手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

KSMC

KSMC

 本当は今日は、「流れをつかむ」と題して、なぜ私がマジックの方向をイリュージョンから、手妻に切り替えたのか、その理由を細かく書こうと考えていたのですが、それは明日にします。

 実は昨晩、KSMC(関東ステージマジックサークル)の発表会があり、そのショウがとても素晴らしかったのでその感想を書きます。

 KSMCはこれまでも何度か拝見しています。マジックの好きなマジッククラブのOBが、スポンサーなしで自力でマジックショウを開催しています。まずその気持ちが素晴らしいと思います。

 かねがね私は、大学のマジックサークルに所属する人たちが大学を卒業すると、マジックをする機会がなくなることを残念に思っていました。何とか、その後の人生でマジックが生かされたなら、ご当人のためにもなるでしょうし、マジック界にも優れた人材が残り、有益ではないか。と考えていました。

 そこで私は、マジック愛好家を側面支援すべく、マジックセッションと言う企画を立てて、技量のある学生さんや、OBに声をかけて、ご出演願おうと毎年東京と大阪でステージショウを開催しています。

 そのステージに招くゲストを選定したいのですが、このところ、大学のマジックサークルの発表会が軒並み不開催ですので、マジックショウを見る機会がありません。それどころかこの先を思うと、マジッククラブが存続できるかどうかもわかりません。

 何とか催しがあるなら、拝見したいと思っていたので、今回の公演は期待しました。場所は、赤羽会館。17時40分開始。以下その感想。

 

 コロナの影響で、学生のいつもの熱狂的な声援は禁止です。おとなしい開催になりました。席も一つ置きになっています。

 

 1本目の「ちゃぶる」さんは、今年の会長さんのようです。シンブルをカラーチェンジまで持って行き、両手のカラーチェンジの色変わりを不思議に演じました。途中、蝶ネクタイや、ネクタイが何度も出たり消えたりして、アクセントを付けました。私は、学生の演じるシンブルや、ウォンドはマニアックな攻め口が好きではないのですが、この手順はまとまりが良く、一般客が見ても楽しめる内容になっていたと思います。ちゃぶるさんの登場で、この晩のショウに期待が持てました。

 

 2本目の「石油王」さんは、着物に羽織を着て、その襟は明治時代の学生のようにシャツが見えていて、明治調の服装が期待を膨らませました。少なくとも、こうした格好で手妻をするプロマジシャンはいません。動物の進化の過程で、時々変種が出るように、異端な新種を見る思いで拝見。

 内容は、手妻ではなく、風車(かざぐるま)をテーマに、それが紙に変化し、カードになり、カードプロダクションに移行します。全く手妻の要素がないのが残念です。もう少し、和服に必然性が欲しいところです。和服姿が粋に見えたなら、随分多くの人を引き寄せられる内容になると思います。

 

 3本目は「こばちお」さんのリング。互いにマジックを知っている人にリングを見せるのはリングの種が一つであるがゆえにとても難しいと思いますが、何もない状況からリングが1本ずつ増えて行き、最終的にトリプルプラスキーの4本のひし形を、更にもうワンセットの4本を出現させ、それを重ねて8本にするのは独創的でした。学生の世界でなければ見られないアイディアです。

 顔が大変二枚目でしたが、リングをするのにここまで二枚目である必要はないと思います。無駄に二枚目でした。

 

 4本目は中園鈴奈さんと山岡はるかさんのレズビアンショウ。久々レズビアンのショウを見ました。浅草のロック座などで昔出ていたのを見ています。しかも赤羽会館で、いいですねぇ。その外れた道こそ芸術です。

 内容が奇抜なのに、花が出る手順が大人しすぎて、どんなマジックをしたのか思い出せません。素材にロープや蝋燭などを使えばよりイメージにマッチしたのではないかと思います。そうなればまた別の熱烈な観客を集めることも可能です。

 

 5本目は「小松真也」さん、前に私の会に出てもらっています。ウォンド、四ツ玉、ボールは8つになってカラーチェンジまで。手順もよくできていますし、マジックが好きであることが伝わってくる手順です。

 

 6本目は「鬼頭登」さんの仮面。私の会にゲストで出てもらっていますし、私の主催する猿ヶ京の合宿にも来ています。ただ、この内容は何度見てもよくわかりません。奇妙な内容です。これもやはり学生の世界でしか見ることのできないマジックです。これはこれでありでしょう。

 

 ここで休憩。間間に司会者が出てきますが、セリフを言うことで精いっぱいで、がちがちに上がっています。こういう人が出てくるところがまた学生っぽくっていいのでしょう。冴えない司会が逆に演者を引き立てています。

 

 7本目は「諭吉」さん。以前にどこかで見ています。世の中を肯定して見ていて、常にハッピーな芸です。CDアクトですが、ネタ物をふんだんに入れたり、踊りを取り入れたり、コントのような芝居があったり、いいとか悪いとかではなくて、この人がやれば何でも許されます。この晩の出演者の中で唯一、プロの芸人になったら何とか生きて行けるかもしれないと思わせる人でした。但し保障はできません。でも見た人を幸せにするマジシャンです。

