手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 4

どう残す。どう生かす 4

 

 話が右に左に飛んでしまいましたが、「どう残す、どう生かす」を続けます。30代の半ばから、私は手妻のアレンジや、創作活動を続けてきました。初めのうちは、自分自身の手順を作るために精一杯でした。「何とか一通りの手順を作り上げれば少しは楽になるだろう」。と考えて、ひたすら手妻の改良をしていました。

 それが33歳の時に文化庁の芸術祭賞をいただき、「これで安定して生きていける」。と思ったのですが、受賞をきっかけに弟子が入ってきたり、アマチュアさんの中で手妻を習いたいと言う人がやって来て、生徒さんが一気に増えました。その都度私の演じている内容を教えてしまっては、私が演じるものがなくなってしまいます。また、弟子同士でも、同じ内容ばかりでは仕事の上でかぶってしまいます。

 そうなると、今まで人のやらなかった手妻を探し出して、それを手順に組み直して、手妻の一作として作り上げる作業をしなければならなくなりました。それまでは自分がどうにかなるためにアレンジや創作活動をしていたのですが、受賞後は人の生活を考えて手妻を作る作業をすることになりました。そんな人生が自分にのしかかってくるとは今まで考えもしませんでした。

 バブルのさなかはバブルの期待に応えて、様々な作品を作りました。とても忙しい日々でしたので、30代が始まったときにはバラ色の人生が続くと思っていましたが、バブル崩壊後は嵐が吹き荒れて、泥沼の日々でした。平成2年に、会社と自宅を合わせたビルを建てたため、そのローンを毎月40万円支払わなければなりません。チームを維持するために、人件費を毎月80万円支払わなければなりません。銀行の借り入れや、自動車のローンなど、自分の家族の生活費まで合わせると、毎月200万円の支払いをしなければなりません。

 バブルが弾けた後は毎月の支払いが重くのしかかってきました。幾ら働いても支払いに追われる日々でした。そんな中で、全く休む暇もなく働きました。

 38歳で二度目の芸術祭賞を受賞したときに、「これで少しは楽になる」。と思いましたが、飛んでもありません。前以上に人のために働かなければならず、さりとて、銀行の支払いは少しも減らず、「なぜ自分だけこうも報われない仕事をし続けなければならないのか」。と自身の境遇を恨む日々でした。

 

 こんな時に、深夜に古い文献を調べ、昔の手妻師を訪ね、一つ一つ手妻を掘り起こして行きました。30代から40代にかけての作品を見て行きましょう。

 

 和風イリュージョン。宝船、行燈(あんどん)、邯鄲夢枕(かんたんゆめまくら)、鎧櫃(よろいびつ)の剣刺し。

 

 和風イリュージョンと題して、4作の和服で演じるイリュージョンを考えて見ました。これらは古典の作品ではありません。私がアレンジし、考え出したもので、行燈は西洋のイリュージョンのシャドーボックスを応用したもの。邯鄲夢枕は、女性を完全浮揚させたうえに、180度左右に動く作品を考えて見ました。

 私が35歳のころの作品で、まだバブルの余韻の残っていた頃ですから、大きな手順が求められていた時代のものです。今見ると、和の要素は薄く、和風と断っているところからも、和ではない作品です。そのため、その後に私の演技が和の世界に入り込んでゆくに従って、不釣り合いなものになって行き、徐々に演じる回数が減って行きました。

 今でも使えるのは宝船と行燈くらいのもので、これは時々市民会館クラスの仕事を頼まれると演じています。私とすれば自分で作った作品ですので、とても愛着を感じています。こうした新作手妻が現れないと、手妻は骨董屋さんのごとくに、古いものばかり扱う職業になってしまいます。落語に新作落語があるように、手妻にも新作手妻は必要なのです。

 

 宝船

 舞台上には何もなく、上手から大きな扇子が二枚合わさって。太陽をイメージして出て来ます。舞台中心で太陽が止まって、扇が二つに分かれ、女性が出現します。扇との遊びがあって、舞台の上手下手から小道具が集まり、やがてそれが大きな帆掛け船になります。

 船の帆が下りると、そこに女性が二人立っています。三人の女性による短い踊りがあって、帆が上がり、降ろすと藤山が立っています。そこから手妻が始まり、お終いは大きな紅白幕が広がり、更には大きな扇子が出て。扇子の裏で藤山の衣装が一瞬で変わり、全員でポーズになります。

 とにかく、何もない舞台から始まって、道具らしい道具を使わずに、人が次々に出てきて、様々な現象がスピーディーに進行する演技を作りたかったのです。幸いこれはうまくゆきました。オープニングには有り難い手順です。

 

行燈の怪

 現象はシャドーボックスです。大きな障子の張られた箱の中で、絹帯が浮遊します。箱の中を度々改めますが、誰もいません。やがて人の姿が映り、その人の首が伸びて行き、箱の上から顔が出て来ます。ろくろ首です。

 障子を破いて女性が現れ、そこから次の手妻の浮揚に行きます。

 

邯鄲夢枕

 完全浮揚です。小さな装置ですが、人が空中浮揚して、上下左右に自在に動きます。評判のいい作品でした。

 

鎧櫃の剣刺し

 旧来の箱を使った剣刺しの仕掛けをアレンジしました。女性が逃げ来て小さな箱の中に隠れます。そこへ悪漢が現れ、箱に何本も剣を刺します。とどめの一本と言うところで正義の味方が天狗のお面をかぶって登場。悪漢と戦い、悪漢を撃退します。天狗のお兄さんは面を取ると藤山です。

 剣を抜き、箱を開けると女性出現、更にもう一人女性が現れ、お客様がびっくりしていると、私の衣装が女性の衣装と同じ赤に変わり、3人揃って前に出て来てポーズをとって終わります。全体で40分のイリュージョンショウです。

 

 今これをビデオで見ても随分凝った演出と仕掛けをしています。その頃はなんとかなりたい一心でしたから、演技も気合が入っています。裏に引っ込むたびに衣装を替えなければならず、ショウが始まると休む時間のない演技でした。30代でなければできない手順でした。

 イリュージョン、イリュージョンした演技を嫌い、箱をぐるぐる回して改めるなどをせずに、ストーリーを重視して、なるべくマジシャンのジェスチュアーや無駄なポーズを取らないようにして、自然な進行を考えて見たのです。箱に剣を刺す演技なども、何の理由もなくマジシャンが女性を箱に入れ、剣を刺す矛盾を、悪漢と正義の味方という役割を分けることで自分なりに解決させてみたわけです。今また振りつけなどを直してより古典の味わいを加味して演じたなら、これはこれで面白いと思います。

続く