手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大波小波がやって来る 1

  このところ  、私のブログをご覧になる人の数が50%くらい増えています。これは私のブログの人気が上がったのかと言うと、そういうわけでもないようです。コロナウイルスの影響で、外出しない人が多いせいか、外に出るな、じっとしていろと言われて、ゲームをするか、メールを読むかしかすることがない方が多いのでしょう。

 せっかく陽気が好くなって、あちこちに出かけたいところなのに、コロナがはびこって、遠出もできず、手近なところでパチンコか飲み屋にでもと思うと、周囲の目が、まるで怠け者を見るように冷たい視線を浴びせかけ、わずかな息抜きすらも思うに任せず、万事休すの状態で、「新太郎のブログでも見るか」。と、ダイニングにある、数日前封をに開けた、湿ったポテトチップスをつまみながら、何の期待もせずに横になってテレビを見るような、あの、でれでれっと、あきらめの気持ちに身をゆだねて、私のブログをご覧になっているのではないかと思います。

 それでいいのです。期待をしないお客様を前に、出来がいいとは言い難い、生な時間つぶしのブログをお見せすることこそ芸術の原点なのです。疑う前に大道芸をお考え下さい。ただの行きずりのお客様を相手に、素朴な芸を見せているうちに、やがてそれが芸術に昇華してゆきます。あれがすべての芸術の出発点なのです。芸術は暇人が育てるものです。そうなら、コロナウイルスは、期待しない、暇なお客様をたくさん作って下さったわけですから、この先優れた芸術が生まれる出発点となり得るのです。

 

 昨日のブログで、わたしが、「コロナウイルスが収まっても、元の生活には戻れない。半年後、一年後の世界は今とはまったく違った世界になる」。と書きました。それがどういうことか詳しく教えてほしいという人がありましたのでお話ししましょう。

 世の中を見ていると、10年に一度、津波が起こります。そして20年に一度大津波が起こります。津波とは社会をひっくり返すような大きな問題のことです。どんなに世の中がうまく行っていても、必ず、10年に一度大問題が起こり、その被害を被る会社や個人が耐えて行く体力がなければ消え去ってしまいます。

 ところが津波が去れば、そのあとは嘘のような復興景気が起こります。被害を受けた人、消え去った人がいなくなることで、社会全体の数にゆとりが出て来ます。結果、耐えて残った人に成功の種をもたらすのです。人の不幸で稼ぐのは失礼なことですが、実際景気と言うものはそうやって波を作り出してゆきます。

 津波はほぼ10年ごとに間違いなく起こります。ほぼと言うのは、1、2年の誤差を指します。私が生まれた昭和29年は、まだ日本は貧しかった時代ですが、経済は日に日によくなって、町の様子も日に日に豊かになって行くのがわかりました。私が清子の弟子になって、いろいろな仕事についてゆくようになった昭和42,3年の頃でも、今思えば東京はまだ明治以来の風景が随分残っていたように思います。

 

 浅草橋の駅から浅草方向を眺めると、あの大通りの両側はほとんど木造の二階建ての瓦屋根でした。隅田川には、ポンポン蒸気船がたくさん走っていて、砂利や、資材を運んでいました。日本橋三越デパートは昔から立派なビルでしたが、向かいの商店街は、二階建ての瓦屋根で、佃煮屋さんも鰻屋さんも、そこの二階に住んでいました。

 それが昭和39年のオリンピックを境に、たちまち町中にビルが建ち並び、商店が会社になり、何もかも規模が大きくなって、日本中が綺麗になって行きました。

 昭和40年代初頭のマジシャンがどんなマジックをしていたのかと言うと、恐らく戦前のマジシャンと大差なかったと思います。私の師匠のような人はたくさんいて、新聞と水、毛叩きの色変わり、紙で巻いたハンカチ切り、ロープ切り、パラソルチェンジ、リング、取りネタはタンバリンか蒸籠(せいろう)、或いはメリケンハット、

 要するに、当時、マジックショップで売っているようなネタが中心で、それら全部と、マジックテーブルを一つのスーツケースに詰めて運んでいました。ほとんどのマジシャンは更にもう一つ分くらいレパートリーを持っていて、長い時間演じなければならないときには、スーツケース二つを運んで、演じていたのです。

 当時のマジシャンはそれを演じる事で20年も30年も生きて行けたのです。実際、女流のマジシャンは、そんな売り物の小道具でマジックを見せて、晩年には、木造のアパート一軒が買えるくらいの貯金を残したのです。考えてみれば今、アマチュアがボランティアでしているような内容で、かつてのプロは生活をして行けたのです。

 その頃の仕事は、いい仕事はお座敷に招かれて奇術をすることでしたし、値段は安いですが、町内のお祭りをこまめに回れば夏、秋の3か月は楽に暮らせました、お祭りを専門に紹介する余興屋(プロダクション)さんというものまであり、そこに挨拶に行くと、すぐに5本10本の仕事がもらえました。

 普段は寄席や演芸場に出て、町内会の寄り合いや、知り合いの会社の社長の忘年会、新年会、知人の結婚式等々、値段を言わなければ、仕事はいくらでもありました。

 昭和40年頃から、キャバレー、ナイトクラブがたくさん出来て来て、徐々に夜のショウが忙しくなって行きました。キャバレー専門の事務所もたくさん出来ました。私はちょうどそのころに舞台を始めましたので、キャバレーの仕事は随分やりました。

