手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

50年ひと昔

50年ひと昔

 

 昨日(26日)。朝にスーツケースを点検していると、10時に大成が来ました。車で浅草に向かいます。10時50分に到着。この日は浅草公会堂のリハーサルです。

場当たりは1時30分からだそうです。少し時間があるので外に食事に出ました。

 浅草はついこの間までは気の毒なように通りが閑散としていて、飲食店も閑古鳥でした。やはり海外からの観光客が来ないとどうしようもないのです。東京の中でも浅草界隈は特殊な町で、昔の歓楽街の様子を上手く残しています。

 さて、短い時間に昼飯を済ませるには、行列している店は駄目です。浅草を知るものとしては、なるべく観光客が押し掛けない。混雑のない店で、しかも旨い店を探さなければなりません。

 ぶらぶらと映画街に向かって歩き、翁蕎麦(おきなそば)に行ってみることにしました。ここは昔から芸人がよく集まる所で、噺家や、 漫才さんが、出演前にちょっと寄って、蕎麦を一杯食べて行きます。ここはよく親父に連れて行ってもらったところで、その後何百辺も通っています。

 若いころは、私が一人でそばを食べていると、先輩芸人さんが、勘定場で、「あの若いお兄ちゃんの分も払っておくよ」。と小声で言って、店を出て行きます。そんなことも知らずにそばを食べて勘定しようとすると、「千代若師匠からもう頂いていますよ」。と言われました。何も言わずにさらりと勘定をしてくれるところが芸人の粋です。そのあと演芸場に行って、礼を言うのは勿論です。

 この店の最大の魅力は安いことです。浅草の真ん中にあって、どれもこれも安価です。天ぷら蕎麦なんてないのです。キツネ蕎麦、タヌキ蕎麦がせいぜいで、カレー蕎麦が一番値が張っていたと記憶しています。暖かい蕎麦は、昔ながらの小さな丼で、その丼の口いっぱいまで蕎麦が盛ってあるのが浅草風のサービスです。今いくらするのかは知りませんが、ざるそばなら450円とかそんな値段だったと思います。但し味は、と言うとごく普通の味です。

 その翁蕎麦に行ってみようと思い、横道に入ると、人が並んでいます。「何だろう」。と思って近づくと、何と翁に人が並んでいます。私は思わず並んでいる人に尋ねました。「翁に入るのに並ぶのですか?」。お客様は黙って頷きます。何と言うことでしょう。思わず「ここは並んで食べる店ではないですよ」。と言いたくなりましたが、営業妨害になりますから、何も言いませんでした。

 懐かしさでふらりと立ち寄りましたが、寒い中を行列して食べる店ではありません。恐らく誰か芸人がテレビで紹介したのでしょう。

 どんな店を紹介するのも自由ですが、翁はどこにでもあるような街の蕎麦屋です。肌って浅草まで来て、行列して並んで食べる店ではないのです。「何かみんな勘違いしているなぁ」。と思い。私は二件目の蕎麦屋を探しました。店はいくらもあります。永井荷風が愛した、巨大な天ぷら蕎麦の乗った尾張屋もいいですし。いざとなれば並木の藪があります。ただしこの二店はいつでも混んでいます。

 さて、すいている店で、いいそばを食べさせる店はないかと歩いていると、長浦を見つけました。「あぁ、長浦も何年も食べてないなぁ」。ここはいい店です。蕎麦好きなら納得する店です。但し値段もいい店です。翁なら、弟子と二人で1500円で済むものが、長浦は一人前が1500円です。一人前が翁の二倍します。当然お客様は少ないのです。でも久々です。大成にいい味を教えたやりましょう。

 店に入ると、お客様は一組、私らが入った後にもう一組、ぱらぱらとやって来ます。そうなのです、ここは昔からそんな感じでした。趣味の蕎麦と言う感じで、代わり蕎麦もよく作っていて、演芸場に出演しているときは、必ず一日は来て食べていました。

 蕎麦がきを食べたのもここでしたし、ごまだれで食べるうどんもここでした。胡麻を蕎麦にとじ込んで、胡麻蕎麦にするのも食べたことがあります。日頃普通の蕎麦屋さんでは食べられない蕎麦が味わえたのです。

 さて、久々に入って、何を食べようか迷いましたが、本来得意の変わり蕎麦は影を潜め、メニューはごくシンプルなものになっていました。やはりここにもコロナの影響があるのでしょうか。かけトロそばを二人前、天ざるそばを一人前頼みました。

 かけトロと言うのは、深めの皿にとろろの摺りおろしが入っていて、徳利に入った蕎麦つゆをそこにかけて、箸で混ぜ合わせ、とろろと蕎麦つゆがしっかり混ざるまでかき回します。(但しこれは私の食べ方です。昔からこの方法が一番とろろと蕎麦の取り合わせには合うと思ってしているだけです。お作法ではありません)。

