手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

舟遊び

舟遊び

 

 去る4月12日に屋形船の催しをしましたが、その際、何件か、別の日にちで同じ規格を希望される方々がいらっしゃいました。年に何回か同じ規格をやってもらいたいとか、プライベートに屋形船を使いたいと言う依頼です。勿論、それは可能です。実は、コロナ以前は何度か、こうした企画をしていました。

 日本人だけでなく、EUの役員さんであるとか、大きな企業の経営者であるとか、企業のお得意様の招待であるとか、いろいろ経験いたしました。確かに屋形船で隅田川東京湾をめぐって、食事をして、その上で私の手妻を見ると言う遊びは、なかなか贅沢で、体験としても面白いと思います。

 通常、屋形船は芸者さんたちを別に頼んで、座敷遊びを船で楽しもうと言うことになります。大概の船宿は、芸者さんや、落語家などの伝手がありますが、手妻となると珍しく、これまでに、三か所の船宿さんから依頼を受けただけで、なかなか仕事としてはそうそう頻繁にはやっておりません。

 手妻は途中、お台場あたりで船を停めたときに演技を致します。通常30分から40分くらい致します。

 「船はどうも揺れるからいやだ」。と言う人もありますが、実際、東京湾の中で船を走らせる分にはほとんど揺れません。船内で立って歩いても問題ありません。

 食事は、刺身やてんぷらなどの和食で、アルコールも何でもあります。お客様を接待する場合でも、何も持たずに、手ぶらで集まってもらうだけで、全ての接待が出来ますので、接待係は楽です。

 東京湾から眺める東京の町はとても美しく、レインボーブリッジから、東京タワー、お台場、永代橋スカイツリー、東橋から眺める浅草寺など、日ごろ町中から眺める景色とは全く違って見えます。想像している以上に東京の町が美しくてびっくりすると思います。香港の景色が素晴らしいとか、サンフランシスコが奇麗とか言いますが、実際には東京が一番かも知れません。とにかく綺麗で風格のある街です。

 

 もし屋形船での舟遊びを考えている方がいらっしゃったら、最低人数で15人以上を集めて下されば、貸し切りは可能です。本来の江戸時代の屋形船と言うのは、もっと小さなもので、6人とか8人が乗れる小さな船なのですが、今は船のサイズが大きくなっていますので、どうしても15人くらいは参加者がいないと成り立たないようです。

 人数が多い分には100名でも対応が出来ます。無論、6人、8人でも可能ですが、その分料金が高くなります(料理を高級化して金額を上げる方法などがあるそうです)。費用としては、前回は、食事付き、私の手妻付きでお一人1万8千円で致しました(但し、前回の参加者は30人でした。人数が少なかったり、季節によっては金額が変わります)。

 まず基本的に15人以上の参加者があれば船の貸し切りは出来ます。出演者も、必ずしも私の手妻でなくてもいろいろ企画はあります。私の日程が無理な場合でも、大樹や大成、あるいは若手マジシャン。クロースアップマジシャンなど、何人かに依頼することは可能です。芸者衆、太鼓持ち、落語家なども声をかけることもできます。但し一人増えるごとに費用が掛かります。

 ご希望とあれば東京イリュージョンまでご一報ください。企画いたします。

 

 一時、私の二十歳くらいの時には、東京湾が汚れていて、どぶのような匂いがして、とても舟遊びが出来る状態ではありませんでした。その後河川の浄化が進み、この20年くらいは普通に釣り船を出して、鯵やキスや穴子が釣れるようになりました。

 船から海を眺めても、水は透き通って見えます。すぐ近くで魚が泳いでいるのが見えます。お台場で船を停めて、食事をしますが、その時、あちこちで魚が跳ねるのが見えます。かなり大きな魚が飛び跳ねますので、びっくりします。

 船を出して、釣りをして、その場で天ぷらにして食事をすると言う企画もありますが、釣れないときは食べるものがありませんから、事前に食材を用意しておいて、その上で何か釣れたら天ぷらにする。と言うようにしているようです。但し、船の時間を長くしなければいけませんし、また、釣る魚によって、係留する場所が変わります。釣り好きにとってはたまらない話です。

 

 船宿は東京に何軒かありまして、品川や浅草橋、浅草近辺にそれぞれ何軒か船宿があります。便利なのは浅草近辺で、船から上がった後に、もう一か所どこか呑みに出かけられますので便利です。

 

 屋形船は、船の中に座敷が拵えてあって、屋根がついています。ガラスの窓が全面についていて、障子が締まるようにもなっています。形は昔の通りですが、和船ではありません。通常の船に、上部だけ木造の建物を乗せた形になっています。トイレも台所もついています。天井高が低いのが難点ですが、船の構造上、高い建物を建てられないのでしょう。