 

 8本目、「松野正和」さん、諭吉さんとは対照に、コツコツと地味なマジックをまとめ上げています。シガレット、シンブル、ウォンド、どれもうまく演じています。こうしたまじめな人が日本を支えているのです。でも照明が暗くて、顔がよくわかりませんでした。もっと彼を日の当たる場所に出してあげたいと思いました。

 

 9本目、「おぶち」さん。中国服を着て、岡持ちを持って出てきて、箱積の曲芸。まず中国服を着ている中華屋さんを見ることがありません。昭和の時代ですらいませんでした。恰好も発想も異次元の世界です。奇抜な出であったにもかかわらず曲芸は下手でした。その下手の度合いがMaxでした。でも、彼の性格がいいのでしょう。皆さん彼を愛情をもって見ています。得な人です。

 

 10本目、「若林克弥」さん。この人はよく知っています。以前落語を話しながらマジックをしていました。落語も手品も大したことはありませんでした。この晩はマスクと光る羽根を演じていました。落語手品よりも、数段工夫されたマジックです。何よりまとまった手順でした。顔もメークをしたのか、いい男に見えました。マジックへの愛情はひしひしと伝わります。今後のご精進に期待します。

 

 11本目、「茶嶋良介」さん。芸人のような名前です。一度聴いたら忘れられません。種目はCD。余計なことをせずに、白と赤のCDアクトが続きます。私はこうしたシンプルな手順が好きです。やがて青や、黄色のCDに変わって行き、カラーCDを両手に出して終わり。うまいと思いました。周囲の人に、「うまいねぇ」、とほめると、「今の学生の世界ではCDは相当に研究されていますので、これくらいの人は何人かいますよ」。と言われてしまいました。

 然し、手順がすっきりしていますし、よくまとまっています。こうした人はきっとこの先伸びるでしょう。何とか、引っ張り上げたい人だと思いました。

 

 12本目は「ダンク」さん。ウォンドの手順。ウォンドこそ、一般客には何をしているのか伝わらない演技です。事前にウォンドが何であるのか、どこかで伝えておく必要があります。

 然し、演技は細かな工夫がなされていて、うまく盛り上がった手順になっていました。芝居は素人っぽかったのですが、これが学生の良さかも知れません。スゥイングジャズでクラシックなタキシードで、世界もまとまっていました。とてもいい出来です。

 

 13本目は「綾鷹」さんのカード。カードも学生の世界でどんどん進化して、もはや形がカードなだけで、ゲームすらできない素材に変化しています。然しそのシンプルさと、独特な演技が凝縮されて、独自の世界ができています。

 ただし、綾鷹さんのオリジナルなのか、学生の世界の集積なのか、部外者の私には判然としません。面白い世界ですし、とてもよくできたアクトです。プロでない人がここまでの手順をこしらえあげて、独自の不思議を見せるというのはものすごいことです。これはどこかで評価しなければいけません。

 

 と言うわけで、昨晩はとても良いショウを見ました。たまに人のショウを見ることはすごい刺激になります。赤羽も数年ぶりに行きました。帰りに何か食べて帰りたいと考えていたのですが、店が閉店間際で、仕方なく何も食べずに帰りました。いやな時代です。せめて10時までは飲食店が営業できるように工夫すべきです。空腹でしたが心の満たされた晩でした。

続く

 

 

 

 

流れをつかむ 2

流れをつかむ 2

 

 バブルがはじけたと感じたのは平成5年の5月からでした。5月6月7月と。事務所にいて一本もイリュージョンの仕事がかかってきませんでした。昔からのお付き合いの小さな仕事は時々来ます。しかしそれではチームを維持することはできません。当時男2人女性2人を給料で抱えていました。他に女房の給料も出さなければいけません。然し全く仕事が来ないのです。

 「まぁ、夏になれば大きなイベントも来るだろう」。と高をくくっていたのですが、大した本数が来なかったのです。

 バブルは平成元年からはじけていたのですが、当初はまったく他人事でした。と言うのも、芸能の世界では仕事はまったく減ってはいなかったからです。なぜ芸能の世界だけが無事だったのかと言うなら、バブル時代に企画した、会社の本社社屋や、市民会館などが平成になってからどんどん完成していったからです。

 新しい建物ができたなら、記念式典をします。どんな小さな会社でもホテルを借りて記念パーティーをします。そこにタレントが出かけてショウをします。まだまだホテルも、タレントも仕事をたくさん抱えていたのです。

 怪しくなりだしたのは平成4年の中ごろからでした。徐々に仕事の量が減ってきました。それでも多くの芸能プロダクションは、まだなんとか生きてゆけると考えていたのです。

 

 この時期に私の会社は3つの大きな出費をしていました。一つは、会社の維持費です。アシスタントを社員にして、毎月給料を支払っていたのですが、これが年額で1500万円ほどあったのです。仕事が減ったために、これが支払えなくなりました。

