手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナよりも先に国が亡びる

 昨日はブログを休みました。いつもの通り、昼から5時までは富士の指導。それから新幹線で名古屋へ、そして在来線で岐阜へ、8時に、岐阜駅で、辻井さんと峯村さんと待ち合わせ。先月行った、料理屋の八祥(はっしょう)へ、あののどぐろの塩焼きと、からすみの炙りが食べたくて、再度同じメニューを注文しました。

 峯村さんは、すっかり岐阜での飲食を気に入っています。常連になりました。いろいろな話をしながら、料理を頂き、酒を飲む、三人の酒盛りは最高のひと時です。私は三千盛りの常温、辻井さんと峯村さんは八海山の冷酒を飲んでいます。

 のどぐろはやはり期待を外しませんでした。開きにした状態で、外側に塩を振り、時間をかけて焼き上げます。骨から身を外して、皿にとりわけ、身と塩の付いた皮を口にほおばるのですが、脂の乘ったのどぐろと、皮の塩気はもはや麻薬です。酒が進みます。また、からすみの塩気がまた麻薬です。炭の炙りの香りが溜まりません。これはお父さんの食べ物です。酒が進みます。

 この二品は酒飲みの寿命を奪います。でも、悪魔の選択で、「少々寿命が縮まっても、この味を逃したら人生を後悔するよ」。とささやきかけます。私は素直にその言葉に乗って、炙ったから炭の香ばしい塩気で酒を飲みます。あー、やめられない。

 そのあとグレイスに行きました。この晩のママは黒の絽の着物です。まるで細かな花吹雪を散らしたかのような小紋が秀逸です。帯は太鼓の中心に大きな花火の絵が描かれています。すごい貫禄の衣装です。チーママの方は薄い浅黄に季節の花が刺繍で入っています。こっちも相当高価な絽の着物です。二人が対称な色の着物を着ているのは素晴らしいことです。ただしこの晩は、大垣弁でしゃべるロシア人がお休みでした。ものすごい肉付きの女性で、いると暑苦しいのですが、いないと寂しいです。

 言い忘れましたが、昼に田子の浦港で、久々のシラスの大漁だと言うことで、富士の皆さんからシラスを頂きました。朝採れのシラスをすぐに釜茹でしたものです。それをグレイスで小分けして出してもらいました。新鮮なシラスは皆さん初体験です。つるりとした身の、のど越しと、淡い塩気がこれまたハイボールが進みます。小さな魚ですが、噛むとしっかり味わいがあり、身がしっかりとしています。駿河湾に感謝です。

 

これでは国が亡びる

 コロナウイルスを書かせていただきます。愛知県は数日前に、独自に非常事態宣言を出しています。県民の自粛を呼びかけ、外出を控えるように求めています。これは国が進めるGotoキャンペーンとは真っ向から対立する政策です。

 何度も申し上げますが、非常事態宣言も、ロックダウンも何の役にも立ちません。非常事態宣言を出せば、一時、感染者の数は減るでしょうが、その後に非常事態を解除すれば、感染者はすぐに増えて、総体の数は、元に戻ります。それは3月4月の非常事態宣言が、6月に解除になったとたん、感染者が激増したことで明らかでしょう。当然と言えば当然なことなのです。

 日本を大きな水槽にたとえてみてください。そこに、1億3千万もの魚が泳いでいます。その魚は、ひとたびウイルスがはびこれば、どこにも移動することが出来ません。幾ら、動くな、隠れろと指示をしても、水槽のサイズは変わりません。逃げ場もありません。そしてウイルスが消えることもないのです。

 身動きせずに、ウイルスをかわしても、解除すれば同じです。特効薬か、ワクチンができない限り結果は同じなのです。それよりも、1億3千万の魚が、仕事もせずに、餌も取らずにじっとしていたなら、多くが餓死して、魚の楽園は崩壊します。

 今の状況で日本人はどう生きて行ったらいいか、その明確な答えは、今まで通り普通に生活することなのです。働いても働かなくても、ウイルスは一定数の人に感染するのです。感染をことさら騒ぎ立てても意味がないのです。無論、誰もがウイルスに感染したくはありません。然し、そこから逃れるすべはないのです。

 然し、幸いなことはコロナウイルスは決して強いウイルスではありません。毎日テレビでは感染者の数を発表していますが、他の感染者、例えば、インフルエンザなどから比べると、死亡者の数は三分の一以下です。毎日の交通事故死と比べても、コロナウイルスに感染した死者の数はわずかです。1億3千万もの人がいれば、人は何らかの病気や事故で、何千人かは亡くなるのです。師の死者の中でも、コロナウイルスは少数です。なぜインフルエンザについて語らずに、ことさらコロナウイルスばかりを言うのか見当が付きません。

 今の状況を続けて、テレビ局や知事が、「不要不急の外出をするな」、などと叫んでいると、年内には、大きな会社が倒産してゆくでしょう。観光地は廃墟になるでしょう。デパートの倒産があり得るかもしれません。劇場や、映画会社の倒産もあるかもしれません。交響楽団が解散するかもしれません。絶対に大丈夫と思っていた大会社が続々倒産したときに、意味なくコロナの危険を煽ったテレビ局や、政治家は、とんでもないことをしたことに気付くでしょう。

 他人の生活に無理解で、ただ身の安全ばかり唱えていたなら、自分の身の回りの人はいつかいなくなります。テレビでは、感染した俳優や、タレントを追い続けています。彼らはばい菌ではありません。被害者なのです。被害者に対する配慮がなさすぎます。感染して番組を降板したなどとニュースで言って、誰のせいで降板したかの責任がありません。悪いのは針小棒大の騒ぎ立てるテレビや週刊誌でしょう。

 石田純一さんが、沖縄でゴルフをして、コロナウイルスに感染したと知った時、テレビはまるでばい菌を見るように石田純一さんを叩きました。叩いて、夫婦の不仲を煽り、仕事を降板させました。誰が悪いのですか。人の人生を台無しにして、何が楽しいのですか。石田純一さんが病原菌なのではありません。彼も被害者なのです。

 狭い世界の中で特定の人をストレスのはけ口にするのはおよしなさい。コロナに罹った人には同情をし、そして静観をしてください。会社を辞めさせたり、近所付き合いをやめたりして何になりますか。それでコロナウイルスは退散しますか。日本の社会が暗くなるばかりです。特定の人に責任をしつけるようなことをしてはいけません。社員をやめさせた会社の経営者は、あなたが感染したらどうしますか。絶対に感染しないと言えますか。罹ったら誰が助けてくれますか。人に愛情がなさすぎます。

 テレビは、コロナウイルスは危険ではないと話すことです。重症になった時だけ病院に行けばよく、中途半端な患者は病院に来ないように呼び掛けることです。

この先1年、まだまだコロナと戦わなければなりません。これからは多くの会社も個人も、たくわえが底をついて来るでしょう。解決の道は遠いのです。今は先ず、考えを正して、みんなで働くことです。普通の生活に戻ることです。

続く