手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リーダー不在

リーダー不在

  私は親が芸人で、親の手引きによって小学生のころから舞台に立ち、そのまま学校を卒業して、マジシャンになってしまいました。こんなマジシャンは世間でも珍しく、他のマジシャンと話をしていても、みんな初手は、そもそもプロになること自体が苦労だったと言います。

 最近、若いマジシャンと話をしていると、昔と同じように、プロになる道は狭く、プロとして活動して行ける人は少数です。但し、どうも私の20代のころとは違って、何となく縮こまって狭い世界で細々生きているように見えるし、はっきりとした目的意識も持たないまま、とにかく食えればいい。マジックが専業であればいい。みたいな人が多いように見えます。

 

 確かに当面は食べて行かなければなりませんから、どんなことでもしゃにむにやってこの世界で顔を知ってもらい、稼がなければなりません。と言って、ショウから離れたバイトをしていたのでは、いつまで経ってもマジシャンとして生きて行く目的は達成できません。どんな小さな仕事でもいいからショウに携われるようにしたいと考えます。無論、出演させてくれて、自分のマジックを披露させてもらえるなら、こんな幸いなことはありません。

 多くはコンベンションのコンテストに出たり、アマチュアマジッククラブの発表会に招かれてゲスト出演したり、仲間の伝手でレストランや、バーなどで出演させてもらったり。とにかく、舞台数と収入を得ることに専念します。

 それでも不定期なイベントの出演では毎月の生活を維持することは出来ません。好きで始めたマジックではあっても、実際活動してみれば、生きて行くことの厳しさに直面します。これは日本だけのことではないのです。例えば、韓国や台湾、香港、シンガポールなどを見ても、どれも国が小さすぎて、そもそもイベントの数が少なすぎます。

 どこの国もマジシャンの数に比べてイベントの数が足りません。それは、程度の差こそあれドイツでもイギリスでも、フランスでも同様です。ヨーロッパはどこの国も日本の人口の半分くらいしかいませんから、町は大きな都市が少なく、当然イベントの数も少ないのです。

 ヨーロッパで成功しているマジシャンは、一国に留まることなく、各国に招かれるような、実力のあるマジシャンであれば生きて行けますが、一地域だけで生活しようとすると日本と同様に活動は狭くなります。

 そのことはアメリカも同じです。アメリカほど広い国ならば、アメリカ中を回ることで、いくらでも無限に舞台チャンスがあるかと思いますが、そうではありません。アメリカは国が広すぎて、例えば、ニューヨークに住むマジシャンをロサンジェルスのイベント会社が仕事を依頼をすることはまずないのです。なぜなら、交通費や、宿泊費がかかり過ぎるからです。

 二ュ-ヨーク~ロサンジェルス間は、東京~北京以上に離れています。ヨーロッパで言うなら、スペインのマドリッドからモスクワに行くような距離です。距離が海外旅行に匹敵します。ニューヨークのショウは、当然ニューヨーク近郊に住むマジシャンのテリトリーとなり、シカゴはシカゴ、ロサンジェルスロサンジェルスのマジシャンを使うのです。となると如何に国が大きくても、仕事の量は無限にあるわけではありません。

 無論、アメリカ中を活躍するマジシャンはいます。そうした人はテレビでレギュラー番組を持っていたりして、誰もが知る有名なマジシャンです。有名であれば、交通費や、宿泊費など関係なく招かれます。但し、そうなると、ギャラが高すぎて小さなイベントには出演できません。

 

 さて、ここで私が何を言いたいのかと言うと、何とか、マジックの世界で生活できるようになって、人間関係も出来て来て、年間決まった場所の出演もいくつか決まって行ったとすると、マジシャンとして初手の目的(この道で生きて行くこと)は達成したことになります。

 然し、気を付けて下さい。今現在の安定は仮の姿なのです。生活ができるようになったと言っても、それは低いレベルでの安定であって、本当の安定ではありません。やっている仕事場も、とり合えずはマジックを見せているレベルではあっても、本当にいい環境でマジックをしているとは言い難いでしょう。

 その舞台活動の周辺にいる、仕事仲間や友人も、きっといい人達ではあるかも知れませんが、彼らが本当のプロなのかと問えば、自分自身も含めてプロとは言い難い人達なのではないでしょうか。つまり、何とか、プロ活動は出来ていても、それはプロの仕事を真似ているだけであって、仕事内容も、スタッフも仲間も、本当にプロの仕事をしているとは言い難い、いわば仮の世界なのではないかと思います。

 実は芸能の落とし穴はここなのです。何となく生きて行ける。これならこの先やって行ける。と言う道は、実は見せかけの世界であって、そこに長くいると、人の志を少しずつ蝕んで行く麻薬のような世界に陥ってしまうのです。せっかく、才能があって、努力もして、見た目も生き生きとして、かっこ良さげなマジシャンが出て来たと思ったら、10年も経って見ると、年齢よりも老けて見え、何となく汚れた演技をして、場末感の漂うマジシャンになっていたりします。

 無論、誰だってそうなろうとして生きている人はいません。然し、例えて言うなら、けものが自分の身幅だけの穴を掘ってそれを住処(すみか)とするように、芸の意識の低い人は、自分の浅い知識だけの狭い世界を作って小さく生きようとします。

 その先に大きな目的があるならば、それを仮の姿として見ることもできます。しかし、その生き方を五年十年と続けて行くといつしか人は、身幅ほどの生き方しか出来なくなって行きます。

 何の成功もないまま、ただマジックをするだけの生活をして、それで本当に満足なのか。ここは一つ真剣に考える時です。マジックで食べて行けるようになったなら、もう少し、レベルの高い仕事場に出て行けるようにするとか、より有能な人に認めてもらえるように努力をするとか、今のマジックをマイナーチェンジして、当初自分が思い描いていたマジシャン像を本気になって作り上げて行こうとする人こそが、一つ上のランクのチケットを手に入れられる人なのです。

 本当の成功を掴まないまま、中休みをしたままて、一生を終えてしまうマジシャンが如何に多いことか。ここは思案の為所(しあんのしどころ)なのです。

 続く