手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

玉ひで最終日

玉ひで最終日

 

 今日は、ブログを前半、後半に分けてお届けします。今日は玉ひでの最終日です。これから玉ひでに向かいます。お客様は満席です。お客様としても、親子丼は食べ収めとばかり、皆さん親子丼のセットを注文されています。

 玉ひでさんは、今月中に店を閉めて、すぐに解体作業に入ります。そして、2年半後に新店舗を建てて再開します。その間、親子丼は食べられないわけではなく、コレド室町の中に仮店舗を出されるそうです。

 玉ひでさんとしてはコロナの二年半の後、大きな決断をすることになりました。コロナによる飲食店への圧力で、多くは閉店したり、事業を縮小したりする店が多い中、何と玉ひでさんは、百坪の敷地で二階建ての店舗を維持していたものを、全て解体して大きなビルを建てることにしました。費用の面でも簡単ではありません。飛躍の可能性大です。よき方向に進むことを願っています。

 

 私の方は、来月から日本橋マンダリンホテルのアゴラカフェに移動します。アゴラカフェでは、毎週日曜日にマジックショウがあります。一つは私の手妻、二つ目は若手のショウ(ザッキー、早稲田康平、前田将太、諭吉)、三つ目はDAIとそのグループによるマジックショウ、四つ目はカズカタヤマとその仲間によるマジックショウ。毎月4つの別々のチームのマジックショウがあり、それぞれ競うわけですので、面白い展開になりそうです。

 私は玉ひでと同じ、私の手妻と若手のマジックショウを致します。早く、海外の観光客が来てくれて、海外のお客様でにぎわってくれることを期待します。

 若手に関しては、今までの玉ひででは私の前に出番を作って出演してもらっていましたが、今回は大抜擢しました。若手と言ってのもう30になろうとしている人たちですので、ここらで自分の芸を作り上げ世に問うて行くことが求められます。せっかくの機会を生かして、いろいろなことをして行ったら、後々、いい勉強になると思います。こんなチャンスはもうしばらくは来ないと思いますので、せっせと人集めをして話題を作って行ってください。

 というわけで、前半はここまでにしておきます。後半は、晩の7時以降に玉ひでの様子を書きます。8時くらいに覗きに来てください。

前半終了

 

後半開始

 玉ひでから5時に戻りました。

玉ひで公演は。お客様22名で満席でした。食事が間に合わず、12時30分のショウ開始予定が、10分遅れになりました。

 1本目は前田将太。私が常日頃演じている、手提げの引き出しを煙管を構えて演じました。弟子入りしたときから、いつかこの手順を演じたかったそうです。3年半経って、その思いが達成できて当人は満足です。お客様も素直な反応で喜んで見ていました。その後にいつも演じている金輪の曲。手慣れた演技でした。

 二本目はせとなさん。コインとカード当ての演技、タイムラグを応用したコインとカードの微妙な一致と不一致、うまく見せています。お終いは、四つ玉とグラスの手順。何度となく見てきた手順でしたが、今回が一番充実していました。シルクを使ってのグラスとボールの扱いはうまく出来ています。これならもう少しまとめたなら、独自のいい演技になるでしょう。

 三本目は、早稲田康平さん、新聞紙の復活、スライディーニの手順を、奇麗にこなしています。その後に喋りながらカメレオンハンカチ、これも不思議なハンドリングでこなれた演技でした。お客様の受けもとても喜ばれていました。お終いは、ゾンビボール。早稲田さんの孫美は何度となく見ていますが、今回はテンポと言い、浮揚のマイムと言い素晴らしい出来でした。軽い扱いのゾンビでしたが、個性が出ていていい受けでした、お終いは銀テープが流れて、おしまい。

 そのあとは私の手妻。初めが袋卵。卵が三つ出て来て終わり、次に紙テープの切り継ぎ、紙片の曲です。そして、紙卵。次に前田との絡みでお椀と玉。そして、札焼き、

その後が、蝶のたはむれ。間に玉ひでの社長さん、山田耕之介さんが出ていらして、お店建て替えのあいさつ。お終いは、再度社長さんが出て来て、三本締めをして、めでたく閉会となりました。

 楽屋に戻って、お客様として来てくれた、石井裕さん。堀内大助さん。小林拓馬さんが楽屋に来てしばらく談笑。恐らくこの建物も今回が見納めになるでしょう。お名残り惜しくはありますが、これで楽屋を去ることにしました。

 

 さて私の車には、弟子の前田と、私、それに早稲田康平さんが乗って、途中唐揚げを買って、事務所に戻りました。そこで唐揚げを食べながらハイボールを飲んで軽く打ち上げをしました。

 私は、今回の早稲田さんを見ても、せとなさんを見ても、また弟子の前田を見ても、この二年半の玉ひではやってよかったと思いました。若い連中はとにかく、舞台を踏むたびにうまくなります。その成果は確実に身についています。もし玉ひでがなかったら、稽古だけでここまで演技が出来たとは思えません。やはりお客様に見てもらえたことは若手にとっても大きな成果だったと思います。

