手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

衆寡敵に勝つ

 昨日は10月3日の大阪公演の稽古、その後、荷物を作って大阪に送りました。

 今日(29日)は、10月2日の大阪の指導のために道具と、3日の楽屋の道具を、一つのスーツケースにまとめようと思います。

 その、3日の大阪公演の後、翌日4日に岡山に行って、長らく私を支援してくれている社長さんにお会いして、社長さんの持っている松茸山に行って、松茸を取ってこようと思います。松茸は、山の中腹の、湿度があって水はけのよい傾斜地によく育ちます。この傾斜の山を這うように歩いて松茸を見つけるのはかなりの労働です。私のように日頃歩かないものにはまたとない機会です。一日岡山で遊んで、翌日東京に戻ります。気分転換には最高の遊びです。

 ZAZAもこれで4回目の使用ですので、勝手も分かっています。何とかこの催しが春、秋と出来たらいいと思いますが、現実には、このコロナ騒動で、今回は開催さえも困難でした。お客様もお声がけしてもなかなかお越し願えません。全く話は振り出しです。もう少し安定したマジックファンを作らなければいけません。と、苦労を語っても始まりません。何があっても続けて行く以外ないのです。

 

 衆寡敵に勝つ

人生の成功は少数の側に立つことと申し上げましたが、実際、私のように手妻を演じている者にとって、存在そのものがコアなわけで、20代の頃は、およそこの先、手妻に人の注目が集まる時代が来るとは考えてもいませんでした。私自身は、「これは面白い芸能だから、何とか残したい」。とは思っていましたが、どれほどやっても少数の理解者のための芸能に終わるだろうと考えていました。

 それが手妻や、水芸でお名指しで仕事が来るようになったのは平成以降、30代になってからでした。成功の理由は、一つは水芸を手に入れて、手妻の看板芸が揃ったこと。もう一つは私自身が手妻をどう演じたら、他のマジックとの違いを強調できるのか、と模索し続けた結果、その演じ方、スタイルを確立できたことです。

 昔ながらに口上を言ってのんびり演じることは今の時代は許されません。昔の味わいを残しつつもスピードアップを図らなければいけません。あくまで観客は現代人なのですから。

 手順そのものも、一つ演じては頭を下げていては今の観客は飽きてしまいます。いくつかの作品を有機的につなげ併せて、不思議を凝縮して見せなければなりません。5分の手順なら、その中に起承転結を作って、起伏を持たせないと、余りにあっさりとした演技では今の観客は面白いとは感じないのです。

 こうして改良を加えつつ、出来上がった作品は、全く私が手を加えていないように、二百年も昔からその演じ方でやっていたかのように見えるものに作り変えました。これはある意味当然のことだと思います。

 三百年続く老舗料理屋さんでも、全く昔のままではないはずです。そもそも冷蔵庫を使わないお店はないでしょうし。火力も薪だけで煮炊きすることもないでしょう。料理のアレンジも相当変えているはずです。そうしなければ今に伝統を残すことはできないのです。

 そうしたアレンジや、工夫を加味して、今に通じる演技に仕上げたころに、偶然にも世の中が手妻に着目してくれた。このチャンスこそが大きかったのだと思います。

 しかし今になって思えば、それは偶然ではなく、私のして来た活動が少しずつ理解あるお客様に浸透していった結果なのだと思います。

 少数の立場でいることは、苦しく、つらい日々ですが、そうした中にも、確実に理解者がいて、私のしていることを評価しているお客様がいるものです。初めは静かに愛好家が増えて来ますが、ある時突然、多くの人に認知されます。その時にこなしきれないくらいの仕事が来るようになります。平成元(1989)年はそうした時代でした。

 この時、多くのマジシャンには、「何であんな古い芸が注目されるのだろう」。と意外に思ったことでしょう。しかしそこには理由があるのです。多くのマジシャンはあまりに多くの人が同じことをし過ぎていたのです。そして、自分のしているマジックの古さに気づいていないのです。その古さを改めることなく、これがマジックなんだと、当然のように仕事先に押し付けて演じていたのです。

 衣装も燕尾服や、タキシード着ています。その多くは黒です。5人マジシャンが出たなら、4人までが黒衣装です。彼らは「衆」の中に自分がまぎれていることに気付いていません。むしろ「衆」の中にいることで安心感すら感じています。

 若いのに、ステッキを持って出て来ます。ステッキをアクセサリーにして持って歩いている人はいくら昭和でももういません。鳩が出て、カードが出て、お終いに夫婦で剣刺しをする。そこに何の疑問も感じてはいません。マジックとはこうしたもの。と言う固定観念の中で、確立されたマジシャン像を模倣することで多くのマジシャンが生きていたのです。

 それが、クロースアップマジシャンが出てきたり、超能力者が出てきたり、手妻師が出て来たりすることで、一気にマジシャンのスタイルが崩れたのです。

 つまり、平成以降で稼ぎまくったマジシャンは、従来のマジシャンではなく、マジシャンらしくないマジシャンたちが大当たりしたのです。それは、「寡」が「衆」に勝ったことなのです。

 

 しかしここでよく考えなければいけません。新しいスタイルを作り上げたクロースアップの世界も、既に30年も経って眺めてみると、ある種の型が定着して、そこから抜け出せなくなっています。例えば、クロースアップマジシャンは、不思議を作り出すために必ずカードを出します。そのルールにお客様は少し疲れて来ています。

 そのカードの技法も、多くはお客様に気付かれています。ある時、私は客席に座っていて、全くの素人さんが、アンビシャスカードの全ての技法を事細かに推測していたのを聞いたことがあります。そしてそれはことごとく正解だったのです。

 このお客様がなぜ素人だと言うことがわかったかと言うなら、全く技法の名前を知らなかったのです。ダブルリフトすら、「何枚かのカードを重ねて持っているんだろう」。等と言っているのですから、素人です。然し、その回答は全て正解でした。

 こうしたお客様を相手にこの先もカードを見せるとなると、「この先クロースアップも大変だな」。と、他人事ながら同情してしまいます。まだクロースアップ自体を見慣れていなかった平成初年の時代のお客様は素直でした。然し、この先はどうでしょう。

 にもかかわらず、「衆」の中に紛れて、カードとコインで生きて行くことに疑いを持たないマジシャンは、平成初年の、鳩を出したり、トランプを出して、お終いに夫婦で剣刺し箱をしていたステージマジシャンとどう違いますか。

 無論、この先クロースアップがなくなるわけではありません。然し、クロースアップの優位性は薄れています。その中で、生き残る解決策はなんですか、「お客様にわからない種を見つけること」。なのでしょうか。あなたが「衆」に紛れて活動いること。そこに根本があるのではないですか。あなたが「衆」から離れて成功するためには何をすべきでしょうか。そのことはまた明日お話しします。

衆寡敵に勝つ続く