 そのため私が蝶を飛ばすときには、私の頭の高さと天井がぎりぎり擦れますので、少し腰をかがめて演技を致します。これがなかなか難しく、巧く高くは飛ばせません。更に天井にエアコンがついていたりすると、風の勢いで蝶がどこかに飛んで行ってしまいます。無論、事前に蝶を飛ばすときだけエアコンは切ってしまいますが、難しい場所であるのは間違いありません。

 但し、見渡す限り室内は全面日本建築ですので、雰囲気は最高です。夜の運航では屋根の庇に提灯がずらり並んでいて、灯りを灯しますので、暗い海の上を、たくさんの提灯が並んだ屋形船が進んで行くのは、まるで江戸時代にタイムスリップしたようでとてもいい雰囲気です。

 

 おかしな話ですが、東京に暮らしていると、東京が海の近くであることを認識することはめったにありません。日頃移動する場所が、銀座から新宿であるとか、高円寺から浅草であるとか、全く海を見ることなく、勿論船に乗ることなどなく、海とのかかわりを持たずに暮らしています。そのことを日ごろは何とも思っていないで暮らしています。

 然し、屋形船に乗ると、自分が島の中で暮らしていることを再認識します。八丈島とか、小笠原島とかのパンフレットを見て、「ああいう離島に行ってみたい」。と思っている人はたくさんいますが、実は、我々は既に島に住んでいますし、言って見ればみんな生まれながらに島育ちなのです。そう考えると、もっともっと海とのかかわりを持って、海を生かして暮らすことをもう少し考えたら、より生活が楽しくなるのかなぁ、と思います。と言うわけで、年に一度は海に親しむ日があってもいいのではありませんか。

続く

終わりなき戦い

終わりなき戦い

 

 ウクライナとロシアの戦いがなかなか決着を見ません。最近ではニュースでも、時間を割いて戦況を語ることが少なくなりました。毎日毎日戦争が続いていることは事実なのでしょうが、詳細が分かりません。

 ロシア軍に被害が出ていることは事実のようです。連日ウクライナはドローンを飛ばして、ロシア人が守っている要塞を攻撃しているようです。その戦果が、戦車を倒したとか、輸送車を破壊したと言う情報は流れて来ています。

 然し、同時に、ロシアからもドローンやミサイルが飛んできて、ウクライナ軍にも少なからぬ死者が出ています。又ウクライナ住民の被害が大きく、無差別で、ウクライナ国民の民家が破壊されています。

 形勢は互角か、ウクライナが少し有利なのではないかと思いますが、戦死者がたくさん出てもロシアはすぐに兵を補充して、固く要塞を守っていますので、全く解決には至らないようです。

 こうして塹壕を作ったり村ごと要塞化して闘う戦争は、ロシアが歴史的に繰り返してきたことで、ロシア兵の死者は累々と積み重なっていても、彼らは全くそのことを意に介さず戦争を続けます。第一次世界大戦の時も、第二次世界大戦の時も、ドイツ軍の数倍の死者を出しながらも戦い続けたのです。

 ロシア(当時はソ連)と戦えば、必ず消耗戦になって行き、互いが武器や燃料食料が尽きて撤退するまで続きます。第二次世界大戦の際のレニングラードスターリングラードなどの戦いは、まさに消耗戦で、ロシアは徹底して都市を守り抜いて、結局ドイツ軍が音を上げて撤退するまで続いたのです。その代償は第二次世界大戦で、ドイツ軍350万人の死者に対して、ロシア軍は2000万人の死者を出しています。日本軍の死者が300万人であったことを思えば、ドイツ、ロシア共にとんでもない消耗戦をしたことが分かります。

 特に、ロシアは民間人が1200万人も死んでおり、兵士と合わせて3200万人の死者が出ています。当時ロシアの人口は1億7千万人でしたから、5分の1の人口が大戦で亡くなったことになり、その後ロシアは今日に至るまで戦前の人口が回復することがないのです。

 そうした過去を考えたなら、ロシアと戦うことがいかに困難かが分かります。つまり、戦争が長引いて塹壕に籠って攻め合うようになれば、ロシアは決して負けないのです。ロシアを打ち負かすには、かつての日露戦争の時にように、短期間に大きな戦い(黄海海鮮、旅順港攻撃、奉天開戦、日本海海戦等々)で勝利して、すぐさま和平工作に乗り出さない限り、長期戦になれば、小国は大国ロシアに勝利する可能性はありません。

 今の現状を考えると、NATOが本格的にまとまってロシアを攻撃しない限り、ウクライナの勝利はありません。でも現実にはNATOはそこまでの戦いをしようとは思わないでしょう。結局消極的な支援を繰り返していても、ウクライナの勝利はあり得ないのです。

 そうであるなら後は外交で、少しでも有利な交渉をする以外道はありません。そのロシアとの橋渡しは誰がするのか、と言えばトランプさんでしょう。世の中は上手くしたもので、必ず適材適所に人材が現れるのです。トランプさんは必ずウクライナとロシアの交渉に乗り出すでしょう。