 来月からのアゴラカフェは、今まで以上に若手にステージチャンスが生まれます。日本橋を核にして、優れたマジシャンが出て来る可能性はあります。お客様が増え、マジシャンが充実すれば、きっとマジック界にとってこの先は明るくなります。そうなるように我々は努力をしなければいけません。どうぞ、来月からの、アゴラカフェのマジックショウにお越しください。

 数年後、日本のマジック界を見た時に、あの時のアゴラカフェの公演から日本の次のマジックの時代が始まった。と言えるようになるかもしれません。無論我々もそうなるように努力を致します。どうぞ皆様のご支援よろしくお願いいたします。

玉ひで最終日終わり。

 

明日はブログを休みます。

ウクライナは勝利するのか

ウクライナは勝利するのか

 

 ロシアによるウクライナ侵攻は、当初の予想とは大きく違って、ロシアはぼろ負けをし、ウクライナが国土を守り抜いて勝利しそうな気配です。世界に冠たるロシア軍を相手に、正面から戦いを挑むと言うのは、全く無謀な話で、恐らく二週間の内には、首都を包囲されて、ウクライナ軍は敗北し、そこから先は地下組織が散発的に戦いを続けるだけの消極的な戦いになるのではないかと思われていました。

 然し、実際には、ウクライナ軍は粘り強くロシア軍と戦い、各所で対戦車砲や、ドローンを使って戦車やヘリコプターを撃退し、あれよあれよという間にロシアを叩き、ロシア軍を慌てさせました。

 そうなると、当初傍観していたNATO軍が、支援を申し出て、ポーランド、オランダ、イギリス、フランスなどが武器を供与するようになり、更にはドイツ、アメリカまでもが積極的に武器や資金、更には陰で兵を派遣して支援するようになって、ウクライナ軍は俄然強力な軍隊になって行きました。

 それもこれも、当初侵攻された時にすぐに降伏せずに、不完全な装備ながらも敢然と ロシア軍に立ち向かったウクライナの姿を見て、世界中が共鳴したからでしょう。ドイツは憲法まで改正して、ウクライナを支援するようになりました。

 こうした欧州の全体の姿勢に対して、日本は明らかに出遅れています。「我が国は、憲法9条のために、他国への軍隊の派遣はしない、武器を他国に譲れない、日本の軍隊は軍隊でなく自衛隊だ」。と言って、全くの支援をしていません。「いや支援はしている。日常品や、医薬品は送っている。相手の気持ちも考えて千羽鶴も送っている」。こんなことを言って言てウクライナは納得するでしょうか。

 「彼らが今欲しいのは武器であり、弾薬です。自衛隊が、とりあえず今、差し当たって弾薬や、対戦車砲を使用していないなら、貸し与えてもいいのではないか」。と言えば、「いや、国の憲法が許さない」。「いえいえ、ドイツは憲法を改正してまでウクライナに武器を供与していますよ。戦車まで貸し出ししていますよ」。

 「日本は平和を守るために、自衛隊の派遣も武器の貸与も出来ないのです」。「誰の平和ですか、近所で不幸を被っている人がいて、連日戦って、多くの死者を出して困窮している人々がいるのに、現実を見ずして、日本だけが関与せずに、それで自国の平和が維持できますか?」。

 

 今回のウクライナの戦いは、大きく世界を動かしました。反応が鈍いのは日本くらいです。ポーランドや、チェコと言った、軍事力の小さな国でさえ、積極的にウクライナに軍事支援をしているのに、日本の姿勢はあまりに消極的に過ぎます。こんなことをしていて、この先、朝鮮半島や、台湾に紛争が起こったときに、世界は日本を助けてくれるでしょうか。いや、日本自身、朝鮮半島の戦いに関与できるでしょうか。台湾を助けることが出来るでしょうか。

朝鮮半島や台湾は日本の領土ではないから、日本は関与しない」。と言えますか。現実にそこで紛争が起きれば、とんでもない数の難民が日本に避難して来ますよ。仮に九州に百万人単位で避難民が来た時に、「うちは難民を受け入れないから」。と言って見殺しにできますか。

 目の前に困っている人たちが船に乗ってやって来たなら、無条件で助けてあげるのは当然のはずです。それが百万人であろうと、二百万人であろうと、困っているならすべて助けなければなりません。北朝鮮や、中国軍の軍艦が日本の近所まで迫害された人を追いかけて来たなら、「知らない」。とは言えないでしょう。自衛隊は戦って彼らを助けなければならないでしょう。普通の国ならそうします。日本はそうしませんか?。

 自分だけが平和を願っていれば、日本は平和であり続けると思いますか。それはエゴで、余りに世界に対して無神経です。それは平和主義ではなく、事なかれ主義です。

 

