手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

コロナコロナと仰いますが

 ごめんなさい、昨日は一日ブログを休んでしまいました。

朝6時に起床して、7時15分に自宅を立ち、東京駅に8時過ぎに到着、8時26分の新幹線に乗り、新富士へ、富士ではいつもより3時間早い指導の開始です。予定の通り、10時からご指導が始まりました。

 富士は、来月に発表会を予定しているため、皆さん熱心にお稽古されます。参加者5名。このところコロナウイルスの影響で、参加者が減っています。

 2時過ぎに指導を終え、新富士へ、そこから新幹線で名古屋へ、名古屋から在来線で岐阜へ、5時50分に辻井さんと峯村さんと合流。いつものメンバーで、今日は鮎料理の専門店、泉屋さんへ、

 泉屋さんは去年もお伺いしましたが、その味が忘れられません。長良川近くの古い町並みの入り口近くにある新しい店ですが、この店は夜の7時半にはラストオーダーになってしまうために、6時までに入るしかなく、私が、東京を朝早く出たのも、富士のご指導を3時間早めたのも、全ては鮎料理のためです。大変勝手をして申し訳ありませんが、いい鮎を食べるためにはこうするほかはありません。

 

 実は一週間前に、岐阜の飛騨川は集中豪雨で増水し、連日ずっと川の水は濁ったままだったのです。川が濁ると、川底に泥が溜まり、鮎の餌になる藻が隠れてしまい、鮎は餌を失います。そうなると身が痩せて行き、せっかく大きくなりかけた鮎が身が痩せて脂気が失せてしまいます。それは一大事です。岐阜の集中豪雨の時にすぐに辻井さんに電話をしました。「辻井さん、川に被害は大丈夫ですか」。「かなり増水していますが、岐阜市内は全く被害はありません」。「鮎は無事ですか」。「あまり長雨が続くと身が痩せるかもしれませんが、たぶん生簀に飼っている分もあるでしょうから、大丈夫だと思います」。それを聞いて安心しました。

 そして今日、長良川の鮎に1年ぶりにご対面です。早々に肩幅広子さんがやってきて、これで4人のメンバーがそろいました。広子さんは最近柳ケ瀬の高級クラブに移っています。後でどんな店か出かけて見ることになっています。

 初めに、鮎のなれずしなどの珍味が出て、生ビールで乾杯です。すぐに、三千盛りの常温の酒に切り替え、酒で、なれずしや、鮎の内臓の塩辛をつまみます。この塩気と、日本酒の取り合わせは酒好きにはたまりません。私は、糖尿病の心配から、この日のために半月前から、夜はほとんどアルコールを飲まず、ずっと我慢していたのです。それだけに、珍味と三千盛りを口の中で玩味したときの喜びはひとしおです。

 その後、メインの塩焼きと、たれ焼きが、時間をおいて一匹ずつ出ましたが、何にしても、このお店は、鮎の焼き加減が絶品です。長い時間炭火で焼き続けながらも、焦げ目がほとんどなく、頭からしっぽまで全て食べられます。そうなのです。鮎は、一匹全て食べることで、内臓の苦みから、頭の骨の旨味から、背骨の脇に着いた身の甘みまで、それを骨ごと食べることによって鮎の全身の味わいが堪能できるのです。

 鮎を味の薄い魚だと言うのはとんでもない間違いで、味が淡いことは事実ですが、こうして前身の各所を味わいつつ食べて行くと、実に奥行きのある魚です。これをしっかり旨いと認識できるのは大人ですし、日本人のように、あらゆる魚を食べなれたものでないと、鮎の旨味は理解できないかもしれません。

 何にしても、夏場に鮎尽くしの料理が食べられることは実に幸せです。他にてんぷら、仕上げに雑炊が出ましたが、どれも見事でした。峯村さんも、三千盛りの常温に感心し、鮎のコースを堪能していました。このところ、UGMの店の転居などで随分疲れたことと思います。今日はじっくりといい食事をしながら気の置けない仲間とくだらない話をして、気分を休めてくれたなら幸いです。

 

 食後、肩幅広子さんの新しいお店、たまふさに行きました。肩幅広子の名前は私が勝手につけた名前ですが、初めに合った時に、肩パットの入った服を着ていたので、そう名付けたのです。その彼女の勤めるたまふさは、店のカウンターが黒漆で、金蒔絵が施してあり、カウンターの奥がこれもまた大きな板に漆が塗られていて、富士山と田子の浦が描かれており、ものすごい贅沢な作りをしています。コロナの影響で、お客様は3組ほどでしたが、早くもとに戻るといいと思います。更に、前回行った高級クラブ、グレイスへ行きました。ここまで全て。辻井さんの設定です。

