手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大阪から東京セッションへ

大阪から東京セッションへ

 

 大阪、福井と舞台を終え、ようやくひと段落をしましたが、ほっとする間もなく、今週末12月5日(日)には東京の峯ゼミがあり、この間にも、来年1月8日9日開催の、東京ヤングマジシャンズセッションの申し込み、コンテストの参加者のビデオ審査など雑務がたくさんあります。

 いろいろやっているうちにヤングマジシャンズセッションはすぐにやって来ます。チケットは既に130席ほど売れています。2日間の公演で420席ですから三分の一ほどが出たことになります。いい流れです。

 

 大阪も、東京も、大学のマジッククラブや、社会人のマジック活動がコロナによって壊滅的な打撃を受けています。

 このまま何もしなければマジック愛好家の数が激減してしまいます。大学などはクラブ存続も危うくなっています。現実に、マジックにかかわる活動はどれも駄目です。

 多くのプロマジシャンは活動休止状態です。実質廃業している人も多いのではないでしょうか。仮に来年半ばに公演活動が出来るようになったとしても、その時、プロとして活動して行ける人は半減しているのではないかと思います。

 マジックショップは売れていません。コンベンションも活動休止状態です。コンベンションはコロナ以前から、そもそも高齢化が進んでいましたから、活動が再開されたとしても、この先は、大きく参加者を減らすことになるでしょう。コロナ以前に、これまで若い人を取り入れるための対策を取ってこなかったことが大きく響いています。

 高齢化は全国のマジッククラブでも深刻な問題です。マジッククラブの例会は少しずつ再開されているようですが、参加者の数は芳しくないようです。この先はよほどにリーダーシップを持った人が上手く運営して行かない限り、クラブの存続は難しいだろうと思います。

 

 そうした中で東京と大阪のマジックセッションが果たす役割は少なからず重要になってくると思います。先ずショウの内容を充実させて、レベルの高いマジックを維持して行かなければなりません。

 本来は、欧米や、韓国の優れたマジシャンも加えてショウの番組を作って行きたいのですが、恐らくこの先一年は海外マジシャンを招くことは不可能でしょう。

 そうなると、国内マジシャンの充実を第一に考えなければならないのですが、現実には、日本で実力のあるマジシャンはわずかです。少しでもセンスの好い、技量のある人が出て来たなら引っ張り上げて出演してもらいたいと考えています。

 然し、黙って人が出て来るのを待っていても時間がかかりますので、そこは狙って人を育てなければいけません。少なからず気になるマジシャンがいたなら、なるべく声をかけて引っ張り出したいと思います。我と思わん人は私に連絡をください。

 

 コンテストは、東京も大阪も、来年から始めます。コンテストを開催することで出演の場を提供することがまず第一です。然し、出る場を作ることが人を育てるわけではありません。

 フィードバックに時間をかけて、各演者に、「マジックとな何なのか」。「観客が何を求めているか」。を伝えることが大切だと考えています。自分が演じたいものイコール人が見たいものになっていないことが、マジックの世界が多くの観客を持っていない最大の原因なのですから。

 フィードバックを通して、基本的な考え方からマジックをする人たちに伝えて行かなければなりません。

 同時に、コンテスタントが、コンテストを通して仲間を作って、影響され合って学んで行く環境作りをしないといけません。。マジックを練習することも大切ですが、仲間を作る、お客様を作って行くことはもっと大切なことです。マジシャンとして成功するには、自分一人がマジックの技法を身に着けるだけではどうにもならないのです。飽くまでも芸能は客商売なのですから。

 

 そして峯ゼミです。幸い、この半年で、東京の峯ゼミは、参加者が、「学ぶことの大切さ」、を理解したようです。峯村健二さんのマジックの考え方はレベルがけた違いです。

 四つ玉を知り尽くした人が授業を受けても、知らないことがたくさん出て来ます。しかもその演じ方は細部まで計算されていて、曖昧さがありません。技法が一つ一つ科学されて、答えが出ているのです。

 氏の指導を見ていると、本当の日本のマジシャンの実力を知ります。今、日本の多くのアマチュアは韓国人を追いかけていますが、実は、韓国と日本のマジックレベルを比べたときに、韓国の基本的な知識や技術は明らかに薄手です。