 二つ目は、SAMの日本地域局を維持していたことです。SAMとはマジックの世界的な団体です。平成2年に日本の地域局を設立して、日本中のアマチュアさんやプロに声をかけて、700人の会員を集めました。

 年間1万円の会費を集めて年に一回世界大会を開催し、年に6回雑誌を発行していました。大会は毎年別の都市で開催していたのですが、これが大きな出費を余儀なくされました。全くマジックの世界大会を知らない地域でいきなり300人以上の大会を開催するわけですから、実際人が集まるかどうかもわかりません。まるでギャンブルのような企画です。当然赤字も出ます。

 それでも景気のいいときには、私が個人的に100万円とか150万円くらいまでは補填していました。それがバブルがはじけると、補填ができなくなりました。SAMをどうするかは喫緊の課題となりました。

 

 もう一つは、リサイタル公演です。毎年「しんたろうのマジック」と題して自主公演を続けてきました。さらに若手のための公演もしてきました。その公演の経費はまったく私の自費で行ってきました。18回目の「しんたろうのマジック」は昭和63年に公演し文化庁の芸術祭賞をもらったのです。そこに行くまでに18回の公演をしていたことになります。

 然し、公演は費用がかかります。新作のマジックを作る。アシスタントの衣装を作る、会場費、宣伝費、色々合わせると一回に200万円かかります。

 SAMの赤字、リサイタルの出費、アシスタントの給料。どれも私の会社を大きく圧迫していました。何とかしなければなりません。当の私は、「何とかなるさ」。と思っていました。毎日娘がシャボン玉をやりたがって、事務所に降りてきます。その娘と4階に上がって、シャボン玉をします。これが気晴らしになって結構楽しいのですが、のんびりしていては間違いなく倒産です。

 このとき、赤坂の事務所の社長の姿が自分と重なって見えました。あんなに立派な容姿をした人だったのに、最後に見たときには見る影もありませんでした。誰も好き好んでああなったわけではありません。

 何を間違えたのでしょうか。世の中の大きな流れが変わったことに気付かなかったのでしょう。もう昭和は終わったのです。平成5年に至っても昭和を引きずっていたのです。社長に言って聞かせているのではありません。私自身が気付かなければいけないのです。何とかしなければなりません。

 結局、アシスタントは仕事のたびごとにパートとして支払うように切り替えました。SAMは赤字分を雑誌の発行を減らすことで切り抜けました。リサイタルは、新たな道具製作を減らし、リサイタルのみ年に一回公演することにしました。これで何とか会社を維持してゆけるようになりました。

 

 そして翌年平成6年に25回目のリサイタル公演をしました。新宿の107スタジオで二日間公演しました。二日間満席になりました。内容は、スペースイリュージョンと、和は水芸まで演じました。これが幸いにも二度目の芸術祭賞受賞につながりました。私にとっては有り難かったのですが、どうも素直に喜べませんでした。

 と言うのも、今の不況を経費削減しただけで本当に乗り切ってゆけるだろうか、と疑問が生まれたのです。確かに赤字は止まりました。然し、将来何をしていったらいいのかが見えません。今の内容を続けて行っていいなら簡単なことです。でも、仕事の本数が減っている本当の理由は私のショウ自体に問題があるからではないかと気付いたのです。

 

 この時期、芸能界に不況が吹き荒れていたにもかかわらず、狂言から泉元彌さんが出て来たり、雅楽から東儀秀樹さんが出て来たり、これまでおよそ注目されることのなかった和の世界からスターが出てきています。この人たちは、本来の古典芸能を継承しつつ新しい活動をしています。平成の芸能はある意味古典に回帰していました。

 翻って、手妻を見ると、手妻はまだまだ古典芸能として認知されていません。何が手妻なのか、何を残し演じてゆくべきなのか、曖昧模糊としていました。もっともっと手妻をきっちり伝えることが私の役目なのではないかと思うようになりました。無論、芸術祭参加公演で水芸や蝶などを演じて来たことはその一環なのですが、もっともっと和の本質を語るべきなのではないかと思うようになったのです。ここから手妻の研究が始まりました。

続く 明日はブログはお休みです。

 

流れをつかむ 1

流れをつかむ 1

 

 長くマジックの活動をしているといいときもあれば、うまくゆかないときも何度もありました。昭和57年に、オイルショックの影響で会社の接待費が大きく削られたときに、日本中に3万件もあったキャバレーが1,2年のうちにすっかり消えてしまいました。キャバレーを根城にして活動していたタレントはたくさんいたのですが、大半は廃業しました。

 マジシャンはホテルのフロアショウに移ったり、イベントの仕事に移ったりして行きました。この先20年30年は安泰だと思っていたキャバレーが、ある日影も形も亡くなったのです。キャバレーには独特の文化がありました。今思うとキャバレーはキャバレーでしか見ることのなかった芸がたくさんありました。