 今回のウクライナは、多くのことを世界の国々に教えてくれました。この三か月で、欧州は、ロシアに対して積極的にNOと言い、ウクライナを支援しています。そればかりか、フィンランドやスゥエーデンはNATOに加盟申請をしました。これまで中立を保っていた国が、大転換をしたわけです。

 ロシアにすれば、オセロゲームのように、次々と駒の色が変わって行きます。この先、ウクライナも、べラルーシュもNATOに加盟しないとは言えません。

 そうなれば、それに連れて、中央アジアのロシアの衛星国もこぞってロシアから離れて行くでしょう。それがすぐに離反するとは限りませんが、ロシアと言う巨大船が沈むとなったら、みんな我先に逃げだすはずです。

 そうなればロシアは瓦解します。ウクライナで使い果たした大きな戦費が負債となって、ロシアは賠償金を支払わなければならず、にっちもさっちも行かなくなるでしょう。結局社会主義はシステムの脆弱さによって、崩壊するのです。

 いざ経済が破綻したときに、ロシアはどうやって負債を支払うのでしょうか。一つは、油田やガスの権利を他国に売り渡すことです。そしてもう一つは領土を切り売りすることです。どちらもロシアの望まない行為ですが、借金の返済のためには致し方のないことです。

 

 周辺の土地や島を売りに出して借金の返済に充てるとなったら、日本は絶好のチャンスです。千島列島や、樺太(サハリン)くらいは買い取ってもいいのではないかと思います。そうなれば何十年も交渉しても全く埒の空かなかった、北方四島も、四島だけでなく、カムチャッカ半島以南の千島全島がそっくり帰って来ますし、樺太も、油田付きで全島丸々日本のものになるでしょう。

 これは日本が新たな開発のできる土地を手に入れることになり、大きな雇用を生みます。少なくとも、カニやたらがたくさん取れて、海産物は安くなります。回転寿司は、明太子やカズノコカニやサンマが全品百円で回転してお客様は大喜びです。千島や樺太に日本人がたくさん住むようになり、新しい都市が出来てどんどん繁華街が出来るでしょう。

 そうなると我々の様な芸能人は、スケジュールが広がって行きます。ミュージシャンが千島列島を飛び飛びにコンサートをして回ったり。樺太の都市の市民会館でマジックショウが開催されたり、ちょっと寒いのを我慢すれば仕事は増えて、日本のタレントは活動の幅が増えるでしょう。ロシアの崩壊は日本のチャンスなのです。

続く

 

 玉ひで満員御礼

 玉ひで公演は明日の最終日はめでたく満員御礼になりました。長らくご支援有難うございました。また三年後に再開します。その際にはまたお越し下さい。

 6月からは日本橋マンダリンホテルの二階、アゴラカフェで、毎週マジック公演があります。私は6月5日、一回目の公演に出演します。12時から、食事付きで5000円。詳細は、東京イリュージョンの掲示板をご覧ください。

 12日は、若手マジックショウ、ザッキー、早稲田康平、前田将太、諭吉ほかが出演。

 26日はカズカタヤマとその仲間の公演。どうぞお仲間お誘いの上お越しください。

面白て やがて悲しき お笑いかな 2

面白て やがて悲しき お笑いかな 2

 

 私は、当時の有名芸人、大師匠が、ある日突然、お客様が笑わなくなった場面を何度も見ています。毎日余裕で漫才をしていた大師匠が、お客様がクスリとも笑わなくなるのです。すると、当人たちも舞台上で慌てだします。受けないとわかると、すぐさま受けネタに差し替えて、別の話題を持って来ます。傍で見ていても、ネタが二転三転しているのがわかります。明らかにまとまりのない漫才になって行っています。ところがどんなに手を尽くしても、お客様は笑わないのです。

 私は客席の後ろで見ていて「笑いの芸と言うものはこんなにももろいものなのか」。とその意外なほどの観客の変わりように驚きました。以前と比べて寸分たがわぬ喋りをしているにもかかわらず、ある日お客様は笑わなくなるのです。ベテラン芸人にとっての不幸の始まりです。

 ベテランの大師匠は、やっとのこと舞台を終えて、楽屋で汗を拭きながら、内心は「これは何かの間違いだ」。と思ったでしょう。「どこかでお客さんとの噛み合いを間違えたんだ」。とか、「お客さんの質が悪かったんだ」。と思います。ところが、これ以降、そうした舞台が、数度に一度やって来ます。徐々に受けなくなるのです。

 そうなると演じる方も疑心暗鬼になります。堂々と、晴れやかに舞台に現れていた大師匠が、見る影もなく小さな芸人になって行きます。そして、受けが弱いと舞台の上で言い訳が始まります。笑いが受けないからと言って、言い訳をしても何ら解決するものではありません。芸が陰気臭くなるだけです。