 ごく一部の目新しい技法は認めても、基礎となる技術が薄いため、彼らの技法は汎用が効きません。韓国は極めて不安定な中での成功を手に入れたにすぎません。

 本来なら、やはり日本からでしか優れたマジシャンは出ないはずなのです。しかし現実にそうなっていないのはなぜか。それは日本人が日本の基礎知識を学ばずにわがままな演技をしているからなのです。

 峯ゼミは基礎知識ばかりを教えているわけではありません。むしろかなり難しい技法を教えていますが、それさえも基礎を土台として作られたものばかりです。

 東京の生徒さんは峯村氏の価値に気付いたようです。東京では来年2月からシルクの指導が始まります。申し込みは既にかなり集まっています。

 大阪では半周遅れて、やはり来年2月から、四つ玉の指導が始まります。参加すべきかどうか悩んでいる人がいるなら、是非とも参加して見て下さい。大きく人生が開けて行くこと請け合いです。

 芸事は自分一人で何とかしようとしても、どうにもなりません。自分だけで何かを考えていても同じことが頭をめぐるだけで、少しも進歩しません。まず自分が人に引き上げてもらわなければ、絶対に上手くはなりません。習うことは先人の知識を短時間にもらい受けることです。上達したかったら、有難くもらうべきです。

 

 セッションの舞台、コンテスト、峯ゼミ、この三つの活動が出来て、日本のマジック界は向上します。私は長いことこうした活動がしたかったのです。ようやく来年から私のやりたかったことが達成されます。さぁ、コロナに泣いてばかりいないで、前に向かって活動してゆきましょう。

続く

大阪の反応と福井の天一祭

大阪の反応と福井の天一

 

 さて、土、日の報告もせずに、日曜日はブログをお休みをしたために、書くべきことが2日間溜まっています。

 昨晩(28日)は福井のショウを終えて、夜10時に帰宅をして、さぁ、それからブログを書こうと思いましたが、特急列車の中で焼鯖寿司でハイボールを飲んだら、いい気持になったため、結局何も書けずに就寝。

 翌朝(29日)、すなわち今です。順に溜まったお話しを書いて行きます。

 27日の朝7時に新大阪のレストランで朝食をしていると、ザッキーさんとサクさんがやって来ました。そこで一緒に食事をすると、昨晩(26日)のショウを見たお客様がものすごく興奮して深夜にネットでえらく盛り上がっていたそうです。

 大阪の公演は、私の判断で、後半5本にリーサルウェポンをぶつけてやろうと計算を立てて、強力メンバーを配しました。すなわち、一部のトリがハンナさん、そこから、二部の頭に私、次が鈴木駿さん、バーディーさん、伝々さんです。

 狙いはピタリとはまって。お終いの5本はどれもものすごい拍手。そしてショウ全体が終わった後も拍手鳴りやまず、お客様は帰ろうともしないでずっとっ劇場に残っていました。去年もそうでしたが、マジックセッションは、大阪のお客さんの心をしっかり掴んだと確信しました。

 ネットのの興奮に驚いたザッキーさん、サクさんも、「こんな凄いショウに一緒に出演できて幸せです」。と大喜び。

 いい経験ですね。いいショウに出演することは確実に当人の技量を上げます。冴えないショウに出演すると心の中まで荒(すさ)んできます。誰と付き合って生きて行くかは、人生でとても大切な選択です。

 そして、午前10時に福井フェニックスホール着。列車でハンナさん親子(お母さん)とも合流。前田将太のみ一人1時間前に列車で先乗りして、楽屋の準備。

 前田はこの数日ほとんど寝ていないでしょう。1日中忙しく動き回り、舞台監督やかたずけや、人の手配までして、休まず働いています。それでいいのです。どんなマジシャンの弟子になっても、これほど連日舞台があって、それも国の補助金をもらっての責任の重い自主公演をして、優れたマジシャンばかりを集めてショウをする機会などまずありえないのです。

 辛い、苦しいと言う前に、この仕事をさせてもらっていることを喜びと考えなければいけません。それは大樹も同じだったのです。大変な仕事を山ほどやったからこそ今日の大樹の成功があるのです。と、私は弟子に恩を着せます。

 

 27日当日。先日の大阪は、半数以上が若いお客様で反応も良かったのですが、福井は、切符の売れ行きも悪く、お客様の年齢層も高いため、反応はどうかなぁ。と心配していましたが、どうしてどうして、やはり福井のマジック愛好家も、この日を待っていたのです。大阪にも負けないくらい熱い反応が返って来ました。