 体中に金粉を塗って、怪しげな踊りを踊る「金粉ショー」とか、男女がアクロバチックなダンスをする「アダジオ」、「セミヌードショウ」も随分一緒に仕事をしました。ハツカネズミをたくさん持ってきて、長い樋の中を走らせて、実況をしながら一位を決める「チュウ-レース」。お客様にはネズミの券を買ってもらい、当たると記念品などを渡していました。お客様の似顔絵を描く「似顔絵漫談」、インド人の格好をして笛を吹くと、偽物の蛇が出てくる「東京コミックショー」などは、キャバレーでは大スターでした。キャバレーがなくなるとそうした人たちも見ることはなくなりました。

 何より、生演奏をしていたジャズバンドがキャバレーがなくなることでそっくり廃業してしまい、ミュージシャンは随分生活に困ったようです。

 私は幸運にも、数年前にキャバレーに見切りをつけてイベントに乗り換えたお陰でその後の仕事は順調でした。時はちょうどバブルに差し掛かったところで、依頼される仕事の内容も、大きな話が次々に来ました。「とんでもない時代になったなぁ」、と思いました。付き合う仕事先もしっかりしたところが多く、安定して活動ができました。

 ところが、その仕事の絶頂期の昭和63年に昭和の天皇陛下が倒れられて、8月から翌年1月前半までの半年間、全くイベントが来なくなってしまいました。

 祝い事の自粛です。戦前までは「歌舞音曲停止(かぶおんぎょくちょうじ)」と言い、時の天皇陛下が倒れられたり亡くなったりすると、警察官などが街に触れて回って、芝居小屋や寄席などは数日間営業を停止したそうです。

 まさか昭和63年に歌舞音曲停止が起こるとは思ってもいませんでした。しかも強制ではなく自粛です。その自粛が何か月続くかもわかりません。これには正直頭を抱えてしまいました。でもどうにもなりません。何とか耐えるしかありません。

 この時、私は「あぁ、今私は天に試されているんだなぁ」、と思いました。「お前は本当にマジックが好きなのか」、「一生マジックをやり遂げる覚悟があるのか」、「その覚悟があるなら、今の活動休止に耐えられるか」。と職業としてのマジック活動を問われているんだと思いました。

 昭和63年から翌(あく)る平成元年一月半ばまで、貴重な年末正月のパーティーがすっかり飛んでしまいました。あてにしていた収入がなくなり苦しい日々でしたが、天皇陛下が亡くなったあとには、堰を切ったように山ほどパーティーの依頼が来ました。「耐えたお陰で何とかなった」。と一安心でした。今考えると、昭和の自粛の半年間などは、コロナから思えばかわいいものでした。

 平成になってもバブルはまだまだ続き、イベント会社も、仕事先の企業も業績が好調で浮かれていました。ある会社の忘年会では、社員一同がじゃんけん大会をして、一等の商品がイギリス製の自動車ミニクーパーがもらえました。本物の自動車が宴会場に飾られていました。二等はグァムの旅行券でした。あのころはみんなが笑顔で楽しそうでした。

 

 それから5年後、バブルがはじけて、またまた仕事が一本も来なくなりました。やむなく事務所周りをして仕事を掘り起こそうと考えましたが、肝心のイベント会社がどんどん倒産してしまい、出かけて行っても会社がありませんでした。

 あるイベント会社は、一時は従業員を40人も50人も使って、赤坂の一等地のビルで活動していたものが、私のチームの出演料が振り込まれず、どうしたのかと訪ねてゆくと、以前伺った所は別の企業になっていました。然し、年賀状などは、届いているようですので、受付嬢にイベント会社を尋ねると、「その会社は今は21階にあります」。と言います。奇妙です、このビルは20階建てなのです。教えてもらったままに20階から非常階段を上って行くと、屋上に出ました、そこに勉強部屋ほどのプレハブの建物がありました。中へ入ると、かつてお世話になった社長がいました。

 社員が50人もいたところの社長を初めて見たときは颯爽としていて、「あぁ、赤坂の大きなビルのワンフロアをそっくり使って会社を経営する人と言うのは押し出しが良くて立派だなぁ」。と思いました。

 然し、バブルがはじけてビルの屋上にあるプレハブの中で会った社長は、同一人物とは思えないほどやつれていました。もし道ですれ違ったなら気付かなかったかもしれません。影が薄く、目は伏し目がちで、体も小さくなっていました。金がない、自信がないは人を変えるのでしょう。

 そして恐らく最盛期は何十億円もの金を動かしていた社長が、私のわずかなギャラの支払いのめどが立たずに、ちまちまと言い訳をするのです。その言い訳は、私が聞いても、「あぁ、これは取れないなぁ」。と気付くような嘘ばかりでした。

 この時私は、帰り道、赤坂の砂場でざるそばを注文して、一箸一箸すすりながらしみじみ思いました。「あぁ、昭和は終わったんだなぁ。いくらこれまでよかったからと言っても、この先、昭和の仕事の仕方を繰り返していては、生きてはいけないんだなぁ」。と諦観しました。

