手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ジャパンカップ  盛況

ジャパンカップ 盛況

 

 一昨日、3月7日(土)、ホテルニュー大谷で恒例のジャパンカップが催されました。私は第一回からマジシャンオブザイヤの賞状を渡すプレゼンターの役を務めています。

と言っても特別、私がマジシャンオブザイヤーの選考に携わっているわけではありません。ただ賞状を渡すだけの役を25年続けて来ました。それが多少なりともマジック界に役に立つならばと思いつつ、ただ頼まれるままにしてきたことです。

 それにしても25年と言うのは長いですねぇ。会場に来ている参加者も、25年前とはそっくり入れ替わっています。よくぞ続いたと思います。田代茂さんの情熱と経済力によって継続されている催しです。

 

 いつもは夕方の表彰式から参加するのですが、今回は、午後1時からのクロースアップコンテストから参加しました。チャレンジャーは8組。平均的にレベルの高い人達でした。見ていて退屈するようなことはありませんでした。特に後半の4組はどれも面白い内容でした。でいしゅうさんとMASATOさんは、独特な内容で興味を感じました。マジックとしては不思議でした。コンテストとして見たならこれでいいのでしょう。私が注目していたマジシャンは、もっさんです。

 去年の福井での天一祭で、もっさんはゲスト出演していました。久々にもっさんの演技を見たときに、喋りの安定感と言い、マジックの演技の巧さと言い、随分上手くなったと感じました。これはひょっとすると今年の後半あたりにブレイクするかなぁ。と予感を抱かせました。

 それを確かめる意味でも、今回彼がコンテストに出ると言うので、もう一度見ておきたかったのです。まぁ、本来もっさんはコンテストに出る必要はないでしょう。他のコンテスタントはみんな若手で、しかもアマチュアが多かったため、もっさんの安定感はレベルが違って見えました。不思議を見せる人は何人もいたのですが、キャラクターと言い、演技の安定感と言い、格違いでした。当然優勝です。

 彼がプロとしてこの先、もう一つ上を目指したいと望むのなら、コンテストの中での評価を求め続けるのではなく、一般観客が何を求めているのかを真剣に考えて、全ての演技を見直したほうが良いでしょう。今やっていることは勿論旨いのですが、狭いマジックの世界の仲間の評価ばかりを気にしているように見えます。才能があるだけに勿体ないですねぇ。

 彼がブレイクするかしないかは彼がこの先、観客を本気で捉えて自身のスタイルを作り上げて行けるかどうかにかかっています。プロが目指す道はコンテストの評価ではないのです。

 

 さて、今回のジャパンカップで素晴らしい体験をしました。それはNHKのアナウンサー、古谷敏郎さんによる、アナウンサーについてのレクチュアーでした。実際アナウンサーがどこを見て話をしているのか、とか、ひとつの話を15秒でまとめると理解しやすい。などと言う具体的な事例が数々出て来て、参加者は感心することしきりでした。

 こうした、マジックのタネのレクチュアーではない、アカデミックなレクチュアーは日本のマジック界の成熟度合いを感じさせます。素晴らしい企画だと思いました。

 

 その後、林王子さんと言う岡山在住のプロマジシャンの演技がありました。喋りが達者で、陽気な演技でした。

 

 そして表彰式。功労賞には、鹿児島のプロマジシャン瀬紀代功さん。80歳を過ぎてなお現役で活躍されています。この時プレゼンターをする役がマギー司郎さんで、私が依頼したのですが、どうしたわけかこの晩は来ませんでした。私の留守番電話にも連絡がありません。翌日も連絡が取れません。こんなことは今までなかったのに、一体どうしたのでしょう。

 フェローシップ賞にRyu-ka さん。

 著述文化賞は古谷敏郎さん。それに同じくNHKのプロデューサー、城光一さん。ベストクロ-スアップ賞は、林王子さん。そしてマジシャンオブザイヤーはプリンセス天功さん。私が賞状を読み上げる間際に会場に到着して無事受賞。めでたしめでたし。

 表彰式の後は解散です。私は和服で昼からずっといましたので、少し疲れました。帰りに弟子の朗磨とレストランで食事をして、その後真っすぐに帰宅をしました。久々フラストレーションの溜まらないマジックショウを見て上機嫌で帰りました。

 

つづく

中東戦争再燃

中東戦争再燃

 