 私や峯村さんと話をするためにここまで気を使ってくださる辻井さんは本当にいい人です。グレイスのチーママは黒の絽の着物で小紋の花柄でした。チーママは締まった色もよく似合います。ママさんはあとから洋装でやってきました。ロシア人の大垣弁を話す大柄な女性とばかばかしい話をして柳ケ瀬の夜は老けて行きました。

 明日は、名古屋で指導です。

 

コロナコロナと仰いますが

 コロナは緊急宣言を開放して以来、感染者を増やしていますが、緊急宣言を緩めれば感染者が増えるのは当然のことです。むしろ注目しなければならないことは、コロナウイスに罹った人で、重症患者が殆どいないことです。これは大きな流れで終息に向かっているのではありませんか。

昨日、東大の教授が、このまま放置していては、たちまち数百倍の感染者をだすと、国会で大騒ぎをしていましたが、感染者はが増えることはあっても、たちまちに重症患者が増えることは考えられないでしょう。

 以前に、「このままでは日本の感染者が40万人になる」、と言った、医者がいましたが、その医者はどこへ行ったのですか。風評被害で、どれだけの企業に迷惑をかけたか考えて頂きたい。元々コロナウイルスは感染力の弱いウイルスですし、罹っても寝ていれば治る病気です、つまり通常の風邪と同じものです。これをなぜこうまで日本中が騒ぐのか見当もつきません。巷に重症患者があふれているならその心配も必要ですが、どこに重症患者がいますか。

 数年前にインフルエンザで亡くなった人からすればはるかに少ない犠牲者なのに、何を騒いでいるのですか。アメリカや、イギリスがとんでもない数の重症患者を抱えているのは、保険が機能していないことと、人種差別が激しいからです。有色人種が病院にかかれないから、被害が蔓延しているのです。問題の根は、コロナウイルスにはなく、人種差別がウイルスを広げているのです。そこを指して、「日本もニューヨークのようになるぞ」。とは何を言っているのですか。

 逆にコロナを煽ることで、病院は来なくてもいい患者のために疲弊しています。感染者は入院する必要はないのです。検査も必要ないのです。寝ていれば治るのです。余ほど悪くなった人だけが病院に行けばいいのです。ここをきっちり話をしないと、この先病院が持たなくなります。

 

 また、せっかく演劇が再開されたにもかかわらずどこかの劇場が感染者を出すと、それとばかりに劇場や、役者の名前を挙げるのはおやめなさい。彼らも同様に被害者ではありませんか。

 握手をしたり、過剰な接触をしたことは役者も間違っていますが、これを針小棒大にマスコミが取り上げると、せっかくの演劇活動が委縮します。そもそも、100人程度の劇場の公演には衛生管理にも限界があります。そこへ出かけるなら、出かける人も、自らが気を付けなければいけません。更にそこで感染したとしても、風邪がうつったことと同じです。大騒ぎする話ではありません。寝ていれば治ります。

 最も危険なことは、演劇を見に行くことではなくて、首都圏の電車に乗ることです。毎回、コロナウイルスの感染者の発表で、百人くらい未確認の感染者が出ますが、どこで感染したかは、マスコミも、政治家も医者もみんなが知っています。答えは電車です。山手線、中央線、京浜東北線、私鉄の各線。これらのラッシュアワーにもまれれば、間違いなく感染者は増えます。

 つまり電車を止めれば、感染者は覿面に減らせます、然し、経済を動かすためにはそれができません。できないなら、出来ないと素直に仰い。小さな芝居小屋で何人感染したなどと言う些末な話で役者をいじめることはおやめなさい。弱い者いじめをして、問題の根源を隠すことはおやめなさい。

 実態は毎日の通勤電車でとんでもない数の感染者を増やしているのです。東京に感染者が集中するのは、東京都民が不摂生な生活をしているからではありません。万やむを得ず山手線に乗らなければならないからです。然し、結果として、その感染者がみんな保菌者となって、むしろコロナウイルスの蔓延を抑えているのです。抑えているから日本人はアメリカほどには感染者も死者も増えないのです。

 こんな手品師でもわかるような話をマスコミも、政治家も、医者も大学教授も平気で焦点をぼかして話をしていてどうしますか。もういい加減コロナウイルスで大騒ぎをすることはおやめなさい。このまま日本人を煽って、日本人を家に閉じ込めてばかりいては、日本の企業が半分以上倒産してしまいます。コロナは所詮風邪だと知って、騒がず見守ることが第一です。

続く