 トランプさんは超現実的な人ですから、イデオロギーも政治哲学も関係ありません。経済が悪くなると思えばさっさと手を引きます。恐らくロシアに対して、ウクライナの東部4州と、クリミア半島を渡して、政治決着を試みるでしょう。当然ゼレンスキーさんは大反対をするでしょう。そこで、ウクライナのメンツを立てて東部4州の内1州をウクライナに戻すなどして決着をするでしょう。

 このトランプさんの裁定に内心欧州連合はほっとするでしょう。これで軍事支援をしなくて済むし、ロシアとの関係も回復するからです。然し、これですべてが丸く収まるかと言うと、そうはならないでしょう。

 欧州対ロシアの交渉をじっと見ていた中国は、欧州が如何に立派な哲学を振りかざしたとしても、経済不況が自国に及べば忽ち欧州の結束も乱れると読むでしょう。そうなら軍を動かしてごり押しすれば、台湾は取れる、と判断するでしょう。

 中国にとって、いや習近平さんにとっての悲願である台湾進攻は、案外簡単に攻め取れるのではないか、と邪推するでしょう。欧州やアメリカはいろいろ奇麗ごとを言っても、結局他人の争いには無関心なんだ。と知ります。

 そこで世界紛争は、ウクライナから台湾に移ることになります。しかも、トランプさんが大統領になれば、東アジアの米軍は必ず縮小されます。トランプさんは、朝鮮半島も、日本も、台湾も、それはアジア自身で守って行く事であって、本来アメリカが関与する理由はないと考えています。正に中国にとってはチャンスです。

 然し、然しです、いま中国は最悪の経済状態です。不動産バブルが弾けて、半導体が振るわず、EV車が売れず、国や地方自治体の債務が兆を超えて、京(けい)と言う位になっているそうです。人類始まって以来の京の位の借金です。

 それほどの負債を抱えて、どうして共産党が崩壊しないのかと言うなら、ウクライナ戦争に忙しいロシアがあらゆる物資を中国から買っているからです。隣国が戦争をすれば、近隣の国は大儲けをします。そのお陰で中国は今のところは輸出が好調なのです。然し、ロシアがウクライナ侵攻を終結させれば、景気は落ち込みます。中国の本当の不況は、これから数年後、ウクライナ戦争が終結した後にやって来るでしょう。

 ロシアは、世界中から経済封鎖をされながらも、実質の経済は維持されています。維持できている理由は、石油や天然ガスが売れているからです。そして売れて儲かった金は、軍事物資の生産費用に回しています。お陰でロシアの軍事工場はフル稼働で、儲かっています。欧米がいくら経済制裁をしてもロシアはびくともしません。

 但しこのまま軍事にばかり金を賭けていると、国全体はやせ細って行きます。長い目で見たならロシアのやり方は国を滅ぼします。戦前に日本が戦艦大和を建造していた時に、東北地方では餓死者が出ていたのです。今のロシアも似たようなものです。

 但しロシアが完全に疲弊するにはまだ10年20年かかるでしょう。幾らウクライナがうまく戦いを進めても、大国ロシアはそう易々とは敗北しないのです。残念ですが、ウクライナの健闘はこの辺りで手を打たなければならなくなるでしょう。

続く

 

マジシャンとは何者

マジシャンとは何者

 

 まだ私の頭の中は昨日書いた感想文、ユージン・バーガー著「マジック&意味」の世界を彷徨っています。但しここからは私の考え。

 現代でマジシャンと言う職業を選択して、それで収入を得て生きて行くと言うことは、いろいろな意味で難しい時代になって来ています。そもそも、現代の観客は、呪いや、予言、魔法を本気に信じてはいません(全くいないわけではありませんが、かなりコアな人達でしょう)。

 いたとしてもそうした人たちが信じているのは、占い師であったり、霊媒師などの、通常マジックとは区別された世界の人達でしょう。マジシャン自身も、彼等とは違った種類の職業である。と考えています。マジシャンは、魔法使いを装ったエンターティナーと自認して、活動をしている場合が殆どです。

 つまり初めから、「自分には魔力はなく、アイディアや修練によって、不思議を作り出している」それがマジシャンであると信じているのです。マジシャンは、エンターティナーであることを公言しているわけです。

 それは結構なのですが、そうした人達が舞台に出て来て、長々ギャグを話し続けて少しもマジックが始まらなかったり。お客様を舞台に上げて、舞台に不慣れなお客様を肴に笑いを取ったり。30秒に一回ギャグを喋るのに、不思議は5分間に一度、お終いにカード一枚が当たるだけ。

 こうしたマジシャンは、「不思議」と「ギャグ」を同じ価値と考えて、どちらでも観客に受ければ観客の満足度は一緒だと思っているようです。何を隠そう、実は私も20代のころはそう考えていました。