 アメリカとイラン戦争が開始されました。でもこの話は今に始まったことではなく。ずっと以前から繰り返されている紛争です。イラン、イラクと言った、アラブ諸国と、イスラエルとは犬猿の仲で、政治的にも、宗教的にも決して相いれない関係です。

 しかもアラブ諸国は、欧州各国とも、過去に植民地化されたいきさつから折り合いが悪く、更には、アメリカがイスラエルに肩入れしているために一層話が複雑になっています。

 そもそもの発端は、150年前にイギリスやフランスなどの列強国が中東を植民地化したことから話がこじれます。彼らは列強同士の話し合いで勝手に中東の砂漠の上に国境を設定しました。この国境の取り決めが以後150年に渡る紛争の種になります。

 なぜかを問う前に、中東でも、アフリカでも、地図を広げて見て下さい。大概国境と言うものは山か川か海かで線引きをしています。ところが、中東やアフリカの国々は、山も川も関係なく、緯度や経度で真っすぐに国境が引かれています。これは、列強国が地図の上だけで植民地を分割した結果です。

 想像してみてください、あなたの住んでいる町と隣の町が川や、山で遮られているわけでもないのに、ある日突然あなたの家がイギリス領になり、隣の町がフランス領になるのです。そして縁もゆかりもない白人がやって来て、今年から税金をイギリスに納めなさいと言って来るのです。しかもこの日から言語は英語になり、隣町はフランス語になります。そして翌日からパスポートなしでは隣町にも行けなくなるのです。

 そんな理屈の通らない話があるわけはないのですが、実際、中東やアフリカではまかり通っているのです。150年前のアラブ人は羊やヤギを連れて牧草地を旅して生活していたのでしょうが、ある日、突然隣の牧草地に入れなくなります。これでは羊飼いは生活が出来なくなります。

 そうこうするうちに、牧草地の下から石油が出ることが分かります。すると、羊飼いは自分が使っていた牧草地からも追い出され、そこにイギリスの資本が入り、石油会社が出来ます。それまで自分の土地で羊飼いをしていた住民は土地を奪われ、職を奪われ、石油会社の下で労働者になって働くほかは無くなります。

 今ではクルド人を我々はクルド難民と呼びますが、彼らは難民ではなく、元はと言えば羊飼いだったのです。羊飼いの仕事を奪い、一部の土地に押し込めたのは列強国の政策なのです。

 当然、アラブ人は反発します。イランはイギリスから独立し、更に石油を支配しているイギリスの企業を追い出します。これが第一次イラン革命です。イギリスは直ちに報復に出て、イランの港を軍艦で封鎖します。こうすることでイランの石油を輸出できなくしました。

 石油の輸出が出来ないイランは苦境に立たされます。その危機を打破したのが日本の出光の石油タンカーでした。出光はイギリスの軍艦をかいくぐってイランに行き、原油を輸入して来たのです。以後イラン政府は日本に感謝して、良い関係を維持しています。

 話を戻してアメリカは、第一次、第二次世界大戦の折、大量のユダヤ資本とユダヤ人が欧州の戦争を避けてアメリカに逃れて来ました。そして、その潤沢な資金で、アメリカの政界、財界をコントロールするようになります。

 戦後にユダヤ人がイスラエルを建国する際も、アメリカは積極的に支援しましたし、その後のイスラエル対アラブ諸国との間に起こる中東戦争に対しても、一貫してイスラエルを支持しました。

 そして今回も、アメリカはイランに制裁を加えています。今回の戦いで一時アメリカがイランを押さえつけたとしても、それでイランや、アラブ諸国の不満が収まるものではないでしょう。結局、中東の紛争は永久に解決し得ない問題なのでしょう。

 日本は、アメリカの傘下にいる立場ですから、アメリカのすることに逆らうことは出来ません。そのことは欧州各国も同じです。どの国も、アメリカのやっていることを正しいとは思っていないでしょうし、これでいいとも思ってはいないでしょう。それでも誰もアメリカに意見をする国はないのです。

 中東で戦争が長引けば、飛行機が飛ばなくなります。海外旅行を考えている人にとってはスケジュールも立てられず困ってしまいますね。中東はいろいろな意味で重要な地域なのです。何とか日本も解決させたいとは思っているのでしょうが、長い間の欧州と、中東のこじれは、日本が口を挟んでどうなると言うものではないでしょう。日本が仲介役に回ることは難しいとは思います。