 そこへせいろ盛りの蕎麦を二筋三筋掬って、とろろに絡めて食べます。くれぐれも蕎麦をたくさん掬って食べてはいけません。蕎麦にとろろがしっかり絡んで、何倍も膨れますので、一口では食べられなくなります。

 蕎麦の食べ方で一番汚らしいのは、箸でたっぷり蕎麦を掬って、口に運び、そこで口に入りきらないことを知って、前歯でそばを噛んで、口に入らない分の蕎麦をばっさり蕎麦つゆに落とす食べ方です。

 これは見ていて汚らしいし、自分の口のサイズを計算していません。どんな食べ物でも、口より大きなものを口に入れるのは綺麗に見えません。特にとろろはそばにつゆが絡みついて膨らみますので、蕎麦は3本も掬えば十分です。

 これを口に含むと、蕎麦つゆがしっかりとろろに絡まっていますので、濃厚なたれの味わいが普通の盛り蕎麦よりも長いこと口中に残ります。一度経験すると分かりますが、出汁の味、鰹の味、醤油の味がせいろ蕎麦より濃厚に感じます。

 とろろそばなどと言うと、地味な食べ物で、肌って食べたいとは思わないかも知れませんが、蕎麦好きなら最も蕎麦の旨さを感じさせてくれる食べ方です。

 さてそのあと天ざるを分け合って食べました。濃いめのたれに天ぷらを付けて、ざるそばと合わせて食べる、いつものあれですが、それまでのとろろが余りに簡素でしたから、天ぷらの油の有難みが体に伝わります。やはり蕎麦は油と相性が合うのです。

 天ぷらでも鴨でも、狐でも狸でも、油と合わせると、蕎麦のうまみが増します。さっきまで食べていたとろろ蕎麦と天ぷら蕎麦が同じ蕎麦とは思えない味です。但し、てんぷらの食べ過ぎは禁物です。油は味覚がどんどん後退します。少し食べては、又とろろに戻ります。そうして蕎麦を味わい、仕上げに蕎麦湯を頂けば、もうこれで満足です。

 思えば初めてここに来たのも親父に連れて行ってもらったのが初めてでした。高校生の時でした。あれから50年。全然時間の長さを感じません。然し、今では大成を連れて長浦に来ています。無事に、弟子に味を伝えて行けるのは私自身が元気に活動して行けるからでしょう。世間に感謝しなければいけません。

続く

レオパルト2 供与

レオパルト2 供与

 

 昨日(25日)、再三ウクライナが執心していた、ドイツの最新戦車、レオパルト2を、ドイツ政府が供与することを決めました。レオパルト2は、現代の戦車の中で最も優れた性能とされる戦車です。

  最新とは言いましたが、コンセプトは1970年代に作られたもので、対ロシア戦のために考えられたものです。ボディの設計はポルシェが行い。そこに120㎜の滑空砲を乗せたものがそれです。然し、あれこれ設計をいじったため、いろいろ不具合が生じ、その後もマイナーチェンジを繰り返し、今も手直しが続いてきます。それでも走行も破壊力も抜群で、最も優れた戦車の一つです。

 ウクライナ軍としては、旧式のロシア製の戦車が主流だったため、戦闘中も、故障が多く、また故障しても部品の調達が思い通りにならず、苦労の種でした。そのため、早くからドイツ政府と交渉をして、レオパルト2を供与を懇願してきました。

 ドイツ政府としては、レオパルト2を供与することは、直接ロシアに脅威を与えることにつながり、ロシアの心証を悪くして、結果、ドイツとロシアとの関係が決定的に悪くなることを懸念していました。場合によっては天然ガスや、石油の輸出を止められ兼ねない可能性もあり、これまで躊躇してきたのです。

 然し、いよいよここで大きな決断をしたことになります。その理由は何なのか、詳しいことは分かりませんが、ひょっとすると、アメリカが既に決断をして、今まで以上に強力な武器を供与することを決めた可能性があります。但しアメリカ一国が一歩踏み込んで、ウクライナ支援をすることには躊躇いがあったらしく、密かにドイツに伝え、アメリカと歩調をそろえてウクライナ支援に回った可能性があります。

 今、ロシアは、ウクライナの東部地区で一進一退の戦いを繰り返していますが、零下20度の中の戦いと言うこともあり、なかなか戦況は好転しません。ここに、アメリカの兵器とドイツのレオパルト2が使用されるのかどうかは不明です。今回のことで、ウクライナ侵攻が一気に解決すると言うものではないと思いますが、まとまって導入されれば硬直した戦局に大きな影響を与えるでしょう。

