手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アーノルドファーストさんのこと 4

明日は玉ひで

 明日(21日)は玉ひでで手妻の公演です。今回で半年続けて来ました。来年も致します。どうぞよろしくお越しください。

 

 先日の猿ヶ京の合宿で、高校生が参加され、この先も私のレッスンを受けたいと言っていました。彼は群馬で暮らしていて、東京に出て来るのは少々大変です。然し、今稽古をすれば、かなり上達することは間違いありません。大切なことは基礎をしっかり勉強することなのです。基礎を繰り返し稽古すると、やがてマジックの稽古が楽しくなってきます。基礎がいい加減だと、稽古をしないで安易な方向に走るようになります。

 つまり買ってきた道具を羅列することで手順を作って、ろくに稽古をしないまま舞台に掛けるようになります。それでうまくはなりません。結局そこから先は大きく発展しません。まず基本です。基本がわかれば自分が何をしなければいけないかがわかります。また、自分が世界のマジックのランクのどこにいるのかもわかります。

 余計なことを考える前にひたすら基礎を学ぶことです。

 

アーノルドファーストさんのこと 4

 ここまでお話しして来て、私は、アーノルドファーストさんの外見やイメージは何も語っていませんでしたので少しお話ししましょう。

 彼は1980年ごろ60歳くらいだったと思います。体はころっと太っていました。背はさほど高くはなかったと思います。私と同じか、少し小さいくらい、170㎝くらいでしょうか。顔はがっちりとしていて、猪首でした。眉が濃く、目は大きく鋭い眼差しでした。鼻がまっすぐで高く、大きな鼻でした。ここまではなかなかいい男ではあります。然し、口ひげを生やしていて、それが少々インチキ臭い顔になっていました。度のきつい眼鏡をかけていて。頭は禿げ上がっていましたが、鬘をつけていました。

 彼はこの鬘をいつも自慢していました。「みんな私が鬘をつけていることに気付かない。これはいい鬘だ」。と言っていました。毎朝、皮膚に直接接着剤で鬘をつけていましたが、夕方になると生え際がはがれて来ました。それでみんなファーストさんが鬘だとわかりました。でも彼は、「誰にも気づかれてはいない」。と言い張りました。

 始めの年に、高木先生に、「今度ファーストさんがレクチュアーのスケジュールを作ってくれて、一緒にツアーをします」。と伝えると、「それはいいけれど、あの人は病的にお金に細かい人ですよ」。と言われました。それがどういう意味なのか初めは分かりませんでしたが、一緒にレクチュアーをしていてだんだんと彼の性格がわかって来ました。

 先ず昼にレストランに入るときでも、4軒5軒のレストランを車で探し、それぞれのプライスを見てから選びます。味で選ぶのでなく、値段で決めます。1ドルでも安い所を探します。結局初めに見た店が安いと知ると、10分20分かけて車を戻し、安いレストランに行きます。どんなに急いでいる時でも、店を数軒探してから入ります。

 そのことはガソリンを入れるのも同じです。1セントでも安いガソリンスタンドを探しあちこち見て回ります。そして最終的に納得のいった店に戻ってガソリンを入れます。私に言わせれば、まず10分20分探すことが時間の無駄だと思いますし、店を探すことで実際乗っている車のガソリンが余計にかかります。1セント2セントの値段の差は差し引きすれば意味がないと思います。

 然し、それは私の論理です。彼の金銭感覚は体に染みついています。安いものを探すことには労力を惜しまないのです。決して自分の生活態度を曲げようとはしません。こうした点、彼は典型的なドイツ人です。自分にとって正しい生き方を見つけた時に、その生活様式を貫き通します。

 ドライブ中に、私が「どこかでコーヒーが飲みたいんだけど」、と言うと、彼は銀行を探して、銀行の待合所の無料コーヒーに私を連れて行きます。「新太郎さん、ここは只です、何杯でも飲めます」。と、大声で言います。「いや、ファーストさん、私はもう少しいい店でゆくっりコーヒーが飲みたいんです」。「ここはいい店ですよ。どうしてここではいけないんですか」。別に銀行には何の用もないのに、銀行のコーヒーを私に勧めます。周囲の目を考えると恥ずかしくなります。

 仕方なく私は一杯、コーヒーを紙カップに入れて持って帰ろうとすると、彼はコーヒーのほかに砂糖と、ミルクを5,6個ポケットに入れて行きます。この砂糖の子袋と、ミルクの小さなカップは、彼の鞄や、自動車の段ボールの中に何百個も入っています。

 それだけではありません。レストランのケチャップの子袋も、マヨネーズの子袋も何百個もしまい込まれています。太陽の光のきついカリフォルニアで、車の中に何か月もケチャップ袋を入れておいたら発酵してしまうでしょう。しかし彼はそんなことはお構いなしです。毎回レストランから何個もケチャップを掴んで持って帰ります。そしてほとんどは使われないまましまい込まれます。つまり病気なのです。

 彼のかばんや、スーツケース、あらゆるところにミルクやケチャップが入っています。ある時せっかく作ったレクチュアーノートにべったりケチャップがくっついて全部無駄になったこともありました。無論、私は怒りました。それでも彼はケチャップの持ち帰りを止めません。それは彼の生活に染みついているのです。

 

 こうして書くと彼はとても付き合いきれない人に思われるでしょう。貧乏臭くて、けちで、頑固で、厚顔無恥で、とても夢や憧れの中で生きる芸人の生き方とは相いれない生活です。むしろ付き合ってはいけない人なのです。

 然し、私はある日、彼の自宅に行きました。そこには彼のお姉さんが同居していました。お姉さんは精神病を患っていて、情緒不安定な様子でした。目は絶えず彼方の方を見ていて、一度も私を見ようとはしませんでした。話もしません。

 彼は若いころからずっとこのお姉さんの生活を支えていたのです。家は小さな古い一軒家でした。どう見ても豊かな生活には見えません。でも、既に人気の陰った芸人が、お姉さんの面倒を見て、なおかつ自身も生きて行かなければならなかったのです。

 私は、アーノルドファストさんを眺めつつ、二度と栄光を掴むことのない、年を取った芸人が、いかに生きて行かなければならないかを学ぶことになりました。それは、今、私が当時のファーストさんの年齢を超えた立場で彼を考えてみると、とても意義深いことです。良くも悪くもファーストさんは私にとって人生の師匠なのです。

続く