手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

もうマスクはやめよう

もうマスクはやめよう

 

 相変わらず電車などに乗っていると、誰もがマスクをしています。周囲に気を使って、マスクを外せないのでしょう。然し、この光景は異常です。インフルエンザが大流行をした時ですら、これほどみんながマスクなどしませんでした。

 インフルエンザよりもはるかに感染力の低い、コロナのために、どうしてここまでの対応をしなければいけないのでしょうか。私は日常、極力マスクはしないようにしています。実際、電車に乗る時も、マスクはしません。一応マスクは携帯しています。それは乗客同士のトラブルに巻き込まれるのを避けるためです。

 世の中には異常に人に強制したがる人がいます。自分の信じる正義を人に押しつけようとします。私がもうコロナは感染しない、感染しても威力は薄い、と言っても聞き入れようとしません。こうした人と話をするのは無駄です。やむなくマスクをします。

 でも、どうしてマスクが必要ですか。電車に乗っていても、会話をするわけでもなく、おとなしく乗っているだけなのですから、マスクの必要はないのです。

 それでも最近では、私がマスクをしなくても咎める人もいなくなりました。少しマスクに飽きが来ているのかな、と思います。そうならもうそろそろマスクをやめませんか。今のコロナは3年前とは違い、感染力が衰えています。なかなか感染しません。又既に感染した人は免疫を備えていますので、もう殆ど感染しません。ワクチンも効果が出ています。仮に感染したとしても、威力は極めて低く、ほとんど高熱を発することなく、二、三日で体を抜けて行きます。そうならコロナは全く風邪と同じことです。

 世界中で義理堅くマスクをしているのは日本くらいのものです。ほとんどの国ではマスクをしていません。今の現状ではコロナにマスクは必要ないのです。

 

 国の政策にも無理があります。感染したからと言って、10日間休養しなければならない。と言うのは働く人たちにとって物凄い負担です。人によってはかかって二日目で平熱になる人もいます。休養中も二度と発熱しない人がほとんどです。そうなら、治ったか治らないかは自己申告にして、平熱になったら働けるようにしてよいはずです。風邪でもインフルエンザの時でも、みんなそうして治してきたのですから。

 もうとっくに大きな波の去ったコロナを過大に考えて、みんなが真面目にマスクをしたり。休養するのはばかげています。

 

 テレビは相変わらず感染者と死者を連日放送していますが、日本中で4千人、5千人と言う感染者の数は、流行と言える数ではありません。死者10人20人と言う数は、ほとんどが高齢者です。コロナの死者の平均年齢は、日本人の平均寿命とほとんど同じなのです。そうなら、感染者の死亡は、コロナでなく寿命なのです。そもそも、高齢者が高齢であるがためになくなっているものを、コロナの原因だと言って騒いでいるだけなのです。

 元々高齢者の多くは、持病があって、そうした人が風邪なり肺炎にかかると死亡する場合がほとんどです。心筋梗塞の患者がコロナを併発して亡くなった場合、死因が心筋梗塞なのか、コロナなのか、どっちで発表するのか、と言う違いだけで、どちらも死因になり得るのです。

 つまり今、コロナの感染で亡くなる人は、普通に寿命で亡くなっている人を患者にしているわけで、ことさらテレビで放送する話ではないのです。80歳を超えて、持病を持って入院している高齢者が、コロナに感染して亡くなるのは、普通によくある話なのです。

 それだからコロナは怖いとか、危ないと言う話ではありません。そんなわかりきった話をなぜマスコミはコロナの脅威を作り上げて世間を煽るのでしょうか。こんなことを続けていて、誰が幸せになれますか。

 早く日常に戻りましょう。会社も、学校も、飲食店も、病院も、いつもの生活をしましょう。海外からの観光客を受け入れましょう。そうすることに何の問題があるのですか。

 誰かがマスクを外さなければ自分からは外せない。そう思っていませんか。そうなら、マスクを強制している人の一人はあなた自身です。あなたが数に隠れてマスクをしているから人はマスクから解放されないのです。

 もうコロナが下火になったと知ったなら、この先マスクをしていても意味がないではありませんか。無意味と知ったなら、マスクは外すべきです。コロナは風邪です。マスクなんて関係ないのです。

 

 「いや、藤山さん、この間の5月のコロナの復活は、いっぺんに感染者を増やしましたよ。あんなことがまた来ないとも限りませんよ」。そうです、感染者が増えることはこの先もあるかも知れません。

 然し、それによって重症者が増えましたか、5月の時でも、重症者は少しも増えなかったのですよ。それを過剰に騒いで、煽りに煽って、何かいいことがありましたか、観光熱を冷まし、消費熱を冷まし、劇場の入場者を制限し、みんなが生活にブレーキを掛けただけで、死者も重症者も何ら変化はなかったですよ。みんながレジャーを楽しんでいても結果は同じだったはずですよ。何一つ騒いだことが解決につながらなかったでしょう。うっかり煽りに乗って。旅館をキャンセルしてバカを見たのではありませんか。

 マスコミの嘘は今に始まったことではありません。真に受けないことです。それよりも充実した生活を考えるべきです。「いつマスクをやめますか」、と問われたら、世間を見回してはいけません。自らの判断で「今でしょう」、と応えたらいいのです。

