手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

天性の物

天性の物

 

 子犬や猫は常日頃、自分が人に愛されたいと思って行動しているわけではありません。別段犬猫として普通に生きているのに、仕草が何とも可愛い。その天性の可愛さが人を引き付けて、人は子犬を飼いたいと思います。

 と、のっけから当たり前の話をしましたが、これは全く芸人にも当てはまります。芸能の世界に入って成功して行く人、いくらやっても目が出ない人、いろいろあって、なぜ人気があるのか、なぜ実力がありながら理解者が少ないのか。

 いろいろ考えてみると、そもそも天性の魅力があって人を引き付けている人はそこにいるだけで人が集まります。別段自分が何か特別なことを考えたり、愛されるための芝居ををしているわけでもなく、心のままに生きて人に愛されます。

 ところがそうした天性の恵まれた人はごく少数で、大多数は人としての魅力に乏しく(これには語弊があります。まだ自分の魅力に気付いていない人、自分が何をしてよいかわからない人)、ただマジックが好きで、ひたすらマジックのスキルを学ぶことがマジシャンとして成功して行く道だと求道者のような考えを持って、マジックのスキルに没頭して行く人など、いろいろです。

 誰からも愛されて、陽気で快活な人がマジシャンになれば、人気があってうまく行くだろうと思いますが、実は、そうした人が必ずしも芸能界で成功するわけでもなく、さりとて、地味で陰気で、人づきあいの悪い人が成功して行くかと言えば、これもまた成功するわけではありません。

 成功の道は針の穴のように細く、単純なものではありません。そこには芸能人としてこういう人なら成功すると言う、王道の道なんて存在しません。成功する人は千差万別で、何がうまく行くかなんてわからないのです。

 私は良く、ひと受けのする、見かけの良い人なら先ず上手く行く。と言います。弟子を取る時の基準もまずそこにあります。

 見た目がいいと言うのは大きな要素ではあります。然し、そうだからと言って長い目で見て、その人が大きな成功を掴むかと言うと、必ずしもそうはなりません。見た目がいい人が成功すると言うのは、プロ活動を始めて、5年10年のスタートラインならば何とかやって行けると言う話です。本当に成功を掴むには飛んで見せなければなりません。普通にしていては駄目なのです。

 人が考えもしなかった世界を見つけ出して、それを具現させることで自分だけの世界を作り上げなければならないのです。普通のマジックをして、人とのつながりだけで、上手く世の中を生きて行こうとしもどうにかなるものではありません。

 芸能で成功する人は必ずと言っていいほど、通常の人には見えない世界が見えていて、その世界を熟知しているかのような行動をします。それが本当に見えているのかどうかはわかりません。分かっているように見せかけているのかも知れません。

 つまりブラフなのかも知れないのです。でも、お客様はブラフでもいいのです、何か目に見えないものを少しでも形にしてくれて、全く違う世界の片鱗を見せてくれる人には無限の興味を抱きます。

 マジックをまやかしだのインチキだのと言う人がいますが、案外その言葉は真実なのかもしれません。ありもしないものを作り上げて、信じ込ませ、嘘八百の世界に引き摺り込んで、虚実を混同させて混乱の世界に落とし込む。それがマジックなのだと言われれば妙に納得します。

 

 今から20年以上前に私は、「そもそもプロマジシャンと言うものは」。と言う本を出しました。そこにはどうやったらプロになれるか、プロは何をしなければいけないか。を詳しく書きました。その内容は、純粋にマジックに浸っていた少年少女には衝撃な内容で、マジシャンが手に入れるべき年収が書いてあったり、お客様が何を考えているのかを詳しく解説したり、コンベンションの嘘が書かれていたり、通常のマジックの解説本には決して書かれていない話が書かれていました。

 とにかく本の内容は話題になり、日本中の読者からたくさんの手紙をもらい、電話を貰い。コンベンションなどに行くと、人がたくさん集まって来て、いろいろ質問されました。今でも、どうしたらプロになれるかというハウトゥー本は存在せず、そのため密かに「そもプロ」は読み継がれていて、いろいろと聞いてくる人があります。

 中には直接会って「私はプロになれるでしょうか」。と質問する人までいます。そう言われても何と答えていいか困ります。「私だってこの道で50年生きて来て、未だに自分がプロに向いているかどうかわからいのに、今あったばかりのあなたが、プロに向いているかどうかは分かりません」。そう言う外はありません。

 但し、そうした人は、私から承認してもらいたいのでしょう。「藤山さんがプロになったらいいよ、と言ってくれた」。と宣伝をしたいのでしょう。別段私がプロになったらいいと言ったとしても、それでプロとして成功するわけではないのですが、そこは一縷(いちる)の頼みで縋(すが)って来ているのでしょう。

 然し、そうであるならなおさら私の発言は気を付けなければいけません。当然のこととながら、私は、プロになったらいいとも、やめた方がいいとも言いません。答えなど出せないのです。プロになると言うことは、人生をそこに賭けることであり、一生かかってそれが成功だったか失敗だったかを自身に問うことなのです。私が何かを言うことではないのです。にもかかわらず、何人かの人には、プロになったらいいとか、やめた方がいいと言いました。

 昨晩10数年前に、プロになるのはやめなさい。と言った、その当時明治大学の学生だった、チャーリーさんと久々寿司屋で一杯やりました。

 大学卒業後、会社員をして、その間も何度か顏を合わせてはいましたが、なかなかじっくり話をする機会がありませんでした。彼としみじみ話すのは久しぶりです。彼は「あの時、プロなるのをやめた方がいいと言われたことは間違いなかったと思います。自分の思いのままプロになっていたら、きっと上手く行かなかったと思います」。と言いました。チャーリーさんは今はマジックグッズの製作販売をしていて、かなり成功しているようです。結局、勤め人をやめて、マジックの沿革で活動しているわけですが、さて、私の言ったことが本当に正解だったのかどうか。今もって謎です。案外罪なことをしてしまったのかも知れません。

続く