 ステージのリハーサル中、別室ではクロースアップショウ。そして峯村さんのレクチュアー、そしてショップが4軒出ました。

 

 一本目は前田将太。卒なくこなしました。二本目はサクさん、これもいい反応です。三本目はザッキーさん。リングの音楽で皆さんのお手拍子までいただき、すっかりお客様に愛されています。ここまで三本とも好評でした。

 四本目が福井の天一祭会長の岡田透さん。スライハンドの花のプロダクションに始まり、お終いはダンシングハンカチーフ。大きな舞台にはちょうどいマジックです。お客様の乗りもよく、随分受けていました。

 そして、一部のトリがHannah(ハンナ)さん。舞台照明を生かして幻想的にダンシングケーンを演じました。恐らく福井のお客様は初めて見たのでしょう。すごい拍手でした。

 休憩をはさんで後半3本と一部トリ、ハンナさんの4本が今回のメインです。頭が私。傘出しから人力車まで、そして蝶のたはむれです。この手順は私の全くのメイン手順です。

 そのあと福井のマジシャン、Masayo(マサヨ)さん、世界大会で入賞したロープアクトです。ストーリーを作って、舞踊を生かしてのロープマジック。大きな舞台にはよく生えます。地元の応援もあって、すごい拍手でした。

 そしてトリが峯村健二さん。2000年のリスボンで一位になった演技。彼のメインアクトです。常に完璧。見る人をうならせます。

 フィナーレに全員並んで、天一祭の発表。無論、峯村健二さんが楯を受賞しました。これで今年の天一祭は幕を閉じましたが、お客様は大喜びで、終わってもロビーに随分残っていました。このレベルを常に提供していれば、福井でのマジックショウもどんどんお客様を増やして行けるでしょう。私としても、十分手ごたえを感じました。

 

 夜8時から、駅前の料理屋へ、私、峯村さん、ザッキーさん、サクさん、前田の5人。まずはせいご蟹、メスのズワイガニで、体は小さいのですが、腕から、身から、かに味噌から、卵まですべて食べられて、それぞれに味の変化が楽しめて、酒飲みにはもってこいの料理です。

 そしてノドグロの塩焼き。適度に脂が乗っていていい味です。ぶりのかま焼、大きなぶりのえらのところの肉を箸でほじくって食べます。ソ-スかつ、つくね、いろいろ頼んで、お終いはおろしそばで締めました。話の内容は、ばかばかしい話ばかりでしたが、ショウを終えた後にはこれくらいの内容でいいのです。

 そしてホテルに泊まり、翌日(28日)10時に、こども歴史文化館に伺いました。公演は14時スタートです。セットをしていると、地元のサイキックKさん、ロイヤル山口さんが楽屋に来て、昨日の話の花が咲きました。そしてへしこのお土産を頂きました。

 

 ショウは、前田、サクさん、ザッキーさん、私。私は二つ引き出しからサムタイ、そして蝶を演じました。サムタイはこれまでここに8回出演して必ず演じています。それは天一祭の一環として、天一さんの得意芸であったことを説明したうえで披露しています。

 全ての公演を終えて、5時35分の特急で米原へ、そこから新幹線に乗り換えて東京へ。途中、福井駅焼き鯖寿司を買い、みんなに渡しました。ホームの売店で売っている焼き鯖寿司ではなく、駅の構内の専門店の鯖寿司がけた違いのうまさです。ハイボールと一緒に列車で食すのは至福の時です。と言うわけで、大阪福井の3日間の旅は終わりました。

 大阪も福井もかなりの高評価だったため、きっと来年もたくさんお客様が集まるでしょう。何とか今やっていることが大きく発展するようにして行かなければいけません。どうぞご支援お願いします。

続く

熱狂の大阪セッション

熱狂の大阪セッション

 

 今日(27日)は早朝、大阪から特急サンダーバードに乗って福井に向かい、福井の天一祭に出演します。そのためまだ夜が明けやらぬうちに起床しました。

 今、ブログを書こうと、数時間前に終わった大阪マジックセッションのことを思い出しています。昨晩(26日)は、18時30分から、道頓堀のZAZAで大阪マジックセッションが開始されました。客席は満席、早くから劇場前に並んでくれたお客さんはこの日を楽しみにしていたようです。