続く

 

台風一過

台風一過

 

 毎度のことですが、台風が来るとテレビもネットも、大騒ぎをして、実際に、いろいろと事故が起きますが、台風が過ぎてしまえば、何事もなかったかの如く、嘘のように話題すらも消えてしまいます。

 9月24日、明け方は、東京は、雷を伴う激しい雨が降ったりやんだりしていました。私はこの日から三日間の関西指導のために稽古をして、その後、道具をスーツケースに詰めていました。女房が「新幹線が止まっているわよ」。と言います。「大丈夫、もう台風は去っているから、順次再開するよ」。とは言ったものの、いつもは9時30分に自宅を出るのですが、この日は1時間早くに家を出ました。

 東京駅は大混雑です。切符は既に買ってありますので、そのまま改札を通り、ホームに上がって、そこに止まっている新幹線に乗り込みました。私が予約した新幹線よりも2時間早くに出るはずの列車です。それが遅れに遅れてまだ停車しています。幸いにも私が乗ると新幹線はすぐに発車しました。

 この日は富士の指導です。然し、新幹線は、富士の一つ手前の三島までしか行きません。とにかく三島で新幹線は止まりました。私はここから先はバスで乗り継いで富士まで行こうと考えていましたが、富士の加藤弘さんが迎えに来てくれると言うことになり、三島駅の喫茶店で待つことになりました。

 そこへ別の都市から、私の指導を受けるためにやって来たA さんと合流し、しばし喫茶店で談笑をしていました。待つこと1時間、加藤さんが見え、二人は車で富士に行きました。私は長い舞台人生で、出演に間に合わなかったことは数度しかなく、それもわずかな遅刻で無事済みました。比較的天変地異の問題には被害を被らずに生きて来れました。

 今回も、富士は無事に済んで、夕方17時に新幹線に乗り、一路名古屋へ、さらに名古屋から在来線に乗り換え、岐阜へ、そうです、四か月ぶりにこの晩は、岐阜の辻井さんと峯村さんとの飲み会がある日なのです。

 

 この晩は若宮八祥に行きました。岐阜に高田八祥と言う有名な料理屋がありますが、そこで修行をしてのれん分けをした柳ケ瀬の繁華街に近い店です。何度かいままでも来ています。この晩は二階の座敷を用意してくれました。幾つかある座敷は満席です。 

 先ず生ビールで乾杯。珍味の小鉢にいくらが出て来ました。粒が小さいのでなんのいくらかわかりませんが、酒飲みには気が利いています。すぐに日本酒の、三千盛(みちざかり)に切り替えました。この酒は辛口で、飲みやすく、癖になります。 

 初めに刺身の盛り合わせが出て来ました。大トロが無造作に積んであります。一口頬張ると、濃厚な脂身と赤身の渋みが合わさって素晴らしい味わいです。私は大トロは脂が強いため日頃は食べないのですが、この脂ならすんなり入ります。いかの刺身も弾力があります。噛むとほのかに甘みを感じます。

 のどぐろの塩焼きが出て来ました。大ぶりな身です。外見はからりと焼き上がっています。塩気は適度で、身がほくほくしています。みんなで箸を突っついて味わいました。峯村さんは塩焼きの肴が大好物なようで、箸が止まりません。確かに脂ののったのどぐろは魚好きには憧れの食材ではあります。

 次にからすみを焙ったつまみを頼んだのですが、これが材料を切らしてしまってないそうです。変わって明太子の炙りが出て来ました。八祥のからすみは絶品だっただけに食べられないのは残念でしたが、代わりの明太子の味が素晴らしく、焼き明太子で酒が進みました。外がカリッと焼かれていて、中がレアです。酒飲心を承知した料理です。

 ここでからすみがないことを、店のおかみさんが謝りに来ました。辻井さん曰く、この店でおかみさんが出て来ることは先ずないそうです。「おそらく藤山さんが料理の大家か何かに思われているのでしょう」。ほら又始まりました。私はレストランなどに行くと、よく、支配人や、料理人に出て来られて挨拶をされます。私はただの客にすぎないのに、どうも外見から、その道の大物に見られます。これは迷惑です。私には何ら見識も権威もないのに、見かけだけでそうみられるのは少しもいいことはありません。出来ることなら、マジック界でもう少し高い評価をもらえた方が幸せなのですが、

 

 さて、仕上げにうなぎの茶漬けが出ました。数年前に来た時に頂いて、感動したうなぎです。飯の入った丼に、うなぎを乗せて、出汁をかけて食べます。うなぎは甘露煮のように甘く煮て、保存したものですが、その甘みが抑え気味で、身が厚く、とてもいいうなぎです。出汁がうまい具合で、更にうなぎのたれを追いかけします。

 それをすべて一緒に丼に入れて食べるのですが、期待を外しません。なんと贅沢なひと時でしょう。この一杯が食べられることはとても恵まれた立場にいるんだと実感します。何より辻井さんに感謝です。

 

 さてその後は毎度のことながらグレイスへ行きました。いつもながらお店はよく入っています。楽しみにしていたロシア人はいません。あの大柄なお姉さんの大垣訛りの日本語が面白いのですが、聞けなかったのは残念。

