手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

衆寡敵に勝つ 2

 今日(30日)は朝から鼓の稽古。その後に前田の稽古を見ます。今日は銀行さんが来たり、大阪のチケットの依頼を受けたり、色々と忙しい一日になるでしょう。

 4日の岡山行きは更に一泊して、5日の帰りになりそうです。久しぶりの岡山ですので、知人の市長さんや、企業の社長さんに合って昼、夜、食事をしたりすると、どうも一泊余計に泊まらなければならなくなりました。私を迎え入れてくれる方々がたくさんいることは幸いです。

 

又も悪法がはびこる 

 東京都が、夜遊びをして感染した人や、クラスターを出したレストランや、劇場に罰則を設けようと言う法案を検討しているそうです。馬鹿な人たちです。せっかく景気が回復しつつある中に、またも水を差して、失業者を出そうとしています。

 何がしたいのですか。感染者もクラスターもみな被害者ではないですか。なぜ被害者を悪人に仕立てて、そこから罰金を取ろうとするのですか。それこそ差別であり、悪法ではありませんか。罰金でコロナを守って、本当に効果がありますか。仮に感染者が減少しても、それによって景気が停滞して、失業者を出して、自殺者が増えたなら、国や、地方自治体は国民の生活を守っていることになるのでしょうか。

 どこの企業も銀行から多大な借金をして、すでにいっぱいいっぱいの状態です。こんな時にまたぞろ、外出禁止令を出して、何か効果が出ますか。これでますます人が出歩かなくなるでしょう。

 

 何度も申し上げますが、毎日何百人感染者が出ようとも、殆どの人は治っているのです。それも大した治療薬もないままみんな風邪薬を飲んで、治っているのです。日本の死者はこれまでで1600人です。肺炎や、インフルエンザで亡くなる人よりもはるかに少ない数です。日本で一年間に餅でのどをつまらせて亡くなった人は1500人。それとほぼ同じです。何を恐れるのですか。

 コロナの危険度は、初めは疫病のランクの第2段階、すなわちエボラ出血熱と同等だったものが、今は5段階、普通の風邪に落ちています。それなら普通の風邪です。

 アメリカやイギリスの死者が多いのは、欧米人はそもそも、中国のウイルスに免疫ができていないからです。逆にアジア人は免疫がありますから死者はどこもわずかです。更にアメリカは人種差別によって、賃金の格差がひどく、病院にも行けない人が多数です。入院できても、保険に加入していない人がまた多数です。保険は民間の企業が行っていて、とても高額です。低所得者には加入できません。保険無しで二週間入院した人に3000万円の治療費請求が来たと言います。3000万円では日本人でも払えません。

 白系のアメリカ人と黒人とを比べると、コロナで亡くなった黒人の数は白系の二倍です。結局人種差別がウイルスを増やしているのです。イギリスも、フランスも似たようなものです。日本のようにすべての人を平等に保険に入れてはいないのです。そんな国と日本は比べられません。

 ただ。日本で問題なのは、風評被害です。テレビ局が煽りすぎたせいで、人は出歩かなくなりました。単なる風邪であるにもかかわらず、人は何事も過大に反応します。

 それが無意味であることこを、政府や地方自治体が真剣に訴えて、「煽り」を規制すべきです。そうしないと人は殻に閉じこもって動こうとしません。このままでは経済は死滅してしまいます。だめになってから騒いでも遅いのです。今は経済活動を守りつつ、コロナに立ち向かう時です。

 

衆寡敵に勝つ 2

 これだけクロースアップが世間に認知されたのなら、そこから優れたプロが出て来てもよさそうです。確かに、前田知洋さんや、藤井あきらさんは世間に認知されました。更に一層、世間の芸能人と肩を並べられるようなプロのクロースアップマジシャンが欲しい所です。

 それには、人として魅力のあるプレイヤーの出現が望まれます。マジックをしなくても、一緒にいて楽しい人、その人のそばにいるだけで何か温かいオーラに包まれるような人、そんな人がクロースアップマジックを演じて欲しいのです。

 テレビに出演する時でも、常にマジックを見せることで出演するのではなく、コメントを求められるために出演したり、他の文化を語るときに解説役で出演するような人が出て欲しいのです。私が求める、クロースアップマジシャンと言うのはそんな人です。

 それには、まず、今やっているマジックを芸能として確立させなけらばなりません。不思議さや、現象だけでお客様を引っ張っていては、常にテレビの中では色物なのです。そこから少し客観的に自分を眺めて、芸能として面白く作られているマジックをしなければなりません。

 「カードを引いてください」。「シャッフルしてください」。と言う段取の喋りばかりではなく、ちゃんとした会話が聞きたいのです。その会話が魅力ある物であってほしいのです。それにはまずマジシャン自身がマジックから離れて、自身の魅力で人を引き付けるようでなければいけません。すなわち芸能人でなければいけません。ミュージシャンも、演劇の俳優も、古典芸能の演技者も、そうした人たちが何に苦しみ、そこから何をつかんで来たのかを知らなければいけません。

 いつまでも、マジックの世界の中だけで認められることに満足せずに、コンテストや、アマチュアの評価ばかり気にせずに、本当の芸能人を目指すべきでしょう。そうなって初めて「衆」の中から飛び出て、「寡」の立場を手に入れ、周囲のマジシャンを超えて見せることになるのではないかと思います。

衆寡敵に勝つ終わり