 何しろ、コロナの影響で、この2年間、マジックショウはことごとく中止の憂き目に遭っています。マジック愛好家なら誰でもいいショウが見たいと、待ち望んでいたところにセッションが始まったのですから、一本目からお客様の期待が伝わってきました。以下昨晩の感想。

 

 一本目は前田将太。もう来年夏には弟子修行も卒業です。名前をもらって一本立ちします。もともと几帳面な性格ですから、演技はしっかりしています。

 卵の袋から、紙テープの復活、そして紙片を扇子に乗せて卵を作る紙卵。藤山流の定番物。翔太よ、もっとお客様に愛されるマジシャンになりなさい。

 

 JunMakiさん、藤山流の大阪教室で習っている女流プロマジシャン。仕事も結構安定しているようです。傘出しと日本蒸籠(せいろう)。お終いに大きな扇子出し。細かく一つ一つのクオリティを高めればいい得意芸になるでしょう。女性の愛嬌は最強の武器です。

 

 サクさん。東京理科大学のマジッククラブの4年生。カードの変化とウォンド。最低限の簡単な素材でうまく演技をまとめています。随所にマジックが愛が伝わってきます。育ちの良さそうな坊ちゃんが、さりげなくマジックを演じているところが東京的な魅力なのでしょうか。

 

 ノエルさん。女性のジャグラー。4本のリングを歯車に見立てて大きな柱時計を完成させようと言うストーリー。まるで小人が時計の仕掛けの中に入り込んで、時計修理をしているかのような健気さがメルヘンチックで可愛らしい。

 

 黒川智紀さん、いつもはマイムを取り入れてのダイスのプロダクション。今回はキューブの変化を様々見せて不思議を構成しました。矢印の変化、四角が三角に、三角が増加したり、ウォンドのアクトに変化したり、この人のアマチュアイズムは健在です。

 性格の素直さが演技に現れていて、それでお客様がついつい引き込まれてみてしまうのでしょう。ただ、プロとして生きるなら、もっと現象を明確に割り切って、どん欲な舞台作りが必要です。心に突き刺さるようなインパクトがないと数あるマジシャンの中で埋没してしまいます。関西の若きリーダーである黒川さんは正念場を迎えたわけです。

 

 ザッキーさん。東京理科大のOB、藤山流のマジック教室で学び、サラリーマンをしながらプロを目指しています。シルクのプロダクションから、12本リング。本数の多いリングとしては最大本数を使います。

 今となっては藤山一門が唯一継承している作品。陽気で素直な性格のザッキーが演じると古さが目立ちません。マジックは作品の新しい古いを問うよりも、演じ手のセンスが決め手になるのでしょう。予想以上に大きな拍手で当人も満足な様子。

 

 hannahさん、九州福岡から、ジミー菊池さんの娘さん。噂には聞いていましたが、今回初めて見ました。演技はダンシングケーン。飛距離が自在に伸びる特殊ギミックで演技は一層大胆に見せます。間にカードを挟んだり、後半には二本のケーンを振って、お客様を飽きさせません。

 リズム感もよく、ショウとしての出来も素晴らしい。お終いに飛行機がたくさん飛ぶのはメルヘンの世界を感じさせ、動画を見ているよう。いいものを見ました。

 ハンナさんの演技が終わって一部の休憩。

 

 藤山新太郎、サムタイと蝶のたはむれ。私としては定番物。40年以上これを本業にして来た演技です。

 

 鈴木駿さん、以前に出演して頂いたときのことを思うとその進歩に著しいものがあります。先ず、普通に舞台に出て来ますが、その足音が強調されます。やがて足音がリズムを表現し、エアーのドラムと合わせて独自の音楽に発展します。そのリズムに乗りながら、ウォンドや四つ玉の演技が加味されて行き、カードの色彩変化などを見せます。

 抜群のセンスです。マジックをマジックの中に閉じ込めていないところが秀逸です。お客様も乗って来て、お終いは熱狂していました。

 

 バーディーさん。神戸のマジシャン。メンタルマジックなのか、超能力なのか。お客様を上げて拳に握った方のコインを当てます。喋りは関西弁で誠に達者です。何度やっても当たるので不思議。次にフォーク曲げ。独自の見せ方でお客さⅿを乗せて行きます。さりげない語り口が見る人を飽きさせません。

 

 伝々さん。おなじみの鶴のプロダクションと変化です。見るたび細かなところに新規の工夫が入ります。まったく当人の創作力は衰えていません。昔から見て知っているお客様も新たに感動します。この人は志のあるマジシャンです。

