手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

アーノルドファーストさんのこと 7

アーノルドファーストさんのこと 7

 アメリカでレクチュアーをする時には、日本のように、各会員にロープやシルクを持たせて、詳しく指導すると言うことはしません。こうしたやり方は個人レッスンのやり方であって、一回5ドルの指導と言うものは簡単に教えるだけで大雑把なものです。

 むしろ、地方都市のアマチュアは、私の演技をしっかり見たがります。なかなかうまいマジシャンが地方に来ることはありませんので、しっかりと手順物を見せるととても喜ばれます。特に、レクチュアーはステージ物を教えるマジシャンはごく少数で、殆どがクロースアップです。そうした中でステージマジックの指導となると、かなりたくさんの人が集まります。

 多くのアメリカの地方都市のアマチュアは、サロンマジックやステージマジックを演じてセミプロ活動をしています。然し、そのステージマジックの内容が雑なものが多いのです。つまり既製品の道具をただつなぎ合わせただけの物を演じています。カードやシルクや、ロープで3分、5分の演技を作るなどと言うことはしていないのです。

 レクチュアー指導は、いろいろの素材を教えるのは勿論ですが、その後で、個人指導を希望する人を探して、例えば、シルクを数枚買ってもらって、徹底的にシルクの基本を教えたりすると喜ばれます。

 6枚ハンカチなどはアメリカ人なら誰でも知っているかと思うと、知らないのです。なぜなら彼らはフォールスノットが出来ないのです。簡単な、片方に寄りかかって結ぶ方法でも知っているならまだましです。本当のフォールスノットと言うものを知りません。それ一つを時間かけて教えるだけでも指導が成り立ちます。

 特にピラミッドや蒸籠などからシルクを出す際に、アメリカのアマチュアの持っているシルクは、ナイロンとシルクの交織シルクですので、小さく畳んでもとてもかさみます。日本の60センチシルクを見せて、畳んで見せるとびっくりして、すぐに「それを売ってくれ」。となります。シルクの質が根本的に違います。シルクは並べていただけでは売れません。いくつかの技法を見せて、「これを教えてあげますからシルク3枚を買ってください」。と言うと、すぐに10人くらいは買ってくれます。1枚1000円のシルクが3枚で3千円、10人で3万円です。通常のレクチュアーのほかに3万円の収入になります。日本でシルクを千枚も仕入れて、指導して廻れば簡単に大きな収入が作れます。

 このことは79年にヨーロッパに行った時も同じでした。ヨーロッパもシルクが高価で、出回っているシルクは交織シルクですので、ゴワゴワしています。ステージマジックに飢えているセミプロを探して、シルクの個人指導をすれば、十分に稼げます。

 

 さて、指導はどこでも好評で、小道具やシルクがよく売れました。しかしこうして、アメリカを西部から中部、そして東部と指導してゆくうちにアメリカのマジッククラブのレベルと言うものが見えて来ました。

 SAMや、IBMの役員で、プロと言って活動している人たちのほとんどは、地方のセミプロで、お誕生日に家まで出かけて行って、100ドル200ドルで、1時間のショウを見せるような人たちです。すなわちバースデイマジシャンで、いわゆるパートマジシャンです。彼らが技量を身につけて、ラスベガスや、ニューヨークでマジックショウをする、と言うことはまず不可能です。つまりフルタイムマジシャンにはなれないのです。

 私が地方都市に行って、指導をしていると、私に「どんなところでマジックをしているのか」、「本当の職業は何か」、とよく聞かれました。「毎日劇場に出てマジックをしている」。と言えば、「それじゃぁ、フルタイムマジシャンじゃぁないか」、と言って驚き、物すごい尊敬の目で見られます。

 

 こうしたアメリカの地方都市で指導するうちに、私は、「ここは私の来るところではないのではないか」。と思うようになりました。当時、クロースアップマジックは仕事に恵まれていませんでしたから、多くのクロースアップマジヤンは生活のために地方都市でレクチュアーをして廻っていました。その指導に値段も、ステージ指導よりもずっと安価な値段でやっていました。その点ではステージマジックは恵まれていました。

 一方、アーノルドファーストさんは実に誠実に仕事をしてくれますし、顔の広い人ですから、あちこちの仲間を知っています。まったく彼のお陰で2か月の指導旅行は成り立っていました。

 然し、然しです。来年もこれをすべきか、当初、再来年にはヨーロッパに行こうかと考えていましたが、本当に、ヨーロッパで指導をすべきか、と考えると、私は大きな間違いを犯していることに気付きました。つまり年を取ったマジシャンとアメリカの地方都市を回って、小道具を売って小銭を稼いでいては、将来がないと気付いたのです。

 無論、所々で大きなコンベンションに出演はします。それはいいとしても、それならそこだけやればいいことで、レクチュアーツアーなどしていては、気付いたときには自分が年寄りになってしまいます。

 実は、この年、結婚をするにあたって、中古のマンションを購入しました。それは、私の両親の家に、和子さんを連れて来ると、母親と和子さんとはどうもしっくりいかないのです。このまま同居していては大げんかになるな、と判断して、無理してマンションを買いました。ローンだけでも毎月9万円です。

 それを稼ぐためにキャバレーに出演していましたが、このキャバレーと言うものが、あまりいい環境の仕事場ではなかったのです。生バンドで演奏してもらって、毎日2回ショウをして、黙っていても20日間くらいの仕事が来ます。一本1万5千円、1か月30万円です。当時の大学出の収入が6万円くらいですから、破格にいい収入です。

 然し、やりたくないのです。キャバレーはお客様からショウチャージを取るためだけにショウを入れています。内容なんて全く問われないのです。演技を工夫してもギャラは上がりません。私は女性アシスタントを使って大きな仕事をして行きたいと考えていましたが、一人で出て1万5千円が、二人で出ると2万円くらいしか貰えません。女性には一日1万円支払いますので、実質人を使うと収入がダウンします。大道具を運んで、女性の衣装まで作って、収入ダウンです。この先結婚を控え、ローンの負担も考えると、どうして生きて行ったらいいものか、悩んでしまいます。

 そこで、出した結論は、「結局底辺で生活しようとしているからいい仕事にありつけないんだ」。と気づいたのです。キャバレーに出続けていても、それ以上の者にはなれません。アメリカも、ショウをして地方都市で指導をして回っている、と言うのは一見いい仕事に見えますが、地方のアマチュアを当てにして活動していては2年もすれば飽きられます。今はうまく行っていますが、こんなものは地位でも実力でもありません。「自分が怠けているからこんな仕事しか回ってこないんだ。自分がもっと高い位置に立とうとする志がないから生活が良くならないんだ」。

 そう結論に至って、私は、アメリカ行きも、日本でキャバレーに出演することもやめようと決断したのです。27歳の時でした。

続く