 然し、そう言うマジシャンを世間が本当に求めているのかどうか。そもそも、マジシャン自身が、魔法使いとか、予言者とか、呪い師とか、そうした人たちの存在を信じていないのです。信じていない人が魔法使いや予言者を装っても真実味は薄く、お笑い芸人なのか、マジシャンなのか、曖昧な芸になってしまいます。

 と言って、マジシャンの存在を本気で信じて、マジシャンらしい仕草や、三角帽子をかぶって、縒れた杖を持って長い服を来て、毎日生活している人がいるとするなら、その人は、明らかに時代錯誤です。それは街中で忍者の格好で歩いて見たり、琵琶法師となって彷徨っているのと同じことです。

 私などは手妻師をしていますが、まさに手妻師となって、和服を着てマジックをすることは、昔の魔法使いや、忍者や、琵琶法師と紙一重の存在なのです。然し、ここに紙一重(紙一枚の隔たり)があることで現代でも手妻は、職業として成り立っているわけです。ここでは紙一重とは何なのかを説明しませんが、ただ手妻だと言って着物を着てマジックをしても、現実には仕事に結びつきません。

 さて、自分に魔法の力がない。そんなマジシャンが舞台に上がって何を演じるべきなのか。先日、ユージンさんの感想でも書きましたが、魔法を演じた後に、「今やったことは、マジックショップへ行って、仕掛けを買えば誰がやっても出来ますよ」。などと言って良いものか。

 そんなことをすれば、目の前で不思議をみて感動していた観客を失望させてしまいます。これではいつまで経っても支援者は増えません。現代に魔法使いで生きることは困難ではありますが、そうであるならどういう位置からマジックをアプローチして行ったらいいのでしょうか。その答えになるかどうかはわかりませんが、3つのことをお話ししてまとめとしましょう。

 

1つは、卑下せず、否定せず、本気で演じること。

 ドラマで医者の役を演じる俳優が、「自分は本当の医者ではありません」。とは言いません。当たり前です。その当たり前のことが、マジックの世界ではマジシャン自身がしばしばマジックを否定します。なぜそんな不用意なことを言うのかわかりません。どんなことでも、真剣に前向きにやり通さなければ、支持者は生まれません。人が魔法使いを信じるか、信じないかなどどうでもいいのです。

 自身が作り上げるべき魔法の世界を、しっかり創造して見せなければ、マジシャンとして存在する意味がないのです。19世紀のマジシャンはほぼ占い師や、呪い師と同業でした、そうした人たちと現代のマジシャンでは余りに生き方が違います。

 然し、根底に流れている考えは同じではないですか。いずれも人助けなのでしょう。占い師にすがって来た人に指針を示すこと。寄り添って一緒に考えてあげることは

人助けになっているのでしょう。そこに本当に魔力があるかどうかは二の次なのでしょう。

 現代のマジシャンは、人助けを、娯楽に置き換えてしまって、人の心を救う活動が失われています。予言が当たったこと、選んだカードが当たったこと、現象が段取り通りにできたことが成功なのではなくて、それが人の心を救っているかどうか、人の心に届いているかどうかが肝心なのです。もう一度魔法使いの原点に戻って考え直すことの大切さをユージンさんは語っているのです。

 

二つ目、他のジャンルをつまみ食いしない。

 舞台に出て来てギャグを連発するマジシャン、踊りを踊る、歌う、当人は人を楽しませるためにやっていることで、いわば善意なのでしょうが、本当に観客が楽しんでいるのかどうか、そこに確証を得なければいけません。その芸が時間つなぎに見えたならすべて偽物です。不思議を作り出さずにギャグを言い続ける行為がいけないのではありません。ギャグが三流だから評価されないのです。

  私が子供のころ、三味線を弾いたり、踊りを踊ったり、義太夫を語ったり、鼓を打ったりして、30分でも1時間でも舞台を務める漫才さんがいました。今考えるとその芸はすべて三流でした。いわば単なる時間つなぎでした。

 いろいろ長く演じることはできても、そうした芸人さんの地位は低いものでした。現代でも、サーカスにいるピエロが、マジックをしたり曲芸をしたり、風船を膨らませたり、いろいろ芸をしますが、どれも心に残りません。それと同じです。

 肝心なことは先ず自身のマジックを確立することなのです。先ずマジックが出来上がっていなければすべて偽物です。逆に言えば、マジックがしっかりできていれば、自分が素人芸に頼る必要はないはずです。

 

 三つ目、魔法を演じることは高貴で、知的で、愛情溢れた行為です。

 この事を心に刻み付けておいて下さい。それでないとマジックは、奇人変人、見世物レベルから抜け出ることは出来ません。マジシャンが今に生きると言うことがどういうことか、マジシャンとして自分が何をなすべきなのか。よく考えることです。