 

 と言うわけで、トリに出演した伝々さんが人気を浚って終演。お客様は感動冷めやらず。終演後も立ち去ろうとしません。

 

 終演後は出演者は、道頓堀にある千房さんのビルで打ち上げ。楽しく飲んで、道頓堀の夜も更けて行きます。

 来年は大阪セッションも二日間の開催をします。観客が大きく増加してくれることを望みます。

続く

 

 

 

 

 

 

天王寺界隈

天王寺界隈

 

 昨日(25日)の朝、四天王寺に向かいました。先ず御堂筋線天王寺の駅へ、この駅は初めて降りましたが、駅の天井が高くて、作りの良さに驚かされました。恐らくこの駅がかつては御堂筋線の起点だったのでしょう。

 梅田から天王寺までをつなぐと、昭和の初年の大阪の殆どの繁華がつながったのでしょう。それにしても御堂筋線はどこの駅も天井が高く、私は好きです。東京に勝るぜいたくさです。

 駅を出ると地下鉄側がJRの天王寺駅で。向いが近鉄阿倍野駅でデパートがあって、その奥にあべのハルカスがそびえていました。さて、通天閣はどこかと見ると私の背中側に小さく見えました。

 通天閣は1912(明治45)年、に建てられました。元々は明治36年内国勧業博覧会(万博のようなもの)を、天王寺界隈で開催し、博覧会以後、元会場はルナパークと呼ばれ歓楽街になりました。

 町はパリの街を模して放射状に道が作られ、その中心に凱旋門が作られ、凱旋門の上にエッフェル塔を真似た通天閣を建てました。これが初代の通天閣です。高さ(70m)で東洋一を誇りました。今我々がハルカスを仰ぎ見る目と同じように、明治の人には通天閣は驚きの存在だったのです。

 通天閣は、もう一つのタワーとロープウェイでつながり、町の上空をロープウェイが走り、まるで未来都市でした。初代の通天閣は飲食店の火事で鉄骨が曲がり、やむなく解体。

 昭和30年に二代目が誕生。今度は100mの高さになりました。これも東洋一の高さだったのですが、昭和33年に東京タワーが出来て、王座の地位を追われました。

 

 通天閣はあとで見るとして、先ず四天王寺に行きます。四天王寺聖徳太子が593年に建てたもので、日本最古の仏教寺院だそうです。

 南の仁王門からほぼ一直線に伽藍が並び、中央は回廊で囲まれ、五重塔も、金堂も直線的な屋根で、まるでレゴで作ったお寺のようです。この作りが創建当時のものだと言われるとそうなのかと思います。但し、昭和20年の空襲でほとんどが焼けて、今ある建物はコンクリート造りです。

 さて、このお寺さんで、江戸の末期に一田庄七郎が、25mもある涅槃像を竹で編んで作ったという記録があるのですが、それほど大きな興行をどこで行ったのか。お寺さんに尋ねたのですが、どなたもご存じありませんでした。

 私の推測では四天王寺学園あたりか、もしかすると江戸時代のお寺は、もっと広い敷地があったようですから、動物園に近い所でやっていたのかも知れません。とにかく詳しいことはまったくわかりませんでした。

 

 四天王寺から西に歩いて通天閣のある新世界に向かいました。途中茶臼山と言う小山がありました。

 ここは大坂夏の陣徳川家康が本陣を構えたところです。ここから大阪城を攻めたのですから、随分と大きな戦いだったことが分かります。但し山は小さく、ここから大坂城が見えたのかどうか、(多分見えたのでしょう)。

 新世界に近づくと家並みは小さくひしめいて来ます。町はパリに真似て放射状に作られましたが、設計者の理想とは裏腹に、本家のシャンゼリゼ通りとは似ても似つかない発展をしました。立飲み屋、煮込み屋、おでん屋、スマートボール、喫茶店うどん屋、浮浪者がうろうろして朝から酒を飲んでいます。おしゃれとは無縁の街です。明治の理想はどこへ、残滓のみが残されています。

 ここらに新花月と言う演芸場があったのですが、そこはどこだったのでしょうか。日頃はたいしてお客さんが入らない劇場でしたが、雨になると仕事にあぶれた日雇いでいっぱいになる変わった演芸場でした。私が20代まではあったと記憶しています。

