7分以内に収めなければ、蝶と合わせて15分の手順になりません。

 ここから先は秒単位で時間を詰めて行きます。その時に役に立つのが、絵コンテです。同じ動作を避けて、30秒ごとに変化のある舞台を作らなければお客様は退屈します。1分経っても、2分経っても絵柄が変わらなかったらそれはだめな演技です。平坦な変化のない演技なのです。

 蒸籠のシルクの取り出しは、繰り返し動作が目立ちますので、相当に詰めなければならなくなります。引出しの玉の移動も詰める必要があります。稽古をしながら、動作を省き、なお且つ、いいハンドリングではあっても似たような現象は取り去って行きます。ここは涙の出るほど苦しい選択を迫られます。

 結果、蒸籠は1分30秒にまで縮まりました。引出しは3分30秒。蒸籠と、引き出しの二作が収まって7分で仕上がったのです。奇跡です。

 細かなギミックや、ホルダーも作り、色々試行錯誤があって、数年後に手順が完成します。さてそれから、指物師や蒔絵師に依頼して、本格的に道具の製作をします。

 全部できたならアトリエに並べてみます。すると、今までにない妖しげな光がさし込んできます。まるで江戸時代の世界から運んで来たように見えます。全くマジックの匂いがありません。二百年前の手妻遣いが使っていたかのような道具立てです。

 更に、邦楽の演奏家に作曲を依頼します。秒単位で内容にあった曲を作ってもらいます。それが出来たら録音です。

 全部できて、小道具を並べ、衣装を着て、音楽をかけて稽古をしてみます。これこれ、これです、私が夢に描いていた世界は、こういう世界の中で手妻を演じて見たかったのです。私の夢がようやく形になった瞬間です。

 

 私のこんな姿を弟子はいつも見ていますから、彼らが新作を作るときも同じような作業で創作をします。大樹の狐のお面の演技も、彼が弟子のさ中に制作したため、随分アドバイスをしました。明日は大樹の変面についてお話ししましょう。

 

 

 

ミスターマジシャン待望論 4

絵コンテを描いてみる 2 

 昨日の話を続けましょう。3分半であろうと7分であろうと、どんなマジックをするかを考えるときに私は、こまごまとしたトリックのことは考えません。私の場合は初めに大きな全体のイメージを作り上げて、その後イメージに沿って細部の内容を考えるようにしています。 先にお話しした傘の手順の大きな構成はこうです。

 

1、全体を赤で統一する。

 使うものはほとんど赤いものを出します。これは傘の手順の後に演じる蝶が、白い世界(白い紙、白い蝶、白い滝、白い吹雪)であるために、その反対の色を考えました。

従いまして、赤い帯、赤い傘、赤い風呂敷、赤い小切れ、殆どの物は赤を使っています。引出しで唯一白い玉を出しますが、これも後で赤に変わります。

 しかも演じる内容はプロダクション物ばかりです。どんどん物が増える、おめでたいマジックです。物が増えることに理由はありません。単純に増える喜びを表現しています。つまり現実の利益を喜ぶ世界です。

 

2、考え方をまとめる。現世利益の世界

 現実の利益は、仏教では「現世利益(げんぜりやく)」と言います。現世利益とは、賽銭箱に小銭を投げ入れて、「大学に合格しますように」。と願うこと、これが現世利益です。本当に世の中に神様仏様がいたとしても、神様仏様が小銭を貰って、個人の欲望を満たす義理はないのです。賽銭を貰った人を合格させて、くれなかった人を落とすようなことは、神仏(かみ、ほとけ)はしないはずです。然し人はそれを望みます。良くも悪くもそれが人であり、それが現世利益です。ここを否定すると寺社は人が集まらなくなります。でも、宗教の本質ではありません。

 人の欲とは裏を返せばわがままです。わがままが前提に自己の幸せを求めているのです。誠に不安定な世界です。然し、欲に裏打ちされていますので、たくさんの人が集まり、その世界は派手で華麗です。

 

 ついでに申し上げると、その先の蝶の演技時は変化現象です。どんどん移り変わって行く世界を表現しています。これは「無常観」を語っています。物は一つとして同じところにとどまらず、なり替わり立ち代わり生きて行く姿が無常観です。いわば哲学の世界です。私は、蝶の無常を語りたいが故に傘出しの現世利益を前半に持って来ました。

