手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

50年ひと昔

50年ひと昔

 

 昨日(26日)。朝にスーツケースを点検していると、10時に大成が来ました。車で浅草に向かいます。10時50分に到着。この日は浅草公会堂のリハーサルです。

場当たりは1時30分からだそうです。少し時間があるので外に食事に出ました。

 浅草はついこの間までは気の毒なように通りが閑散としていて、飲食店も閑古鳥でした。やはり海外からの観光客が来ないとどうしようもないのです。東京の中でも浅草界隈は特殊な町で、昔の歓楽街の様子を上手く残しています。

 さて、短い時間に昼飯を済ませるには、行列している店は駄目です。浅草を知るものとしては、なるべく観光客が押し掛けない。混雑のない店で、しかも旨い店を探さなければなりません。

 ぶらぶらと映画街に向かって歩き、翁蕎麦(おきなそば)に行ってみることにしました。ここは昔から芸人がよく集まる所で、噺家や、 漫才さんが、出演前にちょっと寄って、蕎麦を一杯食べて行きます。ここはよく親父に連れて行ってもらったところで、その後何百辺も通っています。

 若いころは、私が一人でそばを食べていると、先輩芸人さんが、勘定場で、「あの若いお兄ちゃんの分も払っておくよ」。と小声で言って、店を出て行きます。そんなことも知らずにそばを食べて勘定しようとすると、「千代若師匠からもう頂いていますよ」。と言われました。何も言わずにさらりと勘定をしてくれるところが芸人の粋です。そのあと演芸場に行って、礼を言うのは勿論です。

 この店の最大の魅力は安いことです。浅草の真ん中にあって、どれもこれも安価です。天ぷら蕎麦なんてないのです。キツネ蕎麦、タヌキ蕎麦がせいぜいで、カレー蕎麦が一番値が張っていたと記憶しています。暖かい蕎麦は、昔ながらの小さな丼で、その丼の口いっぱいまで蕎麦が盛ってあるのが浅草風のサービスです。今いくらするのかは知りませんが、ざるそばなら450円とかそんな値段だったと思います。但し味は、と言うとごく普通の味です。

 その翁蕎麦に行ってみようと思い、横道に入ると、人が並んでいます。「何だろう」。と思って近づくと、何と翁に人が並んでいます。私は思わず並んでいる人に尋ねました。「翁に入るのに並ぶのですか?」。お客様は黙って頷きます。何と言うことでしょう。思わず「ここは並んで食べる店ではないですよ」。と言いたくなりましたが、営業妨害になりますから、何も言いませんでした。

 懐かしさでふらりと立ち寄りましたが、寒い中を行列して食べる店ではありません。恐らく誰か芸人がテレビで紹介したのでしょう。

 どんな店を紹介するのも自由ですが、翁はどこにでもあるような街の蕎麦屋です。肌って浅草まで来て、行列して並んで食べる店ではないのです。「何かみんな勘違いしているなぁ」。と思い。私は二件目の蕎麦屋を探しました。店はいくらもあります。永井荷風が愛した、巨大な天ぷら蕎麦の乗った尾張屋もいいですし。いざとなれば並木の藪があります。ただしこの二店はいつでも混んでいます。

 さて、すいている店で、いいそばを食べさせる店はないかと歩いていると、長浦を見つけました。「あぁ、長浦も何年も食べてないなぁ」。ここはいい店です。蕎麦好きなら納得する店です。但し値段もいい店です。翁なら、弟子と二人で1500円で済むものが、長浦は一人前が1500円です。一人前が翁の二倍します。当然お客様は少ないのです。でも久々です。大成にいい味を教えたやりましょう。

 店に入ると、お客様は一組、私らが入った後にもう一組、ぱらぱらとやって来ます。そうなのです、ここは昔からそんな感じでした。趣味の蕎麦と言う感じで、代わり蕎麦もよく作っていて、演芸場に出演しているときは、必ず一日は来て食べていました。

 蕎麦がきを食べたのもここでしたし、ごまだれで食べるうどんもここでした。胡麻を蕎麦にとじ込んで、胡麻蕎麦にするのも食べたことがあります。日頃普通の蕎麦屋さんでは食べられない蕎麦が味わえたのです。

 さて、久々に入って、何を食べようか迷いましたが、本来得意の変わり蕎麦は影を潜め、メニューはごくシンプルなものになっていました。やはりここにもコロナの影響があるのでしょうか。かけトロそばを二人前、天ざるそばを一人前頼みました。

 かけトロと言うのは、深めの皿にとろろの摺りおろしが入っていて、徳利に入った蕎麦つゆをそこにかけて、箸で混ぜ合わせ、とろろと蕎麦つゆがしっかり混ざるまでかき回します。(但しこれは私の食べ方です。昔からこの方法が一番とろろと蕎麦の取り合わせには合うと思ってしているだけです。お作法ではありません)。

 そこへせいろ盛りの蕎麦を二筋三筋掬って、とろろに絡めて食べます。くれぐれも蕎麦をたくさん掬って食べてはいけません。蕎麦にとろろがしっかり絡んで、何倍も膨れますので、一口では食べられなくなります。

 蕎麦の食べ方で一番汚らしいのは、箸でたっぷり蕎麦を掬って、口に運び、そこで口に入りきらないことを知って、前歯でそばを噛んで、口に入らない分の蕎麦をばっさり蕎麦つゆに落とす食べ方です。

 これは見ていて汚らしいし、自分の口のサイズを計算していません。どんな食べ物でも、口より大きなものを口に入れるのは綺麗に見えません。特にとろろはそばにつゆが絡みついて膨らみますので、蕎麦は3本も掬えば十分です。

 これを口に含むと、蕎麦つゆがしっかりとろろに絡まっていますので、濃厚なたれの味わいが普通の盛り蕎麦よりも長いこと口中に残ります。一度経験すると分かりますが、出汁の味、鰹の味、醤油の味がせいろ蕎麦より濃厚に感じます。

 とろろそばなどと言うと、地味な食べ物で、肌って食べたいとは思わないかも知れませんが、蕎麦好きなら最も蕎麦の旨さを感じさせてくれる食べ方です。

 さてそのあと天ざるを分け合って食べました。濃いめのたれに天ぷらを付けて、ざるそばと合わせて食べる、いつものあれですが、それまでのとろろが余りに簡素でしたから、天ぷらの油の有難みが体に伝わります。やはり蕎麦は油と相性が合うのです。

 天ぷらでも鴨でも、狐でも狸でも、油と合わせると、蕎麦のうまみが増します。さっきまで食べていたとろろ蕎麦と天ぷら蕎麦が同じ蕎麦とは思えない味です。但し、てんぷらの食べ過ぎは禁物です。油は味覚がどんどん後退します。少し食べては、又とろろに戻ります。そうして蕎麦を味わい、仕上げに蕎麦湯を頂けば、もうこれで満足です。

 思えば初めてここに来たのも親父に連れて行ってもらったのが初めてでした。高校生の時でした。あれから50年。全然時間の長さを感じません。然し、今では大成を連れて長浦に来ています。無事に、弟子に味を伝えて行けるのは私自身が元気に活動して行けるからでしょう。世間に感謝しなければいけません。

続く