 この界隈に芸人が大勢集まって暮らしていた借家街があって、それを芸人の楽屋言葉で天王寺村(関西弁で、てんのじむら)と言いました。その天王寺村とはどのあたりなのか、あちこちうろうろしましたが、これは昔を知る芸人を連れて来なければわかりません。何にしてもこのせせこましい街の路地裏で、大勢の芸人が面白可笑しく暮らしていたのでしょう。

 

 ジャンジャン横町のアーケードを歩くと、その両脇は立ち飲み屋ばかり並んでいます。午前中から酒を飲んで煮込みを食べている人が結構います。この町は弱者や敗者にやさしいのです。

 「いいなぁ、私も人生を諦めて、昼から酒を飲んで煮込み屋でおだまいたらどんなに幸せだろう。諦めてしまえば楽しく生きられるんだ」。

 私も少し空腹を覚え、ふらりと店に入りたい衝動にかられましたが、「いや、待てよ、これから人にマジックを教えなければいけない。赤い顔して教えることは出来ない。それに、明日は打ち上げで酒を飲むから、今日呑んでしまったら血糖値が上がる。やはりはやめておこう」。と心に決めました。まだ理性のかけらが残っていたのです。「あぁ、もっと怠惰にデレデレ生きて見たい」。

 結局、どこの店にも入らず見物するのみです。御堂筋線の動物園駅を通り越して、まだ細いアーケードが続きます。「一体このアーケードはどこまで続くのか、お終いまで歩いてみよう」。と思う間もなく、途中に路地があり、そこにオーエス劇場という看板が見えました。路地を入ると大衆演劇の劇場でした。

 小さな劇場でした。髷を結って付け睫毛をしたお兄さんのポスターが出ています。外観を携帯カメラに収めました。何とも場末感の漂う劇場です。入場料1400円。人けもありません。私の心の中で軽んじているのがわかります。

 でも、よくよく考えて見たなら、この程度の劇場すらもマジシャンは持っていないのです。この劇場は、芝居を愛するファンが自己資金で建てたものでしょう。そこへ全国の役者がやって来てはとっかえひっかえ出演しているのです。そして見せる対象は一般客です。ちゃんと売り手、演じ手、観客が存在して成り立っているのです。

 方やマジックはどうでしょう。マジック愛好家と言うのは自分が人に見せたい人ばかりです。マジシャンを育てようなどと言う人はほとんどいないのです。そして、商店街の中に劇場を建て、入場料を取って一般客に見せようという人もいません。

 マジック愛好家の多くは大衆演劇を軽く見ることは出来ません。彼らはしっかり一般客を見据えて仕事をしています。マジシャンがコンベンションを相手にして、理解者の評価ばかりを気にしているのとはわけが違います。

 一体どちらの生き方が本来の芸能のあるべき姿なのか。私はオーエス劇場の前にしばしたたずみ、この人たちのほうがよっぽど正道な生き方をしているんだと得心し、自身のこれまでの人生を恥ずかしく思いました。

続く

大阪福井公演

大阪福井公演

 

 26日が大阪ZAZAの公演。27日が福井フェニックスホールの公演。28日が福井こども歴史文化館の公演。それに先立って、私は、昨日(24日)から関西に出発しました。

 朝に東京を立って、10時40分に京都。そこから近鉄電車に乗って奈良へ、近鉄電車と言うのは東京に住む者からすると滅多に乗ることはありません。

 新幹線から接続する近鉄の特急はほとんど待たずにすぐに発車しました。二階建ての車両はとてもきれいです。奈良まで1時間、特急料金と合わせて1200円くらい。高いか安いかはわかりませんが、退屈することなく奈良へ、

 少し時間があるため近くで食事をと考え、駅近くのレストラン街のイタリア料理店に入りました。比較的新しく整備された飲食店街らしいのですが、人通りがあまりありません。

 この時、周囲の雰囲気を察して、もう少し店を選べばよかったのですが、あまり時間がないのでとりあえず入りました。これがそもそも大失敗でした。

 店構えは奇麗でしたし、ランチでビーフシチューのセット、1300円は、手ごろな値段です。あまり期待はせずに、とにかく普通に料理が出たならそれでいいと思って待っていると、葉野菜の前妻と小鉢がいくつか出て来て、パンにオリーブオイル。そしてビーフシチューが出て来たのですが。これが人生で最も不味いビーフシチューでした。

