手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

杞憂(きゆう)

 今回の一連のコロナウイルスの騒動は、不思議なことに、反対の意見が全く出て来ません。先日も、「このままで行けば40万人が感染する」というお医者様がいましたが、「いや、そんなことはない、もうそろそろ収束する」。というお医者様が出て来ません。しかし実際私の知るお医者様の中には、「40万人は大げさすぎる、もうすでに収束している」。と言う人もあるのです。

 本来、マスコミやテレビ局なら、いろいろな意見を聞いたうえで視聴者に判断を立てさせるべきものと思いますが、コロナに関する限り情報は常に一つです。誰がこんなことを操作しているのでしょうか。

 起こり得ないことを針小棒大に捉えたり、心配しなくてもいいことを大袈裟に吹聴したりすることを昔から杞憂と言います。これは中国の古い言い伝えから出た言葉で、周の時代に周の近くにある国で、杞(き)と言う国がありました。杞の国の人々は、やがて天がそっくり落ちてくる。とか、地面が地割れを起こし、国を破壊する。と本気で信じていました。こうした天変地異が起きないように、人々は国を挙げて必死に祈っていました。しかし、そんなことは全く起こりません。このことから、実際に起こりもしないことを憂うことを杞憂と言うようになりました。

 40万人のコロナウイルスの感染者が出ると言ったお医者さんに対して、なぜそんなことにはならないと反論するお医者さんが出ないのでしょうか。どう考えてもあり得ない話をなぜ日本人は信じるのですか。杞の国とは紀元前の話です。その時代に起こったことを今の日本は笑えません。同じことをテレビや政治が繰り返しています。

 みんながテレビや政治の言うことを真に受けて、過剰に反応しています。その結果が、数か月後、今の騒動が醒めた時に、町が廃墟になったのを見て、「なんて馬鹿な話に踊らされていたんだ」、と気づき、愕然とするでしょう。

 

 私は初めのころに書きました。「日本列島に住む限り、我々はこの国から逃げ出すことはできないのです。日本列島は、それそっくり日本列島丸と言うクルーズ船と同じことなのです」と。その中でかたくなに、周囲との接触を避けて、孤立して生きることなどできないのです。いくら外との接触を避けようとしても、学校に行く、会社に行く、行く途中に電車に乗る、バスに乗る、パチンコ屋に行く、風俗店で遊ぶ。病院に行く、院内感染をする。自粛などをしても感染を抑えることはできないのです。

 個人個人が感染に気を付けて生きて行く以外ないのです。こういうと、真責任だの、物の本質がわかっていないだのと言う人がいますが、そうでしょうか。

 昨年インフルエンザが流行った時も、数年前ノロウイルスが流行った時も、今以上に感染者が出たにもかかわらず、非常事態宣言は出しませんでしたし、学校を休校することもありませんでした。飲食店を自粛要請することもなく、インフルエンザのはやっているさなかでも宴会や、送別会は休まず行っていたのです。

 こう言えば、ある人は、「それはコロナウイルスの恐ろしさを知らないからだ」。と言いますが、ウイルスの恐ろしさは、コロナも、インフルエンザも、ノロも同じではありませんか。そして、この三つの中でコロナウイルスは最もおとなしいウイルスだと思いますが、違いますか。なぜこんなことで騒ぐのですか。

 人はもっと別の価値観を持って社会に貢献すべきです。このままでは国自体が悪くなる一方です。コロナウイルスは終息します。40万人は杞憂です。不安をあおるような馬鹿な情報は流さないでください。小池都知事はテレビに出てこないでください。都知事のなすべきしごとは感染者の人数を知らせることではないはずです。まったく意味のない情報です。昨年我々は毎日何万人がインフルエンザに罹っているのかを知らなかったのです。知らなくても生きて行けたのです。今も同じです。