 ママもチーママも装いを一重のお召しに替えて贅沢です。この晩は辻井さんのマジックもなく、お店では世間話をするだけで11時にはお開き。そのまま岐阜駅で別れました。

 

 翌日は名古屋の指導です。日中、指導をして、夕方に新幹線に乗り、晩に大阪に入りました。この日、夕方6時から、キタノ大地さんと魔法の愛華さんのショウがあるそうですが、行きたいとは思いつつも、もう時間的に間に合いません。この晩はパスしました。何分私は二日間、余り寝ていませんので、大阪はぐっすり寝ることにします。

 

 と言うわけで、一夜明けてすっきり目が覚めました。今日は大阪で指導をし、そのあとお好み焼きの千房さんに挨拶に伺い、10月の道頓堀のマジックセッションの応援をお願いしに行きます。東京の戻りは深夜11時くらいでしょうか。戻れば今月30日の座高円寺の公演の段取りをしなければなりません。忙しい日々です。

続く 

店じまい

店じまい

 

 先週浅草に買い物に出かけました。一つは、大成の木札を作るために看板屋さんへ行きました。長さ14センチ、幅4センチの小さな木札です。藤山の名前を付けた門弟を並べている名札掛けがあります。二階の応接間に飾ってあります。それまでは前田将太と書いてあったものを名札掛けにかけてありましたが、藤山大成に改めたために。新たに彫ってもらいます。

 合羽橋の通りを少し入ったところにある看板屋さんです。ここは大きな彫の看板を手掛けています。文字を金文字にしたり、墨文字にしたりして、昔ながらの大看板を作っています。昔だったら、看板屋さんは彫だけをして、文字は墨文字屋さんに頼んだり、金箔屋さんに頼んだりしていたそうですが、だんだん墨文字を書く人が減ってしまい、仕方なく看板屋の奥さんが墨文字を書いているそうです。金箔屋さんもいなくなって、困っているそうです。

 ついこの間まで普通に働いていた職業の人たちが、リタイヤして、その先は跡継ぎがいなくて廃業して行きます。和傘も履物屋さんも、組紐屋さんも、塗師屋さんも、だんだん人がいなくなっています。そんな話を聞くと、私が依頼している道具類はこの先どうなるのか心配になります。

 その後、西山漆器に行くと、店は人が殆ど入っていません。漆屋さんも景気が悪いのでしょうか。ここもいつかなくなるようだと困ります。確かに日常漆の器はめったに使いません。みんな漆に似せたプラスチックの容器に変わっています。漆の器は需要がないのでしょうか。

 いろいろ心配して、浅草の浅草寺さんの脇にある扇子屋さんに行きました。驚いたことに、扇子屋さんは、店ごとすっかりなくなっていました。店が取り壊され空き地になっています。驚きです。三か月前まではお婆さんと娘さんとでやっていた店です。踊りの小道具と扇子を売っていたのです。今や民謡や、新舞踊などは流行らないのでしょうか。ここの店は、純粋な日本舞踊の扇子でなく、何とも浅草らしい怪しげなデザインの扇子ばかり飾られていました。そんな店ももう見られなくなってしまいました。

 あの如何わしさ、あの中途半端なデザインがマジックにはちょうど良く、面白かったのですが、ああしたものはもう作られないのでしょうか。そう言えば半年前に、人形町の日本舞踊の扇子屋さん、京扇堂が店を閉めていました。あそこは長唄や清元などの舞踊の扇子でいいものがたくさんありました。あそこを閉めてしまってはこの先良い扇も手に入らなくなります。日本舞踊の生徒さんが減っていると言う話はよく聞きます。それにしてお扇子の店があちこちで閉店してしまっては、日本舞踊のお師匠さんはこの先一体どうするのでしょう。

 

 その日は、なじみの店が消えてしまって一日中ショックでした。帰り際に尾張屋で天せいろうを食べました。ここは私の子供の頃と少しも変わっていません。時々私の親父が連れて来てくれました。蕎麦のどんぶりの上に大きな海老の天ぷらが乗っていることで有名で、天丼にしろ、天ぷら蕎麦にしろ、丼からはみ出した大きな海老が乗っている姿が、子供の食欲をそそりました。

 天せいろうの天ぷらは皿の上に乗っています。食べやすく四つに切ってあります。蒸籠のそばを食べつつ、時々天ぷらをつまんでそばつゆに付けて食べます。上の天せいろうは大きな天ぷらが二つ並んで出て来ますが、並は一つだけです。

 見た様は上の天ぷらの方が威勢がよく、大きな天ぷら二匹を食べたらさぞやうまかろうと思います。こどものころは、「いつか稼いだら上の天ぷらそばを食べてやろう」。と思っていましたが、いざ稼げるようになったら、油物を取り過ぎてはいけないと言うことになり、矢張り海老は一つだけしか食べられません。うまく行かないものです。

 

 墨東奇譚を書いた作家永井荷風が、毎日のように昼に尾張屋を訪れて天丼や天ぷら蕎麦を食べていたそうです。この作家は、尾張屋で食事を済ませると、ストリップ小屋に出かけ、途中、セキネの焼売を買って楽屋に行き、ストリップの女の子に囲まれて焼売や小遣いを渡すのが楽しみだったようです。尾張屋の店にはその頃の永井荷風の写真が飾られています。下町の性風俗を書いた永井荷風の私生活は、小説そのものだったようです。

