手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

中野散策

中野散策

 

 中野と高円寺は同じ中央線沿線で、一つ隣の駅です。ところがこの駅一つが大違いで、町の繁華の度合いも、中野の方がはるかににぎやかです。中野は北口にサンモールと言うアーケード街が長く続いていて、この一本道が唯一のショッピングストリートで、人の集中度がものすごく、いつ行ってもお祭りのように人が行列して歩いています。

 先日の昼時に、東京都内で雷が鳴り、集中豪雨のように雨が降りました。あの時私は中野の商店街を歩いていました。いろいろ買い物をしようとすると、高円寺では品物が揃いません。中野に出るか新宿に出るかしかありません。

 無論新宿に出れば何でも揃うのですが、新宿は目当ての店があちこち離れていますので、移動するだけでもかなりくたびれます。中野なら町が小さいため、買い物には便利です。特に、買い物の途中寄り道をしてブロードウェイに寄ります。ビルの中には、特殊な店が入っていて、フィギュアショップや、コスプレショップ、切手、古銭のショップなどがあって、面白くてついつい覗きます。

 最近は貴金属の高級店がたくさん出店しています。買取と販売の両方です。並んでいるものは中古です。然し、見るからに中古と言うものはありません。どれも新品に近いものばかりです。腕時計やハンドバックなどの高級品が棚に並んでいます。50万円、百万円と言った金額のものが普通に並んでいます。およそ中野でこれを買う人がどれほどいるのかはわかりませんが、店を出している以上売れるのでしょう。

 同じ並びに1つ90円の稲荷寿司を売っている店があり、私の浪人時代と変わらずに、アルミのお盆上に稲荷を乗せて売っています。その近くの店で一つ百万円の腕時計が売られています。中野は雑多な町です。

 私は浪人時代からよく中野に行きました。中野のブロードウェイの三階にポニーと言う玩具屋さんがあり、そこでマジックの道具を販売していました。時々学生を実演に立てて、実演販売をしていたのです。これは随分儲かりました。マジックそのものが珍しく、実演を立てるとすぐに子供が集まりました。

 百円玉が5枚出て来るダイナミックコインや、小さな4本のリングを売っていました。玩具屋さんと交渉して、道具を置かせてもらい、月に一二度店頭販売をするのです。年末から正月にかけては連日アルバイトを立てました。中野と、蒲田の昭和という玩具屋さんなど何軒か販売していました。これでも一端の経営者でした。学生時代は、この道具の販売と、キャバレーの出演で、ずいぶん楽に学生生活を送っていました。

 

 この、ブロードウェイの一階には大きなパチンコ屋さんがありました。いつも前を通ると、中に歌手の一節太郎さんがいて、日がなパチンコをしています。この人はキャバレーによく出演をしていました。ヒット曲は一曲しかなく、「浪曲子守歌」というのがメインの曲でした。

 着流しで出て来て、「逃げた女房にゃ未練はないが、お乳欲しがるこの子が可愛」と歌うのですが、いかにも女房に逃げられそうな顔をしていました。その歌を歌う人がいつもパチンコをしています。たまにいないときはたぶんキャバレーに出ているのだろう、とポニーの店員が噂をしていました。芸人の生活までもが筒抜けに知られてしまうような狭い町でした。

 ブロードウェイを背中にして、駅に向かうと、左側に路地がいくつもあって、それぞれ一番街二番街と名前が書いてあります。ここいらが中野の飲食店街で、びっしりと呑み屋さんが並んでいます。中野は区役所などの役所と企業がたくさんありますので、高円寺と比べるとはるかに接待などで使う店の数が多いのでしょう。いい店もたくさんあります。先日、マギーさんやボナ植木さんと呑んだ店もこの並びです。

  この辺りは今でも私は時々呑みに行きます。以前は、「ぶん也」という、割烹料理屋があって、よく利用しました。もう10年くらい前に店を畳んで今はありません。それでも今も忘れられないほどいい料理を出しました。

 店は上品な造りで、新内の岡本文弥がBGMとして常に流れいました。ここで出される、オコゼの刺身と、骨ごと唐揚げにしたものが絶品で、随分人を連れて来て肴を楽しみました。味噌仕立てのビーフシチュウであるとか、岩塩で焼いた鶏肉などは絶品でした。個性的な料理がたくさんあり、仕上げは必ず月替わりの代わり蕎麦を楽しみました。

  代わり蕎麦と言うのは、毎月その季節に合った素材をそばに練り込んでざるそばを作ります。菜の花であったり、胡麻であったり、いろいろに味を変えて出て来ます。今は蕎麦の種ものと言うと、てんぷらや、とろろなどを別の器に盛って出て来ますが、江戸時代は、多くは素材をそば粉に練り込んで、蕎麦自体の味を変えて楽しんでいたのです。見た目にそばばかりが並んで地味ではありますが、味わいがあって、酒の仕上げには最高でした。

 そんなことを思い出しつつ、中野を歩き、歩いているさ中に大雨が降りだし、急ぎマクドナルドに入ってアイスティーを頼みました。うろうろ歩いて少し疲れたので、ちょうどいいティータイムです。二階から眺めるアーケード街は昔と変わらず物凄い人の流れです。

 買い物の荷物も増えて、少し歩くのがおっくうになって来ました。このまま歩いて家に帰るのもいいのですが、中野から私の家までは15分かかります。荷物を持って歩くのは少し疲れます。ここは電車で高円寺に行き、そこから歩くことにします。雨も止んで涼しくなりました。散歩には快適です。

続く