 ロシアは、旧式な武器を使用するのみで、武器も底をつきつつありますので、ドイツやアメリカの最新兵器は脅威です。来月あたりから使用されることになれば、ウクライナ軍は活気づくでしょう。ロシアは、ドイツの今回の判断をあの手この手で非難するでしょうが、一層ロシアは追い詰められると思います。

 何にしてもウクライナ軍も、ウクライナ市民も、電気が通らない、石油が足らない、ガスも滞っている状況下で、マイナス20度と言う寒さの中で耐乏生活を繰り返しています。これ以上戦いが長引けば、ウクライナ市民にも死者が増えることになるでしょう。一年に及ぶ戦いは、ウクライナにとってもかなり疲弊しています。ここらでウクライナを積極的に支援しなければ、ウクライナも危ないと判断したのでしょう。

 

 さて、フランスのマクロン大統領は、次回のオリンピック、パリ大会に、ロシアとベラルーシなどのロシアの衛星国を招待しないと語りました。伝統的にスポーツで国威発揚を狙っていたロシアにとっては不名誉な措置でしょう。

 この事がロシア市民に伝われば、プーチンさんの評価はかなり下がると思います。これまでもロシアは度々オリンピックからボイコットをされています。その都度、金メダルの取れる選手が大勢いるにもかかわらず、オリンピックに参加できず、涙を呑んでいます。今回のマクロンさんの発言は、ロシア国民には戦いの代償の大きさを知ったことでしょう。同様に、ベラルーシも、ロシアに強要されているだけなのに、オリンピックに招待されないのは不本意でしょう。

 マクロン大統領の発言がロシア国民にどれだけ強い影響を与えるのか、先のことは分かりませんが、心理的な動揺は大きいと思います。

 

 それにしてもこの一年間、ゼレンスキーさんは良く活動をしたと思います。一年前までは全く話題にも上らない人だったものが、ロシアの侵攻以来一躍時の人になりました。とても意志が強く、又自分の置かれている状況を的確に世界中の人に伝える才能を備えています。

 ひたすら言葉を駆使して、世界中の政治家や、他国民を仲間に引き入れてしまったのですから驚きです。アメリカ議会での演説と言い、今回のドイツを説得して、レオパルト2をせしめてしまった手腕と言い。弱い立場にありながら、目いっぱい活動して、成果を上げています。歴史に残る偉大な政治家です。

但し領土の妥協は全くしないようですから、和平交渉には時間がかかりそうです。と言うよりも、ロシアが全面撤退をしない限り交渉に応じないと言っているのですから、和平交渉は出来ないだろうと思います。つまり、プーチンさんが失脚するか、暗殺されない限り終結はないのかも知れません。いずれにしても先の見えない戦いのために、今年は世界中が不況になり、経済活動は停滞することでしょう。

 

浅草公会堂、日本橋アゴラカフェ、マジックセッション 

 今日は、これから浅草公会堂に出かけ、明日(27日)、の公演のためのリハーサルをします。恐らく12時までに公会堂に入り、夜8時30分まで延々リハーサルが続くと思います。舞台が大きく、日ごろの公演とは勝手が違いますので、入念なリハーサルになるでしょう。

 明日(28日)は同じく浅草公会堂で本番です。日本で生活する海外の人たちが大勢見に来るようです。海外の人たちこそ是非とも私の手妻を見て頂きたいと思います。外国人の口コミで手妻の話題が広がれば有り難いと思います。

 

 2月4日の日本橋アゴラカフェに公演も、申し込みが結構あって、活気のあるショウになりそうです。出来ることなら、アゴラカフェを、海外から観光に来る人達のための手妻を見せる場にしたいのです。コロナの余波が続いていて、なかなか今一つ観光が盛り上がっては来ませんが、何とか話題になって、観光客が押し掛けるようになると、私の活動は忙しくになります。その拠点となることを期待して活動しています。

 

 3月1日2日の、座高円寺で開催する、ヤングマジシャンズセッションは、既にチケットを売り出しています。なかなか反応がよくて、売れ行きもいい様です。詳細は東京イリュージョンをご覧ください。

続く

 

なぜ子供が増えない 2

なぜ子供が増えない 2

 

 実際に若い夫婦で子供が欲しいと言う人はたくさんいます。然し、生活がしにくいために、子供を諦めてしまったり、一人は生んでも、二人目をためらう家庭が多いのです。収入はあっても、家庭にいる時間が少なすぎるとか。夫婦で働かなければならず、子供の面倒が見られないとか。いろいろな理由で、子供が犠牲になってしまう場合が多いのです。

 然し、このところのコロナによって、在宅ワークが増えたことで、通勤時間が節約され、家庭にいる時間が長くなり、自然と家庭や子供にかかわれる時間が増えたことは幸いだと思います。そして、今以上に在宅ワークが定着すれば、何も東京都内のアパ-トに暮らす必要もないわけです。