 せっかく浅草まで来たなら、蕎麦なら並木の藪に行けば良さそうなものですが、三度に一度は尾張屋に行きたくなります。子供の頃の思い出が忘れられないからでしょうか。このところ、浅草に行っても一度で買い物が出来なくなり、目的が達せられないことが多くなり、歯がゆい思いをします。知り合いも徐々に減って来ました。この先私の欲しいものはどうやって手に入れようか、などと思案しながら尾張屋の大きな天ぷらを頬張ります。味は昔と変わらないのだけれど、何となく寂しい思いがします。 

続く

 

 明日はブログを休みます。

 

 11月6日、アゴラカフェを再開します。出演、藤山新太郎、ケン正木、和田奈月、藤山大成、12時から、お食事付き、5000円。子供3000円。

お申し込みはアゴラカフェへ。03-6262-6331

出世披露

出世披露

 

 今まで何人もの弟子を育て、その中から数名出世披露をして世に出しました。手妻は種仕掛けを演じる以前に、型であるとか風情であるとか、江戸から脈々と続く、日本の芸能の様式が分かっていないと手妻にはなりません。

 そのため、長唄を学び、鳴り物を学び、舞踊を学び、芝居を見て、能を見て、落語を聞いて、座敷に上がって遊んだり、あらゆる日本文化を体験して、日本文化がどんなものなのか、体感することが大切です。

 まず自らが日本文化に近づき、昔の人は何を夢と求めていたのかを知ることが大切です。そのための体験が私の元の修業の核になります。通信販売などで手妻の道具を仕入れ、やり方を誰か訳知りの人に人に習って、それを演じて手妻だ、和妻だと言ってもそれは抜け殻に過ぎず、日本の芸能にはなりません。

 無論、どんな形でマジックをしてもいいのです。アマチュアなら何をしようと許されます。然し、プロとして、手妻師として生きて行くとしたなら、日本文化の知識を深めていなければいけません。日本文化は手妻師に聞けば一通りのことは分かる。と言うくらいの信頼を得なければ存在の価値がないのです。

 先ず弟子修行と言うのは日本文化に触れるところから始まります。そのため、半年間は見習いとして、手妻指導はしません。長唄、鳴り物(太鼓、鼓)、舞踊の稽古に通わせます。少し和の芸能の素養が付いてきたなら、手妻の指導を始めます。年間二つないし三つの作品を時間をかけて指導して行きます。三年半の修業期間に直接習えるものは十数種類です。無論そんな数では生きて行けません。そのため、脇でひたすら私の演技を見て、口上のいい方、手妻の扱い方、観客の応対などを学ぶのです。無論見ただけで演じてはいけません。必ず一度許可を得なければいけません。

 習うと言うことも大切ですが、見て取ると言うことも大切です。但し、大概は表のことだけを真似ていますので、見て取っただけではやっていることは半端です。そこで私が演技の元となる考えを語って聞かせます。

 すると、自分自身が百%見て取ったと思われる演技も、聞いてみれば半分も取っていないことに気付いて愕然とします。でも、それでいいのです。古典芸能の価値はその蓄積ですから、奥に隠された蓄積が解き明かされて、それを知るだけでも大きな収穫なのです。

 こんなことをしながら、修行をして、3年半が経つと卒業です。卒業の際には劇場を借りて、先輩や、ゲストを招いて出世披露をします。

 

 ちなみに、三年半の修業を終えただけでしたら、出世披露と言います。何か昔の手妻師の名前を名乗るなら、襲名披露になります。また、元々藤山なにがしかを名乗っていて、そこから新たな名前を名乗ったなら、改名披露になります。

 手妻の流派は帰天斎派を除けばどこも絶えてしまっています。伝手を頼って親族から名前をもらって、古い名前を復活させることも不可能ではありませんが、名前だけ復活させても、昔の型が残っていなければ有形無実になってしまいます。

 私のところでは卒業する弟子は新しい名前を与えています。名前は藤山にはこだわりません。当人がなりたい名前を尊重します。名前も五つくらい考えて、その中から好きなものを選ばせます。決してフォースはしません。気に入らなければまた別の名前を考えます。

 さて、私の一門は、入門する前から、既に、私の舞台を手伝っている人が殆どです。大樹も、この度の大成も、みんな高校生から大学生の間に、私のショウの手伝いをしています。そこで基礎的なマジックは学んでいます。やる気の人は学生時代から日本舞踊を習っています。その上で弟子入りするのですから、その時点でもう四年くらい手妻に関与しています。

 そうした結果として出世披露をします。然し、これで修行が終わったわけではありません。その後、四年間ほど自らが、仕事を探して、贔屓を見つけるなどして活動をします。そして芸が安定して来たなら、蝶、水芸の指導をします。

 ここで師範の免状を出します。師範の免状を受けると、生徒を取って指導をすることを許可されます。また弟子を取ることも出来ます。これで晴れて一人前の手妻師となるわけです。手伝いの時期を除いても、入門から師範までは八年を要します。短い時間ではありません。それでもその間、この社会で実績を作り、多くの支持者を得て活動して行けば、将来的に生きて行くことに不安なことはありません。国も、地方自治体も支援をしてくれるでしょう。

