手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジック&意味 感想

マジック&意味 感想

 

 ユージン・バーガーの大著。「マジック&意味」を読み進めています。何しろハードカバーで300ページに及ぶ大作で、そもそもが理論書ですから読みにくく、ただ読むだけでなく、自らも考え考え、反芻しながら読みこなすために時間がかかります。

 然し、内容は見た目ほどには難解ではなく、話はユージンさんの経験や、友人とのディスカッションの中で気付いて行ったものを、体験を裏打ちしつつ話を進めています。過去の歴史書を調べ、確信となるべきものを探し当てたりもしています。決して、単語を駆使して、机上で空想を語っているわけではありません。

 ここでは、ユージン・バーガーさんは教条的な振舞いは取りません。また、多くの先人の書かれたことを素直に又引きするようなことを避けています。

 第三章の中ではネイティブアメリカンの呪術についてかなり詳しく書いています。それまでのアメリカのマジック界では、ミルボン・クリストファーなどに見られるような、ネイティブアメリカンに対して未開な人種と断定してしまうような考え方が主流を占めていましたが、ユージンさんはそれに対してかなり懐疑的です。

 時代を考えれば、日本で言う明治時代くらいのアメリカ人は、圧倒的に白人社会が優位にあると信じていましたから、ネイティブアメリカンを差別して見ていたことはやむを得ないとは思いますが、ユージンさんは、そこを再度精査して、彼らの矛盾、無理解を指摘したりして、公平な見方をしていることが伝わって来ます。

 そもそもアメリカ人が考える、マジックの歴史は、ほとんどが、イギリスやフランスなどの欧州からのマジック史を本流と考えてアメリカのマジシャンに話をつなげて来ています。そのことは、日本も同様で、日本のマジック史を語ると言っておきながら、中国のマジック史を語り、明治維新以降は、西洋のマジック史に乗っかってしまって、あたかも他人の系図に自分たちをすりこませて、自らを西洋マジシャンに成り済ましているようなことをしています。

 少なくとも、アメリカのマジシャンで、ネイティブアメリカンの呪術から、今日のアメリカのマジックをつなげて考えるマジシャンはいないでしょう。実際、そうした呪術の世界と現代のマジシャンとはつながってはいません。

 ところが、ユージンさんの発想は、そうではなくて、ネイティブアメリカンの呪術の歴史を重要視しています。彼らが本当に不思議を起こしたのかどうか、あるいは不思議を起こせないまでも自分自身の魔力を信じて生きていたのか、彼らの真実を探ろうとしています。

 そしてもし自分自身では不思議が起こせないとしたなら、その便法としてトリッの蚊、使っていたとしたなら、どんな気持ちでトリックを使っていたのか。そのトリックとはどんなものだったのか。いつのころからトリックが使われていたのかと、考えが進んで行きます。

 

 現代の日本のマジシャンが、自身のマジックの歴史を語る時に、決して、刀の刃渡りや、火渡り、探湯(くがたち=熱湯の中に入れた小石を、素手でつかんで見せる術)などとつなげて考えないことは明らかです。いや、そうした古い呪いがらみのマジックをむしろ軽蔑してかかるマジシャンは多いでしょう。それは日本もアメリカも同じなのです。

 然し、ユージンさんは彼等の呪術を自分とは別物とは考えないのです。現代のマジシャンが、自分の魔法を信じてマジックをしているのか、そうでないのかを真剣に問うているのです。実際に呪いをしているときに、「この呪いは何の役にも立たない」。と思って呪いを唱えているのか、本気で信じて呪いをしているのかは、日ごろの態度や話し方にそれが必ず現れるのです。

 仮に占いをして、その占いが外れたときに占いをして、その占いが外れたときに、ネイティブインディアンの呪い師はどんな表情をするか。これはマジシャンがマジックを失敗した時に彼らの表情を学んでおかなければならないはずなのです。

 呪い師のやっていることなんてまやかしで役に立たないものだ。と言う前に、同じ状況に置かれた時にマジシャンがどういう対応をしなければいけないか、をなぜ彼等から学ぼうとしないのかと、問うているのです。正に目から鱗の考えです。

 種仕掛けばかりが先行して、マジシャンとは何をするものなのか、という根源的な考え方が消えてしまって、むしろ逆にマジシャンがマジシャンを否定して生きてしまっているのが現実ではないか。とユージンさんは問うているのです。

 

 ユージンさんは話の冒頭に、優れたマジックを演じて魔法の世界を作り上げたマジシャンが、次の瞬間、愚にもつかないギャグを言って、マジシャンであることを否定して、観客の夢をつぶしてしまう事実を語っています。

 実際そうしたマジシャンはいくらでもいます。せっかくうまくマジックをしても、「これは種仕掛けがあってしていることです」。などと平気で喋るマジシャンがいます。それがどれほど多くの観客の夢を壊していることか。ユージンさんは嘆きます。

 

 然し、だからと言って、自身に備わってもいない魔法をマジシャンに妄信すべきだとは説きません。現代において魔法をまことしやかに語ることには無理があります。然し、それだからギャグで魔法の世界を貶めてよいことにはなりません。

 ここでユージンさんの言いたいことは、両極の話をしているのではなく、マジシャンとして生きる道がどこかにあるのではないかと問うているのです。これはとても意味深いことで、私も含めて、往々にしてマジシャンは安易にマジシャンを考えて、間違ったつまらない人間に落ちて行こうとします。

 これは極めて意義深いことで、マジシャンならば是非知っておかなければならないことが書かれています。訳者の田代茂さんが何年もかけて翻訳したことの意義もそこにあるのでしょう。いずれにしろユージン・バーガーさんが晩年に精魂込めて語ろうとした内容がつづられています。誰もが読むべきとは言いませんが、マジシャンとは何か、と疑問を感じた時にはぜひ一読を勧めます。久々いい本に出会えました。

続く