 お祭りの余興が2千円とか3千円と行った出演料だったのに対して、キャバレーは一晩で二回15分の違ったショウを見せなければいけません。内容を変えるのは苦労しましたが、しかし貰えるギャラは昭和46年くらいで5千円貰えました。勤め人の給料が月に3万円取れない時代です。わずか17歳の子供に5千円が支払われたのです。それもこれもマジシャンの数が東京でも100人といない時代で、しかも仕事の量がはるかに多かったものですから、需要が多すぎて、マジシャンが足らなかったのでしょう。

 この時代は日本の経済が右肩上がりで、毎年10%くらいの経済成長をしていましたので、ほとんどの人が生きて行くことに不安を感じていなかったように思います。赤坂でも銀座でも新宿でも繁華街は連夜遅くまで人が歩いていて、とても賑やかでした。

 建設会社の社長が、建売住宅を30軒くらい売り出して、その日に即完売して、頭金をしこたま財布やポケットに入れて、キャバレーにやってきて、ホステスに1万円ずつ配っていました。私がショウをすると、1万円札でできた紙飛行機が飛んできました。リングを演じていた私は、足元にとまった飛行機をガバと足で押さえながら、そのままリングを演じました。前に座っていた別のお客様が、私が足で抑えている1万円をそっと引っ張ろうとしましたが、ここは譲れません。リングの手順よりも、1万円の方に気が行って、何が何だか分からなくなってしまいましたが、必死で押さえました。でも、あの時代は、みんながニコニコして、輝いていました。

しかしその翌年、大きな津波がやってきました。1973年のオイルショックです。

続く。

 

日暮(ひぐらし)硯(すずり)に向かいて

 日暮硯に向かいて、とは、徒然草(つれづれぐさ)の書き出しです。正確には、

「徒然なるままに 日暮硯に向かいて 心に移りゆく 由無(よしな)し事を そこはかとなく書きつくれば 怪しうこそ 物狂おしけれ」 徒然草 吉田兼好

 

 名文には無駄な言葉が一つもなく、またほかの言い回しでは絶対に表現出来ないその時代、その作者の思いが千年の歴史を飛び越えて、今ここに浮かび上がってきます。文章の格調高さは、この書き出しだけでも洗練の極致を感じるでしょう。三弁読んで諳(そら)んじて見てください。こんな文章を千年も前に書いた人がいたという、それだけでも日本人の文化レベルの高さ、知的水準の高さを強く感じます。しかもそこに書かれていることは、徒然草をお読みになったことのない人でも、吉田兼好の思いが、今に通じて多くの共感を得ます。

 但し、平安時代の言葉は、今使われない単語があるためにすぐに理解はできませんが、これを現代語に置き換え、私の心情を語れば、以下のようになります。

 

「イベントの仕事が流れて 毎日特別にすることもなく パソコンを開いて 心に浮かぶ様々なことを 別に書いたから褒められるわけでも 収入になるわけでもなく どうということもない事を 思いのままに書いてゆくと 不思議なもので たちまち時間を忘れて没頭してゆく」。

 いと怪しき現代語訳ではありますが、まさに今の私の現状を語っています。私はこれまで、徒然草と言うのは天才が、今の気持ちを自らの才能に任せてすらすらと、エッセイにして書き綴ったもので、私自身の思いにが徒然草と繋がるとは考えもしませんでした。吉田兼好藤山新太郎を並べて、似ているなどと書くこと自体が気が違った者のすることだと思っていました。

 しかし私は65歳になって、徒然草を読み直すと、その日々の内容が、痛いほどわかるのです。そして低次元ではありますが、似たようなことをしている自身の姿を客観視して、「あぁ、時代は違ってもやっていることは同じなんだなぁ」。と思います。

 恐らく兼好法師は、面白がって毎日エッセイを書いていたのでしょうが、周囲の人からはきっと、「そんな役にも立たないことに時間を浪費していないで、もっと、出世や、収入に結びつくことをなさったらどうか」。などと真剣にアドバイスをされていたのだろうと思います。それに対して、法師はにこにこ笑って否定もせず、せっせと書き続けていたのでしょう。当時、紙と言うものはとんでもなく高価なもので、ページ1枚は現代の1万円にも匹敵したでしょう。そんな出費をものともせず、誰の評価を受けようとも考えず、心の中のことをひたすら素直に書いてゆく姿はまさに芸術です。

 芸術とは心の告白です。人の喜ぶことを書いて稼いでやろう、人に取り入っていい地位を得てやろうとして書くものは、自分を素直に語ってはいません。すべてを捨て去って見返りを求めないもの。そこから生成されて、濾した後にささやかに流れ落ちて来る透明な雫(しずく)こそが芸術です。他人から見たなら役に立たないこと、そこを昇華させることが芸術です。

 一生かかっても私はそこに到達しませんが、心の中を素直に書くということはできるでしょう。そんなことをこの先続けて行けたら私は満足です。

 

 さて、数々のイベントが流れ、自主公演のマジックセッションが大阪、東京ともども延期になってしまい、あとは神田明神の伝統館と、玉ひでの座敷があるのみになってしまいました。それでも私を求めてくださるお客様がいらっしゃることは幸せです。