 どんなに受けなくても、受けないことを引きずって話をしてはいけないのです。ベテランならそんなことは百も承知です。承知していながらも、笑いの芸で笑いがないと言うのは、頼るすべを失います。何とか受けをもらいたい一心で、引きの芸(ぐちぐちと言い訳をしたりして、人間の弱さを見せて、お客様から共鳴を得ようとする。心の内を見せることで人間本来の弱さ、儚さを見せて笑いにつなげようとする)で観客の興味を呼び込もうとします。然し、受けないときの引きの芸は惨めな結果に終わるだけなのです。どんどん傷口を広げます。そんな舞台を経験すると、いかなベテランも、すっかり自信を失って行きます。

 これが芸の死なのです。芸能の技術を身に着け、人気を得て、収入を得て、押しも押されぬベテランが、ある日突然冷めた目でお客様に見られる日が来るのです。この時、芸人に終わりが来ます。こういう日が、50代、60代で来ると、悲劇です。残りの人生はなんとか余勢で生きて行けるかと思っていたものが、1㎜も居場所が残されていないと知ったとき、芸人人生は終わるのです。

 そうならないように、あれこれ新しいことを考えて生きて行かなければならないのですが、20代30代で次々にアイディアが考えついたことが、50代60代ではどんどん難しくなって行きます。頭の中が固くなっているのです。こうしたときの苦しみは、若いころでは考えられません。まさに八方塞がりなのです。

 

 堀口大学と言う、明治生まれの詩人がいます。その詩に、「月光とピエロ」があります。元は11篇の詩なのだそうですが、その中の4篇が合唱曲になっています。私は高校時代にこの曲を合唱で歌いました。

 ピエロはサーカスの間つなぎに出て来て、コミカルな演技をします。決して主役にはなれません。顏はおしろいを塗って、素顔もわかりません。そのピエロが自らの境遇に悩み、月を見ながら涙を流します。顏はおしろいを塗ったまま、道化の姿で涙を流します。そんな状況を詩にしています。

 

 月の様なるおしろいの、顔が涙を流すなり

 見すぎ世過ぎの是非もなく、おどけたれどもわがピエロ

 秋はしみじみ身に染みて、真実涙を流すなり

 

 ピエロのつらさ身のつらさ、ピエロの顔は真っ白け

 白く明るく見ゆれども、ピエロの顔は寂しかり

 ピエロは月の光なり、白く明るく見ゆれども

 月の光は寂しかり

 

 高校時代は言われるままに歌っていましたが、芸能を職業にするようになって、時々この詩を思い出します。そして、なぜ、ピエロが派手な格好をして、おしろいを塗ったまま、夜な夜な月を見て涙を流すのかが分かるようになりました。

 

 恐らくおしろいを落としたなら、50づらをした親父の顔が出て来るのでしょう。もう今となっては新しいことも考えつかず、体も動かず、ただピエロをしているだけで、何とか日々しのげているのです。今となっては、ピエロであることが当人の存在なのでしょう。化粧を落としてしまえば、ただの親父です。

 

 そんな時に、ほのかな恋が芽生え、明るい兆しが見えます。然し、よくよく考えて見れば、無一文で、年を取ったピエロに相手は振り向いてはくれないでしょう。若いころには山ほどほどあった夢も、今は一つ一つ消え失せて行き、ただ力のなくなってしまった我が身がそこにあるばかり。

 化粧を落として素の自分で生きて行きたいと思いつつも、おしろいを塗ることはやめられず、おしろいの顔で月を見て涙を流すのです。なぜ涙を流すのかと問うまでもないことで、年を取って、おしろいを塗って、ピエロをすることは、それそのものが悲しいのです。

 

 私の親父は、60を過ぎて、仕事もなくなり、金もなく、それでも仲間とマージャンしたりして、小銭を作っては、毎日飲んで遊んで、ギャンブルして楽しんでいました。然し、親戚連中は、年を取って、知名度もなく稼ぎもない親父をさげすんでみていました。陽気で面白い人でしたが、いつも人の影口に怯えていました。親父にとっては、日々遊んで暮らしている身が、内心恥ずかしかったのです。家に飾られたこけしは、全部横を向けて並べていました。前を向けると「悪口を言われているんじゃないか」と思って、心が落ち着かないと言っていました。

 親父にとっての理解者は、母親と私の家族だけでした。そして寄席や演芸場の舞台に出ているときだけが心の休まる時でした。いつでも人の表情を見て、遠慮がちに暮らしていました。「芸人は恥ずかしい生き物」。それを実践し、全うした人でした。

面白てやがて悲しきお笑いかな 終わり

面白て やがて悲しき お笑い芸 1

面白て やがて悲しき お笑い芸 1

 

 去る5月11日、上島竜兵さんが自殺をされました。その原因が何であるか、私は知りません。縁もないものがとやかく言う話ではありません。そう思うがゆえに、このニュースをブログでは取り上げませんでした。