 マジシャンが、物が出た、消えた、カードが当たった、はずれたと言う、即物的な話から離れて自分の世界を考えない限り、現代のマジシャン像を創り出せません。そこに答えを出さないと、忍者が街を歩いていることが不自然なように、レストランで、バーのカウンターで、舞台で、マジックを見せているマジシャンそのものが不自然に見えてしまいます。どうしてもそこに居なければならない人になってこそマジシャンの存在が求められるのです。

続く

マジック&意味 感想

マジック&意味 感想

 

 ユージン・バーガーの大著。「マジック&意味」を読み進めています。何しろハードカバーで300ページに及ぶ大作で、そもそもが理論書ですから読みにくく、ただ読むだけでなく、自らも考え考え、反芻しながら読みこなすために時間がかかります。

 然し、内容は見た目ほどには難解ではなく、話はユージンさんの経験や、友人とのディスカッションの中で気付いて行ったものを、体験を裏打ちしつつ話を進めています。過去の歴史書を調べ、確信となるべきものを探し当てたりもしています。決して、単語を駆使して、机上で空想を語っているわけではありません。

 ここでは、ユージン・バーガーさんは教条的な振舞いは取りません。また、多くの先人の書かれたことを素直に又引きするようなことを避けています。

 第三章の中ではネイティブアメリカンの呪術についてかなり詳しく書いています。それまでのアメリカのマジック界では、ミルボン・クリストファーなどに見られるような、ネイティブアメリカンに対して未開な人種と断定してしまうような考え方が主流を占めていましたが、ユージンさんはそれに対してかなり懐疑的です。

 時代を考えれば、日本で言う明治時代くらいのアメリカ人は、圧倒的に白人社会が優位にあると信じていましたから、ネイティブアメリカンを差別して見ていたことはやむを得ないとは思いますが、ユージンさんは、そこを再度精査して、彼らの矛盾、無理解を指摘したりして、公平な見方をしていることが伝わって来ます。

 そもそもアメリカ人が考える、マジックの歴史は、ほとんどが、イギリスやフランスなどの欧州からのマジック史を本流と考えてアメリカのマジシャンに話をつなげて来ています。そのことは、日本も同様で、日本のマジック史を語ると言っておきながら、中国のマジック史を語り、明治維新以降は、西洋のマジック史に乗っかってしまって、あたかも他人の系図に自分たちをすりこませて、自らを西洋マジシャンに成り済ましているようなことをしています。

 少なくとも、アメリカのマジシャンで、ネイティブアメリカンの呪術から、今日のアメリカのマジックをつなげて考えるマジシャンはいないでしょう。実際、そうした呪術の世界と現代のマジシャンとはつながってはいません。

 ところが、ユージンさんの発想は、そうではなくて、ネイティブアメリカンの呪術の歴史を重要視しています。彼らが本当に不思議を起こしたのかどうか、あるいは不思議を起こせないまでも自分自身の魔力を信じて生きていたのか、彼らの真実を探ろうとしています。

 そしてもし自分自身では不思議が起こせないとしたなら、その便法としてトリッの蚊、使っていたとしたなら、どんな気持ちでトリックを使っていたのか。そのトリックとはどんなものだったのか。いつのころからトリックが使われていたのかと、考えが進んで行きます。

 

 現代の日本のマジシャンが、自身のマジックの歴史を語る時に、決して、刀の刃渡りや、火渡り、探湯(くがたち=熱湯の中に入れた小石を、素手でつかんで見せる術)などとつなげて考えないことは明らかです。いや、そうした古い呪いがらみのマジックをむしろ軽蔑してかかるマジシャンは多いでしょう。それは日本もアメリカも同じなのです。

 然し、ユージンさんは彼等の呪術を自分とは別物とは考えないのです。現代のマジシャンが、自分の魔法を信じてマジックをしているのか、そうでないのかを真剣に問うているのです。実際に呪いをしているときに、「この呪いは何の役にも立たない」。と思って呪いを唱えているのか、本気で信じて呪いをしているのかは、日ごろの態度や話し方にそれが必ず現れるのです。

 仮に占いをして、その占いが外れたときに占いをして、その占いが外れたときに、ネイティブインディアンの呪い師はどんな表情をするか。これはマジシャンがマジックを失敗した時に彼らの表情を学んでおかなければならないはずなのです。

 呪い師のやっていることなんてまやかしで役に立たないものだ。と言う前に、同じ状況に置かれた時にマジシャンがどういう対応をしなければいけないか、をなぜ彼等から学ぼうとしないのかと、問うているのです。正に目から鱗の考えです。

 種仕掛けばかりが先行して、マジシャンとは何をするものなのか、という根源的な考え方が消えてしまって、むしろ逆にマジシャンがマジシャンを否定して生きてしまっているのが現実ではないか。とユージンさんは問うているのです。

 

 ユージンさんは話の冒頭に、優れたマジックを演じて魔法の世界を作り上げたマジシャンが、次の瞬間、愚にもつかないギャグを言って、マジシャンであることを否定して、観客の夢をつぶしてしまう事実を語っています。