 そうなら、同じ家賃で、衛星都市の、広々としたところに引っ越すなり、北関東の古民家を借りて生活すれば、環境はいいし、部屋も広くなって家賃は思いっきり安くなるでしょう。いろいろな点で暮らしやすくなると思います。人の考えが変わって行って、仕事の場があって、その上で子育てが出来ると言う生活環境が整えば、子供は自然に増えて行くはずです。

 いろいろな意味で、コンピューターは人の生活を革命的に変えて来たと思います。加えてコロナの3年間で、人は少し賢くなったように思います。案外10年以内に通勤ラッシュは解消されるかもしれません。 

 

 かつて(多分30年くらい前)、フランスが人口減少に悩んでいた時代がありました。19世紀のころは、世界の中心だったフランスが、20世紀になると、世界の中での発言権が弱まり、影響力も失われて行きました。実際、30年前のフランスは、今の日本と同じく少子化に悩まされ、人口が6000万人を割る状況になりました。

 フランス政府が心配したことは、このまま行くと、フランス語を話す人が5000万人を切ってしまうと言うことでした。国際会議で主要国の通訳から、フランス語がなくなってしまう可能性があります。出版物の発行は極端に減って行き、世界中でフランス語を聞く機会はどんどん減ってしまうのではないか、と思われたのです。今でも第2外国語として、フランス語を学ぶ人はいますが、この先、第2外国語にフランス語を選択する人がいなくなるだろう。と不安を感じるようになって行ったのです。

 そこでフランス政府は徹底的に子育て支援策を立てました。働く女性が子供を育てられるように、ホームヘルパーや、保育園、会社内の子供預り所など積極的に国が支援し、あらゆる策を講じたのです。未婚の母にまで支援を認めました。男性の育休も認められ、子供を持つあらゆる家庭の支援をしました。結果は出生率が2人以上になり、今では日本の1.4人を大きく上回っています。

 今フランスは6500万人の人口があります。かつてを思えば人口は増えたのですが、それでも6500万人です。ちなみに。イギリスが6700万人。イタリアが5900万人。スペインが4700万人です。日本の1億3000万人と言う人口は、フランスとイギリスの人口を併せたよりも多いのです。そして日本の国土は37万平方㎞。日本に最も近い国土を持っているドイツは35万平方㎞です。その人口は8300万人です。日本から比べると、ドイツの人口は少ないのですが、ヨーロッパ各国の中では最高の人口です。

 つまり、世界の大国と呼ばれている英仏二つ分もある人口が、ドイツとほぼ同じ国土に暮らしているわけです。ところが、ドイツと日本を比べるとドイツの方がはるかに広々としていて、生活にゆとりがあります。それは、ドイツは国土の半分以上が平地で、国民が一か所に集中することなく地方都市にうまく分散しているからです。

  少なくとも、東京から新幹線に乗って、新横浜まで全く家が途切れないと言う風景はドイツでは考えられません。日本の場合は、平地が少なく、少ないところに全ての交通機関や宅地が密集しているために。東京近郊も、名古屋も大阪も、街が線路の際まで一杯に密集しています。それと同じ風景の国はヨーロッパにはありません。ヨーロッパでは、都市と都市の間はかなり広々とした田園地帯が続きます。日本の風景は、シンガポールや、香港のような、都市国家に似ています。

 そのことを単に、「ドイツは日本より平地が多いから日本がせせこましく見えるのは仕方がない」。と思うのは間違いです。

 本当に土地がなくてやむなくそうしているならいざ知らず、都市が集中している陰で、限界集落があちこちに増えている現状は問題です。東京から70kmも離れたなら、無人の家がたくさんある現実を考えると、もっともっと地域を生かして使ったなら、みんなが豊かな生活が送れるのに、と思います。

 

 今から200年前、日本もドイツも、小さな領主が治める地方分権国家だったのです。ドイツと言う名称はその緩い連合国家の名称だったわけです。その後日本は中央集権国家になり、何でも東京大阪に権限が集中するようになりました。その結果が大都市が肥大して人口がアンバランスになって行ったのです。ドイツはさほどの人口集中もしませんでした。今でも大きな都市が少なく、小都市が分散しています。

 日本は関東に3500万人、関西に2500万人もの人が集中しています。日本の人口の半分が二都市に集中しているのですから、関東も関西も生活しにくいのは当たり前です。人口を分散させる方法は実は簡単です。地方に権限を譲ることです。東京にばかり仕事を持ってこないで、地方の仕事を増やせばいいのです。

 簡単なことのはずですが、実際には既得権を手放さない国や地方自治体や学校、会社が多いからみんな狭いところで暮らさなければならないのです。

 

