手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アーノルドファーストさんのこと 5

 今日(21日)は玉ひで

 今日はこれから人形町に行きます。朝から仕込みをして、午前中にセットを済ませます。手妻は道具立てが小さいので、大した道具はないとお考えの方も多いかと思いますが、どうして、スーツケースで3つ使います。1時間演じると言うことはかなり小道具が必要なのです。蝶だけでも、蝋燭などを使いますのでなかなか大道具です。

 前田は今日はおわんと玉を演じます。「アンパンどれ」のやり方ではない、ベーシックなおわんと玉です。こうしたものでも、何回か人前で演じていないと、手慣れた演技にはなりません。一回一回の舞台チャンスがとても大切なのです。

 

アーノルドファーストさんのこと 5

 81年にマジックキャッスルに出演して、その年のマジックオブザイヤーのビジティングマジシャンに選ばれました。ビジティングマジシャンと言うのは、1年間、マジックキャッスルに出演した海外のマジシャンの中から、良かった人を役員が投票した結果選ばれるもので、私がそれに選ばれたのです。

 私は長いこと付き合っていた女性がいました。今の女房の和子さんです。いつかは結婚しようと思っていましたが、何か大きな成果を上げてからでないと結婚もできないと思っていました。マジックキャッスルから選ばれたのなら、大きな成果です。早速結婚の準備を始めました。結婚式は8月29日に決まりました。

 6月にアメリカに渡り、キャッスルに出演しました。ここでファーストさんに会い、スケジュールの打ち合わせをしました。この時のレクチュアーツアーは2か月に及ぶものでした。目玉は、IBMピッツバーグ大会のゲスト、セントルイスマジックコンベンションのゲスト出演でした。そのため、ロサンゼルスから車で、ラスベガスに行き、チューソン、ソルトレークシティインディアナポリスミネアポリス、ダラス、リトルロックセントルイスクリーブランドピッツバーグまでの約30か所のレクチュアーと舞台出演を作ってくれました。

 キャッスルでは、連日、日系人が大勢来てくれました。口コミで、「新太郎の舞台はいい」、と言う噂が立っていたそうです。ひっきりなしに楽屋を訪れる人が来て、対応に苦労しました、何しろ、一回の舞台が終わると次の出演まで1時間しかありません。セットが複雑で時間がかかるのです。おちおち話もできません。それでも多くのお客様に支持されていると言うのは嬉しいものです。

 この時代のキャッスルはロビーが賑やかでした。ダイバーノンは毎日来ていますし、マックス名人、ラリージェニングス、チャニングポロック、ジョナサンニール、オランダノゲルコッパーも来ていました。この輪の中で話ができることは何とも幸せでした。

 特にダイバーノンがよくしてくれました。私を見つけると、必ずそばに来るように言いました、そして、みんなに私のサムタイを褒めました。バーノンは、子供のころに見た、天一のサムタイ(1904年にボストンで天一の舞台を見ています)。を人生で最も不思議なマジックだったと言いました。そして二度とあのようなサムタイには出会わないだろう、と思っていたようです。それが、私が動きもスタイルもそっくりなサムタイを演じたものですから、みんなに宣伝してくれたのです。お陰で私はロサンゼルスの奇術界で一遍に知られるようになりました。

 

 さて、キャッスルを終えて、ツアーが始まりました。初日が車で山越えをして、ラスベガスです。ラスベガスのレクチュアーは深夜1時から始まります。夜の仕事をしている人が多いため、こういう時間帯になるそうです。深夜ですが、40人以上集まりました。その中に、舞台を終えたジーグフリードが来ていました。驚きです。彼のような大物が、若手のレクチュアーに来ると言うのがすごいと思いました。

 翌日、ジーグフリード&ロイさんに招待されてショウを見に行きました。生のイリュージョンは迫力があって素晴らしいものでした。驚いたことに、カーテンコールで出てきたジーグフリードさんが、花道まで来て、私の前に止まり、私を紹介してくれました。私はこの時も和服を着ていて、立ち上がり、劇場のお客様に挨拶しました。こんなことになるとは考えもしませんでした。

 

 ラスベガスで2日間滞在して、次にフェニックス、チューソンと、かなりローカルな地域を廻りました。この周辺の一般道路に出ると、まるで西部劇の時代の町のように、道の左右に数軒の店が並ぶだけの鄙びた町がたくさんありました。アルバカーキと言う町に移動するのがかなり遠く、丸一日かかったのを記憶しています。

 移動で疲れると、コーヒーでも飲みたくなりますが、ファーストさんは、コーヒーショップなど行かずに、銀行の無料コーヒーを勧めます。少しでも違う雰囲気に浸りたいと思う気持ちが、彼の出費を嫌う考えでことごとくつぶされます。私は、彼が倹約をすることには反対しません。然し、私が使う金に意見するのは間違いだと思います。

 然し、彼は私に自分の考えを押し付けようとします。如何に金を使うことが罪悪なのかを滔々と語ります。酒を飲むのも酒場に行くことを嫌がります。ス―パマーケットでビールを買って、モーテルで冷やして飲めばよいと言います。然し私は、時々街で見かける西部劇で見るような、両開きのドアの酒場などに入ってみたいのです。

 それを彼はあからさまに否定します。どうも、ツアーの初手から私はファーストさんと衝突するようになります。彼が生活を詰めて生きなければならないことは十分理解しています。然し、レクチュアーのない日や、移動の時間は私がしたいようにさせてもらいたいのです。私がショットバーで酒を飲むことも、ちょっと高いレストランに入ることも、それは私の勝手なのです。それを細かく規制するのはやり切れません。

 そこでついに怒鳴り合いが始まります。然し、この場合、ショウをするのは私ですから、すべての権限は私のあります。ファーストさんが引かなければ話が進みません。翌朝、ファストさんは私に謝ります。そして、時間外に私がどこかに飲みに行くことや、事由にレストランを選ぶことを認めます。

 それでも彼の規制は続きます。マジックの大会などに行き、私が珍しいトリックを買おうとすると、「高い、高い(ここだけ日本語を使います)」こんなものを買うのは無駄だと、店の前で文句を言います。私は私が欲しいものを買うのですから、何かを言われる理由はありません。しかし彼は平気で介入してきます。つまり病気なのです。つましく生きることに慣らされて、必要以上の出費は罪悪だと心得ているのです。

 特にコンベンションなどで、知り合いのマジシャンと一緒に飲食をする時などに、彼は、飲み物、食べ物に細かく口出しをしてきます。そこで、私は彼に席を外してくれと言います。仲間がいる手前、あからさまな喧嘩はできません。静かに、席を外してくれと頼みます。これを繰り返すうちに、彼とは決定的に不仲になって行きます。

続く