 以前に人間国宝梅若玄祥先生に伺った話で、五代前の梅若六郎師は、明治維新を迎えた時に、贔屓になってくれていた大名家が、みんな国元に帰ってしまったために、能を習う生徒がいなくなって困窮したそうです。仕方なく六郎師は門付け(かどづけ、人様の門の前に立って、謡を語って、何がしかの銭を得る)をして、日々をつないだそうです。数百年も続いた能の家元ですら、そんな時代を経験したのです。昨日まで大名家の座敷で侍に能を教えていた家元が、門付けをして、一文の銭を得る身になったことは、簡単に悲しい、悔しいなどと言うレベルの話ではなく、悲壮感が漂います。それを思えば、昨今、出てきたマジシャンが、ウイルスが蔓延して仕事が来ない。食べていけないなどと言うのは寝言のレベルでしょう。

 今、我々は先人が明治維新を迎えた時と同じ位置に立ったと知ることです。マジシャンに限らず、どんな仕事をされる人も覚悟をすることです。つまり、これまで、稼げなかった人、仲間のつてて何とか生きてきた人達等は、間違いなく失業するでしょう。

 無論、そこから這い上がってくる人もあるでしょう。しかし多くは、一年先にはいなくなっていると思います。今しっかり自分を見つめ直すことです。何が自分には不足していて、次の時代に何が来るのか、そこを読み込める人だけが次の時代に残ります。

 

 私の20代はキャバレーやナイトクラブが全盛でした。15分のマジック手順を二つ持っていれば、30年生きて来れたのです。しかし昭和56年、日本に3万軒あったキャバレーがたった一年で跡形もなく消え失せたのです。キャバレーで生活していたマジシャンの半分はタクシーの運転手になったりして、廃業してゆきました。

 その後イベントが盛んになり、広告代理店と言う会社が雨後の筍のごとく出来て、市町村の主催するイベントを握って活躍していました。私はその流れに乗れてイリュージョンチームを起こし、いい稼ぎをさせていただきました。然しそれも平成5年にはバブルがはじけて、広告代理店そのものがあっという間に無くなってしまいました。イベント全盛は10年で終わりました。当然多くのマジシャンが廃業しました。

 

 今、ウイルスが縮小したら、またイベントが戻って来るなどと、安易に考えないことです。仕事は増えますが、中途半端なマジシャンや、自分の考えのないマジシャンには仕事は回って来ないでしょう。一年後の社会は今の姿とは全く違ったものになります。平成は終わったと諒解することです。この先、消えないためには、基礎を学び、自分の考えをその中でまとめて、自分の世界を作ってゆかなければなりません。マジックの一年生になってマジックを勉強し直すのです。今、それをする時です。

 

猿ヶ京合宿延期

 今月、11日、12日の猿ヶ京の集中合宿は、12名が参加して開催する予定でしたが、参加者がウイルスに不安を感じているため、7月に延期することになりました。もし来週猿ヶ京に行けば、桜の咲初めで、山一面が桜一色で飾られて素晴らしく美しい世界が見られるのですが、それは次の機会としましょう。

 その代わりに、12日の午後から、少人数のレッスンを私の高円寺のアトリエで致します。熱心な人たちが参加を希望していますので、ご指導をしてみます。但し10人以上集まってしまうとウイルス対策になりませんので、本心からの希望者のみです。そこで私の心境をお伝えすると、

 「徒然なるままに 日暮わが奇術に向かいあいて 心に残れり奇術の数々を 伝え聞いて集う人に 求められるまま 伝え行くことは 怪しうこそすれ いとおかし」。 藤山糖尿法師

セッション延期のお知らせ

 皆様にこうして毎日、マジックの情報を流しつつ、実はこの数日、私の心の中で右に左に揺れ動いていました。いろいろ考えた結果、4月25日の大阪で開催予定のヤングマジシャンズセッションと、5月8日、東京の座高円寺で開催予定のヤングマジシャンズセッションは、開催延期することにいたしました。

 良い席で見たいと早々チケットを申し込んで下さった皆様には申し訳ないのですが、大阪公演は、まだ半分しかチケットが埋まっていないこと。ライブハウスでの開催に対して、大阪の人の見る目が厳しいこと、公演後の打ち上げなども自粛しなければならないこと。出演者の多くが不安を感じていることなど、いろいろ考えて、4月25日は公演中止とし、10月3日に開催を延期することにいたしました。

 また、東京に関しましては、座高円寺が現在休館中で、この先5月8日も恐らく休館が続く可能性があるため、実質公演不可能なこと。韓国のゲストのハンマンホーがコロナウイルスの影響で、日韓が交流を断っているため、来日できないことなどを考えて、やむなく10月30日に延期し、同じく座高円寺で開催することにいたしました。熱烈に、マジシャンズセッションを支持してくださるお客様が多く、私自身も、マジックを愛する人のために、何が何でも開催する決意でいたのですが、結局多くの人の不安な思いに勝てず、延期することになりました。お騒がせして誠に申し訳ありません。

 

 但し、皆様のお志は無駄にはしません。早めにお申し込み下さった皆様には、5月8日のお席をそのまま、10月30日の開催チケットに移行しまして、同じお席で予約しておきます。また、払い戻しをご希望される方には、すぐに返金の手続きをいたします。秋には、メンバーも、お席も同じ状況で開催いたしますので、しばしご猶予お願いいたします。

 私の人生でもこうした休止活動は初めてのことです。マジシャンだけでなく、飲食店も、デパートも、ホテルもすべて、人の集まる場所は休止せざるをえない状況になってしまいました。全く不可解なことです。