 

 但し、古い作品をそのまま守っているだけでは財産を食いつぶして行くだけに終わってしまいます。手妻で生きて行くためには、創作手妻や、旧作の復活上演や、アレンジなどをして行かなければいけません。社会が常に動いている中で、手妻だけが動かずに生き残れるものではありません。

 そうした中でも手妻には先人の残した型や、作品、世界観が残されています。ちゃんと学んで習得すれば、その芸で活動して行けるのです。有難いことです。

 

 九月三十日、座・高円寺で前田将太改め、藤山大成の出世披露があります。邦楽による生演奏で手妻を致します。大成の舞踊も披露いたします。私の四十年来の仲間のマギー司郎さんやボナ植木さん、ケン正木さんが応援に来てくれます。賑やかな公演になります。皆様是非ともお越しください。

続く

 

 

ケビン・ジェームス

ケビン・ジェームス

 

 一昨日の六本木でのマジックフェスを拝見した後、舞台袖に行って各マジャンと話をしました。その時、ケビン・ジェームスと会い、しばし話をしましたが、私はなんとなくこのマジシャンを見て、「私に近いタイプの人かな」、と感じました。

 これは、決してケビン・ジェームスの輝かしき功績と私を並べてものを言っているのではありません。彼は世界的に有名なマジシャンです。それを認めた上で、マジック界の中に立ち位置として、彼のポジションと私が、似たようなところで生きてきたのかなぁ。と感じました。

 舞台袖で彼と話をすると、彼も私のマジック(手妻)を知っていたらしく、(恐らく昔私がマジックキャッスルに出演していた時に見ていたのか、どこかの大会で見ていたのでしょう)。「やぁ、新太郎、フォトいいかい」。と言ってその場で彼自身の携帯で自撮りを始めました。なんとまぁ、気さくな男です。光栄にも一緒の写真に納まって、少し話をしましたが、わずかな会話からも、仕事のできる男だと言うことを感じました。

 私のたどたどしい英語をしっかり聞こうとしますし、相手をはぐらかしません。また相手の人品をしっかり読み取ろうとします。有能なアメリカのビジネスマンに多いタイプの人です。アメリカで仕事のできる人は、無駄話をして、相手の素性を探りを入れる必要もなく、相手がどれくらいの仕事をする人で、どれくらいの実績のある人かを素早く見抜きます。そのため、あまり長い話をしなくてもいきなり本題を話せるのです。

 

 そこで私はケビン・ジェームスに何を感じたのかと言えば、「あぁ、彼は、マジックを仕事にして、成功するタイプの人だ」。と改めて感じました。無論そのことはいまさら何を、と言うことで、彼はショウマンとして成功していますし、クリエィターとしても成功しています。

 マジシャンの中には、マジックが好きで好きでひたすら惚れ込んで朝から晩までマジックにどっぷりつかって、同じようなマジック好きの仲間に囲まれて一生を終える人もいます。逆に、マジックを少し俯瞰で見て、世間を見ながら、観客が何を求めているのか、どうしたら話題になるのかと、外の世界を見つつマジックをする人もいます。私も彼も後者のマジシャンです。

 

 私は子供のころからマジックが好きでしたが、マジックにどっぷりつかることが出来ませんでした。いつでもカードやコインを持って、手遊びをしている人を逆に羨ましいと思いました。子供のころは「ああした人がこの世界で成功して行く人なんだ」。と思っていました。私はマジックの世界にいて、自分が何をしていいのか、長いこと答えを出せませんでした。

 舞台は子供のころから出ていましたが、ロープマジック、カード当て、リングなど、子供のくせに喋りが達者で、やけに世慣れた子供でした。手妻(てづま=日本の古典奇術)は、師匠から習ってはいましたが、それが仕事につながるとは、十代の頃は全く考えてはいませんでした。

 そんなわけで自分自身が何をして生きて行ったらいいのか、まるで分らなかったのです。分からないまま、学校を卒業すると、アメリカやヨーロッパに行き、折々手妻を見せると、当時の欧米人は全く手妻の知識がありませんでしたから、私が演じた連理の曲や、サムタイに熱狂してくれました。

 すると、いきなりアメリカの世界大会で私がトリを取ることになり、全米各地のコンベンションにゲストで招かれ、私の粗末な手順がマジック界で話題になって行きました。

 内心私は、「こんな生き方をして無事に済むはずはない。必ずどこかで奈落に突き落とされる」。と冷や冷やしていました。

 

 話は長くなりましたが、ここは私の人生を語る場ではありません。ともかくアメリカ各地のコンベンションに出演していると、様々なマジシャンを見ることになります。アマチュアマジシャンは勿論。ローカルな世界で仕事を掴んで活動しているマジシャン、ラスベガスのようなところに出演している、有名なマジシャン。

 いろいろなマジシャンを見ているうちに、アメリカ国内でもフルタイムマジシャン(一年中マジックだけをして生活をしているマジシャン、対して、ほかの仕事を持ってマジックをしている人はパートタイムマジシャン)のマジシャンは、極めて少数だと知りました。