 そもそも出てきたものはビーフシューですらありませんでした。トマトベースのケチャップのような汁(まるでケチャップのような味でした)に、既に湯通ししてある、牛肉と、野菜がパラパラとちりばめてあるだけのもの。

 牛肉はまったくぱさぱさで、汁と一緒に煮込まれた形跡はなく、料理らしい味がしませんでした。野菜もほとんど生で湯通ししただけのもので、汁とまったく絡んでいません。どちらもただ乗せた状態。幾らランチのメニューだからと言って、シチューでもないものをシチューと言って売ってはいけません。

 私は紙ナフキンに、「幾らランチだからと言ってあまりに客を馬鹿にしている。こんな料理を出して恥ずかしくないのか」。と文句を書いてウェイトレスに渡し、「料理人に渡してください。これほどまずい料理は人生で初めて食べました」。と言ったところ、ウェイトレスは慌てて引っ込んで行きました。

 ちょっとウェイトレスに当たったことは反省しましたが、私はテーブルに金を置き、席を立ちました。

 いきなり奈良でまずいものに遭遇しました。思えば、奈良にはこれまで数度来ていますが、一度も上手いものに巡り合っていません。その中でも最悪の店でした。

 新しいレストラン街でありながら、通りが何となく暗く、ランチの時間であるにも関わらず、人も通っていなかったことを思えば、そこに入ったことは始めから間違いでした。とはいうもののここまで不味いとは思いませんでした。

 

 この日は私をご贔屓にしてくれるアマチュアさんに集中レッスンです。お宅にお伺いして、3時間レッスンをします。間の休憩はほとんどなく、都合4時間に及びました。

 個人レッスンは費用は掛かりますが、集中してレッスンを受けると、一つのことがしっかりと覚えられますので、芸能としてマジックを習おうとするなら最も効率の良い方法です。

 但し、私としても事前に細部まで稽古をしておかなければならないため、3時間の指導が、実質3時間プラス一日かかります。私と言えども何でも覚えているわけではありません。忘れている作品もありますので簡単ではありません。

 夕方、指導を終え、一路大阪に、近鉄は列車の本数も多く、始発から終点までですのでゆっくり座れて誠に快適でした。

 

 18時30分に新大阪のホテルに入りました。今日から3泊します。駅のレストランで食事。ハイボールで鶏のソテーを食べました。あの悪夢のようなビーフシチューが忘れられず、一日不愉快でしたが、何とかいい食事にありつけてようやく落ち着きました。最近は酒を飲むと言っても、せいぜい一二杯、それも週に一回程度。おとなしい酒です。

 どうせ明後日には、打ち上げで呑むことになりますので、この日は二杯だけにしました。

 部屋に戻ってシャワーを浴び、ブログを書き始め、届いているメールの返事を書き、雑務をするうちにもう10時が過ぎました。そのままうっかり寝てしまい。起きると今日(25日)の朝5時でした。

 7時間の睡眠は私としては良く寝た方です。移動で少し疲れたのでしょう。そして今、ブログの続きを書いています。今日も一軒指導があります。そして午前中に、天王寺に行って散歩をしようかと考えています。

 天王寺は若いころ一遍行ったきりでその後、縁がありません。お寺さんの境内は、江戸の昔、竹細工師の一田庄七郎が、竹細工で涅槃像(お釈迦様が横になって寝ている像)。を作り、余りの大きさで大坂中大人気になって一年に及ぶロングランをしたと言います。その興行場所が天王寺で、どんなものだったのか、実際歩いてみようと考えています。

 一田庄七郎と言う人は、竹細工の興行で、江戸、大阪、名古屋と興行して回り、巨万の稼ぎを上げた人です。製作品はどれもけた違いに大きく、1819(文政2)年、江戸の浅草で関羽の像を作ったときには、高さが7mあったそうです。これも大当たりで1年のロングランをしたと言います。

 いつの時代でも世間があっと言うようなことをする人は魅力があります。

 

 明日は午前中に道頓堀に入り、一日中リハーサルと本番です。夜は打ち上げで、まったく時間がありません。今日は早く寝ようと考えています。

続く

舞台チャンスを作ろう

舞台チャンスを作ろう

 

 この数年、私が何をしてきたかと言うと、ショウをしたいと言う人のためにあちこちに舞台チャンスを作ってきました。それは、プロもアマチュアも関係なく、とにかく一回でも多くの舞台に出られるように、マジックショウの企画を作って来ました。

