手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

暗証番号

暗証番号

 

 昨日(22日)、銀行振り込みをするために、預金の引き落としをしようと思って、カードを使って預金を降ろそうとしたのですが、私の記憶違いで、間違った暗所番号を何度も押してしまったら、カードが使えなくなってしまいました。

 始末の悪いことに、そのカードが、法人(東京イリュージョン)のカードだったために、高円寺の銀行では再発行が出来ないと言われました。いつの間に、銀行が個人と法人に分かれたのか知りませんが、高円寺は個人口座が専門なのだそうです。

 法人用のカードは、中野支店に行かなければだめだと言われ、その日は時間がないため諦めて、今日の午前中に中野の三井住友銀行に行きました。そこで、カードの再発行をしたのですが、久々番号札を持って、銀行のソファーに座り、かれこれ30分以上待たされる羽目になりました。

 「そうそう、かつてはこうしてずいぶん銀行で待たされたんだよなぁ」。と思いつつ、持参した単行本を広げて、しばし読書をしました。それにしても、私の記憶違いから、面倒なことになってしまいました。最近はこんなことがしょっちゅうあります。どうも基本的なことを忘れやすくなりました。

 最近は人の名前が思い出せなくなりましたし、友達の電話番号も忘れるようになりました。かつては、200人分くらいの知人の住所、郵便番号、電話番号を記憶していて、住所録を見ないでもはがきの礼状が書けたのですが、そんなことは今となっては夢のまた夢です。全く記憶から消えてしまいました。

 

 さて、手続きを済ませて、中野から歩いて自宅に戻ろうとしましたが、銀行の脇のアーケードにある銀だこに寄って、たこ焼きを買って帰ろうかと思いました。然し、けっこう並んでいます。よくよく考えたら、家に女房が作ったかつ丼の用意があります。かつ丼にタコ焼き八個はちょっと量が多すぎるかも知れません。血糖値が上がる恐れがあります。あまり食べない方がいいでしょう。結局諦めました。でも少し心残りです。

 中野の駅から私の家までは歩いて15分です。自宅から高円寺までは7分です。中野に行くのは少し遠いため、めったに歩くことはありませんが、今日は、温かかったため、行きも帰りもぶらぶら歩いてみました。

 中野の線路沿いを歩きます。ここは今大工事をしています。線路の上に駅ビルかホテルでも出来るのでしょうか。高円寺が少しも発展しないのに、中野は日に日に大きくなって行きます。来年になれば町の様子はまた大きく変わるでしょう。

 その工事現場を見ながら、住宅街に入り、西に向かって歩きます。この辺りは全く住宅街ですから、車も少なく、静かです。少し見ないうちに、日本家屋の美しい家が壊されて更地になっています。古かったですが、洒落た日本家屋でした、玄関に松が植わっていて、椿の花が垣根から覗いている品のある家でした。それが、門も、家も、松の木も、椿の木もそっくり消えていて、全くの更地になっていました。

 ああした家はもう二度と建たないでしょう。なくなってしまうのは残念です。跡地はきっと分割されて建売住宅が三軒くらい建つのでしょう。家がどんどん小さくなり、ゆとりがなくなって行きます。残念です。

 途中鯛焼きを焼いていたお婆さんの店がありました。もう店は閉めたのかと思っていたら、貼り紙が出ています。まだ時間によってはやっているようです。今日は午後からやるのでしょうか。昔、娘と散歩をするとよくここで鯛焼きを買いました。

 その頃はマルチーズの小さな犬がいて、それに首輪をつけて連れて行き、小学校に入ったばかりの娘は私の散歩に付き合う時には、必ず一輪車に乗ってついてきました。その娘が一輪車に乗って、楽しそうに鯛焼きを食べていた姿を思い出しました。

 そうそう、そう言えば、この鯛焼き屋さんと言い、この辺りはいつも小さな子供たちがたむろして遊んでいましたが、最近は子供の姿を見なくなりました。私の家の前も子供がいなくなりました。町全体が年寄りばかりになってしまったように思います。

 本当ならば、私の娘くらいの若い夫婦がいて、子供を育てているなら、この辺りも子供がいて賑やかなのでしょうが、隣近所を見渡しても、そうした若い夫婦者が見当たりません。少し寂しいですね。

 そういえば、私の家の隣の建売住宅が一軒売れました。半年くらい売れなかったので心配しましたが、ようやく売れました。若いサラリーマン風のお兄さんが買いました。そのうち引っ越してきて、子供が遊ぶようになるかも知れません。土曜日であるのに、全く子供の騒ぐ声ひとつしない住宅街と言うのは何とも寂しいです。

 

 家の近くのお地蔵さんの前まで来ました。手を合わせて、お賽銭を入れます。お地蔵さんは全部で四体あります。一つ一つに手を合わせて、お祈りします。別段何かをお願いするわけではありません。ただ手を合わせます。

 こんな姿を傍から見たなら、私も年寄り臭く見えるのでしょう。散歩をして、お地蔵さんにお参りをして、そうです。全くの年寄です。それでも中野から高円寺まで、途中寄り道をしながらのんびり散歩をして、久々のどかな気分になりました。暗証番号を忘れたために、中野まで行くのは随分面倒臭いことだと思いましたが、これはこれで楽しい散歩でした。

続く