 かつて安倍元総理がアメリカとイランの関係修復にかって出て、ハメネイ氏と交渉することが出来ましたが、あれは大した政治手腕でした。そのハメネイ氏も今回の空爆で命を落としてしまいました。

 ベネズエラの大統領を拉致したときも見事な作戦でしたが、今回もたちまちのうちにイランの主要な軍事施設を破壊してしまいました。アメリカの作戦は完全無比で見ごとなものですが、交渉相手のハメネイ氏を殺害してしまって、この先どう戦いを終結させるのでしょうか。

 何だかこれで世の中が良くなると言う展望が見えませんね。マジシャンとすれば、ただただ今より世の中が悪い方向に行かなければいいが、と願うのみです。

 

続く

老犬の遠吠え

老犬の遠吠え

 

 最近ネットなどで自身の考えや、経験などを語る人が増えています。これは、人ごとではありません。私などはその最たる者の一人です。ブログで語り、画像で語り、マジックのこと、自身の日常、あらゆることを語っています。

 まぁ、誰しも、長年一つのことを続けてくれば、それなりに人の知らないような知識も備わって来ますし、独自のアイディアを身に着けている場合も多々あります。

 そうした知識を、ある一定の年齢に達すると誰かに語りたくなることはごく普通のことなのだと思います。人生には限りがあります。そこから学んだことを若い人に伝えることは自他ともにきっと有効な事だと信じて周囲の人に語って見たくなるわけです。

 でもよく考えなければいけません。多くの語り手は、相手がこうした話を望んでいるか否かを確かめることなく、一方的に語り込んでしまいがちです。若い人のために良かれと思って熱を込めて話しをしても、それが、相手にとっては何の興味もない、聞きたくもない話を押し付けられていると取られたりします。

 気を付けなければいけません。案外自分自身が話したいと思う欲求は、相手を思う気持ちからではなく、本心は、自分が唯々話したいだけ、自分を理解してほしい、自分を認めて欲しいと言う、当人の承認欲求だけだったりする場合が多いのです。

 

 私自身が70歳過ぎると当然の如く昔からの仲間も高齢化しています。そうした人達から電話がかかって来たり、会って話がしたいと言われることがあります。昔からの仲間ですから無碍にも出来ず、相手の話に付き合うのですが、これが私にとっては重荷です。

 あるマジシャンは、昔の自慢話に終始します。然し、ひとしきり自慢が済むと、今の恵まれない現状を嘆き、若手を否定し、テレビのマジック番組を否定し、世の中を否定し、どんどん話が暗くなり、希望が感じられなくなって行きます。話のどれもが納得できません。典型的な孤独な老人の思考に落ちて行くのです。

 しかも始末の悪いことに相手はそうした話に熱弁をふるい、私に同調を求めようとします。正直、どうでもいい話を、私ならわかってくれると思っているのでしょうか。そうだとしたなら私は随分安く見られていることになります。

 

 私が20代の頃、アメリカで銀行に行ったときに体験したことですが、窓口で行列が出来ていて、何の理由で行列が出来ているのかと、列の先頭を見ると、お婆さんが、飼っていた犬が死んでしまったことを涙を流しながら、切々と窓口の行員に話しているのです。

 そのお婆さんの話を行員は面倒がらずに素直に聞いています。恐らくこのお婆さんはこの銀行の最大預金者なのかも知れません。仇やおろそかに扱えない人なのでしょう。たぶんお婆さんは生きて行くのに何一つ不自由のない人なのでしょう。

 然し、お婆さんには自分が愛犬を失った悲しみを理解してくれる仲間や家族がいないのです。自分の悲しみを縁もゆかりもない銀行の窓口係に話す以外ないのです。金があっても、語り合える人がいないのです。なんでこのお婆さんに仲間や家族が寄り付かないかは、彼女が自分の後ろで迷惑顔で行列している人たちに無関心なことを見れば明らかでしょう。私はこうした様子を見て、「あぁ、何十年かすると日本もきっとこんな社会になるんだろうなぁ」。と思いました。現実に今、周囲の仲間を見ていると、実際そうなっているのです。

