手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

芸は人 その2

 昨日、小野学さんの農場のメロンを書かせていただきましたが、メロンは即完売したそうです。あまりの人気で、あっという間の完売です。もし来年頼まれるのでしたらお問い合わせ下さい。それから、私はメールの連絡先を間違えました。ono.famを、ono,farmと書いてしまいました。famが正解です。ono.fam@ogata.or.jp

恐れ入りますが訂正ください。 

 

芸は人 その2

 テレビでマジックの番組があると、必ずマジックを見て驚くひな壇タレントが数名います。彼ら彼女らは、マジックを見て驚くことが仕事なのでしょう。適度にいいリアクションをしたり、ちょっと洒落た発言をします。面白いギャグを言って場を盛り上げたりもします。ただ見ているだけでなくさりげなく番組を盛り上げているのです。

 私はこの人たちがどういう人選でここに出てきたのかに興味があります。一見、マジックを見て驚くだけの人ですから、誰でもよさそうなものですが、その役割にはいくつかパターンがあるように思います。私の見るところ、4つのパターンに分けられます。

 1つは、おバカキャラ、ただ何も知らないで素直に驚くタレント。2つ目は、知識キャラ、適度の頭が良くて、一過言持っていて、時にタネに肉薄するようなことまで言う、辛めのタレント。3、お笑いキャラ、何事も笑いでくるんでしまうような調整役のタレント。4つ目は、美人、トレンドキャラ。番組が話題になるように、美人であるとか、今話題の人を入れます。この人が出ていることで視聴率が確実に上がるタレント。

 見ていると、この4人のパターンのタレントが実にうまく連携して、番組を盛り上げています。私などが見ていると、「あぁ、うまいことタレントを配置しているなぁ」。と感心します。然し、肝心のマジックを演じているマジシャンが、彼らの存在を理解していない場合を多々見ます。カードを引かせるのでも頓珍漢な人にカードを引かせてしまったりします。

 知識キャラの人に引かせるならもっと知性的な話をすればよいのに、ただ弾かせるためだけに使ったり、その際に何か突っ込まれてしどろもどろになったり。おバカキャラにカードを引かせて、サインをさせるなどしちめんどくさいことをさせているうちに、カードの表が見えてしまったり、使う相手を間違えてしまうのです。番組の意図を理解しないで、そこにいるのがただのタレントだと思い込んで、自分のマジックを演じる際に道具のような気持でしかタレントを見ていないのです。

 そんなマジシャンを見ると、マジックができる以前に、人としての才能に限界を見てしまいます。マジシャンよりもおそらく回りで驚く役をするタレントのほうが、いいギャラを取っているはずです。考えてみればおかしなことで、マジック番組であるのに、マジシャンよりもお客様で来ているタレントのほうがギャラが高いというのは不自然です。しかしこれは不自然でも何でもないのです。

 

 周りで驚いてマジックを見ているタレントは、確実に自分の役を演じ切っていますし、自分の個性をしっかり出しているのです。翻って、マジシャンは、与えられた時間内に不思議な現象、不思議なマジックを見せることは熱心でも、その人の個性、人間性、キャラクターが一向に見えてこない人が多いように思えます。視聴者が、この人となら、一時間でも話を聞いていたい、と思いうようなマジシャンがなかなか出てこないのです。

 実はここに、マジシャンがマジシャンとして呼ばれても、なかなかひな壇のタレントになれない現実を感じます。本来はマジシャンでも十分ひな壇に座って、人の芸を楽しむ役を貰えるはずなのです。しかしマジシャンがなかなかそうしたタレントになれないのは、自分の個性を強く打ち出していないからでしょう。マジックの現象に埋没して、その人本来の面白さが伝わってこないのです。

 そんな番組を見ていると、マジシャンは、マジックのトレーニングを30%くらい休んででも、自分の個性を磨くことや、喋りの勉強をすること、大きな流れを読み取ることの訓練をしたほうが、出世の近道なのではないかと思います。

 テレビと言うのは、言ってみれば鵺(ぬえ=妖怪)のような存在で、形があって形がなく、核心があるようで核のない、ぬらりくらりとした、得体の知れない存在です。お笑いタレントや、役者や、歌手は、そうした得体の知れない妖怪を相手に、七転八倒の苦労をして、自分の居場所を維持しているのです。

 少しでも視聴者に嫌われればあっという間に放り出されます。ちょっと時流に遅れているとみなされれば、さっさと番組から降ろされます。不倫をすれば問答無用で抹殺されます。いつタレント生命が終わってしまうのか全く予想できない状況の中で、彼ら彼女らは必死に生き残りをかけて戦っているのです。

 ひな壇に座って、マジックを見ているだけのタレントも、マジシャン側から見たなら、「何もせずに楽でいいなぁ」。と思いますが、実はその立場をつかむだけでも大変な苦労なのです。そしてその立場が、来年も維持される保証はどこにもないのです。ひな壇に座って物を言う権利などと言うのは、誰も保証をしてくれるものではありませんし、冷静に見てひな壇は「地位」ですらないのです。

 そんな中で、もしマジシャンが行く行くひな壇に招かれるようなタレントに立ちたいなら、先ずタレントの気持ちがわからなければいけません。タレントは短い時間内の多くのコメントを投げています。しかしほとんどのマジシャンはその答えを拾わないばかりか、頓珍漢な受け答えばかりします。

 タレントはもしマジシャンがこう答えてくれたなら、こう切り返そう、と三手先まで考えて筋を振っているのです。もしマジシャンがタレントのセリフを掬い取って、面白い話につなげてあげたなら、タレントは感謝するでしょうし、「あのマジシャンは使えるよ」。と噂をして、バラエティのコメンテーターに昇格するチャンスを得るでしょう。キャラクターを磨いて、キャラクターで番組を盛り上げてあげることが出来れば、今以上に大きなポジションに立てるのに、マジシャンはひたすらイフェクトの中に埋没しています。人生のチャンスは、マジックの沿革を眺めて、そこに自分の個性を生かしたときに成功がにあるのに、

続く