 つい150年前まで、日本で一番多い人口を持っていた地域は東京でもなければ、大阪でもなく、新潟県だったのです。農業が主体だった当時の日本は、広い耕作地を持った新潟県が多くの人を養っていたのです。それが僅か150年で日本の人口が日本海と太平洋側で入れ替わってしまったのです。決して東京の人口集中が歴史的に長らく続いていたわけではないのです。そうであるなら、この先30年で、再度人口が分散する可能性もあるはずです。それが果たせたときに、日本は暮らしやすくなり、子供の人口は増えて行くはずです。

続く

続く

 

 

なぜ子供が増えない 1

なぜ子供が増えない 1

 

 なぜ子供が増えないかと言うことを自民党の麻生さんが、「若者結婚時期が高齢化しているからだ」。と言っていましたが、そうかも知れません。でも、そうなら、なぜ若者の結婚時期が遅れるのか、と言うことに答えて頂きたいのです。

 答えは簡単で、結婚するにも、子供を作るにも金がかかるからです。子供が生まれたら生まれたで、保育園や幼稚園に行かさなければならず、その間家を買って毎月ローンを支払ったりします。

 その後、子供を小学校に入れ、中学校に入れれば、今度は塾に入れなければならず。更に、高校、大学と、一旦子供が出来れば際限なく費用が掛かります。東京の大学に入れれば、子供のアパート代を支払わなければならず。自分の家のローンと、二重の年貢を支払い続けることになります。そんな人生を考えると、若い夫婦は子供を作ることを諦めてしまうのです。

 東京、大阪などの都市に住む人は、わずか6畳のアパートですら、6万円も7万円も支払わなければなりません。若いサラリーマンが仮に20万円の給料をもらっていたとしても、家賃で既に35%の支出をしなければなりません。そこへ光熱費、電話代、保険、貯金、等々支払いをしていると、60%70%の年貢を支払いことになります。そこへ食費、衣類、その他もろもろ、支払っていると、子供に回す費用なんてできないのです。

 僅かでも遊びや、旅行などに費用を作ろうとすれば、もう子供を育てることは無理です。20代で子供を作って、それから20年子供のために費用を支払い続けると考えたときに、子供を作ることが自分自身の人生にとって幸せかどうか。いろいろ考えてしまうでしょう。そうしたなら、子供のことは諦めると言う夫婦が現れても自然なことです。 

 私の祖父母の時代は、子供が5人も6人もいて、どこの家も賑やかだったようですが、その時代は、子供は義務教育だけ出して、あとは働かせていたのです。そうであるなら、子供は即戦力になりますから、子供が多い方が、家は豊かになったのです。昔の子供は働いて、家に稼ぎを入れてくれますから、親は楽になります。

 ところが、今の子供は、いくら育てて、学校まで出しても、家から出て行ってしまい、送金するものはわずかです。幾ら子供を育てても見返りがありません。そうなると1人くらいは育てても、3人4人は絶対無理と言うことになります。これでは日本の人口は減るばかりです。

 

 実際、日本の人口は減り続けています。それを多くの経済学者は、このままでは経済がしぼんでしまう。企業が成り立たなくなる。と悲観する人がいます。そうでしょうか、人が減ることがそんなに悪いことでしょうか。確かに、いきなり1000万人も2000万人も人が減ってしまっては大変な問題になるでしょうが、ゆるく静かに減少して行くことはむしろいいことだと思います。

 と言うのも、人が多すぎてストレスを感じるような国がいい国かどうか。何より、先ず朝の通勤電車は異常です。毎日あんな電車に乗って会社に行く先進国の国民が他にいるでしょうか。先進国に暮らす日本人がいつまでもあんな暮らしを繰り返していることが異常です。もう少し適性の人口に戻していいはずです。

 人が少なくなれば、当然家賃も下がります。今7万円も支払わなければならない6畳のアパートが、同じ料金で二部屋になれば、子供を育てようかと考える人も増えるはずです。学生も、6万円の家賃が4万円になれば、余った仕送りで、もっともっといろいろなものが買えるでしょう。そうなら、人口が減少は経済の打撃ではなくて、経済効果を上げることになるでしょう。もっと人は豊に暮らせて、充実した生活が送れるでしょう。

それなら悪いことではないはずです。

 人が減った、すぐに物が売れなくなると考えるのは間違いです。ある程度収入を取っていても、狭い部屋、せせこましい電車に乗って生活しなければならないことは少しも人生を幸せにしてはいません。表高ばかり見せかけて、その実高額な年貢を取られたなら、豊かな生活とは言えないのです。

 価値観を変えようとするなら、まず人口を減らすことです。先ず日本に人口を減らして、暮らしを豊かにして、その上で子育てを考えるのです。目先の金をちらつかせて、子供が二人になったら、毎月1万円を国から、都から支払われる、なんていう考え方は根本が間違っています。

