手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アーノルドファーストさんのこと 3

稽古と事務仕事

 昨日(17日)は朝から鼓の稽古、そのあと前田のテーブルクロス引きの稽古。クロス引きは何とかできるようにはなりましたが、まだ時々失敗します。もう少し確率を上げなければなりません。

 午後からは、文化庁の芸術支援の書類制作です。私も弟子も事務仕事でした。二十代の時はこんな仕事をすることになろうとは予想もしませんでした。何枚もの書類を文字で埋めて行きます。苦しい作業です。およそ芸人には不向きな仕事です。でも、これがあるお陰で、支援金がいただけるのですから有り難いことです。好きなことだけをするのが仕事ではありませんから。

 その支援事業ですが、マジシャンズセッションを東京も大阪も2日間ずつ開催してみようと考えています。公演は、一日だけと言うのはあまりいいショウにはなりません。毎日毎日舞台を踏むことで少しずつ巧くなって行きます。昨日の失敗を翌日手直しするから良くなるのです。先ず手始めに2日回開催することは大切なことです。若手に数日間、連続の舞台を踏ませたい。それが達成できるように、企画を書いています。

 また、来年は、東京と大阪で私のリサイタルを開催してみようと考えています。これまでも随分リサイタルは演じて来ましたが、今年は休んでしまいました、来年こそはやってみます。大きなショウではなくて、ほとんどゲストを呼ばずに、私自身のこれまでのマジックをまとめて、殆ど私だけで演じてみようと思います。55年間の集大成ともいえるような舞台にしようと考えています。

 

アーノルドファーストさんのこと 3

 さて翌年(81年)に、再度ロサンゼルスに行きました。この時は、マジックキャッスルに一週間出演しました。更に、PCAMのコンベンションがロサンゼルスで開催され、そこにゲスト出演しました。驚いたことにPCAMではクロージングショウです。

 この二つのショウに出演するために随分いろいろ舞台を工夫しました。先ず星形のピラミッドを作りました。ピラミッドと言うマジックはアメリカにはありません。このマジックを考えたのは高木重朗先生です。西洋奇術かと思っている人が多いのですが、純粋に高木先生のアイディアです。

 それを私が星形(五角形)に作り替えたのです。それは、星形のほうがお客様に与える印象がはっきりするためにそうしたのです。これはアメリカで演じて大成功でした。小道具をスライハンド的に扱って、プロダクションをすると言う発想がアメリカにはないため、とても珍しがられました。日本ではピラミッドを和服で演じるのは違和感がありますが、アメリカではとてもエキゾチックで喜ばれました。

 それをオープニングに演じ、連理の曲、サムタイ、お終いに6枚ハンカチを演じて、その中から大きな日米の横につながった国旗を出しました。長さ6mあります。とにかく大きな国旗でしたので、出た瞬間にものすごい拍手をもらいました。

 まぁ、何にしても大したマジックではありません。二十代半ばの私の演技はどうと言うものではなかったのです。然し、何しろ和服を着て演じていると言うことと、アメリカでは珍しいし、内容が見たこともないマジックばかりするため、信じられないくらいの拍手が来ました。

 PCAMの大会はトリですので、よほど大きなことをしなければいけないだろうと思い、カーテンコールでは、大幕を出した後一度引っ込んで、大きなスズキのオートバイに乗って出て来て、カーテンコールをしました。こんなことは今では考え付きません。人が喜ぶならどんなことでもしようと思ってしたことでした。

 

 とにかく、どうしたわけか私はロサンゼルスのマジック界では人気者でした。大したマジックをしていないことは私がよく知っています。にもかかわらず人は話題にしてくれました。

 日系人の見るテレビ番組に出演依頼が来ました。キャッスルでは、マックス名人さんと知り合ったのもこの時でしたし、ダイバーノン師が私のサムタイを毎晩マジックキャッスルで見てくれて、絶賛してくれたのもこの時でした。島田晴夫氏とも会いましたし、チャニングポロック氏も見てくれました。

 そしてレクチュアーツアーは、西海岸の大きな町をぐるっとレクチュアーして回りました。セイラム、シアトル、サクラメント、サンフランシスコ、サンホゼ、サンディアゴ、等、合計10か所を回りました。

 今回は販売する小道具も持ってゆきましたし、レクチュアーノートもたくさん作りました。アメリカでは、巨大なコピー機を持った印刷所があって、一枚1セントで何百枚も一瞬にしてコピーをしてくれました、その店でレクチュアーノートを作ると、あっという間に数百部のノートが出来ました。原価はせいぜい20セントで、それを5ドルで販売します。レクチュアー参加費も5ドル、ドル200円ですから、せいぜい1000円です。ノートを買っても2千円、随分安い料金ですが、それでもアメリカでは高い部類だそうです。サンフランシスコなどは、100人近い愛好家が集まりでしたから、ノートは瞬く間に売り切れました。

 お陰で今回は旅費から航空運賃から小遣いまで稼ぎました。アーノルドファーストさんは、ダットサンブルーバードでアメリカ中運転をしてくれて、各会場まで連れて行ってくれます。ガソリン代、宿泊費は私持ちですが、他の収入は全ての費用の25%を支払いました。

 後で知りましたが、今まで日本人のマジシャンをあちこち連れて歩いても、私ほどには収入にならなかったようです。先ず、ステージマジシャンのコンベンションギャラは一回千ドルとか二千ドルですから、クロースアップマジシャンの数倍になります。

 舞台用の小道具も、クロースアップよりも高価ですから、クロースアップマジシャンを連れて歩くよりも何倍も儲かったようです。そうなると、ファーストさんも目の色が変わってきて、

「新太郎さん来年は全米ツアーをしましょう」。と鼻息も荒くなりました。毎晩レクチュアーを終えて、モーテルに戻り、小切手や、現金を数えている時のファーストさんはとても幸せそうでした。まじめで義理堅い人ですから、ごまかしなど一切ありません。毎回朝には計算書と現金を渡してくれます。正直なマネージャーでした。

 そして全てのレクチュアーを終えてロサンゼルスに戻った翌晩、私に、儲けさせてくれたお礼に、中華料理をご馳走してくれました。それが、ロサンゼルスのダウンタウンにある、いかにも場末の中華料理店で、中には浮浪者のような汚いなりをした親父が二、三人、肘をついて焼きそばを食べていました。周りはハエがたかっています。そこで2ドル50セントの定食を頼むと、炒め物と焼きそばとスープが出て来ました。

 以前に高木先生がファーストさんと一緒にレクチュアーをした時の話をしていましたが、最終日に連れて行ってもらった中華料理屋のことを話していました。「二度と行きたくない汚い店だった」。と言っていましたが、多分ここでしょう。

 ファーストさんはいい人です。ここへ連れて行ってくれることは、彼のできるせい一杯の誠意であることはわかります。が、この時、私は人生を間違えてはいないかと疑問を持ちました。続きはまた明日。

続く