 彼らは無性に話したがります。そして自身の経験から掴んだ考えを熱弁します。それらはとても有益なことなのでしょう。でも彼らは私に自説を話した結果、一体どうしたいのでしょうか。能力ある若いマジシャンを育てたいのでしょうか。彼等を稼げるようにしてマジック界の活動場所を広げてあげたいのでしょうか。テレビでマジックの番組が定着するように働きかけようと考えているのでしょうか。

 そうなら、只喋っているだけでなく、同調者を募って組織を立ち上げるなり、実際に指導をしたり、弟子を取ったりして人を育てるべきでしょう。教えることは、マジックのタネ仕掛けだけでなく、スポンサーの掴み方や、接し方、社会的な常識を伝えなければいけないでしょう。

 マジックをする若い人はとかく、マジックにのめり込み過ぎて、周囲の人のことが見えない人がたくさんいます。いくらマジックが上手くてもこうした人は全く役に立たないのです。

 そうした、若い人に一つでも多くの実践を学ばせるべく、舞台回数を経験させることは大切です。なるべく多くの出演場所を探して、マジックを定着させるように工夫したり、自主公演をして多くの人に宣伝して見せるべきなのです。自説を語って聞かせることも大切ですが、学んだことが生かせる実践の場を作って見せることはその数百倍大切なことなのです。

 若いマジシャンは、言葉だけで行動しない先輩と、実際の活動をして見せてくれる先輩をきっちり区別して見ています。人が付いてくる、来ないの差はその行動にあるのです。

 何かを語ろうとするなら、その先にどんないいことがあるかをイメージして見せて、実践しなければ、人は付いては来ないでしょう。優れた先輩と言うのは、説教を垂れたり、道徳を語る人のことではなく、こうすれば素晴らしい世界が開けてくる、と言う展望を語ってくれる人のことなのでしょう。

 ネットを使って自説を語るなら、どうか、マジック界が良くなる話をして下さい。そして実践して見せて下さい。そうでないと話は全て老犬の遠吠えにしか聞こえなくなってしまうのです。

 

つづく

如月も僅か

如月も僅か

 

 2月は昔の言葉で如月(きさらぎ)と呼びます。旧暦は一か月ずれますから、今の三月が如月になります。如月とは、漢字を見る限り何のことだかわかりませんが、着物を更に重ね着すると言う意味ではないかと思います。つまりまだ寒いと言うことです。

 話は鎌倉時代のことです。頼朝、義経兄弟が不仲となり、義経は都を追われます。僅かな家来を連れて逃避行を重ねます。東海道や中山道は警備が厳しいため、北陸道の山道を辿って奥州に落ちのびようと考えます。義経主従は山伏姿に変装して関を通り抜けようとします。 これが今も歌舞伎や能で演じられている勧進帳(能では安宅)です。その歌舞伎の出だしに語られる長唄の歌詞は、

 旅の衣は篠懸(すずかけ)の、露けき袖や萎(しお)るらん。時しも頃は如月の十日の夜。月の都を立ち出でて。

 ようやく出ました如月です。私の話は持って廻って長いのが欠点です。つまり義経主従は芝居では、2月の10日に京を去り、恐らく10日ほどかけて能登の国(石川県)の安宅の関を通過したわけです。山中で、人通りもないところばかりを歩き、しかも粗末な身なりですから、さぞや寒かったでしょう。

 毎朝寒い寒いと言っても、我々の生活している寒さとは桁が違います。能登の山中なら夜は確実に零下でしょう。そこで野宿するわけですからまともに寝られるかどうか。寝たとして、翌朝目が覚める可能性があるかどうか。そのまま永久に目が明かないことだってあり得るのです。毎日が生きるか死ぬかの瀬戸際だったと思います。

 民家を見つけて食べものを求める事もあったでしょうが、うっかり人と接触をすると通報される可能性があるため、よほどのことがない限り里に出ることはなかったでしょう。大概は険しい山道を辿り、獣を捕まえて飢えをしのいでいたのでしょう。

 然し、主従で10人も20人もいる人数の食べ物を、連日確保することは容易ではなかったはずです。山で遭遇した鹿や猪を仕留めたならご馳走で、蛇やネズミでも食べられるなら幸運だったと思います。

 何もなければ、草や木の皮や虫でもかじるよりほかはなく、雨が降れば煮炊きも出来なかったでしょうから、草や木の皮を生でかじるよりほかはなかったでしょう。義経一行は全く山伏修験道を実践しつつ逃避行を続けていたわけです。