 私に言わせれば今回の処置は大げさです。どこの病院の先生でも、コロナウイルスなんて大した病気ではないと言っています。結局特効薬はまだ見つかりませんし、罹っても市販の薬を飲んで寝てれば治ってしまいます。そんなに大騒ぎする病気ではないと言っています。然し、マスコミがこうまで騒ぎ立てれば、世間も同調します。私の言うことなど多勢に無勢、衆寡敵せずで相手にされません。いたし方ありません。

 マジシャンズセッションは半年後、仕切り直しをいたします。再度チラシを作成して、皆様にお知らせしますので、またその折はお申し込みください。

 

 ただし、私の出演する神田明神の伝統館での公演は開催致します。4月、10日、17日、24日、11時30分から、いたします。お弁当に鯛のごはんが出ますので、事前に予約をしてください。

 それから18日には人形町玉ひでで、親子丼のコースを食べながら私の手妻の公演は開催をいたします。お座敷でじっくりお食事をして、たっぷり江戸の手妻を見る贅沢な会です。こちらも事前予約をお願いします。お申し込みは東京イリュージョンまで、

 

 

リング 金輪 10

 さて、依然としてマスコミはコロナウイルスで大騒ぎですが、一昨日、小池都知事の会見の中で、NHKの記者さんが、「レストランやバーなどの感染もそうだけれども、風俗店やパチンコ店は大丈夫なのか」。と質問をしました。それに対して、小池都知事は直接答えず、居並ぶ専門家が、「それに対して、今のところそうしたところからの被害の報告はない」。と言いました。本当にないのでしょうか。

 おかしな話です。密室、密集、密接、の場所は避けるべきと言って、バーや、クラブ、レストランに行くなと言うなら、そこよりも明らかに密室で、密集で、密接な、性風俗店やパチンコ店は行ってもいいのでしょうか。

 パチンコ店は、まるで鶏のブロイラーのように密集して、お客様が一列に並び、しかもみんなが煙草をスパスパふかしながら、長時間ギャンブルしています。この姿は、3つの密を実践している最たるものではありませんか。

 性風俗店に関して言うなら、一層露骨に人との接触が直接行われているはずです。人と人が2m離れてセックスすることは不可能で、ぴったりくっつくからこそ風俗店の需要があるわけで、私が語るまでもないことです。そうならウイルスに罹らないことのほうが奇跡ではありませんか。それでも問題ないというなら、コロナウイルスは100%人には罹らないウイルスと言うことになります。

 結局、政治家に献金している人たちには口をつぐんでしまうのでしょうか。然しデーターは明らかです。罹災者の中で、感染源が特定できないと言う人がたくさんいます。ほとんどはパチンコ店か、性風俗で感染した人たちなのではありませんか。そうでないなら他にどこでウイルスに罹るのでしょうか。これほど危ない場所があるにもかかわらず何も言わないなら、ほかの業種を悪く言ってはいけません。

 レストランでもバ-でも、性風俗店などとは比較にならないくらい衛生面は徹底されています。それを悪く言って、行くな、出かけるなと言うのは何の根拠があって言うのでしょうか。都知事の言う非常事態とはどんな事態を言うのでしょう。手妻師にもわかるように詳しく話してくれませんか。

 

 バーノンの5本リング

マリニーが作り上げた9本リングは、12本リングの造形を減らし、キーのロードを取り入れ、トリプルリングの抽象的な造形を加え、リングそのものの不思議を強調しました。その後、日本ではアダチ龍光が9本を受け継ぎます。この時アダチ師は6本リングの造形を加えて、造形の多い手順に戻してしまいました。これが良かったのか悪かったのかは現代の価値観から軽々に判断はできません。昭和20年代、30年代の日本の観客の好みでは、造形の多い手順のほうが喜ばれたのかもしれません。

 一方アメリカでは、マリニーの9本リングは忘れられて行きます。一人ダイバーノンは、9本の手順をさらに本数を減らして、究極ともいえる5本リングの手順を作り上げます。日本では、バーノンの信者が多いので、氏を神のごとく崇める人が多いのですが、

 さて、5本リング、すなわちシンフォニーオブザリングが、名作であるか否か。少なくとも私が見る限り、疑問の多い手順です。ある意味、この手順を見ると、ステージマジシャンとしてのバーノンの限界を感じます。クロースアップの世界で神様と呼ばれる理由はわかりますが、バーノンの人生を見ても、氏が演じていたと言われる一連のステージマジックを見ても、5本リングを見ても、そこから感じるものは、決してプロフェッショナルな生き方ではなく、アマチュアイズムそのものを感じます。

 

 順にお話ししますと、5本リングは、トリプルリングとキーリング、シングルリング1本で構成されています。5本しかないリングにトリプルを加えてしまうことがまず常識の構成ではありません。これでは、トリプルをお客様に渡した後、すり替えて、外してゆくことができません。なぜなら、トリプル以外のリングはキーとシングルだけの2本しかないからです。もしプロマジシャンがトリプルを加えて、最小限のリングを考えるなら、シングルをもう一本加えて、6本手順を作るでしょう。バーノンは3本をつなげて、お客様に渡しはしますが、すり替えの技法が出来ず、3本は3本のまま進行します。