 アメリカでローカルマジシャンと仲良くなると必ず聞かれることは、「新太郎は本業は何をしているのか」、と言う質問で、私が「本業はマジシャン」と答えると、相手は急に言葉を改めて、「いや君はフルタイムマジシャンですか」、と、敬意を持った眼差しで見られたのです。アメリカのローカルな地域ではフルタイムマジシャンは貴重な存在でした。

 但し、少数ですが、ローカルでも結構いい稼ぎをして、フルタイムで生きているマジシャンもいたのです。そうしたマジシャンは、コンベンションに出ると、初日か二日目のショウでトリを取るようなマジシャンでした。

 ローカルでそこそこ稼ぐマジシャンの特徴は、何でもありの内容で、トークマジック、スライハンドマジック、イリュージョンマジックと、一通り出来るマジシャンで、主催者の依頼を絶対に断らない。出来ないマジックはない。と言わんばかりにあらゆることをする人たちでした。

 そうした人たちのマジックの内容は、ゴムの鳩を出したり、鶏のガラを出したり、古いギャグのオンパレードで、イリュ-ジョンもヒンズーバスケットや、ジグザグボックスと言った月並みなものでした。私は「あぁ、これがアメリカのアベレージのマジシャンなんだ」。と納得しました。

 失礼ないい方をあえてするなら、ケビンジェームスと言う人は、このローカルマジシャンの出来のいい人と言う感じがします。スライハンドからトーク、イリュージョンなどなんでもござれ、得意のジャンルは?と聞かれても、得意なんてなく、ただひたすら観客のニーズに応えるべく日々アイディアを生み出すことに苦労して来たマジシャン。そうしたタイプの人かなぁ。と感じました。

 無論、彼の考案した、紙の花の浮揚や、スノウ、は世界中で大人気になり、今もアメリカのローカルマジシャンのレパートリーの一つとして活躍しています。

 恐らく、彼自身もローカルマジシャンとして長く活動してきたのだと思います。その苦労は彼の演じるマジックから、彼の表情から伺い知れます。私よりも8つも若いのに、私と同じ年か、年上に見えるのは、アメリカと言う土地でしたたかに生きて来たマジシャンの歴史を見た思いがします。彼を目の当たりに見て、忘れかけていたアメリカのコンベンションのローカルマジシャンとの思い出が甦りました。昭和の時代すなわち、今は昔の話です。

続く

オズマンド ウルトラマジックフェス 2022

オズマンド ウルトラマジックフェス 2022

 

 昨日と今日、(9月20日、21日)、六本木のEXシアターで、18時30分から、オズマンド主催による、ウルトラマジックフェスが開催されました。内容は、マジックコンベンションのガラショウのような贅沢さで、長らくマジックショウの質のいいものを見ていなかったマジックファンにとっては垂涎の催しとなりました。

 台風の余波で、一日中、降ったりやんだりする冴えない天気でしたが、それでもマジック愛好家の期待の高まりは大きく、18時くらいには会場内に、多くのマジックファンが詰めかけました。

 その会場となったEXシアターは、十年近く前に六本木に本格的にできた演劇、音楽のための劇場で、設備も内装も素晴らしく、観客数は1200人くらいでしょうか、マジックのスライハンドをするには、サイズが大きすぎる建物ですが、今回は映像を駆使するなどして、巧く見せていました。

 

 出演者は全員で13組、随分ボリュームたっぷりの上、二回出てくる人もあって、ショウは伸びに伸びました。更に公演開始が30分もオーバーし、ショウの開始が7時を過ぎました。全体を見終わったときに、「あぁ、このメンバーをすべて半日で打ち合わせをしようとすれば、リハーサルが押すのは当然だな」。と納得。

 何にしても終演が10時30分、何と3時間半に及ぶショウとなりました。平日と言うこともあり、日本でこの時間までショウを楽しんでいられる人には限りがあります。私の並びに座っていた、小野坂東さんは88歳の高齢なため、後半を少し見ただけで帰宅をしました。老人にとっては体に悪いショウでした。以下順に出演者の感想。

 

 一本目はMASAYO。福井在住でFISMで三位入賞のロープマジック。女性でロープアクトは珍しく、しかも、全てロープだけの手順。基本的な手順をうまく組み合わせてまとめています。

 

 二本目はリオ高山さんのイリュージョン。この会のオーナーです。本業は眼科医、とても費用の掛かった大道具でした。リオさんはそのまま残ってYUKOさんと共に全体の司会。

  

 三本目は才藤大芽。もう5年以上前から何度か彼の演技を見ていますが、手順のまとめ方と言い、個々の技は一番いい出来でした。和のテイストのスライハンドで、独自の世界を作っています。

    

 四本目はアキット。この人が出るとガラッと世界が変わります。言ってしまえば予言のマジックなのですが、マジックに形態模写を交えて、人の一生を語って行きます。その発想が独自で、自分の世界を作るために自身の持ちうる芸能を集約して行きます。

 見た後に不思議な温かさを感じる演技で、多くの女性ファンがいることも納得。技術の高いマジシャンが並ぶ中、見劣りしない演技でした。

 

 五本目にHANNAH。ダンシングケーンのアクト。舞台いっぱいにダンスを取り入れてケーンを演じます。去年大阪のマジックセッションに出てもらい、拝見しました。いいセンスです。お終いに舞台の天井からたくさんの飛行機が飛びます。何を意味しているのかは分かりませんが、彼女のメルヘンの世界なのでしょう。一瞬一瞬を必死に生きている姿に好感を感じました。