 

 と、話は長くなりましたが、旧暦2月20日(いまの3月20日)ごろでも昔の山中は、とんでもなく寒かったでしょう、ましてや今日の2月26日(旧暦1月26日)なら耐えきれないほどの寒さだったと思います。

 如月と言う月はいまだ寒い、と言うことが言いたくて義経の話をしたわけです。それでもこの数日は暖かくなってきました。然し、気を付けないといけません。又急に寒くなることがあります。こうした気温の変化でお年寄りが病気になることが良くあります。

 以前の私は、どうして僅かな温度の差で年寄りが病気になるのか皆目わかりませんでした。「セーター一枚でも余分に着たら済むことではないのか」。そう思っていました。いやいや気温の変化が筋肉や内臓に大きく作用して、体が自由に動かなくなるとは考えもしませんでした。

 雨の降る日は関節が痛いだとか、寒い日は起き上がれないだとか、僅かな気温の差で生活が出来ないことがある。と言うのは若い健康な人には理解できないことなのです。未だ私はそこまでの体になってはいないのは幸いです。それでも、仕事が続くと少し疲れます。今まで何もしないでぼおっとしていることなどなかったのに、何もしないで動かないでいると心地よいことに気付きました。危ないですねぇ。少しずつ年を取って来ているのでしょう。

 まだまだ体の動くうちに新しいマジックのアイディアを考えて、手順を作って、稽古して、新しい仕事先を見つけて、活動をして行かなければなりません。仲間を見ていると、だんだんとみんなが活力を失いつつあるように見えます。

 

何とか元気を出してやって行こうよ、と激励する立場であるものが体が動かなくなってはいけません。まだまだ積極的に活動して行かなければなりません。仲間のためにも、家族のためにも、弟子のためにも。

 

 続く

結局何のための戦争?  

結局何のための戦争?

 

 ロシアがウクライナに侵攻して4年が経ちました。国力で三分の一、軍事力で十分の一のウクライナが良く4年もロシアと戦えたものだと思いますが、それだけにウクライナが失った代償は飛んでもなく大きなものだったでしょう。

 何十万人もの若い兵士と国民が亡くなり、土地は荒れ放題、建物は破壊し尽くされました。ウクライナは自国を守る自衛のための戦いをしたわけですが。ロシアは一体何のための戦いだったのでしょうか。ウクライナがロシアの衛星国から脱退するのを阻止するために侵攻したのでしょうが、それにしては余りに互いの代償が大き過ぎませんか。

 ウクライナ、ロシアも、ひょっとするとこの先、半世紀くらい経済が立ち直れなくなるかも知れません。ロシアは今の中進国から。低開発国にまで落ち込むかも知れません。仮に今、戦争が終わったとして、誰が荒廃したウクライナの国土を復興してくれるのでしょうか。ウクライナは4年間の戦いで無一文です。どこにも金などないでしょう。

 ロシアが何とかしてくれるでしょうか。とんでもない。恐らくロシアはウクライナを非難して、責任転嫁をするばかりで、全く他国の復興など考えもしないでしょう。それより、荒廃した自国の経済を立て直すことの方が先決でしょう。

 欧州は助けてくれるでしょうか。いや、それぞれ国内の景気が冷え込んでいて、大した支援も出来ないのではないでしょうか。

 アメリカは何とかしてくれるでしょうか。多少の協力はするでしょうが、どうもトランプさんが政権を取って以来、欧州の問題には興味が薄く、ウクライナの支援には尻込みをしています。結局、これだけの戦争をしながらも、誰も戦後のビジョンを持っていないのです。

 多分支払いの付けは日本に持ち込まれることになるでしょう。みんなが日本なら何とかしてくれる。と思い込んでいるのです。然し、今回の戦争で、一番無関係な先進国は日本です。なぜロシアがウクライナを攻めた結果、荒廃したウクライナを日本が助けなければならないのか。理由が分かりませんね。

 でも、日本は協力をするでしょう。こうした時の人道支援は常に日本が率先して行っているからです。随分都合のいい国に見られていますね。まあ、多少の協力は良いとしても、日本にできることには限りがあります。と言うのも、日本の周囲には妖しい国が多くて、その対応だけでも手いっぱいですから。

 