 無論、氏も、リングの改めの必要性は感じていて、氏自身「改めのないリングは不思議ではない」。と言っています。私が十代の頃、しきりに大学生の発表会で、バーノンの手順を演じる人がいました。しかし、彼らはみんな、バーノンの演技の後半のみを演じ、リングをお客様に渡すことはしませんでした。当時の日本人はシャイな人が多く、人前で話ができない人が多かったのです。そんな人がバーノンの手順をするものですから、どうもリングの手順は手渡しもせずに淡々と演者がこなしてゆくだけで、自己満足にしか見えず、盛り上がりに欠けていたのです。

 そのためか、いつの間にかバーノンの手順は、よりシンプルな3本リングに取って代わられるようになりました。そして、「リングと言うものはしゃべらない演技なんだ」と、位置づけられ、日本のアマチュアの間でリングはおかしな方向に進んでゆきます。

 しかし、バーノン自身は、決して上手とは言えない喋りで、お客様に対して、お喋りをしてリングを演じていたのです。そして、喋って受け渡しをすることの大切さを氏自身が度々語っていますので、昭和30年代、40年代の日本のあり方は明らかに間違っていたと言えます。こうした流れはその後に3本リングに受け継がれてゆきますので、3本リングの所で再度お話ししましょう。

 

 バーノンのリングは、本数を減らしたことで、初めに全部のリングを渡すことができません。9本、12本で最も効果的な、全て渡すという手順が完成していたにもかかわらず、バーノンはあっさり捨てたわけです。そして、初めにキーとシングルを使ってつなげ外しをしますが、それもすり替えが効きませんから明確な改めができません。トリプルをつなげて、お客様に渡しますが、それを外して見せることができません。つまり前半のつなげ外しはすべて中途半端なのです。

 そうではあっても、後半、音楽を使って演じる、トリプルとキーの演技は面白くできています。5本全部繋げてから、知恵の輪のように、1本ずつ梯子を下りるように外してゆくところなど、よく工夫がされています。個々の手順の美しさがバーノンの手順の命であり、氏が語りたかった部分なのでしょう。しかしその手順の原型は12本に既にありますし、12本を受け継いだ9本でもしっかり語られています。

 バーノンの5本リングはマジック関係者の間では高く評価されましたが、一般のお客様の間ではあまり人気を集めたとは言えなかったと思います。そのあたりがステージマジシャンとしてのバーノンの限界なんだろうと思います。

非常事態 非常宣言

 結局この国にリーダーはいるのでしょうか。火付け役はいても火消し役がいない、いや、問題を大きくする人はいても、問題解決を提示できる人がいません。安倍首相はイベントを自粛せよと言いました。理由は人を集めるからだそうです。人の集まらないイベントならイベントの意味はありません。人を集めるなと言うのは、イベントを100%否定した言葉です。人が集まることがいけないならなぜ山手線を真っ先に休止にしませんか。まず公共機関が範を示して、感染を防ぐべきでしょう。その上で民間に呼びかけるべきではありませんか。

 「イベントを自粛せよ」と言われて、イベントに生きる人たちはどうして生きて行ったらいいのですか。あれをするなこれをするなと言う前に、まず人の生きるすべを示してから、中止を求めるべきではありませんか。言葉ばかりが勢い良くて、そこに責任がなければ、結果、多くの人を不幸に陥れるばかりではありませんか。

 小池都知事は一層問題です。一昨日は、「夜の外出を控えて、食事もアルコールも外での遊びは控えるべき」。とはどうして言えますか。江戸時代ではあるまいし、個人個人の行動にまで口出しする政府がどこにありますか。テレビは、夜に飲食店で飲んでいる人にインタビューしていました。「なぜ、こんな時期に酒を飲んでいるのですか」。大きなお世話です。テレビ局の言うことではありません。太平洋戦争のさなか、アメリカと日本が戦争している時でさえ、空いている酒場を探して酒を飲んでいる人はいたのです。私の父親です。飲みたい人に、なぜかと問うのは野暮です。飲みたいのです。個人の生活のはしはしまで追い詰める行為は密告社会です。それをする人は卑劣です。コロナウイルスという大義名分を背負って、テレビ局は正義の代表者のような顔をして、弱者をいじめているのです。

 

 特定の業種を指して、そこに行くな、と言えば、その業界はその日から死活問題になります。ホテルもレストランも、割烹料理店も、クラブも、スナックも、一杯飲み屋も、どこも他に転業の聞かない仕事です。そういうところに行くなと言われて、銀座や赤坂のママはどうやって生きて行きますか。友禅の着物を着て、綿あめや、ヒヨコを売ることはできません。大きくならないウサギと言って、本当は大きくなるウサギを売っても銀座の店の家賃は払いきれません。転業などできないのです。

 やむなく少ないながらも支持してくれるお客様を相手に何とかやっているのです。みんな一縷の思いで生活しています。それを店に行くなと言うことは、働く人のわずかな望みも切り離してしまうことなのです。そんなことをどういう理由で知事が言えるのですか、それを言っている小池知事の記者会見は人を集めてはいませんか。そこで何人かが感染したなら、その責任は誰がとりますか。

 小池都知事も、安倍首相も、非常事態宣言の捉え方を間違えています。まず、非常事態を語るなら、自らが身を正さなければいけません。つまり、国民や都民に無収入の覚悟を求めるなら、まず自らが、給料を返上することが第一、そして、次に、国会議員、都議会議員の給料もカット。公務員の給料も、コロナウイルスが終息するまで、10%なり20%なり給料カット、ボーナスもカットを宣言した上で、「イベント自粛や、レストラン、クラブに出歩くな」。と言わなければ、誰が素直に従いますか。