 実際そうしたマジシャンはいくらでもいます。せっかくうまくマジックをしても、「これは種仕掛けがあってしていることです」。などと平気で喋るマジシャンがいます。それがどれほど多くの観客の夢を壊していることか。ユージンさんは嘆きます。

 

 然し、だからと言って、自身に備わってもいない魔法をマジシャンに妄信すべきだとは説きません。現代において魔法をまことしやかに語ることには無理があります。然し、それだからギャグで魔法の世界を貶めてよいことにはなりません。

 ここでユージンさんの言いたいことは、両極の話をしているのではなく、マジシャンとして生きる道がどこかにあるのではないかと問うているのです。これはとても意味深いことで、私も含めて、往々にしてマジシャンは安易にマジシャンを考えて、間違ったつまらない人間に落ちて行こうとします。

 これは極めて意義深いことで、マジシャンならば是非知っておかなければならないことが書かれています。訳者の田代茂さんが何年もかけて翻訳したことの意義もそこにあるのでしょう。いずれにしろユージン・バーガーさんが晩年に精魂込めて語ろうとした内容がつづられています。誰もが読むべきとは言いませんが、マジシャンとは何か、と疑問を感じた時にはぜひ一読を勧めます。久々いい本に出会えました。

続く

チャイコフスキー五番

チャイコフスキー五番

 

 この数日は、チャイコフスキーの第五交響曲を何人かの指揮者の録音を聴き比べて楽しみました。私がチャイコフスキーを聞くことはめったにありません。十代のころはよく聞いていましたが、長く聴いてゆくうちにどうにもフラストレーションがたまって行くようになりました。

 五番は奇麗な曲ですし。面白い曲ではあるのですが、深みに欠けます。曲は重たく暗く始まります。初めから憂鬱です。そして全編悩み続けます。第二楽章なども、のどかで平和な曲なのですが、突然脅迫されたかのような激しいドラムの強打が襲って来ます。一体何に怯えているのかが分かりません。悩みは最終楽章まで続きます。得体の知れない不安感に苛(さいな)まれます。ところがお終いに至るとそれまでの悩みがどこかに消えてしまいます。一体いつ悩みを解決したのか、何を悩んでいたのかさっぱりわからないまま勝利の凱旋が高らかに鳴って終わります。

 全体が夢の世界に紛れ込んだかのような甘い楽しい曲なので、クラシックの中でも人気曲で良く演奏されますが、聞けば聞くほど何を言いたいのかが分からない音楽です。

 例えるならば、平安時代の貴族が、道端で飢えて餓死しようとしている庶民の前を牛車で通る時には御簾を降ろして汚い庶民を見ないようにして、大きな屋敷の垣根からはみ出して見える、桃の花や、桜の花を見た時には、その花が盛りであることを愛でて、車を停めて「静心なく花の散るらん」、とか何とか一首読んで涙するような、美しきものにしか興味を示さない貴族を見ているかのような曲で、少しも共感を覚えないのです。

 チャイコフスキーが悲劇を語る時には、その悲劇を語っている自分自身に酔いしれているように感じます。何度も何度も嗚咽を漏らし、声をしゃくりあげながら悲劇を語りつつも、語っている自分自身を美しいと感じているのです。語っている悲劇に少しも現実を感じないのです。

 そうならなぜチャイコフスキーを聞くのか、と問われれば、チャイコフスキーとほぼ同時代に生きた、フルトヴェングラーや、メンゲルベルクストコフスキーがこの曲をどう思って指揮をしていたのか、気になって、聴いて見たくなったのです。

 

 先ずフルトヴェングラーは、五番の録音は一つだけです。1952年のトリノ交響楽団(イタリア)での客演が残されているのみです。聴いて見ると細かなミスが多く、ずいぶん気になる演奏をします。と同時に、フルトヴェングラーのわかりにくい指揮がオーケストラを一層混乱させているのでしょう。互いが慣れていないのです。

 しかも、観客も、この曲に慣れていないのか、最終楽章のコーダーの前で、曲が終わったかと早合点して拍手が起こります(日本でもこの部分はよく間違えて拍手が来ます)。何にしても、ローカルな演奏会のあまり出来の良くないライブ録音です。

 それでも、フルトヴェングラーの気持ちはよく伝わって来ます。第一楽章後半の人生を暗澹と自問するところは丁寧にチャイコフスキーの苦悩を語っています。総体にあまりドラマチックに演奏せずに、きりっとまとまっています。これがベルリンフィルだったならもう少し面白くなっていただろうにと惜しまれます。

 

 ストコフスキーは戦前から戦後にかけての大指揮者で、アメリカで活躍し、タレントとして人気のあった人で95歳で亡くなりました。私が20代の時にはまだ活動していて、ディズニーのファンタジアと言う映画で田園を演奏したことで、世界中に知れ渡り、超有名人として尊敬された人です。

