手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ご近所の話 2 百杯のラーメン

 今日はこれから月に一度の糖尿病の検査に行きます。採血が目的ですが、他にも心電図などを撮ったり、いろいろします。結構午前中いっぱい時間を使います。これをもう10年以上続けています。病院の後、舞踊の稽古に行きます。従って、朝からほぼ半日外を回ることになります。

 糖尿病は一生付き合ってゆく病気ですから、完治することはありません。毎月、数値と照らし合わせて、食べ過ぎや、糖分の取り過ぎを色々細かく注意されます。そもそも糖尿病になる人は、脂ものが好き、酒が好き、甘いものが好き、穀類、麺類が好きなのです。いくら注意されてもおいそれとは気持ちが改まるものではありません。

 20代の頃、アメリカに何か月も行っていた時に、ランチの定食屋さんで、6ドルか7ドルで、ステーキとフライドポテト、サラダにアイスクリームが食べられたとき、「アメリカって何ていい国なんだ」。と思って、毎日ステーキを食べていました。あの頃は本当に幸せでした。

 そうした生活を喜びとしていた者が、食べ物を目の前にして、全く好きなものを食べられないと言うのは酷な話なのです。毎日注意していても、ついつい食べてしまいます。注意していると言ってもせいぜい、甘いものでも、穀類でも、10%、20%量を減らして食べるのが精一杯です。それでも毎日気を使って食事をしていると数値が下がります。有難いと思います。しかし同時にストレスが溜まります。

 例えば、ラーメンを丼一杯食べるのはだめなのです。ラーメンは糖尿病の敵です。先ず、麺がたっぷり入っています。麺は体に入るとすべて糖に変わります。米でも麺でも、砂糖をそのまま飲み込んでいることと同じなのです。スープは塩がきつく、脂が多く、全体に高カロリーです。せいぜい半分食べるならまだ良しですが、現実には、お店で、頼んだラーメンを半分残すことなどできません。結局食べてしまいます。食べた後に数値を気にして後悔します。これが不快の原因になります。

 酒も同じです。時には一切気にせず思いっきり飲みたいのです。然し、今となってはそれができません。月に一度柳ケ瀬に行って、辻井さんと、峯村さんと、酒を二合くらい飲むのが最高の贅沢です。たまに夢で、酒を傾けながら、鰻や、ラーメンや、ステーキを目いっぱい食べて満足している姿が出て来ることがあります。腹いっぱい食べると言っても人の欲望なんて知れています。そんなささやかな願望さえ、夢でなければ達成出来ないのです。あぁ、悲しい。

 

百杯のラーメン

 私の家の向かいの高円寺マンションの一階に「山とき」と言うラーメン屋さんがあります。ここは私が越して来た時からラーメン屋さんが入っていたのですが、商売が難しいらしく、何度も店が変わっています。然し、山ときさんになってから3年、お店が定着して、お客様がひっきりなしです。ラーメンの専門誌にも何度も載っていますし、ラーメン屋さんのランクで関東地方で2位にまでなっています。

 つけ麺も、ラーメンもどちらも人気があります。私も何度か頂きましたが、ここは鶏がらスープでだしを取って、醤油味でスープを整える、いわゆる東京ラーメンの伝統的な味です。これです、私が求めていた味は、何のことはない醤油のラーメンです。それが文句なく旨いのです。

 私がよく言う、「名人と言うのは、普通のことを普通にして、それでお客様が納得をしたらそれが名人だ」。という意味に合致します。何のことはないもので、お客様が引きも切らずに来るようなら、それは名人技なのです。

 私は、豚骨スープや、背脂をばらまいたような、脂ぎったラーメンは好きではありません(嫌いではありませんが、体が許しません)。やはりスープは澄んでいるものが好きですし、脂はこれでもかとまき散らすものではありません。そこそこでいいのです。更にここの店のこだわりは、百杯分の麺を店にある製麺機で毎朝作っていることです。

 この麺の小麦の配合がどうなっているのかはわかりませんが、ちぢれ麺で、つるっとしていて、腰があって、実に食べ応えがあります。一人前はそう多い量ではないのですが、ここの麺は食べた後、十分満足します。

 毎朝お兄さんが一人で、麺を作り、スープを作り、チャーシューを作っています。朝早くから夜遅くまで働いています。仕事に疲れると、裏の道に出て、しゃがんで煙草を吸っています。お店の裏口と、私の家の玄関がまさに向かい合わせですから、一日何度も顔を合わせます。

 「毎日何倍くらいラーメンを作るの」。と聞くと、「いい日は百杯出ます」。ラーメン百杯は大変です。一人の仕事としては限界でしょう。然し、百杯売れると、時間に関係なく店を閉めてしまいます。駅前の商店街からはかなり離れているために、この店に来るお客様は、山ときの評判を知ってくる人ばかりがぽつぽつやってきます。それでも土日の昼は行列ができています。

 このところはコロナウイルスで、お客様の数も少し減ったようです。毎日一喜一憂しています。暑いと言ってはお客様が少ない、雨が降ったと言っては少ない、その日その日で苦労しています。奥さんと生まれて1歳半の子供さんがいます。

 私はここのラーメンが好きなのですが、そう頻繁に食べることはできません。然し、たまに食べに行くときは楽しみです。昔、私が子供の頃、親父に連れて行ってもらった東京のラーメンの味がそのまま味わえます。但し麺の噛み応えは山ときのほうが数段上です。これほど歯応えがあって、つやつやした麺は昔はなかったです。

 かつては、有楽町の直久(なおきゅう)と、荻窪春木屋をうまいと思いましたが、直久は今はなくなり、青山の方に同じ名前の店が出ていますが、味は少し違うように思います。春木屋は今も健在ですが、日本そばを思わせるようなだしの取り方で、東京中で最も古風なラーメンでしょう。旨いことは旨いのですが、半年前に食べに行った時は、昔食べた時の感動は少し薄れたように思います。

 今は何と言っても山ときです。本当は週に一度くらいは食べたいのですが、ラーメンは私の体に毒です。仕方なく二か月に一度くらい食べています。目の前にいい店がありながら、お預けを食らっているようで毎日ストレスが溜まっています。あぁ、悲しい。

続く