 無論、そんなことを宣言すれば、公務員から大きな反発が来るでしょう。しかし、 役人の給料は変えず、山手線は止めず、クラブのママや、弱小のライブハウスを名指しで攻め立てたり、格闘技のイベント開催を県知事が止めに入ったり、一体何をしているのですか。そんなことをしていたら弱者をいじめるばかりです。それで本当にコロナウイルスは終息すると考えているのですか。

 このままでは仮にコロナウイルスが収まったとしても、日本の景気が落ち込んでしまいます。自殺者多数になるかもしれません。コロナウイルスの死者以上に自殺者が出たなら、それでコロナウイルスの終息宣言と言えますか。

 そんな状況になれば公務員と言えどもこのまま給料が出続けるということはあり得ないのです。本当に非常事態を宣言するのであれば、自ら給料を返納して、その上で、「みんなで耐えて行きましょう」。と言わなければ、誰が非常事態に対して協力をしようと考えますか。

 今の日本の政治家の言葉は少しも人の心に共鳴を呼びません.自分が怪我をしないところにいて、まるでスポーツの観戦をしているような気持で騒いでいるようにしか聞こえません。そんな姿勢で、何が非常事態宣言ですか。国民が、都民がどう生きて行くかの処方箋をなぜ伝えようとしないのですか。

 

 テレビは毎日、誰が感染した、何人なくなったと伝えますが、ウイルスであるからには、人は感染し、亡くなる人も出ます。しかし、他の病気、肺炎や、インフルエンザと比較したときに、どれだけの被害があるかと考えたなら、コロナウイルスは微々たるものです。まず第一にそのことを伝えるべきで、それから感染対策を語るべきです。

 

 先日ジャパンカップのパーティーで、私とメイガスさんとヒロサカイさんが横並びで並んで食事をしました。二人とも浮かない顔をしています。メイガスさんはもう30本以上仕事が飛んだそうです。まったく先々の当てがないそうです。サカイさんも同じです。私も同じです。まさかこの三人が揃いも揃って仕事がないという話をするとは思いませんでした。全くマジシャンの魔法は無力です。日本に限らず、世界中のマジシャンは今、「どうやって生きて行こう」。と自問自答しているはずです。

 私もそうした人たちに、何とか生きて行くすべを伝えたい、助けたいと思いますが、いかんせん私自身が、この先手妻師でいられるかどうかもわかりません。来月再来月は売り食いしてでも生きては行けますが、来年のことは全く分かりません。

 今の私は、何をすべきか。私の結論は、何とか若い人に、私の知っている知識を伝えて、マジックや手妻を残して行こうと考えています。私に何かあっても、たくさん人を残せば、何とか手妻もマジックも残って行くでしょう。そのために、この先の半年一年は指導に力を注いで行こうと考えています。私のできることは小さなことですが、将来に手妻、マジックが花咲くためには、今は種を残す以外解決の道はありません。それを私の使命と、生きて行くことに決めました。

リング 金輪 9

 このところ、志村けんさんの死亡などで、一気にコロナウイルスが大騒ぎになって、終始のつかない状況になってきました。私はこれまで志村けんさんとは3回、マジックのご指導で、ご縁がありました。会うときっちり挨拶されますし、習う時も実に素直に練習してくれました。深くお付き合いしたことはありませんが、一般常識を良くわきまえた人と言う印象があります。ご冥福をお祈りいたします。

 その人が、なぜこうもあっさりとウイルスに罹って亡くなったのかはよくわかりませんが、やはり、何か合併症があったのではないかと思います。コロナウイルスは決して強いウイルスではありません。普通に生活している分には罹っても治ります。多くの人が恐れるほど危険なウイルスではないのです。但し、高齢者や持病を持っている人には危険です。コロナウイルスに限らず、インフルエンザなどをこじらせたりすると亡くなる確率は高まります。人の命は、多くは合併症で失われてゆきます。

 それ故に、ことさらコロナウイルスが危険なわけではありません。私はこのブログで度々このように書いてきました。しかし中には、その根拠を問う人があります。それならばお話ししますが、日本では毎日毎日山手線や中央線、京浜東北線がとんでもなく乗客を詰め込んで走っているのに、なぜ爆発的に感染者が増えないのですか。本来なら、この三か月で、50万人や100万人の感染者がいてもおかしくないはずです。それが感染者が数千人で収まっているのはなぜですか。それこそコロナウイルスが罹りにくいウイルスである証しなのではありませんか。

 こう言うと、ニューヨークの例を出して、「これから爆発的に増える」。と言う人がいます。まだ増えてもいない現状で、これから増えるというのは煽り過ぎてはいませんか。煽っている人は、今、私が言った山手線のラッシュの現状をどう答えるのですか。片や現実を語って示しているのに、片や、増えるかもしれないという観測を述べていて、どちらが真実と言えますか。

 いや、仮に感染者が増加したとして、この先感染者が50万人になりますか。既に罹っている数千人の人ですら、ほとんどに人は治って普通に働いているのです。5千人が罹って5千人が寝ているわけではないのです。それを緊急事態宣言などと言って、都知事は人を煽りますが、一体何人罹ったら緊急事態なのですか。その方向を示さずして、言葉ばかりが先行するから、人は疑心暗鬼に捕われるのです。