 五番の演奏は、思い入れたっぷりで、颯爽としています。アメリカ人向きなクラシックでしょうか。然し根本はロマン派スタイルで、思い入れが強く、ポルタメントが強烈で、19世紀風な演奏です。ディズニー映画の時には気付かなかったのですが、テンポが速く、たっぷりとしたロマン的な演奏を、すっきりと快速に演奏して、「あぁ、なるほどこれなら人気が出るわけだ」。と納得しました。今この指揮者を語る人が殆どいないのは残念です。 

 

 そしてメンゲルベルクです。チャイコフスキーメンゲルベルクが最も得意にした演目で、当時チャイコフスキー演奏の大家として尊敬されていた理由が良くわかります。4番5番6番全て名演です。1939年のアムステルダムコンセルトヘボウを聴きましたが、オーケストラも、メンゲルベルクの指揮を心得ていて、全く意のままに強弱、テンポアップ、リタルダンドをこなします。

 第一楽章の自問するところは、誰よりも思い入れが濃くて、テンポの切り返しが極端です。これをくどいとみる人もあるでしょうし、余りに形式的にテンポを変えるので嫌う人もいるでしょうが、好きな人にはこの型通りの演奏が古風でたまりません。

 ポルタメントが効いていて、ケーキに乗ったホワイトクリームを口いっぱいに頬張ったかのような極上の甘さが病みつきです。と言ってフルトヴェングラーほどにはドラマチックには語らず、明治時代の貴族社会を濃厚に聴かせます。

 フィナーレの物足りない部分も、メンゲルベルクで聞くと、これはこれで納得させられてしまいます。理屈よりも情感に訴えて、夢の世界を作り上げています。

 また、コンセルトヘボウのアンサンブルが素晴らしく、弦も管も生き生きとして艶があります。こんな演奏を当時生で聞いたなら、すっかり虜になってしまうでしょう。1939年のオランダ人が羨ましいと思いました。

 

 もう一人、レニングラードフィルとムラヴィンスキーの演奏を聴きました。この人は、チャイコフスキーショスタコーヴィッチの大家として知られ、生涯を通じて、同じ曲を演奏し続けました。50年間にわたってレニングラードフィル(現サンクトペテルブルグフィル)の常任指揮者として君臨し続け、絶対的な権力を持ち続けた指揮者でした。

 その指揮ぶりは、厳しく恐ろしく、一糸乱れずと言う言葉通りで、何十人ものヴァイオリンが全く同じ音で同じ長さで演奏します。フルトヴェングラーはえらい違いです。

 そのお家芸ともいえる五番ですから。オーケストラも、指揮者も自分達こそ世界一のチャイコフスキー演奏家であると自負しています。物凄く巧いですし、音が氷のように透明でひんやりしています。テンポも速めで、先の三人のロマン派の指揮者とはかなり違います。でもそうは言っても、細かなところにいろいろ思入れが入っていて、「あぁ、矢張りチャイコフスキーを愛しているんだなぁ」。と良くわかります。

 こうした演奏を聴くと、いくら私がチャイコフスキーに疑問を感じるとか言っても、ついつい聴き惚れてしまいます。理屈を考えず、ボヤっと甘美な音楽に浸るのも悪くないなと思いました。どうぞ80年前の聴衆が、何を極上の夢と考えていたかを知りたい方は1940年代のチャイコフスキーを聴いて見て下さい。

続く

 

理想の国

理想の国

 

 子供のころアメリカのテレビドラマを見ていると、アメリカ人はみんな大きな家に住み、大きな自動車に乗って、大きな冷蔵庫にたくさんの食べ物が入っていて、家族が大きなソファーにくつろいで、楽しそうに何不自由ない生活をしているように思いました。

 それが20年後くらいに実際アメリカに行ってみると、様子は随分変わっていて、かつて幸せそうに暮らしていたであろう、ダウンタウン近くの住宅街は、廃墟のようになっていて、黒人やラテン系の人が住んでいて、家は壊れているのに修理もせず、夏でもクーラーがなく、見るからに貧しそうで、とても幸せそうな生活には見えませんでした。

 車社会とは言いながら、道路はどこも凸凹で、高速道路もアスファルトのはがれているところがあちこちにあり、とても危険でした。自動車も、傷だらけ、壊れたままの自動車が走っていたりして、とても豊かな社会とは言えませんでした。

 どこの都市も町の中心は立派なビルが並んでいますが、そこはビジネス街で、近くにはほとんどショッピングストリートと言うものがなく、人通りもほとんどないのです。

 豊かそうな白系の人は、郊外の住宅街に住んでいて、そこは見るからに生活程度は高いのですが、多くは夫婦二人で暮らしています。その地域は確かに治安は素晴らしく、怪しい人たちはいません。然し、どこに行くにも自動車を使わなければならず、日本のように毎日手軽に近所で買い物すると言うことは出来ません。