 例えば、マジックマイスターと言う企画は、私のところで習っている生徒さんに、年に一回舞台の場を作ることを目的とした会です。ここは参加される方は有料で舞台に出ます。いわばおさらい会です。

 でもその舞台に、必ず、能力のあるアマチュアさんを二、三人ゲストで出演して頂いています。学生であったり、社会人のアマチュアであったり、いろいろな人にお願いして出てもらっています。

 実は、日本では、こうした人たちが、舞台に出るチャンスが少ないのです。学生時代には必死に練習して、優れたスライハンドを身に着けても、その後社会人になるとそのマジックを披露する場がないのです。

 せっかくマジックの好きな人が育っても、マジック界は愛好家が定着しずらいのです。それはひとえに見せる場がないからです。ある程度舞台条件のいい場所で、マジックを見たいお客さんに支えられたなら、マジシャンの数はもっともっと増えるはずです。

 そうであるなら、まずステージマジックのできる場所を作らないといけません。そう考えて、マジックマイスターに毎年数名のゲストを呼んでいます。

 無論それだけでは足らないので、私が毎月主宰している、玉ひでのお座敷の舞台で若いマジシャンを数名、出演してもらっています。

 更に、そうした中で、優れたマジシャンが出て来た場合、東京と大阪で公演しているマジックセッションに出演してもらっています。

 但し、マジックセッションは、少しレベルが高く、誰でも出られると言うわけではありません。相当に内容が良くなければ出られません。

 また福井の天一祭にもゲスト出演をお願いしています。幸い、マジックセッションは、東京も大阪も来年から2日間開催になりますので、出演チャンスもまた増えることになります。

 出来ることなら、こうしたステージが、日本中であと5,6か所増えたなら、年間10本くらいの出演チャンスが生まれることになります。有能なマジシャンがいたなら、すぐにそうした舞台に出せば、彼らの舞台回数が増え、収入にもなり、結果、ステージマジシャンが増えて行くと思います。

 無論、マジックの専門劇場が出来るならそれに越したことはありません。然し、いきなり専門劇場を欲しがっても絵に描いた餅で、いつまで待っていても手に入りません。先ずは優秀な出演者を揃えて、彼らが出演できる場を一つでも多く作ることが第一です。

 日本には各地に市民会館、文化会館公民館が1000以上もあります。そこからマジックショウの依頼を受けたなら、毎年1000本の仕事が手に入るはずです。然し、現実には日本の市民会館でマジックショウを求めるところはわずかです。

 なぜか、それは芸能として見たときにマジックはレベルが低いのです。そして、マジシャンでは観客が呼べないのです。勿論少数ではありますが、お客様の呼べるマジシャンもいます。然し彼らは自主公演に興味を示さないのです。電話でパーティーの依頼を受けて、ホテルの仮設舞台に出ることで十分生活が出来ているのです。

 日本の芸能のほとんどは自主公演をすることで生きているのに、マジシャンの多くは依頼を受けてのイベントで生活をしています。そしてそれが当たり前だと考えています。

 

 然し、そのことは、近年のコロナ禍で崩れつつあります。事務所が倒産し、イベントが発生しなくなっています。もう電話を待っていても仕事の依頼は来なくなってしまったのです。

 それでもまだ、多くのタレントは、来年の春先になれば仕事が来るだろうと、漠然とした期待を込めて今を耐えています。果たして来春に舞台活動は活発化するでしょうか。

 多分、今よりは改善されるでしょう。でも、私は、もう、これまでのような舞台活動は難しいと考えています。これからは、企画を練って、見せる対象を絞って、明らかに他と違う実力を身に着けた芸能人のみが生きて行けると思います。

 かつてのように、演芸と言うくくりの中で、コントや漫才さんと一緒になってバラエティショウの中でマジックを見せると言うスタイルは、この先は難しくなると思います。

 マジックが一つの看板になって、その演者の実力で買い手がついて来るようでなければ、この先は生きて行くのは難しいでしょう。

 そうしたマジシャンを如何に作り出せるか。いや、自分自身が如何にその中に一人として数えられるようになるのか。今、しっかり考えて答えが出せないと。仮にコロナが収まったとして、芸能界が活況を見せても、自分一人がぽつんと孤立する状況になり兼ねません。

 少しでも前向きに、自分の独自の舞台を作り上げ、自分の舞台を探して行ける人が、次の時代のマジシャンになるのです。

続く