 然し、お笑い芸人を父親に持ち、多くのお笑い芸人を見て育ったものとして、お笑いと言う芸は、とても危険な芸であることを私は知っています。この文章が、上島竜兵さんの苦悩とつながるのかどうかは知りませんが、お笑い芸についてお話します。

 

 人を笑わせ、楽しませ、常に明るく陽気な芸でありながら、お笑い芸人のその心の奥は常に不安で、後ろ暗く、例えようもない寂寥感を抱き、常に自らを死の淵に追い込もうとします。

 私は子供のころから劇場などで、お笑い芸人さんを見て来て感じたのですが、彼らは舞台では面白いことを言ってお客様を沸かせるのですが、終わって楽屋に戻ってくるときになると決まって寂しそうな、気難しそうな顔をします。舞台が陽気で賑やかである分、まるでその反動であるかのように、素に戻った時の顔が暗いのです。

 それは楽屋での着替えを終えて、劇場の裏口から出て行く時も、これがさっきまで舞台で派手な喋りをしてお客様を沸かせていたタレントとは思えないほど、暗いのです。世の中の裏側に隠れてひっそり生きているかのような、実に後ろめたい表情をしているのです。私は親父や、仲間の芸人を見て、お笑い芸人は「笑いとは恥の芸」。と理解しているのではなかと感じました。

 それでもまだ若くて、時流に乗って、マスコミに頻繁に顔を出して、よく受けているときはけっこう明るいのですが、50、60と年齢が進んで、笑いがずれ始めて来ると、顔は一層険しいものになります。本来なら、30年40年と同じ芸能を続けていれば、たくさんの技術が蓄積され、その技術で笑いを作り出せるはずなのですが、そんな風にはなりません。実際の笑いは、時流と密着しているために、作り置きが効きません。昔作ったネタはもう使えないのです。つまり技術の蓄積がしにくいのです。

 しかも始末の悪いことに笑いはその人の性格に密着しています。一度、バカとか、無責任とか、ほら吹きとか、個性的なキャラクターが出来て、お客様認知されると、それを一生演じ続けない限り笑いは作れません。

 一度評価された役を演じ続ける限り、お客様は付いてきてくれます。然し、お客様はそのキャラクターから少しでも違った性格を認めようとしません。バカで売ったなら、一生バカであり続けなければなりません。

 芸人にとってこれほど苦しいことはありません。一度バカで売ってしまうと50を過ぎてもバカを演じなくてはなりません。道を歩いていても、酒を飲みに行っても、常にバカであり続けなければいけません。「それが仕事なんだからそれでいい」、と思っていても、50を過ぎて、同級生が会社経営者になったり、社会的な地位が上がって行っても、自分はパンツ一枚で馬鹿を演じ続けなくてはいけません。

 子供が出来ると子供は、「学校でバカにされるから、あのギャグはやめて」。と真剣に懇願してきます。年齢が進むにつれて、自分のしていることに疑問が生まれ、もっと違うところに行きたいと思うようになります。

 お笑いタレントで、コメンテーターになったり、ニュースキャスターになったりして、立派な意見を言う人が出て来ます。私は「彼らの中にも葛藤があるんだろうな」。と慮(おもんばか)ります。転身できる人は幸せです。

 

 

 時は流れ、もう自分の作ったキャラクターが飽きられてきたことは見えているのに、お客様は一つのキャラクターを求め続けます。求めてくれることは有り難いのですが、このまま行けば、仕事がどんどん少なくなってきて、以前ほどみんなが笑わなくなって来て、すべてが終わってしまうと分かっていても、キャラクターを変えられません。

 お笑い芸は、古典落語や、狂言の笑いとは違います。笑いは常に時流に密着し、なおかつ当人のキャラクターからぴったりくっついていて、個性から離れては存在しません。

 マジック、ジャグリング、楽器演奏などと言うような、技術が前面に見える芸能には長く続けるほど蓄積が生きて来ます。若いころ覚えた技術がそのまま50年経っても使えます。カード、コイン、リング、鳩、それらは50年経っても仕事に生かせるのです。

 然しお笑いはそうはいきません。ベテランが、技術を駆使して作った笑いは、若いお客様には受けが悪いのです。なぜ受けないか、技術で笑わせるのでは作為が見えるからです。若い芸人で、感覚的に超えた才能のある芸人の笑い、つまり予測不可能な笑いに、より多くの若いお客様は集まります。先ずは時流を掴まない限り、人は集まらないのです。

 逆に言えば、センスのいい若者がお笑いを目指せば、それほどの技術を持たなくても、荒稼ぎが出来ます。然し、そうした生き方では長く生き残れないのです。そのため、笑いに固執せず、受けなくなれば、さっさとほかの道に行ってしまう芸人もたくさんいます。そのように生き方を変えて行ける人はむしろ幸せなのです。

 