 一万円もらっても子育ての大変さは少しも変わりません。少しでも生活がしやすくなりにはどうしたらいいかを真っ先に考えないとこの国の人口は増えません。満員電車の門田も同様です。なぜ満員電車尾に乗らなければならないか、例えば、群馬や栃木や千葉の房総半島に引っ越せば、満員電車はないのです。然しそこに名仕事も少ないのです。そうなら、家賃を下げる方法で最も有効なのは、今東京に集中している仕事を地方に持って行くことです。何でも中央が権限を握っているから、地方に仕事がこないのです。仕事を地方に譲れば、自然に人口は地方に流れます。大学ももっと大胆に移動しなければいけません。お茶の水にあった大学の校舎が八王子に移ると言うのは、人口減につながりません。生徒はどちらにも行ける中野や高円寺にアパートを借りて中央線を利用するだけで、東京の人口は減らないのです。黙っていて廼人の集まる一流大学なら、率先して、ゲン海舟楽に後者を移すべきです。それによって生徒が集まらないなら、それは三流大学なのです。まず東京大学あたりが、群馬県の猿ヶ京あたりにに移ってはどうでしょう。大きな大学が5つも地方に移れば、東京都の人口は覿面に減りますし、電車はすいて来るでしょう。東京都も毎月1万円子育てに支払わなくて済みます。一挙両得ではありませんか。

続く

 

柳ケ瀬の一杯

柳ケ瀬の一杯

 

 21日(土)は、午前中から富士での指導。7月21日(金)には17時からロゼシアター(富士の市民会館)での公演があるため、各自工夫を凝らしています。

 富士はもう20年近く指導を続けていますが、途中でクラブが変わって、今のクローバーズの指導になったのは、5年目くらいでしょうか。初めは全く不慣れな会員さんが多かったのですが、最近では演技も手馴れて来ました。実績も出来て来て、周辺のアマチュアクラブのゲスト出演にもたびたび頼まれているようです。

 参加者も増えて、10数名いるようですが、今では午前11時から午後5時まで、みっちり指導をしています。お終いの一時間は、全員にカードマニュピレーションを教えています。80過ぎの人もいて、覚えるのは大変かと思いますが、皆さん熱心に学んでいます。いいですね。80過ぎても目的があると言うのは、心も体も健康になれます。

 と言うわけで5時まで富士で指導をして、5時40分の新幹線で名古屋へ、そこから在来線に乗って、8時少し前に岐阜着。駅に辻井さんと峯村さんが待っていました。かれこれ夜の8時です。今日のお店は駅前の「ぶらっ菜」二か月ほど前に一度行って、大変にいい酒の肴が出て来たので感動した店です。

 古民家風の造りで、この晩は二階に案内されました。私は駅からの道が寒かったので、燗酒を頼みました。肴の注文は、ブリの刺身、黒ムツの塩焼き、私はきびなごの刺身と酢味噌あえ。何しろ前回、岐阜できびなごの刺身が食べられるとは思いもせず、久々感動しました。

 鹿児島に行くと、鹿児島のマジシャン、瀬紀代功さんに何度かきびなごを食べさせていただき、その艶々とした鱗と、淡い脂の乗った新鮮な小さな身に感動しました。あの感動を又味わいたいと思いまがらも、東京ではあそこまで艶々したきびなごが食べられません。何とか食べたいと思っていたら、何と岐阜であの味が味わえたのです。恐らく錦江湾で朝とれたきびなごを空輸して岐阜に持って来たのでしょう。

 仕事を終えて、燗酒で、錦江湾のきびなごの刺身が食べられるなんて、あぁ、何て幸せ者なんでしょう。峯村さんは黒ムツ塩焼きを喜んで食べています。きびなごを勧めると、これも喜んで食べます。ハイボールを飲みながら、次々と箸が進みます。ぶりもいい具合に脂が乗っています。岐阜は背後に富山湾が控えていますので、寒ブリなどはいいものが届きます。

 「峯村さん、あなたは海のない県に育っていながら、随分魚を上手に食べますね」。と尋ねると、「海がない分憧れがあって、長野県民にとっていい魚はご馳走なんです」。なるほどなるほど、全く身を余さずきれいに骨からとって食べるさまは、手慣れたスライハンドを見る思いがします。こんなところに日ごろのハンドリングが生かされているのですね。

 思えば、辻井さんも岐阜県民ですから、海がありません。それにしては魚をよく食べます。辻井さんは「藤山さんと来た後、何度か又この店に来ていろいろ頼んだんですが、何を食べてもレベルが高いですよ。黒ムツは外側はこんがり焼けていますが、中はホクホクです。ぎりぎりのところまで焼いてあって、加減がうまいです」。