 恐らく、買い物は月に一、二度、郊外のショッピングセンターでまとめ買いをする以外なく、気軽にダウンタウンに出てウインドウショッピングをするなんて言うことはしないようです。

 家族は三世代で暮らしているとか、子供が何人もいると言う様子は見かけません。かつては何人か子供がいたのでしょうが、育った子供たちは別の地域で暮らしています。大きな家に夫婦二人でポツンと暮らしているのです。かつてのアメリカのホームドラマの世界はどこに行ってしまったのか、大きな家や大きな自動車は持っていても、なんだか空虚な気持ちになります。日本の暮らしの方がよっぽど楽しいのではないか、そう思います。

 それは私が楽しいかどうかではなく、アメリカ人自体も、今の生活を楽しいと考えているのかどうか。収入があって恵まれた生活をしていても、それが本当に幸せかどうか私にはわからなくなります。

 これが1970年代から80年代のことで、どうやらその後、アメリカ人は、街の再開発を真剣に考えるようになったらしく、例えば、ロスアンジェルスは、街に地下鉄を引いたりして、それまで荒れるに任せていたハリウッドの街を、観光客が安心して歩けるように治安も気を使うようになり、怪しげな人を排除して、商店も奇麗な店が並ぶようになりました。

 ハリウッドの中心にあるチャイニーズシアターから、マジックキャッスルまでは歩いてわずかに3分ほどですが、この3分が、かつては何とも危険な地帯で、信号のたびごとに仕事のない黒人が数名たむろしていて、彼らの前を通り過ぎるのは常に危険と背中合わせでした。人の少ない道には浮浪者が座っていて、金を欲しがります。とても観光客にお勧めできるところではなかったのです。

 その頃キャッスルに出演していた時に、ホテルに戻る際に、マックスメイヴィンが、「危ないからついて行ってあげるよ」。と言って一緒にホテル近くまで付いてきてくれました。あの悪魔の形相をしたマックスさんがついてきてくれたのですから、この時は怖いものなしでした。出来ることなら毎日マックスさんを雇いたいと思いました。

 然し、2000年ころから、いろいろ街の開発がされて、随分ハリウッドも活気が出て来ました。同様に、ニューヨークも、シカゴも、サンフランシスコも、浮浪者や妖しい連中がたむろすることが少なくなり、商店も活気が出て来ました。

 それでも、ロスアンジェルスのような大都市では、例えば、日本人町であるリトル東京はなかなか繁盛していますし、チャイナタウンも結構人がいます。然し、リトル東京からチャイナタウンに移動する途中の通りは、依然として怪しげな人がたむろしていますし、低所得層の廃墟のような住宅街がそのまま残されていて、街は汚れたまま、近付いては危険な場所がたくさんあります。

 これはアメリカ全体の共通した問題なのでしょう。一朝一夕には解決しないのです。どうも大国と言うものは、アメリカであれ、ロシアであれ、中国であれ、インドであれ、常に極端な貧富の差が同時に存在していて、なかなかみんなが平等にはなり得ないのでしょう。

 一体アメリカのドラマに見るような、平和で幸せな時代があったのかと考えると、アメリカの国力が強力だった1950年代でさえ、黒人やラテン系の住民は差別されていましたし、黒人に至っては奴隷という呼び名はずっとついて回り、黒人が一般のレストランに入ることも出来ず、映画館やバスでは白人席と黒人席が分かれていたそうです。

 無論、今ではそうしたあからさまな差別はなくなりましたが、だからと言って何から何まで平等になったとは言えません。目に見えない差別は続いているのです。

 そうであるなら、私が子供のころに見ていた幸せそうなアメリカのホームドラマは、アメリカの白人社会の生活のみを捉えていたのであって、その陰には黒人差別が根強くはびこっていたことになります。アメリカの歴史の中で、黒人が白人と平等に暮らせた時代などなかったのでしょう。

 

 話は変わりますが、大谷翔平選手がハワイに土地を買い、別荘兼、トレーニングルームを兼ねた家を建設中だそうです。金額は25億とも30億円とも噂されています。つい先月26億円一平さんに抜かれたのに、全然平気です。すごいですねぇ。このところ大胆に自分の生活のために投資をしています。

 やはり、やることなすことけた違いですね。こうしてアメリカ一番のスポーツ選手が日本人であることは誇らしいことですし、自らの力で差別など吹き飛ばしてしまうのは素晴らしいと思います。日本人が素晴らしいと思うと同時に、有色人種や黒人社会にも希望を与えているのではないかと思います。

 金があってもなくても、どんな生活をしていてもいろいろな問題はあるかと思いますが、それでも人の成し得ないような生き方をして見せる人には憧れます。

 私も、世界一のマジシャンにはなりたいとは思っていましたが、今となってはもう無理です。せめて、東京一番、いや、高円寺一番のマジシャンでありたいとは思います。急に話は小さくなってしまいました。

続く