手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

拍手の強要

拍手の強要

 

 一週間ほど前に秋葉原でレクチュアーをした時に、指導の後、質問コーナーを設けました。その時、女性マジシャンのAさんが、「以前藤山さんが、ブログで、舞台にお客さんを上げる時に、マジシャンが、『はい、舞台に上がってくれた、勇気あるお客さんにはくしゅー』なんて、拍手の強要をしたらいけないと言っていましたが、確かにそう思うんですが、結構そう言っている人が多いですよね」。と言われました。

 そうです。ブログに書きました。そのタイトルは、「舞台人がやってはいけないこと」で、2019年11月4日のブログでした。 内容は、マジシャンが観客に向かって拍手を強要することが見苦しい。と言うことで、その数々の悪癖を書きました。

 

 〇舞台に手伝いで上がってもらうお客さんに対して、「勇気あるお客さんにはくしゅー」と、客席にいる観客に拍手を強要するマジシャン。

 〇「いつもなら出て来ただけで盛大な拍手が来るはずなんですけど、もう一度出直してきます」、と何度も出入りをして、拍手を強要するマジシャン。

 〇「このマジックはもっと受けるマジックなんですが」。と観客の反応の悪さを愚痴って、追加拍手を求めるマジシャン。

 〇司会者が「藤山新太郎さんどうぞ」。と紹介したのに、出てきて「藤山新太郎です」。と言うマジシャン。これは、例えて言うなら、観客にカードをシャフルさせた後にもう一度マジシャンがシャフルするのと同じこと、人がしてくれたことを無にする行為。 

 〇「今日のショウが成功したのも、裏で照明を当ててくれているスタッフ、音響を手伝って下さったスタッフ、道具方など。多くのスタッフのお陰でショウがうまく行きました。どうぞそうした裏方に対して拍手を送ってください」。

 裏方に感謝すべきはマジシャンであって、金を払って来ている観客ではない。裏方の苦労など微塵も感じさせずに、観客が夢の世界に引き込まれるのが最高の芸能です。言わなくていいことを言って、自身の偽善を印象付けようとするマジシャンの無知。

 これらはやってはいけないことで、それをすれば観客は感動を強制されているような気持になり、観客から嫌悪感を持たれ、マジックからいい客層が遠ざかってしまう結果になります。すなわち芸能の品位が下がることなのです。

 

 と、4年前にブログに書きました。このブログはかなり評判になって、その日の読者数も600人くらいありました。その上、感想を送ってくれる人もたくさんいました。

 感想は、「無意識に観客に拍手の強要をしていました」。と言う人が多く、中には「下品とは何事だ」。「藤山は演者の気持ちが分かっていない。善意でしていることを悪く言うな」。などと反論してくる人も何人かいました。

 いずれにせよ、観客の気持ちを少しも考えずに、自分の独善で物を言う人には、何かを言っても意味はありません。名前も名乗らずに反論して来る人には返事は書きません。ちゃんと礼儀をわきまえた人でなければ話はしません。然し、先週の指導の場での質問の時にはお答えしました。

 先ず、舞台に上がってくれたお客さんに感謝をしなければいけないというのは、その通りなのですが、感謝は観客がするのではなく、マジシャンがすべきなのです。手伝ってくれるお客さんがいて助かるのはマジシャンなのです。見ている観客には関係のないことです。誰が誰に感謝すべきかを取り違えています。と、同時に、舞台に上がった来たお客様に対して、「はい、はくしゅー」。と、マジシャンが強要して観客に拍手を貰ったとして、それが嬉しいでしょうか。

 自然に沸き起こる拍手なら嬉しいでしょうが、 「はい、はくしゅー」。と言われてする拍手は強要です。そんな拍手は何百回されても嬉しくもなんともないでしょう。むしろ観客は、そんな催しの中にいて、マジシャンから拍手を強要されて、拍手しなければならない状況は、そこに居合わせることに後悔すら抱くでしょう。

 観客は自分が良いと思えば拍手をしますし、その必要がないと思えば拍手をしません。それ以上のことを観客がする必要はなく、飽くまでも観客の自発的な思いで行う行為こそが観客の意志なのです。

 

 何にしても恐ろしいのは、拍手の強要が一般のステージ上で日常化してしまったことです。マジシャンはショウの中で、ごく当然の如くに観客に、「はい、はくしゅー」と、強要します。マジシャンはそんなことを言える立場でしょうか。

 何で観客はマジシャンにいちいち命令されて行動しなければならないのですか。マジシャンの偽善が日常化して形式化しています。心ここにあらずの行為がまかり通っています。善意でもなければ礼儀もない、そんなことを平気で繰り返しているのです。そうした結果、マジックの芸能の品位を下げていることにマジシャンが気付いていないのです。

 

 マジシャンがしなければならないことは、見せかけの善意を振りまくことでもなければ、仕込みをした不思議を順に演じることでもありません。不思議は手段です。本当にしなければならないことは、独自に考えた魔法の世界を披露することです。何もない空間に魔法の世界を忽然と作り上げて、その中へ観客を誘い込むことがマジシャンの仕事です。余計なことをしている時間などないのです。限られた時間内で、目いっぱい独自の世界を展開しなければならないのです。

 昔のマジシャンは無口でした。それゆえに余計なことは一切言わなかったのです。しかし近年のマジシャンは実によく喋ります。なまじ喋りが出来るようになると、言わなくてもいいことを言うようになります。余計なことを言って、善人に思われたいと振舞います。

 然し、気を付けて下さい。多くのマジシャンの喋りは、マジシャンの品位を下げています。言わなくてもいいことを言い、知性のない話をして、自らの馬鹿をさらけ出しています。「あんなことを言わなければ、いいマジシャンなのに」。と思う人がたくさんいます。歌舞伎の六代目菊五郎が言った名言「間(ま)は魔に通じる」。と言う言葉は舞台人なら常に意識しておかなければなりません。喋りには常に魔が潜んでいます。

続く