手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ヒュウガ&ザッキー

 今日(10月1日)は、月に一回の糖尿病の検査日です。午前中はほぼ検査で終わり、午後に日本舞踊の稽古に行きます。糖尿病はこのところ数値も安定していますので、大きな心配はありません。

 かつては毎晩、酒を飲んでいたのですが、今は家で酒は飲まず、たまに外に出た時にハイボール3杯ほど飲んで止めます。実におとなしい酒です。50歳で糖尿病と分かった時に、このままでは命が危ないと言われました。

 その時、私は今の家のローンがあと15年分残っていました。ローンを娘や女房に背負わせてはいけないと思い、その時から酒をやめました。やめたと言っても家で飲まないと言うことで、週に一回くらいは外で飲みます。それを15年間続けました。そして去年30年のローンを払い終えました。これで一安心です。

 さて、これで心置きなく酒が飲めると思いましたが、もう家での飲酒はやめました。時々飲みに行く程度で満足できるようになったのです。随分欲のない人間になったものだと思います。でもまぁ、これでちょうどいいのでしょう。明日は大阪に行きます。明後日はZAZAでの公演です。終演後久しぶりにみんなで飲めます。楽しみです。

 

ヒュウガ&ザッキー

 この一年半、急激にヒュウガさんとザッキーさんとの付き合いが始まり、毎月会っています。日向さんと言うのは東大マジック研究会にいて、卒業後、プロマジシャンになりました。以前から何度か接触があって、日向さんがSAMのマジックコンテストに出た時に、私が審査員をしたりする関係でした。

 彼が大学を卒業した後、しばらく縁がなかったのですが、ある時、彼が自主公演をしているのを知り、それを見に行きました。100人入るかどうかと言う小さな会場でしたが、満席でした。観客席にマリックさんが来ていました。芝居仕立てのマジックショウでした。しっかり観客の心をつかもうと努力をしています。これだけのショウを構成し、自ら出演する才能には感心しました。

 

 私は、前々から、私の知る東京大学のマジシャンは、芸能人に向いていないのではないかと思っていました。人を型に押し付けてみるのはいいことではありませんが、どうも私の知る東大生は、人や社会となかなかかみ合っていない人が多いように見受けられました。自己主張は強くても、相手がどう考えているかを理解していない人が多いように思います。こうあるべきだと主張しても、そうならないときはどうするのか、そこを修正する柔軟さに欠けた人が多いのではないかと思っていたのです。

 そんな人がプロになって、舞台に上がって、自己主張ばかりして、全くお客様が見えないような状況では、プロとしては生きては行けません。芸能とは、ぐちゃぐちゃした矛盾した世界ですから、万事理屈の通りには進みません。ましてやお客様の機嫌を取って、相手を喜ばせて生活してゆくなんていう生き方が、そもそも彼らにできるだろうかと思っていたのです。

 そんな東大生のマジック愛好家の中では唯一、菰原裕(こもはらゆう)さんは、愛想のいい、人の気持ちのわかる珍しい東大生だと思いました。彼には何度か舞台を依頼しました。そしてもう一人が、日向大祐(ひゅうがだいすけ)さんです。

 そもそもは、日向さんが昨年春に私の所に訪ねて来て、「自主公演を10年続けて、それなりの成果を見たのですが、この先どうしたらいいのか」。と相談を受けました。私は、日向さんが、自主公演を10年間続けてきたことに先ず注目しました。こういう東大生と言うのはいません。東大どころか観客から作って行くと言う発想を持ったマジシャンが日本にいないのです。

 彼の活動は、私が23歳の時から今まで60公演以上リサイタルをしてきたことと相通じるところがあります。私は、彼に興味を持ちました。そこで「文化庁の芸術祭に参加して見てはどうか」。と話し、芸術祭の資料や申し込み方法を伝えました。当人は芸術祭参加に意欲を燃やしていましたが、結局、参加には至りませんでした。

 その後、何度か会ううちにザッキー(神崎=こうざき)さんを連れて来ました。ザッキーさんも10年前から知っています。JCMAのコンテストで、ザッキーさんがコンビで出ていました。私はそれを審査したのですが、私はかなり高得点を入れました。

 この時、彼のキャラクターに興味を持ちました。その後ザッキーさんとは何度か会い、私の横浜にぎわい座での公演でステージハンドを手伝ってもらいました。それ以降、彼が就職したため、縁は途絶えました。久しぶりの再会です。

 いろいろ話すうちに、彼はプロになりたいと言います。すぐにも会社を辞めてプロになると言うのです。私は、仲間の岐阜の辻井さんから、彼の評判を聞いています。峯村さんからも聞いています。評判は上々です。そうなら、プロになることを進めるべきかもしれません。然し、彼の話を聞いているうちに少し不安を感じました。

 彼がどこを仕事場にして生きて行こうとしているのかが曖昧だったのです。そこで、「会社を辞める前に、まず半年後位に自主公演をしてみてはどうか」。と話しました。30人程度でも人を集めて、クロースアップから、サロンから、とにかく1時間のショウを演じてみて、そこでアンケートを取って、お客様がどんな反応をしたかを確かめてそれからプロの道を考えてはどうかと言いました。

 すると彼は前向きに公演を考えるようになりました。プランを考えるうちに、ザッキーさんは、自分の持ちネタが少ないことに気付きます。1時間お客様が納得する内容で演技をまとめることが難しいと、気が付いたのです。

 そこで、私は支援する意味で、「1年間基礎指導をするから毎月習いに来なさい」。と言いました。そこに、日向さん、古林一誠さん、などが集まり、毎月一度基礎指導が始まりました。私が弟子に対して行う。ロープや、シルクの指導です。

 こうした稽古はプロ活動をしている人はついつい舐めてかかるのですが、実はとても大切なものなのです。基本がわからないから、応用が思いつかないのです。白い紙をテーブルに置いて、何か新しいアイディアはないかと1年悩んでいても、紙は白紙のままです。オリジナルはほぼ不可能なのです。アレンジこそ自分の手順を生かせるのです。そのためには基礎を積まなければ何も生まれないのです。

 こうして、今日、指導をして、1年が経ちました。実は、2回コロナで休んだ月がありましたから、その分追加して年内いっぱい指導します。途中、私が自主公演している玉ひでの舞台に毎月出てもらっています。多少なりとも観客の反応が理解できて勉強になっていると思います。

 この、基礎指導はだんだん人が増えて、今は8人の集まりになっています。8人が講習後、ディスカッションしながらマジックを考える集会は、実にアカデミックで面白いものです。一人でどうしようか悩んでいも、答えは出ません。人と交わりつつマジックを考えたほうがはるかに有効です。さて、ザッキーさんは自主公演ができるでしょうか。日向さんはこの先自身のなすべき道が見つかるでしょうか。道は遠いとは思いますが、長い目で見て期待しています。

ヒュウガ&ザッキー終わり