 中国の台湾進攻を高市さんが危惧しただけで、ちゅうごくはいかりまくって、観光自粛を呼びかけました。パンダも返せと言います。レアアースの輸出禁止までも匂わせています。異常です。自分の意に沿わない国には礼儀もなく強い要求をしてきます。

 中国の経済はかなり深刻らしく、この先一気にバブルが弾ける可能性があります。そうなると中国は台湾進攻どころではなく、経済崩壊に追い込まれる可能性があります。政権が変わるかも知れません。そんな状況なら台湾も、日本もしばらくは安心でしょう。でも、いつ中国の考えが変わるか分かりません。何しろ民意を反映しなくても、習近平さんの掌一つで戦争を興せる国なのですから。

 

 中国と言い、ロシアと言い、北朝鮮と言い、日本の周辺はそんな危険な国ばかりです。よほどに防衛力を強化しておかないと常に危険と背中合わせになって生活して行かなければなりません。世の中には言ってもわからない人はたくさんいます。

 話せばわかると言うのは、相手に理性がある時だけ有効な行為なのです。初めからものを盗もうとする人、人を殺そうとする人には何を言っても伝わりません。

 「そんなことはない話せば必ず伝わる」。と言う人は、ロシアに行ってプーチンさんに、「ウクライナ兵を殺さないでください」。と頼んでみてください。それでどうにかなりますか。どうにもならないから4年間も戦争し続けているのではないですか。

 ウクライナは祖国を守るために戦争を続け、 今も死者を出し続けています。あなたがこんな状況に置かれたとしたならどうしますか。家族を殺しに来たロシア人と話をして解決できますか。相手が中国人でも同じことです。人は物ごとのわかる人も大勢いますが、物のわからない人はその十倍いるのです。善意でばかり人を見ることは出来ないのです。

 世の中がどんどん暗く憂鬱になって来ます。こんな時に全てを忘れさせてくれるような強烈なマジックを見せてくれるマジシャンは出て来ないでしょうか。期待しています。

 

続く

 

 

この数日

この数日

 

 この一週間の話をします。15日、日曜日はマジシャン高橋司さんの奥様、ゆかりさんのヴァイオリンリサイタルが、原宿のアコスタディオと言う演奏会場で昼に催され、女房と一緒に出かけました。駅に近く、奇麗な会場です。50人ほどの客席で、満席でした。

 初めにシュエラザードのテーマ曲などの小品があって、ベートーヴェンのソナタ6番がありました。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは5番の春が有名ですが、 6番は初めて聞きます。でも、ピアノの伴奏がヴァイオリンと五分に語り合って議論を戦わすところがすでにべート-ヴェンらしいです。とは言っても、若いころの作品ですので、明るく軽快で聞きやすい曲でした。ピアニストの村松映美さんは力強い演奏で、迫力があって上手いですね。

 休憩があって、後半に、タンゴのジェラシーや、月の光などの小品があって、お終いは、ブラームスのソナタ3番でした。ブラームス40代の作品ですが、この頃からブラームスは妙に老化して、閉鎖的になって行きます。明るくお洒落な第一楽章がいいなと思っているうちに、後半から重厚な和音とともに、重たく複雑で気難しい、ブラームスの世界が展開されます。ブラームスの人生の境目に位置する曲なのでしょう。ブラームスファンにはたまらない曲なのでしょうね。

 この難曲をゆかりさんは見事に弾き切っています。複雑な和声を綺麗に聞かせてくれます。原宿の50人のコンサートホ-ルで難解なブラームスが満席の観客を前に、ごく当たり前のように演奏されていると言うのが、日本の文化の深さですね。いいコンサートでした。

 このあと私は、表参道を散歩しようと思いました。女房は、余りに人が多すぎるので帰ると言ってさっさと帰ってしまいました。「何だせっかくおいしいスイーツでもご馳走しようと考えていたのに、まぁいいか」。

 まだ並木は若葉が出ていなくて寒々としています。人ばかりが多くて落ち着きません。それでもウインドーショッピングをしていると、いろいろなセンスあるものに触れることができます。

 「あぁ、こんな日もないと刺激がないなぁ、いつも純情商店街ばかり歩いていてはいけないな」。とひとり呟きました。

 