 自粛、自粛と言いますが、自粛していて収入はどうするのですか。公務員なら月給が支給されますが、個人事業者は、今日稼がなければ今日の支払いにも困ります。国は保障を考えると言いますが、何か月たっても一円も支払われないのはなぜですか。仮に10万円支払われたとしてもそれで生きて行けるものではありません。

 自粛と言いながら自粛ではなく、今政府のしていることは強制ではないのですか、強制されて抑え込まれて、どうやって生きて行くのですか。ニュージーランドでは、とっくに補償金が支払われています。アーティストはそれで生きて行けるそうです。日本はどうして行ったらいいのですか。この問題に本来保証金はいらないのです。「大したウイルスではない。普通に生活していればいい」。と言えば人は安心するのです。言葉ばかり人を煽って、対策がついて行かないから人は不安になるのです。毎回同じことを言っていますが、少しも政府や都知事はお分かりでないようですのでまた書きました。

 

  マリニーのリングの演技がどのようなものだったかは、アダチ龍光師の演技から想像ができます。師はリングを演じるときのみ、椅子をテーブル代わりに使います。初めに、リングを、ダブル、トリプルとつなげて見せ、それらを観客に全て渡して調べてもらいます。観客が納得してから、リングを受け取り、客席に戻る途中で懐に隠していたキーリングをロードします。キーリングとシングルリングをつなげて、ダブルのリングに見せて、そのリングをしばらく外したり繋げたりして見せます。そのあと、リングを、トリプル、ダブル、シングルのリングをそれと気づかれないように、椅子の両肩、椅子の上と三か所に分けて置きます。椅子をリングの手順に使うのは、欧米の伝統のようで、3本リングの演者である、リンク(オランダ人)なども椅子を使って演じる挿絵が載っています。12本リングなども恐らく同じだったろうと思います。

 ここから三味線と囃子が入って、師はほとんどしゃべらず、音で進行します。後年、三味線の御師匠さんが、「アダチ師匠の金輪は、四丁目をきっちり三杯半でいつも終わっていました」。と言ったのが印象的です。四丁目(しちょうめ)と言う賑やかな曲を使って演技を〆たわけです。四丁目は一回1分程度ですから、三回半繰り返せば3分半。前半のしゃべりと合わせると、約6分程度の演技だったと思われます。

 師のリングの造形は、前半は、6本リングで使われている造詣が出てきます。後でお話ししますが、マリニーの手順はここで人力車や、兜、三輪車などの造形は作らなかったと思います。しかし、マリニーの手だけ演じたのでは師には物足らなかったのでしょう。師は6本リングの造形を増やすことで造形のボリュームを補ったのです。

 ここに、マリニーの意図するところと、アダチ師の考えの違いが伺えます。

9本リングと、12本リングを比べると流れは、実によく似ています。大きな違いは、お終いに作る灯篭の形です。この灯篭を美しく飾り付けるためにダブルを2セットにしたわけです。つまり灯篭の形さえなければ、9本で全て間に合うのです。

 恐らくマリニーが12本手順を見て着眼したことは、リングを全て渡せること。それと、キーとトリプルを使った部分が特殊で面白いこと。この二点でしょう。造形の派手さはそれほど必要ないと判断していたと思います。つまり、通常の8本リングに、キーさえ足せば、12本と同じ効果があげられると気づいていたのだろうと思います。

 実際マリニーの手順は、アダチ師の足した、6本リングの造形を消し去ると、マリニーが本来意図した手順が浮かび上がってきます。キーとトリプルによる造形と、お終いに9本全部を使った十字架の造形、これがマリニーが見せたかったリングアクトなんだろうと思います。氏が本当に見せたかったのはトリプルの扱いだったと思います。

 このことは、マリニーのマジックを生涯愛してやまなかったバーノンが、5本のリングでシンフォニーオブザリングを発表したときに、5本であるにもかかわらず、その中にトリプルを入れたことが如実にマリニーのマジックの本質を探り当てています。そこに関しては次回お話しします。

 

 マリニーが、12本リングの手順から造形を少なくし、本数を減らし、洗練された「大きな手順」のリングを作り上げたのですが、アダチ師に引き継がれてゆくうちに、造形が増やされて行き、12本リングの小型版のように変形して行きます。日本では12本リングが既にあったため、9本は広く普及することがありませんでした。もっぱらアダチ師が演じるのみで、派手さにおいては12本に敗け、軽便さでは6本リングに敗け、何となく中途半端な手順に見られてしまったのは残念です。

リング 金輪 8

 

  明治時代の欧米のリング手順は、恐らく6本、7本、乃至8本のものだったと考えられます。6本は現在でもつかわれている、キー、ダブル、シングルが3本のものです。7本は、これにダブルをもう一組加えて、ダブル2セット、シングルを2本にしたもの。8本はダブルは1セットで、トリプルキーを加えたものです。トリプルが入ると手順は大きく変わります。従って、7本の手順と8本の差は極めて大きく、8本は12本リングの流れに属すものと考えてよいと思います。

 ここでもう一度、基本をお話ししますと、3本リングの手順と言うのは、キーとシングルのみのものです。便宜上私はこれを「小手順」のリングと呼んでいます。小とはリングのサイズではなく、キーと、シングルのみのシンプルな道具を指します。4本リングで、シングルが3本付いたのものもあり、これも小手順と考えてよいでしょう。

 これに対して、ダブルを加えたものを私は「中手順」のリングと呼んでいます。6本、7本の手順がそれです。そして、トリプルリングを加えたものを「大手順」のリングと呼んでいます。9本、12本の手順。いずれも単純な区別でそう呼んでいます。

