手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

東さん最良の日

 昨日は両国の江戸博物館の会議室で、「小野坂東氏の業績研究」と題するフォーラムが13時からあり、そのあと17時から東さんを囲んでのパーティーが両国ビューホテルで催されました。私は両方に参加し、丸半日、東さんをじっくり考えることができました。

 昼からのフォーラムは、東さんの年齢を考えると、高齢者が多いのではないかという先入観で出かけましたが、どうしてどうして、若い人も結構たくさん来ていました。第一部は、ほとんどは東さんのこれまでの活動を述べることに多くの時間を割きました。この間に、聞き役の宮中桂換さんが手持無沙汰だったのはお気の毒でした。

 二部は東さんの昔の写真などが映されました。三部には質問コーナーがありましたが、質問を参加者に書いてもらったのに、ほとんどが読み上げられなかったのは残念でした。二人の未成年と、3人の若手の質問がありましたが、若い人が東さんのどういう点に魅力を感じているのか、もっと詳しく知りたいところでした。

 それでも100人を超える参加者は立派です。全くマジックをしない催しにこれだけマジック愛好家が集まったのは、日本のマジック界の成熟度を表していると思いました。

客席には、ボナ植木さんや。プロの協会の花島皆子会長や、渚晴彦師、アマチュアオーソリティもたくさん参加されていました。こうした、高齢の奇術愛好家と、若手が接触する機会と言うものが、この先にもあるかどうかと考えると、今回の催しは、昭和と令和とをつなぐ最後の接点になるのかもしれないと思いました。

 

 夜のパーティーは、会場をホテルに変えて、会食です。参加者50人程度、小さいですが綺麗な部屋で催されました。私のテーブルは、隣が、マギー司郎さん、ケン正木さん、その先はテンヨーの鈴木さん、加藤さん、菅原さん、向かいは能勢裕里江さん、ユミさん、司会の梅田光男さん、藤城亜砂さん、食事も、飲み物も豊富で、参加者は十分満足だったと思います。後半に飛び入りで、セロさんとルーカスさん、台湾のクロースアップマジシャン、それにハーフムーンのヒデさんがなだれ込むようにやってきて、会場は一気に盛り上がりました。こうしてみると、セロさんの輝きは大きいと思います。何にしても、韓国や、台湾からもお祝いに来るのですから、これも東さんの人徳です。

 東さんのこれまでの活動を、ショウやレクチュアーをするために海外のマジシャンを招いた、と考えるのは短絡な見方です。東さんは呼び屋ではないのです。マジシャンを招いて収入を上げることなどは初めから考えていないのです。

 

 昭和20年代以降、高木重朗氏が海外のマジック教本を和訳し、各専門誌に乗せることで、日本のマジック界は発展してきました。しかし、日本のアマチュアはマジックの種を覚えることと、手品の売り場で道具を買うことがマジック活動だと勘違いするようになります。日本中にできたマジッククラブは、そこに所属していれば、毎月数種類のマジックが習える組織に変わってゆきます。高木氏は決して種仕掛けに偏重して指導を考えていた人ではなかったのですが、多くの奇術愛好家の需要にこたえるようにして、海外のマジックをせっせと提供し続けました。

 東さんはこうした流れを危惧します。種ばかりが普及して、少しも上手に見せられる人が育ちません。当然良いお客様も育って来ません。優れたマジシャンを育て、良いお客様を育てるにはどうしたらよいか。まず良いマジックを日本に持ってこなければいけません。そこから東さんの活動が始まります。

 年間何人も海外からマジシャンを招き、ショウや、レクチュアーをするようになります。それらはすべて自費でした。特に当初はクロースアップマジシャンを多く招きました。クロースアップなら舞台設備も不要ですし、一人出来て、一人で演じますので経費も掛からなかったからでしょう。この活動は日本のマジック界の大きな成果を生みました。まだ海のものとも山のものとも評価の定まらなかったクロースアップに、海外から一流のマジシャンを招いたわけですから、そこから受けた影響は大でした。東さんの活動は、日本のクロースアップの普及を10年早めたと思います。

 やがて東さんは、海外のマジシャンとの人脈を生かして、コンベンションを開催します。しかしさすがに海外ゲストだけでメンバーを埋めるのは費用が掛かりすぎます。国内のマジシャンを使おうかと考えますが、このころまでは東さんは日本のマジシャンをあまり評価していません。技量も洗練度も海外マジシャンとはかなり差があると考えていたのでしょう。

 そうした中、私や、ナポレオンズマギー司郎に目をつけ、何度もゲストとして使ってくれるようになります。必ずしも、この3組が技術力が高く、洗練されていたわけではありません。むしろ奇術の世界でも片隅にいた三組でした。それを、どこか魅力を感じて見出してくれたのでしょう。実際世界大会のゲストに選ばれることは嬉しく、晴れがましい思いでした。

 やがて、クロースアップが普及すると、そこから育ったヒロサカイさんや、前田知洋さんをコンベンションに起用するようになります。この5組がのちに小野坂小学校の生徒になって、マジック界で活躍してゆくようになります。

 質の高いマジックを提供すること、そして、そこから育った見せる力を持ったマジシャンを育てること。東さんの50年はそうした活動に費やされたわけです。

 昨晩は、東さんの功績を認めて集まった仲間に祝福されて、東さんは幸せそうでした。聞けば86歳とのこと。まだまだ無事に活躍していただきたいと思います。この先も幸せでありますよう祈っています。