 

 この先、もうイベント会社は頼れないと知りました。そうならどうすべきか、私は、企業や、地方自治体から直接仕事をもらって活動して行くようになりました。然し新たな流れを考えつくまでにはずいぶん紆余曲折がありました。何でもかでも、「これがだめなら、今度はこれ」と言うように簡単には次の仕事には進めません。新たな仕事場を掴むには、今、自分のしているマジックを変えなければならないのです。それが簡単ではないのは誰でもおわかりのことと思います。

続く

 

コロナは続くよどこまでも

コロナは続くよどこまでも

 

 このままで行くと、7日の緊急事態宣言は解除されずに、さらに2週間延長されそうです。意味のない延長だと思います。感染者がどれだけ減ったなら解除で、どれだけ増えたなら再延長なのですか、感染者が一週間以上連続で500人以下なら、解除してもいいのではないですか。また2000人を超えたなら再度宣言を出したらどうですか。基準がさっぱりわかりません。

 恐らく菅総理も解除したいと思っているでしょう。菅総理にすれば一刻も早く経済を回復させたいと考えているはずです。そう思っていても周囲の思惑から言い出せないのです。

 「もしここで手を緩めて、また爆発的に感染者を増やしたらどうするのか」。などと言われて責め立てられたら、総理大臣といえども絶対大丈夫とは確約できません。感染者が増える増えないは神のみぞ知ることですから、「増えたらどうする」。と問われれば、緊急事態を延長せざるを得ないでしょう。

 解除しても、延長しても、双方から責め立てられるわけですから、指導者はつらい立場です。しかし今回のことは将来、大きな禍根を残すでしょう。これまで何とか踏ん張ってきた生産農家、漁業者、飲食店、旅館、ホテル、土産物店、町工場、伝統工芸産業、旅行代理店、芸能事務所、タレントは、いよいよ支えきれなくなって、多くの人たちが倒産廃業を余儀なくされるでしょう。

 一軒の旅館が廃業することは、お客様のおもてなしを心得ている中井さんが廃業することですし、腕のいい料理人が廃業することです。定期的に庭の手入れをしていた庭師も職を失います。ありとあらゆる伝統文化が失われて行き、それまで何でもなく維持されてきた日常生活が崩壊してゆきます。それを勿体ない、何とか残したいと思う人がいるなら、口で言っているだけでなく、せっせと旅館に行って泊って下さい。

 今、毎日起こっていることは現実で、旅館や、観光業者のみなさんは瀬戸際の攻防をしています。それを助けるか否かは個々のお客様にかかっています。それを口では同情しながらも、なぜ多くの人が旅行を手控えてしまうかと言えば、テレビが騒ぎすぎるからです。

 テレビが連日大騒ぎをして、それを多くの人が鵜呑みにするから、日本全体が大きな不況に陥ってしまって、手も足も出ないのです。何度も申し上げますが、コロナはさほどに大騒ぎをする病気ではありません。

 

 コロナは風邪の一種です。重い持病のない人にとっては大した病気ではありません。テレビが連日死亡者や、感染者の数を発表していますが、そもそも、日本は1億3千万人が生活しています。一憶3千万人も人口があれば、毎日2千人や3千人は死亡者が出ます。それは特別なことではありません。毎日自然に起こる普通のことなのです。死亡する人は、癌や、心筋梗塞、糖尿病など、持病を持った人が、風邪やインフルエンザウイルスに感染することで、持病を悪化させて体力を落として亡くなって行くのです。

 それが今年はコロナが流行ったために、肺炎やインフルエンザの感染者が激減しています。毎年持病を持った患者さんがインフルエンザに罹って死亡する人が何千人も出ていたものが、それが昨年からコロナに変わったわけで、特段コロナが肺炎やインフルエンザよりも危険な死病なわけではありません。

 それが証拠に、昨年からコロナが流行って大騒ぎをしているにもかかわらず、日本の連日の平均死亡者は減少しているのです。なぜ死者が減少しているかは明らかです。それはみんなが手洗い、うがい、マスクをするために、風邪や肺炎、インフルエンザで亡くなる患者さんが激減したからです。お陰でインフルエンザのワクチンをたくさん仕入れた町のお医者さんは患者さんが来ないで病院は閑古鳥、暇を持て余しています。

 毎日自然に亡くなる人が2千人もいることを考慮しないで、連日テレビでコロナの死亡者を数えることは本末転倒です。コロナが原因で亡くなったのか持病が元で亡くなったのかと考えたなら、持病が原因で亡くなって行く人がほとんどなのです。それをテレビが針小棒大に報道することが奇妙です。無論、例外的に若い人も亡くなります。でもあくまで例外の範疇(はんちゅう)です。

 

 今しきりにコロナの変異種が騒がれていますが、ウイルスに変異種が出るのは当然のことです。風邪もインフルエンザも変異種がたくさん出ます。然し、ウイルスはウイルスです、大きな変化はありません。今開発されたワクチンで十分直ります。