 ところが、笑いを愛し、一生この道で生きて行こうとすると、かなり難しい生き方を強いられます。古くなったキャラクターを続けていると、「あいつはいつも同じことをしている」。と言ってバカにするお客様が出てきます。そしていつしか「時代遅れ」、のレッテルを張られます。それでも何割かのお客様は古いスタイルに固執します。

 支持者がいて仕事がつかめるのは幸いなのですが、同時に「流行遅れ」と言われ続け、軽蔑されます。それでも舞台で受けて、お客様が喜んでいるうちはいいのですが、ある日全く笑わないときがやって来るのです。

 それが、技術的な巧さで笑いを取っているならまだしも、パンツ一枚で出て来て、捨て身で笑いを取るような芸をして、まったくお客様が笑わないとなったとき、悲劇が始まります。それはさながら、自ら地獄の窯の蓋を開けて、中を覗き込むことになります。

 私の親父もそうでした。昔からやっていた数え歌などを舞台で聞かせているうちに、ある日、お客様は全く笑わなくなります。そんな時、50過ぎのお笑い芸人は、世間から疎外された気持ちになり、これまで培ってきた笑いの技術が全否定されたことを感じるのです。

 そこにいたお客様は高々100人か200人に過ぎないのですが、それでも、受けると信じて見せた得意芸が、全く相手にされなかった時、一瞬にして世界中の人からすべてを否定されたような気持ちになります。それはまるで、株で儲けていた投資家が、株の暴落で全財産を失ったかのような絶望感に似たものだと思います。

続く

初音ミケ 6

初音ミケ 6

 

 初音ミケが去って、毎日オヤミケがアトリエの玄関にやって来ます。

「結局、娘はオクゲの家に入り込めたのかい?」。

「そうなんですよ。オクゲの家の奥さんがいい人で、ミケも一緒に飼ってもらえることになったんです」。「初音ミケは幸せだねぇ」。「本当です。いつもお風呂に入れてもらっているから、毛並みもよくなって、美人になりました」。「それは良かった」。

「でもねぇ、つい先日、奥さんがミケを病院に連れて行って、避妊手術をしたんですよ」。

「へぇ、それじゃぁ、もう子供は生めないんだ」。「そうです。あちこちいじられたって言ってましたから、多分手術したんです」。「でもそれはそれでよかったじゃぁないか。また子供が生まれたら、子供のことで苦労するんだから」。

「どうしてですか。子供を産むことを苦労だなんて思う猫はいませんよ。子供が産めないなんてこんな不幸なことはないですよ。猫の幸せは自分の子供と遊ぶことですから。幾ら生活する心配がなくなったからって言ったって、子供が生めなくなったら寂しいですよ」。

「そうかなぁ。私からすれば、満足に育てられないのに子供を作るなんて、よっぽど罪なことだと思うけどねぇ」。「どこが罪ですか、育つか育たないかは子猫次第ですよ。子猫が強ければ育つし、弱ければ育たない。可愛ければ飼い主も見つかるし、可愛くなければご贔屓も出来ない。すべては子供の才覚次第です。親は子供に命を与え、乳を呑ませ、大きくなるまで育てれば、すべての役目は終わりです。あとは子供の運が全てです」。

 「随分割り切った考えなんだねぇ」。「世の中の生き物はみんなそうして子供を増やしているんです。ライオンが子供の就職先を考えて子供を産んだりしないでしょう。狸だって、猿だって、カマキリだって、蝶々だって同じです。そこを心配していたら、野生は子供を産めません」。

「それはそうだねぇ・・・」。「偉そうに言ったって、人間も同じじゃないですか。子供を立派な学校にやって、いい会社に入れてなんて言ったって、その通りに子供が育ちますか。手品師や、お笑い芸人になったなら、猫と変わらないじゃないですか」。「お前は鋭い見方をするねぇ。いや、そういわれたら、私も人の事は言えない」。

「そもそも先生とあたしらは同業なんですよ。あたしが先生と親しく話をするのは仲間だからですよ。そう言えば、先生のところのお弟子さんが、今度卒業するんでしょ」。「そうそう」。「先生について弟子修行すればその先安泰に生きて行けるんですか」。「いや、そういうわけでは・・・」。「それじゃぁ、手品の弟子修行と、猫が子を産むのとどう違うんですか」。「いや、それは・・・」。

「それを勝手に猫が子供を産めなくするなんて非道ですよ。幾ら生活の面倒を見てくれるからと言って、猫の幸せを奪うのは犯罪ですよ」。

 

 「野良に同業と言われちゃったなぁ」。「あたしはじっと前からそう思っていましたよ」。「そうだったのか。そうかもしれないなぁ、私の親父なんて、毎日飲み歩いて、眠くなったら人のところに泊まり込んで、何日も返ってこなかったりしてたからなぁ。まったく野良芸人だったよな」。