 

 六本目はジャグリングの天平。センスと言い、巧さと言い文句のない演技です。棒を使ったアクトですが、鮮やかに決めて、居並ぶマジシャンの人気をかっさらって行きました。

 

 七本目は高橋匠。4A を出して、セカンドディールなどの技法を駆使して手順を作って行きます。師匠のレナートグリーンの得意芸をアレンジしています。サイドの観客に前田知洋さんを指名したのは会場内唖然。前田さんは匠さんを邪魔しないようにうまく乗せて行き、その力量は大したものでした。

 

 八本目は岩根佑樹。今まで何度か見ましたが、今回が一番シンプルで無理なく見ることが出来ました。三日月から、半月、満月と変わると言うのが、彼のテーマのようです。ところどころ演技のアクセントに月が出て来ます。更にところどころにライト(電球)が現れます。そのつながりはよく理解できませんが、彼の世界なのでしょう。演技としては四つ玉が一つ一つ増えて行き、それがすべてふわっと消えてしまったところが素晴らしくいい演技でした。独自の考え方があり、巧さを感じました。

 ただ、演技全体のイメージがユ・ホジンに似通っています。日本の若いマジシャンはユ・ホジンの影響を受けるのは致し方ないとしても、ユ・ホジン自身が出て来るステージに出演する場合マイナスです。

 

 九本目がユ・ホジン。枠だけの額縁の中で羽根が出たり消えたり、増えたり。額縁を使う意味があるのかどうか、よくわかりません。チャンピオンになったマジシャンがその先に悩んでいるように見えました。

 

 十本目は、ヘクター・マンチャ。FUSMのチャンピオン。帽子一つを床において、ひたすらカードが出ます。不思議ですし、独自の世界を持っています。ただ、私の好みとして、汚れっぽい演技は好きになれません。特にカードは奇麗に演じてほしいのです。それでも不思議であればいいと言う人にはいいアクトでしょう。

 

 十一本目はミゲル・ムニョス。やはりFISMチャンピオン。この人も汚れっぽいのが難点。天井から常に水が流れています。水を片手で掬うと水晶の大きな玉になります。次々と玉が増え、又、ひとつづつ消えて行きます。独自の世界であり、不思議です。

 

 ここで休憩。あのひたすら流れる水をスタッフ一同で掃除をしているのでしょう。休憩をせざるを得ない芸です。私も水芸をするため人の事は言えません。ご同業相哀れむ態です。

 

 十二本目は新矢皐月さんのタップダンス。タップの音なのか、音楽の音なのか、違いが分かりにくかったように思います。

 

 十三本目は天平。得意のディアボロを演じましたが、ここへ来て二度目の出演は食傷気味です。ステーキの後に天ぷらが出て、寿司が出て、ラーメンが出たようなものです。もう結構となります。天平さんにはお気の毒でした。

 

 十四本目、ユ・ホジン。ここで彼のFISMチャンピオンアクトを演じましたが、二度の出演はいかがでしょう、もうすでに4本ものカードアクトを見ています。せっかくのご馳走が、満腹です。洗練されたいい芸でしたが、ユ・ホジンにはお気の毒でした。

 

 十五本目は緒川集人。今年のFISMクロースアップ一位。演技は安定しています。コインとスプーンのアクト。面白い展開でしたが、やはりこの手の演技は30人程度のサロンで見たなら、贅沢なひと時です。1200人の会場では演者も観客もストレスが溜まります。せっかくの彼の極上の演技も生かされません。

 

 十六本目はケビン・ジェームス。さすがに演技に老齢な巧さを感じさせます。恐らくこの出演者の中で一番一般のイベントで受けるマジシャンでしょう。恐らく稼ぎもいいはずです。初めに客席で少女と遊びながら、ティッシュで作った花の浮揚の演技をして、子供を上げててコイン消し。カードの予言の黒板。胴体切のイリュージョン。ラストはスノウ。どれも受けのいい演技でした。彼は観客が何を求めているかを熟知しています。

 

 さて全部が終わって3時間半に及ぶマジックショウでした。一人一人のマジシャンのレベルは高かったのですが、カードが4人も出て来て、互いが食い合いをしたり。同じ人が二度出て来てショウを長引かせたり、司会のもたつきが目立ったりと。いろいろ問題はありました。それでも客席ではめったに会えない人たちが集まったおかげで和気あいあいとして楽しいひと時でした。マジックに感謝。

続く

 

 

 

ウクライナ軍の快進撃

ウクライナ軍の快進撃

 

 どうやらロシア軍は現場を放棄して、ウクライナの戦場から逃げ出しているようです。ヘルソン州も、ハルキウ州も解放され、そのほかの地域もウクライナ軍によって次々に解放されています。

 聞くところによると、ロシア軍は、食料も足らず、給料も支払われず、武器も不足して、とても戦える状況ではないようです。そうならさっさと和平交渉をして、戦争を終わらせればよいものを、プーチンの頑迷な権力志向が妨げているようです。