 それを「新たな変異種が生まれた、さあ恐ろしいことになった」。と言えば誰も外に出たがりません。そうなれば飲食店はお手上げです。テレビも新聞も、なぜ「大丈夫」と言わないのでしょう。危険を煽って、一体何を得ようとしているのでしょう。

 そもそも自粛とは、自らの判断で行動を決めることですので、飲食店が営業しようと休業しようと、深夜に店を開こうとそれは経営者の判断ですることであって、深夜に営業したところで法律に触れるわけではありません。そこへ出かけて行く人もまた、自主的に判断して行動することですので、第三者が関与することではありません。まったく個人の自由です。

 ここで総理なり小池都知事が緊急事態宣言を解除して、「大丈夫、大きな問題ではありません」。と言えば人は安心します。然し、誰も言いません。なぜか、もし解除後に事態が悪化したら、「安全だ」。と言った人が責め立てられるからです。人は自然現象に対しても、責任者を探して責め立てます。

 コロナ以降、多くの人は人の言葉に神経を尖らせ過ぎています。コロナのこともワクチンのことも、すべて指導者の言ったことを言質にとって責め立てる人がいる限り、政治家は結局何も言わない、何もしない人ばかりが増えてしまいます。それを無責任だと誰が言えますか。

 本来自主規制であるはずの緊急事態宣言なら、自分の判断ですべてを決めるべきで、人の言葉に左右されることがそもそも間違いです。自分で判断して、自分で決めたらよいことです。

 重い持病を持つ人は気を付けて生活し、あとは自主判断で行動したらよいのです。大学は学校を再開すべきです。劇場は席を空けることなく、チケットを販売したらいいのです。飲食店は、手洗い、マスクをしたなら、いくらでもお客様を入れたらいいのです。あまりに規制を厳しくすると、何もかも、社会が崩壊してしまいます。現実にもうそうなっています。

続く

時流を読む 7

時流を読む 7

 

 実際、昭和の時代だったら、人の持っていないマジックを海外から仕入れてきていち早く演じる。人よりも不思議なことを考え出せる。それができるだけで十分生きて行けたのですが、平成以降はそれでプロを維持するのは難しくなりました。個性的な演技、独自の考えを持つことは勿論必要ですが、もっと大きな流れを読み取って行かなければよい仕事は来ないでしょう。

 さて、令和の時代はどうなるでしょう。今現実を見ると、とてもマジックで生きてゆける状況ではないと思います。それはマジックに限らず、お笑いでも、芝居でもミュージシャンでも、芸能と言う芸能はすべて暮らしにくくなってしまいました。それは日本だけではなく、世界中がそうなってしまいました。

 この先ワクチン接種が進んでウイルスがうまく退散したとしても、これまでの経済の打撃が大きすぎます。おいそれとはイベントが出てくるとは思えません。この先はどうなるでしょう。私は預言者ではないので、この先こうなる、と断定することはできません。でもいくつか可能性を書いてみました。

 

1、天変地異や、新たな病気、戦争

 先に江戸の安政時代の地震やコロリ病(コレラ)のことを書きました。安政と言う時代は世相が一気に暗く不安定な時代に向かった時期です。江戸に大地震があり、同時にコロリがはやり、まるでそれと連動したかのように安政の大獄が起こり、その反動で、井伊大老桜田門外で暗殺されます。日本の国の根幹がぐらつき始めたのです。当時の人たちは明らかに末世を感じていたと思います。そしてそれから10年後に江戸時代は終わります。

 私は、今の時代が幕末の日本に似ているように思います。この先、日本には天変地異が来るかも知れません。既にコロナで不況に陥っている今、地震が来たなら日本は壊滅的な打撃を受けるでしょう。

 それだけではありません。これまで好調だった中国や、韓国が財政破綻するかもしれません。そうなると、コロナウイルスで体力を弱めているヨーロッパやアメリカが大恐慌に陥る可能性もあります。それを日本が助けられればいいのですが、日本自体もウイルスや地震で被害を受けたなら、全世界が不況のどん底に落とされます。

 江戸時代はぴんと来ないかもしれません。ちょうど100年前の1916年に第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ中が廃墟と化しています。どうも人は100年に一度とんでもない災害を経験するようです。それでも当時は、アメリカと日本が大戦の被害を免れましたので、世界の勢力図は、ヨーロッパから、アメリカ日本に移って行ったのです。

 然し、今回はアメリカも日本も厳しい状況です。どうも世界中が経験したことのないような大不況、大災害を体験する可能性は十分にあります。

 そんな時に芸能は全く役に立たないでしょうか。いや、それは逆だと思います。世の中が悪くなればなるほど芸能を求めるお客様は増えます。特に実演は強みを発揮します。

 災害が起こった当初は景気も一時的に不況に陥りますが、すぐに国の税金などで大規模な復興活動が始まりますから、国内は景気が上向きに転じます。それは東日本大震災の時も、神戸地震の時もそうだったのです。災害の後には好景気が来ます。但し、景気が上向きに転じてもすぐに芸能にまで恩恵が回ってくるわけではありません。しかも、恩恵は広く平等に行き渡るものでもありません。こんな時にマジシャンは何をどうしたらいいのでしょう。