 オヤミケは、薄くなった毛を舐めながら毛繕いをつつ、世間話をします。

「この先はだんだん暖かくなりますから、毛が薄くなってちょうどいいんですけど、今年の冬になったらこれで寒さをしのげるかどうか心配です。先生、あたしにウサギの毛皮をプレゼントしてくれませんか」。「あまり見ないよねぇ、ウサギの毛皮を着た猫って、ものの例えに、羊の皮を着たオオカミと言うは聞くけど、ウサギの毛皮を着た猫ってのはねぇ。あまり変わり映えしないことの例えだなぁ」。「例えなんてどうだっていいんです。寒いのが辛いんですよ」。

「でもオヤミケは、ずいぶん子供を産んでいるし、もう子供は作らないだろう。それに今は美沙さんところで世話になっていて、身一つで生きて行けるから、悠々隠居だね」。

「えぇ、でも最近は体が動かなくなって、裏のアパートの屋根に上がるのも一苦労でね。やっぱり年ですねぇ」。

「お前は今日は随分熱心に毛繕いをしているよね」。「ええ、明日には雨が降りますから」。「雨と毛繕いはどういう関係があるの」。「雨が降るときには湿った空気が流れて来ます。大雨や長雨だと、一日前から体の毛がねっとりと絡んできます。そうなると大雨が近い証拠です」。

「そうなんだ。湿度で分かるんだね。すると明日は雨かぁ。・・・ところでさぁ、前から聞きたかったんだけど、ちょっとした雨の時はうちの二階で雨宿りしているけど、集中豪雨のような激しい雨が降るときには私の家には来ないよね。どうしているの」。

「えぇ、実は、猫は本当にものすごい大雨が降るときには雨宿(あまやど)と言う場所に移るんですよ」。「雨宿?」。「そうです猫仲間ではそう呼んでいます。外に出ただけでずぶ濡れになって、体が吹き飛ばされるような大風が吹く、そんな時は猫の力ではどうにもなりません。その時には、雨宿と言われている避難所に行きます」。

「どこにあるんだい」。「高円寺北にある横山さんのお屋敷の中です」。「横山さん?。あの古い農家かい」。「そうです、あそこはお爺さんが一人で暮らしていて、土地も広くて、昔ながらの蔵や、納屋があって、庭は荒れていて、納屋も放ったらかしです。あの納屋に避難します」。「へーぇ、知らなかったなぁ。じゃぁ大雨となったら近所の猫はみんなそこに集まるのかい」。「そうです。大雨の時は30匹くらい集まって肩を寄せ合って雨が去るのを待っています」。「何日も?」。「何日もです。その間食べる物もありません。だから、大雨が来そうだ、と分かったときにはなるべくたくさん餌を食べておいて、雨宿で、三日でも四日でも食べ物なしで耐えるんですよ」。

「猫も大変なんだねぇ」。「仕方ないですよ。猫ですから。でも、そんなときには誰も文句を言いません。ただじっと耐えて雨が去るのを待っています。ロイクーのような質の悪い猫が雨宿に入って来ても、こういう時は受け入れてやります。喧嘩をしません。そのうち雨が去って、空に晴れ間が見えたときにはみんな腹ペコで三々五々散って行きます」。

 この日、オヤミケはよほど私と話がしたかったのでしょう、お座りしたまま玄関で長話をして、近況を報告した後、やおら立って、パトロールに出かけました。「明日から4日の間は雨ですよ」。と言い残して去って行きました。

 翌日は、朝からしとしとと長雨が続きました。オヤミケは4日間顔を見せませんでした。

続く

峯ゼミ シルクアクト

峯ゼミ シルクアクト

 

 昨年7月からスタートした峯ゼミは間もなく1年を迎えようとしています。今年の2月からは大阪峯ゼミもスタートし、東京よりも半年遅れながら四つ玉を指導しています。東京はシルク手順の指導をして既に4回目、あと二回で終了します。

 峯ゼミの目的は、スライハンドのエキスパートを作ることです。日本には100年以上のスライハンドの歴史がありますが、これがなかなかうまく継承されて来たとは言い難く、せっかくの技術も多くの人の目に触れることなく埋もれています。

 基礎を学ぶにしても断片的な手順で作られた商品の解説書しかなく、多くの愛好家は、スライハンドがどう言うものなのかもよくわからないまま、適当につなぎ合わせて手順を作っているのが現状です。

 まず基礎的な技を習得していること、そして無理なく自然な手順が演じられること、さらにそこから発展させた独自の演技を作って行けること。そうしたことが達成できて、初めてプロマジシャンが育ちます。

 そしてその過程で、例えばFISMのコンテストなどで確実に上位入賞するようにして行きたいと言うのが、私の当初の発案です。日本のアマチュアにはそれが出来るだけのマジックの蓄積があるのです。しかし多くにアマチュアはそれを学ぶことなくマジックをしているのです。これを何とかしなければいけません。優れた人材を育てなければいけません。私の考えに共鳴しくくれた峯村健二さんが、実践的な指導を始めたのが「峯ゼミ」です。