 今日4本リング(ポケットリング)は、ダブルがついて、シングルとキーのセットですが、これはトリックス社の社長赤沼敏雄氏が考案したもので、赤沼氏は6本のリングを小型化して、安価に売りたいと考えていたのですが、小型化しただけでは、原価を下げることができず、シングルリングを2本削って、最小限のつなぎ外しに必要なリングを工夫し、今の4本に至ったのです。この発想は非凡です。結果は随分と売れたようです。このため、現在の4本リングは、ダブルが付きますので、6本、7本リングの仲間すなわち。「中手順」のリングと言えます。

 更に、トリプルが入って、複雑な形状が作れるリング、すなわち9本12本は「大手順」のリングとなります。前述の8本も「大手順」になります。

 

 その9本リングを得意にしていたのがマックスマリニーです。少し氏のことを書いておきましょう。マリニーはポーランド系のアメリカ人で、(1873年生ー1943年没)。欧米の奇術界では、今も歴代の奇術師の中でトップテンに数えられるほどの人物で、氏はステージからサロンまでのマジックを得意として演じていました。しかしそのレパートリーの中に、後年、クロースアップマジックと呼ばれるマジックがかなり入っていたために、クロースアップマジシャンの元祖と崇められるようになります。

 実際には、マリニーはサロンマジックの形式で、立ってカードやカップ&ボール等を演じていたのですが、何しろダイバーノンが若いころからマリニーに傾倒して、晩年に至るまで氏を絶賛し続けたものですから、マリニーの技は神格化され、噂が噂を呼び、神として評価されるようになったのです。実際にマリニーの演技を見た人の話では、うまい人ではあったが、バーノンが言うほどの技ではなかったと言う人もいます。その伝で行くと、死後、自分が偉大なマジシャンとして語られたいと思うのなら、純朴で、だまされやすい人を育てることです。私もそう考えて弟子を取っています。

 マリニーの優れた点は、クロースアップマジックを演じながら、大きな稼ぎを上げて見せたことです。師の活躍した、明治中期から、戦前までの昭和の時代は、全くと言っていいほどクロースアップでは稼げなかったのです。いや、それどころか、昭和の間中クロースアップマジシャンはほとんど稼げていなかったのです。ヒロサカイさんも、前田知洋さんも収入になり始めたのは平成になってからです。

 マリニーは寄席や、酒場のショウなどには出演せず、もっぱら金持ちのプライベートパーティーなどに出演していました。氏は小男で、目玉がぎょろっとしていて、マジックの関係者とは距離を置き、マジック大会などにも参加しませんでした。自分のショウを見に来るアマチュアは拒まなかったようですが、べたべたとした付き合いは一切せず、バーノンのように積極的に近付いてくる若者にも、扱いは冷淡だったようです。

 氏は金持ちに自分を売り込むのがうまく、洋服は常に最高の仕立てのもの。葉巻も最高級品。泊まるホテルも町一番のホテル。何から何まで一流を演出しました。そしてギャラは法外なほど高かったそうです。クロースアップで大金を稼ぎ、一流品で身を固めたマリニーを見て、若きバーノンが憧れ抜いたのは当然と言えます。

 

 さて、そのマリニーは、明治の末から戦前までに少なくとも5回来日しています。来日の度に、新富座などの大きな劇場で興行しています。氏がたびたび来日するのは、師の友人の実業家が上海に住んでおり、度々彼のためにショウや、プライベートパーティーを催してくれていたのです。氏は上海に寄るついでに必ず日本に寄り、数か所劇場で興行をしてアメリカに帰って行ったのです。

 師の演技には、トランク抜け(人体交換術)、読心術、カード当て、カップ&ボールなど様々あり、その中に9本リングがあったのです。氏の演技を通訳したのは、木村紅葉(荘六)と言う活動写真の弁士で、後に木村マリニーと名乗って奇術師になります。木村は、洋画の弁士をしていたのですが、洋画の弁士なら英語はわかるだろうと、通訳を依頼されます。ところが木村は、英語は皆目わからなかったのです。しかし子供のころから奇術に興味があったので、マリニーの通訳を買って出て、出まかせに訳したのですが、その訳のほとんどは正解だったらしく、マリニーに信頼され、以来、来日の度に木村はマリニーの奇術の通訳をしました。

 この木村の弟子がアダチ龍光です。二人は連日マリニーの舞台を袖で見て、氏のトリックを解明します。演目の中でも9本リングは複雑で、簡単に見て取れません。そこで、連日、舞台の上手と下手に分かれて、二人で演技を見て、夜になってから、二人で、ああだこうだと話をまとめて、ついに来日中に氏のリングをすべて解明します。

 それがいつのことかと考えると、アダチ龍光とマリニーとの接点は、1919(大正8)年と、1926(大正15)年ですが、大正8年はアダチ龍光が入門したてだったので、まだ奇術を見て取ると言うほどの力はなかったと思います。たぶん、大正15年の興行の時に師匠を手伝って、種を解明したのだと思います。

 結果として、この時、木村マリニーとアダチ龍光がマリニーの手順を盗んだことは奇術の歴史的には正解だったのです。と言うのも、マリニー亡き後、9本の演技を継承する人が欧米にいません。全く消えてしまったのです。アダチ龍光が残したことで、9本リングの手順は今も残ったのです。明日はその9本の手順を解説します。