 翌、16日は、ケン正木さんの家に見舞いに行きました。10日ほど前に電話をしたら、喋り方もしどろもどろで、最近は自宅で寝たきりだと聞き、それではさぞや寂しいだろうと思い、見舞いに行くことにしました。ケンさんとは50年以上の付き合いです。

 それほど長い付き合いでありながら、彼の家に行ったことは数度しかありません。 今回も記憶を辿りつつ板橋駅の並木通りを歩きました。毎日ヘルパーさんが来ていて、ヘルパーさんの買って来るコンビニ弁当ばかり食べていると聞き、それなら甘いものも欲しいだろうと思い、イチゴのあまおうとバナナとドーナッツ、それに花束を持って伺いました。

 昔から病気の多い人でしたが、今回は度々脳梗塞で入院したため、体も衰弱しているようです。手足が不自由になり、話も少し舌がまわらなくなったために、もう舞台にも立っていません。マジック大好きなケンさんとしては日々寂しいでしょう。

 私はなるべくケンさんに元気を出してもらいたいと思い、持ってきた花束を花瓶に活け。テーブルに飾りました。そしてド-ナッツを勧めました。生クリームのたくさん入ったドーナッツをケンさんはゆっくり頬張りながら、「おいしい、おいしい」。と繰り返し言いました。

 約2時間、彼とマジックの話をしました。そろそろ帰ろうかと思った頃に、彼が「あまおうがたべたい」。と言いました。赤い大きなイチゴがずっと気になっていたのでしょう。もし私がこのまま帰ってしまったら、彼は一人でイチゴを洗って食べることが出来ないのです。

 「いいよ、私が洗ってやろう」。私はイチゴを洗って、ヘタを取って3つほど皿にもって、彼に持たせてやりました。彼は、「甘い、とっても甘い」と言って食べましたが、脳梗塞の影響で表情が全く変わりません。でも嬉しくはあるのでしょう。

 私と彼は2歳違い。初めて会ったときは彼はまだ高校生でした。私の家に来るときはいつも目を輝かせてやって来ました。マジック大好きだったのです。私のナイトクラブの仕事にも喜んで手伝いでついて来ました。それから50年、このように向き合って、私よりも若いケンさんにイチゴを洗って食べさせることになろうとは、人生なんて全く予測できないものです。

 去り際に彼は動かない体にも関わらず、玄関まで見送りをしてくれました。精一杯の彼の感謝の気持ちなのでしょう。

 

 そして翌17日。今度は小野坂東さんに会うためにマジックランドに伺いました。東さんは今92歳、マジック界の最高齢者でしょう。今月の初めに東さんに電話をすると、「久々会いたいから、マジックランドに来て欲しい」。と言われました。

 そうならマギーさんや、ボナ植木さんにも連絡して、3人で顔見せに行こうと言うことになりこの日に揃ったのです。この日私は弟子の朗磨も連れて行きました。ビデオを記録に残しておこうと考えたためです。

 それから約2時間。4人は昔のマジックの話をいろいろ話しました。東さんは終始聞き役で、表情もほとんど変わりません。疲れているのかと心配になりましたが、内心は結構楽しいようです。私が持って行った大きなシュークリームもきっちり一つ食べました。

 4時30分にマジックランドを退出して、私とマギーさんと、朗磨の三人は東陽町交差点にある居酒屋に入りました。いつものことですが、マギーさんは話しだすと止まらないのです。ここで1時間、いろいろな話を聞き、6時近くに解散になりました。

 マギーさんも元気、ボナさんも元気、私も元気です。幸せと言えば幸せな三人です。好きなマジックをやって、酒が飲めて、仲間と語り合って、70過ぎまで生きて行けたのですからいい人生です。願わくばまた半年後くらいに3人で酒を呑みたいと思います。日々、神様に感謝しています。

 

続く

前田知洋さんの収録

前田知洋さんの収録

 

 先週土曜日(2月13日)は、朝8時30分から稽古に来る人が一人いて、その後弟子の朗磨に稽古をつけて、あっという間に午前中は終わり。午後14時から「魔法の力」の収録。このところ私が力を入れている動画の企画です。視聴者も多くなり、反応もいいようです。

 当初のコンセプト通り。マジシャンがマジックをしないでマジックの世界を語る、と言うトークショウをずっと維持しています。なぜマジックを見せないことが大切なのかと言うなら、例えば、テレビに出演するとマジシャンは、テレビ局に頼まれるままについついマジックを演じてしまいます。