 

 今回のシルク手順は、まさにそうした基礎マジックを指導しつつ、大きな素材をスチールするための技法までも指導しています。ここに至ると、峯村さん自身の手順のかなりの部分の秘密を公開することになるので、恐らく当人の心の中では随分思い悩んだだろうと思います。

 然し、毎回のことではありますが、峯村さんの手順作りを見ると、無理なネタ取りと言うものがありません。必ずうまく出来るような解決策が考えられています。ある意味それは当然なことなのですが、多くの人は、知識の上からも技術からもそこに至らないのです。そのためおかしな手順をそのまま演じ続けてしまいます。

 今回の演技は、天海のフォールスノットを発展させて分裂シルクを演じています。シルクが奇麗に二枚に増えるのですが、当初私はスリーブから引いてきたのかと思いましたが、これが、糸を対角線に張ったシルク(結び解けの現象に使います)、を引きネタに応用したもので、この作品はエンサイクロペディアオブシルクマジックなどにも載っており、私もかつて指導に使ったことがあります。

 この糸張りしたシルクを引きネタで持ってくると、実に奇麗にシルクが分裂、増加します。さらにそこから発展させて、糸張りシルクによる、シルクの結び解き、フォールスノット、二枚のシルクの貫通などの基礎指導にまで発展させます。

 そして、峯村さん得意に迷宮シルクにつなげて行き、ラストはボトルを取り出します。

 この一連の演技を見ると、実際に不思議ですし、無理なく不思議が次々に進行します。無理なく次々に不思議が侵攻すると言うのは、実は簡単なことで難しい演技なのです。ここで峯村さんは、マジシャンが何をどう考えなければいけないか、その重要なポイントをしっかり教えています。「あぁ、これはマジックを愛する人ならみんな学んでもらいたいなぁ」。と思いました。

 話は前後しますが、毎回指導の開始に生徒さんによるおさらいの演技がありますが、今回はザッキーさん、日向さんの二人が演じました。二人ともよく練習して来ていて、マジックが出来る人なのです。それでも見ているとタイミングや、パーム等の問題点が見えて来ます。出来るつもりで覚えても、実践の中で繰り返し繰り返し人に見てもらわなければうまくはならないと言うことです。

 

 こうして1時から5時までみっちり指導があり、終了後には私と峯村さん前田の3人は、銀座に出て、維新號(いしんごう)の中華料理店に入りました。ここは銀座でも老舗の中華料理店で、かなり昔の味を残している店です。

 今の時代とは違い、昭和初年の中華料理は決してスパイシーではありませんし、味も強烈さはありません。全体がさらっとしていて、昔の日本人が好んだ中華の味です。然し、薄味であるがゆえに素材のうまみが味わえて、どれも絶品です。

 定番の中華饅頭と、海老ワンタン、それに黄にらの炒めを頼みました。どれもさっぱりとした味わいです。中華饅頭は昔と変わらない味で、ひき肉に出汁がしっかり練り込まれていてそれを甘いパンが包み込み、昔ながらの味です。

 海老ワンタンは、なにより海老のプリっとした触感が売りです。大きなエビがワンタンの衣を付けて、うす味のスープにたくさん浮かんでいるさまは、それだけで食欲をそそります。

 毎回峯村さんをどこへ連れて行こうかとあれこれ考えます。私の行きたいところは多くは日曜日が定休日の所が多く、なかなかうまく行きません。それでも、今回の維新號などは、年に一回は行きたい店ですし、特別高級な店というわけでもありません。銀座の中の普通の店なのです。しばらくのんびり銀座を味わいました。

 

 さて、来月には、アゴラカフェで、毎週マジックショウが開催されます。その第一回が私の担当で、6月5日、12時から始まります。食事付きで5000円です。日曜日の昼、日本橋マンダリンホテルのアゴラカフェで、ゆっくりくつろいで、マジックショウを見る、こんな日があってもいいではないですか。

 何にしても一度、マンダリンホテルを見て下さい、日本橋の本通りに面した玄関口、千疋屋さんの隣から中に入ると、びっくりするほど広い吹き抜けがあって、大きなエスカレーターが迎えてくれます。これを見ただけでもその雰囲気が他では味わえないものです。

 先ずはここで1年公演して見て、夏以降から海外のお客様が入って来るようになれば、人もおのずと増えて行くと思います。

 私の手妻も、ネットの口コミなどで、海外の観光客に自然に噂が伝わって行き、お客様が増えることを期待しています。6月は新しい活動が始まりますので、気合を入れて臨みたいと思います。

 

 6月末には、久々、猿ヶ京の泊まり込みのレッスンも考えています。コロナで随分スケジュールが狂って、今年初の猿ヶ京です。コロナも退散し始めたので、そろそろいいかと思います。この件はまたご案内いたします。

続く