 前回頼んでうまかった、里芋を揚げたものにあんかけをした料理は、矢張り期待を外しません。厚揚げのポン酢掛けもいい出来です。魚がうまいと話も弾みます。いい加減満足して、次は柳ケ瀬入り口にあるグレイスです。

 一時期、柳ケ瀬は遊ぶ人がいなくて閑古鳥でしたが、この晩は少し復活してきたようです。お目当てのロシア女性はいませんでしたが、彼女は、今度2月4日、日本橋アゴラカフェで催す私のショウに辻井さんと一緒に来るそうです。

 何でも興味を示す女性で、手妻も習いたいと言っていましたが、さぁ、本気でしょうか。私のところには同じように弟子希望のロシア系高校生が来ていますが、こんなにロシア人手妻師が増えるのもどうなんでしょうか。日本伝統手妻などと言っておきながら、「スパシーバ」なんて言って手妻をされると、江戸の風情が薄れます。

 習うことはさておいて、日本文化を堪能していただけるなら幸いです。マジックの話などしているうちに、時刻は過ぎて、終電近くになり、一行は店を出ました。私は岐阜市内にホテルを取りました。

 翌日、22日は名古屋の指導です。今回は大阪の指導がありませんので、名古屋を終えて、夜18時30分の新幹線で東京に戻りました。大阪はかつては若いマジシャンが何人も習っていたのですが、このところのコロナの不景気で、若手が集まらなくなりました。それとは別に伝々さんや、高重翔さんも習いに来ますが、この二人はなかなかうまい具合に日にちが合いません。

 この若手指導が一日うまくまとまって、プラス翌日、奈良の某お寺さんが個人レッスンを受けたいと希望されると、関西はうまい具合に忙しくなります。そうなれば無論、あともう一泊しなければなりません。

 まぁ、泊まることは問題ないのですが、私の場合は個人指導ですので、指導の道具が増えるのが問題です。かつてはスーツケース2つ持つことも何でもなかったのですが、今では一つ持つのでいっぱいです。

 中にはシルク、ロープ、真田紐、ピラミッド、リング、カード、四つ玉、着物一式、などが入っています。これにテーブルや、蒸籠、引き出しなどが増えると、もう一人では無理です。今でも海外旅行一週間分くらいの道具です。弟子と一緒に行ければ体は楽なのですが、弟子を連れて行くほどの仕事ではありません。

 なかなか楽に稼げる道と言うものはないようです。それでも、多くの人が私のマジックを求めて下さるのは幸いです。

 

 今年は、指導するためのDVDを作ります。

1、若狭通いの水。(一切仕掛けを使わないで演じる古いやりかたのもの)

2、カードマニュピレーション。(ファンカード。5枚カード。連続出し。)

3、シルクプロダクション。

 何とか年内に三種出したいと思います。乞うご期待。

続く

 

 1月27日(金)。浅草公会堂での公演。江戸職人展をロビーで開催。14時から私の江戸手妻の公演です。大きな舞台で、手妻の数々をお楽しみいただきます。藤山大成のテーブルクロス引きなど。料金4000円。どうぞお越しください。

 2月4日、12時から。日本橋室町、ホテルマンダリン二階、アゴラカフェにて、イタリアンのお食事付きで、日曜日の昼にゆっくりショウを楽しむ企画です。藤山新太郎。藤山大成、穂積みゆき、手妻の公演。5000円、食事付き、ご予約は、アゴラカフェ6262‐6331まで。

付いている人 2

付いている人 2

 

 多湖輝(たごあきら)先生は、余り自分の過去を話す人ではありませんし、余り人生論を語るような人ではありません。自慢話もしません。人柄としてはごく穏やかな人で、どんな時でも言葉を選んで、平易に、かみ砕いて話をしてくれました。私は昔から年上の人の話を聞くことが好きでした。話の引き出し方も心得ていたのだと思います。私がいろいろ質問すると先生は色々な話をしてくれました。

 

 「私にしても、都築さん(ヤマト運輸の元社長)にしても、幸運な人なのです。それは藤山さんも同じです。私は大学にいて教授だけをやっていたら今の活動は何も手に入らなかったのです。

 都築さんもそうです。運送会社にいて、企業の荷物を輸送しているだけならごく普通のサラリーマンだったわけです。それが日本で初めて宅配便と言うものを始めたことで大きな成功を手に入れたわけです。人のやらないことを始めて、普通の世界から飛び出したから成功したわけです」。

「先生は大学教授でありながら、日本で初めてタレント活動をやって、同じ教授仲間から反発はなかったのですか?」。「ものすごい反発がありました。昭和30年当時などは、まだ大学教授がテレビに出るなんてとんでもないと言う時代でしたからね。テレビ、ラジオと言う娯楽の社会に、大学教授が出ること自体許されなかったんですよ。しかも、出版で大当たりしたものだから、反発が強くてね。随分嫉妬されました」。