 私が度々ウクライナについて書くのは、この戦いが成功すれば、中国がロシアの余勢をかって台湾進攻を進めるであろうからです。中国にとって、中国の行動を支持する国は、ロシアか北朝鮮のみです。北朝鮮が余り頼りにならない現実を考えたなら、頼るべきはロシアのみと言うことになります。

 ロシアが後押しをしてくれるなら、中国は心置きなく台湾進攻が出来るでしょう。ところが、このところウクライナでのロシアの弱体化が顕著になっています。今年の初めに、20万の兵がウクライナに進駐したときには、ロシアは一週間でウクライナを制圧できると考えていたでしょう。

 ところが、意外や意外、ウクライナが抵抗を始めた途端。その20万の兵士の弱体さが露呈して、ウクライナを占領するどころか、今ではロシア本国がどうなるのかも見えなくなっています。誰が見ても、ウクライナ出兵は失敗であり、プーチンの立場そのものが危うくなっています。ひょっとするとロシア国内で内乱が起こる可能性さえあります。

 恐らく中国はロシアの危うさを察知しているのでしょう。それゆえにロシアの支援を避けています。中国はロシアに対して武器供与もいい顔を見せません。プーチンにすれば中国のこの冷たい態度は腹に据えかねるのでしょう。やむなくインドに交渉をして、武器を買ったり、石油を安く売ったりしています。ロシアと中国の駆け引きの間に入ってインドはいい儲けを出しています。

 中国にすれば、社会主義の屋台骨が崩れつつあるロシアの姿は危険信号です。こんな時に台湾進攻などできません。と言って安易にロシアを支援すれば共倒れに陥る可能性があります。ここはロシアには知らん顔をして静観する以外ないのでしょう。

 但し、中国が台湾進攻を諦めているかと言えば全く諦めてはいないでしょう。

 習近平さんが自身の任期の間に何をしたいのかと言えば、中国がアジアの中で覇者となることです。すでに東南アジアでは中国は覇者でしょう。然し、日本がアメリカと強い絆でつながっているために、アジアは二極化しています。何とか日本を弱体化させて、日本の防衛をアメリカにどっぷり依存するように仕向け、日本がアジアの安全維持のためにアメリカと共闘しない国にして、アメリカが日本に対して失望し、アジアに拠点を持つことの虚しさを味わうことになれば、徐々に日米間に亀裂が生じて行きます。

 そう仕向けるように、中国は、日本のマスコミを利用して、手枷足枷の付いた憲法九条を守らせるように一部の文化人に働きかけて、平和平和と訴えつつアジアや自国を守ることを放棄させ、沖縄は基地の建設を反対させて、基地がなくなれば平和が来ると信じ込ませて、アメリカに日本との連携を失望させて、日米の亀裂を作らせるためにおかしな平和論を焚きつけているのです。

 そうした結果、何が起こるかと言えば、今の不満足な憲法のもとでは、尖閣諸島の沖合にたむろする中国軍の船を追い払うことは出来ません。いざ中国がその気になったら、数秒で尖閣諸島は占領されてしまうでしょう。一旦取られてしまえば、結果は竹島問題と同じです。現憲法のもとでは自衛隊は手出しできないのです。占領した中国軍に対して、「誠に遺憾である」。と言うだけで、何ら解決の手段はないのです。

 同様に沖縄です。170年前までは沖縄は中国の属国だった。と中国は言います。かつて琉球国は中国の王朝に挨拶に行っていたわけですから、属国と言えば属国です。「だから沖縄は中国の一部だ」。と言われると問題があります。元々沖縄は二重外交をしていて、日本にも伺候していたのですから、どっちつかずの関係です。むしろ日本とのつながりの方が強く、日本に帰属するのは当然なのです。中国も最近までそう考えていました。

 然し、近年になって中国は、沖縄と言う拠点の重要性に気付き、突如二百年前の関係を持ち出すようになりました。遥か昔に分かれた彼女に対して、彼女が資産家の娘であることを知って、急に、「あれは俺の彼女だ」。と主張し始めたのです。

 アジアは元はすべて中国である。と信じて疑いを持ちません。そうなら、沖縄に反アメリカ勢力を作って、アメリカから離れさせて、アメリカ軍が大幅に縮小されれば、中国にとって沖縄は覇権の対象になります。

 沖縄で左翼思想がはびこればこれ幸いと中国がやって来ます。大量の中国人がやって来て、住みついて、沖縄はもう後戻りできない社会になります。その結果どうなるかと言えば、香港やウイグル自治区と同じく、一党独裁国家の圧政に敷かれることになります。それが沖縄の人々の望んでいることなのでしょうか。

 今、ロシアがウクライナで迷走している間、中国は次の一手が打てずに思案しています。この間に日本が国防を充実させなければ、日本の将来は危うくなります。ウクライナの問題は台湾問題を生み、そこに日本が躊躇している間に、尖閣を奪われ、沖縄を奪われ、この状況に至ったなら、台湾支援も出来なくなります。これでは日本が中国に外堀を埋められてゆくのと同じです。どうしたら日本人はその危機に気付くのでしょうか。昔の彼氏が彼女を横取りに来た時に、「法律があるから手出しは出来ない」。と言って黙っているのでしょうか。おかしな話です。マジシャンはとっくの昔に気付いているのに。

続く