 

活動拠点を作る

 それは私が今、玉ひでの座敷や、神田明神などで公演しているように、とにかくどんな場所でもいいので、自らの活動拠点を持つことです。そこに行けば必ずマジックが見られるという場所を作ることが大切です。マジシャンがどこで何をしているのかわからないというのでは誰も注目してくれません。

 仕事がない、生きていけないと嘆いていても誰も助けてはくれません。まずは自分の芸を見せられる場所を持つことが第一歩です。初めはまったくお客様が集まらないかも知れません。それでもネットなどで常に情報を流していると、人の輪は徐々に大きくなって、多少話題になってきます。そうなると、新聞、テレビなどが取材に来てくれるようになります。

 やっている活動が質の高いもので、見て面白いものなら、自然自然にファンがついて、収入に結び付いて行きます。内容さえよければ周囲が支援してくれます。その時のために、腐らずに、前向きに、自分のなすべきことを追及し続けることです。一人で活動することが不安なら仲間を見つけて、数組でショウをしてもいいでしょう。どんな形であれ、必ず毎月続けて行くのです。

 

支援の根を張って行く

 一か所活動場所が決まって1年でも公演すると必ず、「私の地域でもマジックをやってくれないか」。とか、「私らが主宰している公演に協力してもらえないか」。と言う話が来るようになります。これは大きなチャンスです。もし自分が家にいて、かかって来る電話だけで生きていたのでは、決して巡り合うことのない支援者だからです。まったく新しいお客様をつかむチャンスが生まれたわけです。

 もしかすると、自分では気付かないような別の才能を人が見出してくれているのかもしれません。何でもかでも予想した通りにことが運ぶわけではありません。時には予想外の方向に発展することもあります。どんなことがあっても楽しいではありませんか。もっともと積極的に活動を広げて、新しいお客様をつかむことです。

 

時流を読む

 お客様が定着してきたのなら、本当にお客様が望んでいるのはどんなマジックなのか、自分のどんなところに興味があるのか、そこを常にお客様の反応から読み取ることです。「時流を読む」と言うのは今回のタイトルですが、芸能で生きる者にとってこの感性を持つことは大切です。カードが当たる、ハンカチが出てくる、ボールが消える。それがマジックであるのは勿論としても、お客様が望んでいるのは単に外に見える現象ではない場合がほとんどなのです。

 「あなたの演技から品格を感じます」。とか、「あなたが空(くう)を見つめて蝶を飛ばす瞬間がとてもすごく深い世界を感じます」。などと言われることがあります。「ははぁ、このお客様は私の表情に興味を持ってくれているんだなぁ」。と納得します。

 無論それは私がお客様の思いを予測して演技をしているのですが、時に、演技が独り歩きをして、予想以上にお客様が格別な世界を感じ取ってくれることもあります。そうしたお客様の思いを一つ一つ理解して、それを自分の芸の財産として行くのです。

 こうしてつながったお客様との関係は一生続きます。芸能芸術とは心の告白です。他の人では表現できない世界を持つということは。それは小手先のテクニックやイフェクトを考える才能とは別の才能です。自分のこれまで体験した人生で感じたすべてをわずかな演技の一瞬に語って行くことなのです。

 それも言葉で語るのではなく、ただ立っている、ただ見つめている。何かをするというよりも、むしろ何もしていない姿をそのままお客様に見せることこそ自身の心の奥を語ることになるのです。それを生の舞台で見せ続けたときにお客様はそこから離れられなくなるのです。

時流を読む 終り

 

時流を読む 6

時流を読む 6

 

 30代の私は、スペースイリュージョン、和風イリュージョン、水芸の3つのスタイルのイリュージョンショウを持って活動していました。どれも40分の構成です。その中で今も演じているのは、断片的な和風イリュージョンと、水芸です。

 20代にひたすらイリュージョンを考え続けて、これらの作品を作りました。どれもバブルの時期は大きな収入を上げました。然し、前にお話しした通り、30代半ばにスペースイリュージョンも、和風イリュージョンも、どちらも興味を感じなくなってしまいました。なぜ興味がわかなくなったのかと言うなら、「内容がない」からです。

 内容がないと言っても、例えばスペースイリュージョンは、モノトーンで道具が統一されていますし、近未来をテーマにしてロボットが出て来たり、イルミネーションを使って幻想的なショウ構成がされています。しかし全体を見終わって何をお客様に伝えたいか、と言うと、そこにあるのはイメージであって、大きな意味はないのです。