 「先生にそんな時代があったんですか」。

 「ありましたよ。人がやらないことを始めれば、どんな社会でも反発があるでしょう。藤山さんでもそうでしょう。和装で、手妻なんて始めたらおかしな目で見られたでしょう。多くのマジシャンはマジックと和装の手妻が結び付きませんから、なかなか理解されないんですよ」。

 「全くそうでした。私のしていることはみんな古いと思っていたんです。勿論古いことは事実です。手妻ですから。でも、実は、私のしていることはトレンドなんだと言う自負が初めからありました」。「私も藤山さんの手妻を見て、そのことに気づきました。私は昔から日本の伝統文化とは無縁で、正直あまり興味もなかったのです。ところが藤山さんの演技を見て、全く今まで考えたこともない世界がそこにあることを知りました。私が知らなかった世界を藤山さんが持っていることが新鮮で、私はそこに興味を持ってずっと藤山さんを見ています」。

 「それが、人とは違う、独自のものを私が持っていると言うことですか」。「そうです。でもさっき言ったように、だから成功する、だからみんなが認めてくれると言うものではないのです」。「そのことが伺いたいのですが、何をどうしたら世間で認められることになりますか」。

 「それは、私が手妻のどんなことでも質問すると、即座に明快に答えるところです。ちゃんと私を納得させるだけの答えが藤山さんにはあるのです。簡単なようですが、これは簡単ではありません。どんなことでも一言で答えを言えれば大した才能です。あなたにはそれがある。だから支援するのです」。

 「でも先生、そのことが成功に結び付きますか?」。「結び付きます。難しい話を明快に答えることは才能です。大学教授の中でも、30年も50年も一つことを研究している教授が、素人さんに研究内容を説明する段になると、話が長くなったり、要領を得ない話をする人はたくさんいます。

 なまじ知識があることが、難しい話をより難しく話してしまうのです。これでは相手に何も伝わりません。頭がいいからとか、よく知っているからと言ってもその内容が伝わらなければ全く社会とつながらないのです。

 世の中に認められると言うことは、多くの人に理解されなければ認められたことにはならないでしょう。自分のしていることを明確に伝えられる人が成功する人なのです」。

 「私は時々講演を頼まれます。江戸の手妻師の話をしたりします。あるいは徒弟制度について話をしたりします。そうした活動も積極的にすべきですか?」

 「是非やるべきです。昭和の末から、平成にかけて、講演活動の幅が広がって、今ではいろいろな人が講演するようになったでしょう。料理の研究家でも落語家さんでも講演をしています。でも、講演を依頼される人たちと言うのは、自分のしていることの中の何が文化なのかをしっかり語れる人なんですよ。面白おかしい話の中に知性を語れる人が成功するんですよ」。

 「先生の頭の体操も、単なるクイズではなくて、必ずクイズの回答の後に、背景となる考えを解説していますよね。そこに知性が見えますね。あれが成功の種ですか」。「全くそう。今の人たちは、簡単なクイズでも、それがナンセンスの儘ではなかなか納得しないんですよ。答えを聞けば、なぁんだと言うものでも、どうしたら人の興味につなげられるか。そこを工夫して、知性を加味出来る人が成功するわけですよ」。

 

 言われてみれば、昭和40年代の演芸の世界と言うものは、全くナンセンスな笑いが中心の世界でした。マジックも、ただ道具と手順を並べて、10分15分演じればそれが収入になった時代でした。然し昭和が終わるころになると、ショウの流れははっきり変わって行きました。観客は非常に細かなところまでも内容を求めるようになってきましたし、知性も求めるようになってきました。それに合わせて演者であるマジシャンの存在も変わって行ったのです。

 人のやらないところに目を付ける。それは成功のきっかけになります。そして自分の活動を外の人に語る能力を持つ、これが成功する秘訣なのでしょう。そして、大きく世の中の流れが読める。例えば「今の時代は多くの人が知性を求めている」。と知ったときに知性を提供できる人が成功者になると多湖先生は教えてくれました。

 

 さて、多湖先生も都築さんも今は亡くなって、強力な支援者を失ってしまいました。いや、もう年齢的に私は、支援者を求める年齢ではないのでしょう。むしろ私が次の世代の人たちを支援してやらなければならない立場なのだと思います。それにしては頼りない手妻師です。

 私は決して大きな成功を掴んだわけではありません。川砂の中から小さな砂金を一粒見つけた程度の成功に過ぎません。これで別荘三軒は建ちません。それでも何とか、この先は、細々とマジック界のために活動して行こうと考えています。どうぞ大きな期待をせずにご支援ください。

続く