手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

四戒とコロナウイルス

 剣道をした人ならご存じと思いますが、四戒(しかい)すなわち、四つの戒めと言うものがあります。驚く、恐れる、疑う、惑う、の四つで、この四つに心が縛られぬようにと教えます。刀を持って、互いが戦う段に至って、上記の四つに捕われていると、判断が鈍り、体が硬直し、素早い対応ができなくなり、結果として相手に敗けることになります。

 驚くとは、例えば、突然予期しないことが起こると、人は一瞬、何が起こったのか、どう対処したらいいのかと、その解決のために、思考が、今現実に向き合っていることから、別のことに切り替わってしまいます。この思考時間が、実は一瞬ではなく、かなり時間を要するために、目の前の問題に空白ができて、その隙を相手に見透かされて、相手の太刀に切り込まれて敗けてしまいます。

 恐れるとは、相手の動作に無駄がないとか、相手が自信を持っているなど、勝手に判断を立てて、相手を過大に考えてしまいます。戦う前から既に気後れしています。これでは手も足も出ず、初めから敗けです。

 疑うとは、例えば、相手の仕掛けてきた動作が、誘いなのか、本気なのか、誘いだとしたら本当に出て来る技が何なのか、などと先々を考え込んでしまいます。いくら先読みをしても、実践では、将棋のように定石通りには行きません。その場の適応力でいくらも変わります。するとまた、考えた挙句、自らがとった技が正しかったのか、誤りか、そんなことを頭の中で考えていると、これも相手に隙を与えることになり、結果として敗けです。

 惑うとは、戦っているさなかに、女房のこと、子供のこと、自身の身分のこと、わが身と比べて、相手が卑しき身分なら、こんな軽輩と戦うことに何の意味があるのか、仮に負けたならこんな恥ずかしいことはない。等々と、生きる未練にこだわっていると、結局敗けてしまいます。

 

 時代劇では、二十人くらいの侍に囲まれて。主人公はバッタバッタと次々の侍を倒しますが、実際には戦国時代でも、江戸時代でも、そうした争いは皆無で、たった一人と戦う場合でも、互いが上記のような思いを持って太刀を合わせるわけですから。人一人倒すことは簡単ではなかったのです。そうしたときに、より雑念に取りつかれているほうが気持ちに隙がありますから、敗けやすいわけです。

 この四戒を見事に制して戦いのための剣法を作ったのが薩摩の示現流です。この流派の剣道は、剣の道の修行どころか、喧嘩剣法です。初めにとんでもない奇声を上げて、無念無我の境地で太刀を抜いて相手に突っ込みます。防御も技もありません。先を制して、奇声で驚かせて、相手が戸惑っている間に相手の脳天に太刀を浴びせます。相手が達人で、胴を払ってくるかもしれません。その時は斬られるだけです。切られて死んでも、同時であれば、初太刀は相手の脳天を叩きますから、怪我は相手のほうが深いはずです。つまり示現流は初めから自らの命を捨てた剣法なのです。

 彼らは太刀を抜いた瞬間から死を覚悟して戦います。相手が女房のこと、身分こと、何とか戦わずして生きていたいなどと、わずかでも生きることに執着しているなら既に薩摩に敗けています。

 

四戒とコロナウイルス 

 さて、話はコロナウイルスです。小池都知事は依然として不要不急を控えるように訴えていますが、肝心の国の政策は、感染危険度を5段階あるレベルの2であったものを、最低レベルの5に改めています。つまり、コロナウイルスは流行り風邪と同じレベルになっています。どういうことですか。初めからはやり風邪なら、学校閉鎖も、レストランのお客様の制限も、劇場の観客制限も何も必要なかったはずです。

 問題が起こった時に、誰もがウイルスを恐れて、過剰反応をしたのです。剣道で言う、四戒を超えて、過剰防衛をし過ぎ、必要以上に国民を煽ったのです。その結果が今の経済です。安倍首相の辞任の衝撃が大きすぎて、感染レベルのダウンはほとんど語られませんが、実際の経済活動から見たなら大問題です。今になってそそくさと危険度レベルを下げて、この大騒ぎの責任は誰にあるのですか。

 私がこのブログで何度も述べた通り、コロナウイルスは感染しにくいウイルスです。罹っても治る病気です。風邪と同じです。マスコミや都知事が大騒ぎをして、結局国内の経済がガタガタです。

 こうなった以上は、早く鎮静を考えることです。先ずマスコミにこれ以上コロナを煽ることをやめさせるべきです。もう番組そのものが疲れて生きているのでいい機会です。いい加減コロナを煽ることをやめさせて、無駄に煽った番組は名前を出して批判すべきです。感染者の数を羅列することはやめるべきです。はやり風邪を毎日報道する理由などないのです。

 次に、感染者に対して、パートの仕事を辞めさせたり、会社を首にしたりするような組織は、ニュースで伝えて、社名や名前を公表すべきです。悪質な場合は罰金を取るなり、刑事訴訟をすべきです。また、ご近所で、感染者の家族が運動会や、遠足に行くことをやめさせるような学校や、地域の集会は、テレビで名前を挙げて糾弾すべきです。

 感染者は被害者であって、鬼や悪魔ではないのです。感染者を疎外したり、その家族を差別するような、人の痛みのわからない人は、はっきり名前を出して、社会的な制裁を加えるべきです。こんな村社会がまかり通っているから、経済は停滞し、まともに働こうとする人たちの妨害になるのです。

 早く経済を元に戻さなければいけません。そうでないと、この先とんでもない増税や、失業が生まれます。それはコロナウイルスよりも恐ろしい結果になるのです。

 続く