 無論マジシャンがマジックを演じることは良いことです。然し、常にマジックを演じていないと自分を表現できないと言うのは余りに芸能人として幅がなさすぎます。マジックから離れてしまうとオーラが消え、何も表現できないと言うのは問題です。小道具を持たないと急に精彩が無くなってしまうと言うのでは、世間の人のマジシャンへの評価を下げてしまいます。

 マジシャンにとってマジックは本業なのです。歌舞伎役者がバラエティー番組などに招かれた時に、歌舞伎は演じません。落語家も落語は演じません。本業はそう易々とどこでも演じないものなのです。然し、なぜかマジシャンは常にマジックを演じることを求められます。そうした依頼を断ることは簡単です。でも、そうであるなら、マジシャンはマジックをしないでトークだけで、人を楽しませることが出来ますか。

 マジック界を見渡したところ、そこに気付いて、日ごろトークを磨いて、面白い話が出来る人と言うのはなかなかいません。多くのマジシャンはマジックにのめり込んでしまって、職人になり切っています。

 マジシャンがマジックのスキルを上げることは勿論大切なのですが、もっともっと素の喋りを磨いて、人を引き付ける力を持たなければ常にマジックを見せ続けなければなりません。

 マジックを見せている時だけがマジシャンで、小道具を手放したらオーラが消えてしまう、と言うのでは道具屋さんであってマジシャンではないのです。マジシャンも、マジック愛好家も、もう少し広く芸能の中からマジックを捉えて欲しい。そうした考え方から魔法の力を始めました。

 今回はゲストに前田知洋さんを迎えてのトークショウです。先月のマギー司郎さんと言い、今回の前田さんと言い、全くのボランティアで協力して頂いています。前田さんはこのところ私とのトークに新たな可能性を感じているようです。誠に光栄です。

 

 さて、13時半くらいからカメラの小形さん、ザッキーさん、古林一誠さん(俳優、今回はお手伝い)、などなど続々集まり、前田さんもやって来て、例によって25分のトークショウを3本取りました。

 今回も、思いがけない面白い話がたくさん撮れました。ほとんど私が聞き役に回り、前田さんが熱心に語りました(前田さんとのトークは2本分)。彼も語りたいことがたくさんあったのですね。但し、まだマギーさんの収録分がそっくり未公開ですので、今回の放送は4月末になると思います。

 

 私が44歳の時に「そもそもプロマジシャンと言うものは」(東京堂出版)。を「ザ・マジック」 に連載し、その後本にして出しました。未だにこれを読んでいる若いマジックファンがたくさんいるようです。

 実はそこに出て来る悩み多き若手マジシャンのコワザ光君のモデルは、まだ20歳だったかつての前田知洋さんだったり、ヒロサカイさんだったり、カズカタヤマさんをイメージして、一人のマジシャンを作って見たのです。

 前田さんと初めて合って40年。「そもプロ」の題材にして出版して25年。そして今回、魔法の力に出てもらうと言うのは不思議な縁ですね。でも流れは全くぶれずに一貫しています。魔法の力は形を変えた「そもプロ」なのです。

 ザッキーさんも、古林さんも、子供のころから前田さんのファンだったらしく、緊張の面持ちで今回の収録をしました。3時40分。撮影終了。そして収録後、駅前の焼き肉レストランに行き、打ち上げをしました。

 撮影でのトークショウで前田さんは心に秘めていた思いが燃え上がったのか、食事中も熱心に語り続けました。こんなに多弁な前田さんを見るのはザッキーさんも古林さんも初めてらしく、熱心に聞き入っていました。

 いいですねぇ。こう言う時間があるからこそ、マジックの先輩から話が聴けて後輩が育つのです。いままでマジックの世界ではこうした時間が足らな過ぎましたね。

 行く行くは魔法の力も公開で撮影して行きたいと思います。無論、打ち上げにも興味がある方には参加できるようにしたいと思います。18時打ち上げ終了。私はほろ酔い機嫌で自宅に戻りました。

 連日、指導やら、原稿書きやら、人から求められる仕事が多くて、日々充実していると言えばその通りです。でもほとんどの時間は人のため、生きるために費やされています。もう少し自分の時間を持って、自分の演技を作り上げる時間が欲しいと思います。秋のリサイタルのためにも、これから作品作りをしないといけません。

 

つづく