手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには 7

マジック指導の日

 今日(12日)と明日(13日)は、若手の指導日です。受講者が10人になってしまいましたので、2日に分けることにしました。1年続いている受講者には、手順物や技物を教えています。しっかり覚えたなら一生そのマジックで生きて行けるような作品です。1年学べばそれだけの力が付くわけです。

 特に今年はコロナによって、人の生活が散々に破壊されました。こんな時に、嘆いているばかりでは前に進みません。人が注目する人と言うのは前に進んでいる人のみです。いじけていたり、諦めてしまったり、世間を恨んでばかりいては成功は来ないのです。こんな時こそ、次の時代のために仕込みをしなければいけません。

 

千葉周作

 日本の剣豪と言うと、宮本武蔵塚原卜伝伊藤一刀斎堀部安兵衛、荒木又右衛門、等々大衆小説にはたくさん出て来ます。知人の敵討ちの助っ人をして、相手を36人斬ったなど。様々な武勇伝が面白おかしく語られています。その中で、幕末期に出た千葉周作と言う人はおよそ派手な立ち回りで名を売った人ではなく、何がどう上手かったのか、今となってはよくわかりません。

 司馬遼太郎千葉周作のことを小説に書いていますが、それによると、この人は教えることの上手い人だったようです。幕末の剣術熱は、侍だけでなく、町人にまで及び、護身目的だけでなく、体を作るために学ぶ人も数多くいたのです。つまり当時、ヨーロッパで流行し始めていたスポーツと言う考え方が、日本でも既に生まれていたのです。

 然し、剣術をスポーツと考えるには、当時の指導の仕方はあまりに危険なものでした。竹刀も、防具も、未熟で、どこの道場でも怪我人が絶えず、強いものが弱いものをこっぴどく打ち負かすことで、剣術の厳しさを教えていたために、せっかく学びたいと思っている人たちが修行について行けず、脱落者が続出していたのです。

 千葉周作北辰一刀流を掲げて、東北からやってきました。そして江戸に出て来て、人々の剣術熱に驚きました。と同時に、素早く時代を感じ取りました。激しい稽古で怪我人が続出する旧来のやり方は間違っている。剣を通して体を鍛え、人格を作って行くことが大切だと考えたのです。当時は防具もなく、木刀で戦っていた流派もあったのですが、先ず、竹刀を工夫し、面も胴も、小手も改良して、当っても痛くないよう、怪我をしない防具を作ったのです。

 そして、誰にでも親切に剣術を教えました。少しうまくなると、その人を褒めて、技量を伸ばしてやりました。千葉周作のやり方は、人を倒す方法を教えていた当時からすると、まるで子供の遊びのような稽古でした。しかし結果として、これが剣術の人口を飛躍的に増やしたのです。今、日本の道場の多くが北辰一刀流であるのは、千葉周作発想の転換があったればこそでした。つまり剣術は、剣道となり、スポーツとなったことで生き残ったのです。

 何人人を斬ったかで、門弟の数が違った江戸時代にあって、人を切らずに数千人の門弟を集めた千葉周作の発想は、時代の転換を読むことの大切さを示しています。

 

マジックの普及

 千葉周作の話をしましたが、その話と真逆に、道を読み違えている話をしましょう。どうこの先マジックを教えて行くべきかを考えた時に、例えば、DVDの指導であるとか、ネットでの指導であるとか、これまで少数の人を教えていた指導の仕方に対して、もっとマスを相手にして、多くの人が簡単にマジックが覚えられるようにしたほうがいいのではないかと考える人があります。

 しかし、私は全く逆だと思います。安易に、簡単にマジックが学べることが本当にマジックの発展につながるでしょうか。マジックの世界はあまり簡単にマジックを金に換えてしまったように思います。マジックの小道具がビニール袋に入って、500円、1000円で吊るされて売られている姿を見るにつけ、「あぁ、私が子供の頃に憧れていたマジックこういうものではなかった」。と思います。結局マジックの普及と言いながら、それは種の普及であり、50年かけて、マジック関係者がしてきたことは、タネをタダ同然で販売したり、たいして習いたくもない人たちに無料で教えることだったように思います。つまり芸術芸能としてのマジックが消えてしまったのです。

 

パケットトリック

 私がアメリカでレクチュアーをして回っていた話を以前書きました。このころ、アメリカのクロースアップマジシャンとコンベンションなどでよく一緒になりました。当時彼らはショウとしてはあまり評価されておらず、ショウとレクチュアーをすることで人を集めていました。

 技術的には素晴らしい人がたくさんいて、私も授業料を支払って、クロースアップを習いました。なかなか習得できない難しい技がたくさんありました。私などは、アメリカに行ってクロースアップを見たり習ったりするのは楽しみだったのです。

 然し、ある時期から彼らはパケットマジックを売りだしました。価格も5ドル7ドルと子供でも買える値段です。カードは4枚5枚のトリックカードがビニール袋に入っています。中のカードは両面が表のカードであったり、両面が裏カードであったり、おかしな破片がセロテープで張り付けてあったり、大した道具ではありません。

 技法は、エルムズレイカウントや、ハーマンカウント、グライド、などと言う基本動作でどれもできます。そんなお手軽さがパケットを爆発的に普及させて、やがてアマチュアの持っていたアタッシュケースにはパケット物がびっしり並ぶようになりました。それはかつて昭和の子供が、めんこを紙箱一杯集めていたのと同じでした。

 お陰でクロースアップマジシャンの中には、いい稼ぎをする人が出て来ました。然し、然しです。パケットマジックの普及がクロースアップマジックの地位を引揚げたでしょうか。レトルト食品のごとく、簡単便利にマジックができるようにはなりましたが、それがクロースアップをよくしたでしょうか。私がアメリカのマジシャンを尊敬していたのは、多くの時間をかけて作り上げた精緻な演技だったのです。それがパケットで解決できるなら、あえて見るべきマジックではないのです。

 私は、「あぁ、こんなことをしていたら、クロースアップマジシャンは、もっと、もっと生活が苦しくなるだろうなぁ」。と思いました。確かに、パケットマジックの普及はクロースアップの普及に役立ったと思います。が、同時にアマチュア化に一層拍車をかけたと考えています。それを普及と言うなら普及です。然しその普及は安易さに裏打ちされています。本来のクロースアップとはかけ離れたものです。

 そんなことを思いつつ、今のネットの種明かしマジックを見るにつけ、「マジックはどんどん安易に、価値を下げて行くのだなぁ」。と思いました。それは種の普及であって、マジックの価値を引き上げることにはなっていません。

 私が目指しているのはそこではありません。では何を目指しているのか、その話はまた来週いたします。明日はブログをお休みします。

続く