つまり、赤い世界と白い世界の両方が人の営みなのです。そして、赤と白は日本の国旗です。現世利益も、無常観も、日本人の考え方なのです。

 

3、傘をたくさん出さない。

 傘出しの手順なら、傘を何本も出すべきです。然し私は、ポツンポツンと一本ずつ、計四本出すだけです。寂しい傘出しです。なぜそうするか、傘は雨が降ってきたときに一本あればいいのです。二本は不要です。小さな所作をする場合でも、一本あれば十分世界を表現できます。自分の世界を作り上げるのにたくさんの傘は不要です。要所要所に一本ずつ、計四本出せば十分なのです。たくさん出そうとするから、衣装が膨らみ、手順に無理が出ます。一本の傘で世界が語れるならそれでいいのです。

 

4、初めと終わりを統一する。

 昨日書きましたように、私の手順は、初めの傘を出した後に、雨が上がっていることを知り、傘を脇に置き、そこから雨上がりのほんの数分間、太夫が様々なことを思いつつ遊びをします。そしてそのさ中に、また、雨がぽつりと降りだしてきて、4本目の傘を出し、初めの時と同じ見得を切って終わります。つまり、ほんのわずかな晴れ間の時間、太夫が天心無衣に遊んでいる姿を表現して見たのです。

 

5、前半は楽しげに、後半はあえて味付けをしない。

 前半の傘手順は面白そうに、単純に不思議を強調して、軽快に手妻を演じます。後半の蝶の手順は、表情を入れず、じっくりと淡々と演じています。そうすることがよりお客様に無常観が伝わるだろうと考えたからです。幸いにこの手順は評判がよく、多くの新しいお客様の支持を得て、多くの仕事先が開拓できました。

 

 傘出しも蝶も20代から演じてはいますが、全体の手順が出来たのは40歳です。それから今日まで25年、この手順は水芸とともに、私のメインアクトとなっています。

 話を元に戻しましょう。1から5までをお読みになればわかるとおり、私は、一つとしてマジックから手順を考えていません。勿論、引き出しとか、真田紐とか言った古典の作品を演じていますが、それさえも、旧手順とは違います。この手順のために新たにアレンジを加えています。原作とは全く違ったものも考えています。

 つまり、自分がどんな世界を作りたいのかと言う全体のイメージが初めにあって、そこから一つ一つマジックを集めて行ったのです。発想はまるで逆なのです。これは創作活動においてとても大切なことです。

 イフェクトやハンドリングをつなぎ合わせるだけで手順を作ってしまうと、観客に伝えるものは何もなくなってしまいます。なぜなら、手順もハンドリングも、マジシャンの都合だからです。

 始めに予言の封筒を出して、カードの予言をする、次に、四つの山に分けたデックから4枚のエースが出てくる。それは結構なのですが、予言も4Aもお客様が望んでいるものではありません。自身の都合で並べたものなのです。それを状況説明しながら順に演じて行く姿は、マジシャンの都合をお客様に押し付けているだけなのです。

 よく考えてみてください。マジシャンは何をお客様に伝えたいのですか、現象も、手順も、それはマジシャンが受けるための手段です。しかしそれらは何一つお客様が持ち帰って、家の家族に伝えるものにはならないのです。

 もしマジシャンは、伝えるべきものを提供していれば、そのマジシャンの舞台は、次から家族が見に来て、その家族は友達を紹介して、その次にはお客様がどんどん増えるはずなのです。しかし現実はどうですか、客席はマジックの好きなマニアばかりが集まって、演技中にメモを取って、イフェクトや演技のハンドリングを細かく書き込んでいるような人が結構います。どんな人がいてもお客様であることには変わりはありませんが、これでマジックの世界が爆発的に観客が増えるわけはないのです。

 本来マジシャンが伝えなければならなに自分の夢をお客様に伝えていないのです。マジシャン自身が夢を見失って、マジックの世界の些末な技にこだわっているのです。そうならそこに観客が集まらないのは当然のことなのです。

続く