手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナウイルスよどこへ行く

コロナウイルスよどこに行く 

 感染者が一日で360人を超えました。この先どうなるかと多くの人は不安を抱いています。然し、問題はありません。非常事態宣言をする前に戻って、非常事態宣言の際に少なくなった感染者の数がそっくり増えたのです。つまり非常事態で押さえた感染が、今増加しただけです。コロナウイルスは、一定数感染を増やし、その後収束します。それだけのことです。ウイルスとはそうして盛衰を繰り返すものです。

 いつまで今の状態が続くのかと言うなら、ワクチンや、特効薬ができるまで続くでしょう。それが1年先か、2年先かはわかりません。

 ロックダウンや非常事態宣言は何の意味もありません。学校を休校することも、会社を休むことも無意味です。ロックダウンは一時的には感染者を減らすことにはなりますが、非常事態を解除すれば必ず感染者は増えます。今の日々の数値が実証しています。

 マスク、手洗い、うがいと言った衛生管理は感染防止に役立つとしても、仕事を休んだり学校を休むことは意味がありません。それは経済を縮小させ、近い将来、国の運営が成り立たなくなります。ウイルスと戦って生きて行くためには、しっかり経済が維持されなければ意味がありません。このまま経済が衰退すれば、やがては補助金も出なくなり、病院の援助もできなくなり、ウイルス対策の研究費も出なくなります。それでは人の生活が成り立たなくなり、ウイルスだけが残ってしまいます。

 何があっても人は日々働かなくてはいけないのです。そんな当たり前のことが、このところ、人の仕事を軽視する風潮がはびこっています。

 

 政府が進めているGotoトラベルキャンペーンはどんどんやるべきです。東京都が止める理由はありません。働くときには働き、遊ぶときには遊ぶべきです。いつもと同じ生活をしていればよいのです。感染者が増大しているとはいっても、半年間で25000人が感染しただけです。しかも25000人のほとんどが完治しています。別段大したウイルスではありません。死者は990人です。日本人が毎年病気などで亡くなる人の数から考えても、コロナウイルスによる死者数は、極めて小さな数値でしかありません。

 連日感染者数をテレビで報じて大騒ぎをしますが、現実には、ノロウイルスや、インフルエンザから比べたなら、微々たる数字です。数年前にインフルエンザが流行った時に、テレビは、毎日患者数を報じましたか。皆に家にいろと呼びかけましたか、インフルエンザのほうが病気の威力が強かったのに、なぜコロナウイルスだけこんなに大騒ぎするのですか。仮にコロナに罹ったとしても、合併症を持つ重症患者か、衰弱している老人でもない限り死病には至らないのです。そのほかの人は、大した治療薬もないのに、寝ていて直したのです。たしかに、例外はあったとしても、数の上では990人の中の数例でしかありません。それを騒ぎ立てる理由がわかりません。

 

 マスコミの取り上げ方は目を覆うばかりです。先日の連休をテレビ局が取材をして、

高速道路のサービスエリアに止めてある自動車のナンバープレートを調べていました。その上で、東京ナンバーの車の人にインタビューをして、「どうして、東京都が反対しているのに、ここまで来たのですか」。と問うています。失礼を通り越して犯罪です。そんな質問に答える理由がどこにありますか。まるで監視社会です。江戸時代の岡っ引きのようなことをしています。国がキャンペーンを奨励したから遊びに出たのです。テレビ局に何か言われる理由はないのです。顔が映った人は、近所の心無い人から、外出するとは何事かと、後で攻め立てられるでしょう。大きなお世話です。

 国民みんなが遊ぶときには遊ばなければ、世の中が回って行かないのです。せっかく土産物屋さんなどが久々の連休で期待をして店を出しているのに、テレビ局はそれを邪魔して人の出鼻をくじいて何が面白いのでしょう。これは嫌がらせです。

 

 横浜流星さんがウイルスに罹った時も、どこで感染したのかをマスコミは執拗に聞きまくっていました。逆にあなたが感染したとして、どこでうつされたか答えられますか。山手線に乗っていて、感染したかもしれないし、地下鉄に乗ってやってきた記者と会話中に感染したかもしれません。いつどこで感染したかなど分からないのです。それを追い続けるテレビ局は俳優を犯罪者扱いしています。病気にかかった俳優は、被害者です。犯罪者ではありません。なぜ被害者への配慮がないのですか。

 地方都市ではコロナに感染すると、「会社を辞めてくれ」。と言ってくるところがあるそうです。本来会社は社員の健康を守らなければいけないのに、感染を個人のせいにして、すべての責任を押し付けようとしています。まるで江戸時代の考え方です。そんな200年前のものの考え方で、会社がこの先、生き残れるのでしょうか。

 今あちこちで起こっていることは、私がよく言う、誤謬(ごびゅう)です。本来正しい行為が、国を挙げて、国民全体で行動すると、人は過大に反応して、明らかに誤った方向に進んでゆきます。これを誤謬と言います。

 江戸時代にたびたび出された倹約令は、倹約することそのものは悪いことではないのですが、国を挙げて倹約令を行うと、たちまち経済が停滞します。元々、町人が富を持つようになったことに侍が嫉妬して、倹約令を出すようになったのです。

 絹の着物を作ってはいけない、売ってはいけない、金銀細工の品物を作ってはいけない、売ってはいけない。女の髪の毛は自分で結え、髪結いに行くな。琴、三味線を弾くな、芝居に行くな、落語、講釈、手妻など見るな。そうなれば多くの人は廃業します。

 しかし例えば、絹の着物は、地方の大名が、地元の殖産のために奨励して作って江戸、大坂に卸しています。大名家の家来の子女が織る着物は侍一家の生活を助けています。それが売れないとなると、大名の財政は苦しくなり、多くの侍は困窮します。

 一方、金持ちの町人は、別に絹物を着るなと言えば、絹の着物をひっくり返して、裏地の木綿を表に直して着るだけのことです。着物が裏地に金をかけるようになったのは度々倹約令が出たたためです。町人は少しも困らないのです。逆に侍はどんどん困窮して行きます。結果、倹約令はやればやるほど侍の生活を貶めたのです。

 

 その轍を今、日本の自治体は性懲りもなく繰り返しています。そして、日本人はやってはいけないことを一層拡大して騒ぎ立てています。Gotoキャンペーンは、絹ものを着るなと言うのと同じです。マスコミが旅行に出る人の車のナンバーを調べるのは、岡っ引きが絹や金銀細工を持っている人を暴くのと同じことです。それをテレビを見て悪しざまに言う人は、世の中の不平不満を近所の人のせいにして、周囲に責任を擦り付けて憂さを晴らしているのです。世の中を暗くして、因循姑息な社会を作っているのです。

コロナウイルスは一つも怖くはありません。恐ろしいのは人の行動です。人が国を悪くし、人が経済活動をつぶしているのです。そのことに一体いつ気付くのでしょう。

続く