 和風イリュージョンも同様で、何もないところから大きな帆掛け船が出てきて、そこから女性が何人も現れて踊りを踊ってオープニングを飾ります、次の景では大きな行灯(あんどん)が出てきてそこに人影が写り、人影の首が伸びて、行燈の上から顔を出します。ろくろっ首です。浮揚などあっておしまいは、悪漢と正義に見方が太刀回りをした挙句、女性を助けてめでたしめでたしで終わります。

 スペースも和風も小さな景ごとにストーリーがついていて芝居にはなっていますが、そのストーリーがお客様が感動する内容かと言うなら、それはマジックを進行させるためのストーリーに過ぎないものでした。

 確かに、ストーリーがある分、なぜ剣を刺すのかという理由付けができていて因果関係は伝わります。昔ながらのマジシャンが演じているような、まったくストーリーも何もなく、箱を出してきて、そこにアシスタントの女性が笑いながら入って行き、それをマジシャンが箱の外から剣を刺す。という、即物的な演技と比べたなら多少の進歩はしています。でもそれ以上のものにはなり得ていなかったのです。

 

 一方、水芸には全体の構成ができていますし、古典としての型も残っています。特に、手先に持った扇の先から水を噴き上げ、左手に持つ羽子板にその水を移す「綾取り」の段などは個性的で、よく考えられています。

 水芸は、前半と後半では演者の人格が変わります。前半は狂言の大名と太郎冠者のような関係で始まります。水を出す術を演じるのですが、時に水が出なかったり、間違って別のところから出てしまったり、とても人間的にコミカルに演じます。

 後半、椅子に座ってからは、全知全能の神のごとく、自在に水を操ります。前述の綾取りもここで致します。お終いは一斉にあちこちから水を噴き上げて、華麗な姿を見せます。後半全体は、天上で神様が無心に戯れているかのような、この世の世界でないような景色を作り上げるのが趣向です。

 全体を見たときに、お客様がどんどん高みに上がって天上の世界に引きずり込まれて行くような錯覚を持ったなら、水芸の世界は完成したことになります。そしてまた一瞬で水が消え、元の状態に戻るところは、天上の世界から急転直下で現実の世界に軟着陸するような、まるで浦島太郎が玉手箱を覗いた後のような寂寥感を残りつつ終わるのです。実に味わいがある終り方です。

 結局私は水芸を持っていたから、通常のイリュージョンに満足できなかったのです。水芸は、手妻(マジック)である以前に、多分に演劇や舞踊の要素が濃いものです。演者が芝居を理解してきっちり演じ切れていないと、独自の世界が作り出せないのです。

 私がブログでも度々申し上げているように、マジシャンはマジックを演じる以前に芸能がわからなければいけない。とか、演劇要素や、踊りの要素をもっと理解しマジックを演じなければ芸能たり得ない。と言う意味はここにあります。

 

 但し、水芸のことをいくら書いても、誰も水芸を演じる人などいないでしょうから、殆どの方は、まったく他人事のようにこのブログをお読みになっていると思います。

 「藤山さんはよく、ただ着物を着て傘を出せば手妻になるというものじゃないと言いますよね。それじゃぁ何をどうしたら手妻になるんですか。マジックと手妻は何が違うんですか」。と尋ねて来る人があります。そんなときに水芸や蝶を例に出して話をしています。

 「もしあなたが、演出家に、『水芸の欄干の後ろに座って、神様が無心に戯れているように水を出して御覧なさい』と言われたら、あなたはどんな顔をして、水を出しますか。また、『全知全能の神のごとくに自在に水を噴き上げなさい』。と言われて、全知全能の神とはどんな表情をして水を出しますか、水を出すことは仕掛けを知れば出せるでしょう。全知全能の神の表情と言うのはどこにも解説されていません。それをどうやって見つけだして演じますか。

 或いは、『すべての水を出し終わって、寂寥感を残しつつ終わる』というのは、どんな表情で終わることですか。そんなことをマジックをする上で考えたことがありますか。お客様は水がたくさん出たから感動するのではありません。天上の景色の中で水を出し、寂寥感を込めて水を止めて見せるから生涯忘れられない印象を与えるのです。

 それを一つ一つ考えて、丁寧に表情付けするのが手妻です。お客様にありもしない世界を隅々まで詳細に語って見せること、それが手妻なのです」。と答えています。

 多くのマジシャンはそれを聞いて、ただ目をぱちくりするばかりです。マジックを演じる上でそこまで演技や表情付けなど考えたこともないから見当がつかないのでしょう。それは自身のマジックからそこまで内容を求められていないからなのです。

 手妻は演技になぜ、どういう理由でを求められます。弟子が稽古をする際でも、私は、「もっと品格をもって扇を構えなさい。顔は憂いを湛(たた)えつつ空(くう)を眺めなさい」。と注文します。そう言われたら、どんな形で構えをしますか。どんな表情をしますか。それができなければ手妻にはならないのです。そこを一つ一つ探って行き、自分なりに答えを出してゆくという活動こそが手妻なのです。それは、苦しく孤独な活動なのです。

続く