手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジッククラブ

 常々、アマチュアマジシャンのことを思うにつけ、日本のマジッククラブと言うものが根本的に間違った組織なのではないかと思っています。一時、昭和30年代、40年代に、どこの町にもマジッククラブが生まれ、マジックを覚えることがブームになった時代がありました。

 私はちょうどその時代に育ったものですから、全く知識のないころは、マジッククラブは魅力的でしたし、その後、高木重朗先生などと接するようになると、アマチュアのマジッククラブを4つも5つも掛け持ちして指導している姿を見るにつけ、才能ある人と言うのは、こうして人からもてはやされるのかと思い、うらやましくさえ思いました。

 それが私が20代半ばから指導をするようになり、また、海外に出てショウをしたり、海外のマジッククラブで指導をするようになると、海外のマジッククラブのあり方と比較して、日本のマジッククラブは一種異様な団体に思えるようになりました。

 

 まず海外との比較ですが、アメリカのマジッククラブは、多くはSAMとIBMと言う二大マジック組織とつながっていて、そこから季刊誌を取って購読しています。クラブによっては、SAMとIBMの両方に所属しているクラブもあり。所属会員は、両方加入したり、片方であったり、全く所属していなかったり、まちまちです。

 クラブは月に1回または2回の会合を持ち、会費はその会合の参加費のために徴収します。会合は、町のレストランで昼過ぎに行い、人のいなくなったレストランで、夕方の食事時間までの間、店を借りて例会を開きます。

 店は、ほとんど場所代はとらず、店内に据え付けてあるコーヒーマシンの使用料、1ドルから3ドルくらいを人数分支払うだけで場所を提供しています。

 例会の内容は、特別なものはなく、集まって雑談をすることが目的です。中には自分の考えたマジックを見せる人もありますし、画像を見せ合う人もあります。特別に何かを教えると言うことはありません。

 

 アメリカには、地方都市を回ってレクチュアーを開くマジシャンがいます。多くはクロースアップマジシャンです。彼らから連絡が来ると、適当な日にちを決めて、会員に声がけをしてレクチュアーをします。レクチュアー料は、マジシャンが指定する料金プラス会場費です。会員の集まりが悪かったり、マジシャン自身の評判が悪くて、参加者が少ないとなると、流会する場合もあります。つまり、レクチュアーには、マジッククラブは一切関与しません。人と場所を提供するだけです。無論情報の少ない地方の町では、多少なりとも名のあるマジシャンが来てくれることは大歓迎です。

 クラブの中には世話役のような人はいますが、彼らの仕事は中央のマジシャンとの連絡をすることが主な仕事です。彼らはかつて会長を務めた人ですが、会長ではありません。会長は大概、1年か2年で交代します。そのため、20代の会長などが中心になっているクラブもあります。

 そして、会長がクラブの中で指導をすることはありません。クラブの中には、古くからマジックをしている会員もおり、その人が、自宅でマジック指導をしている場合があります。多くの会員は、基礎的なマジックを習う時は、その指導家を訪ね、料金を支払ってマジックを習います。

 アメリカの底堅いマジックの歴史は、こうした、個人指導が確立され、彼らが初心者に、マジックの指導と、人と付き合うためのマナー、プロに接するときの付き合い方、などを教えています。仮に受講者がネットなどで種明かしをした場合、まずクラブから除名され、個人指導の指導家からも指導が受けられなくなります。勿論、クラブに所属しなくても、ネットでマジックを覚えることはできますが、地域社会との結びつきを大切にしない人は、その地域からは排除されます。案外アメリカは保守的なのです。

 

 地方都市にもプロマジシャンがいます。彼らは、お誕生日に子供たちの家に行って、マジックや曲芸を見せる人たちで、日頃は勤め人をしていたり、雑貨屋をしていたり、多くはほかの仕事を持っています。地方の新聞の三行広告に毎週、「パーティーの依頼引きうけます」。という広告を載せていて、そこに電話番号が書かれています。

 子供の親はマジシャンに電話をして、日にちを決めて、誕生パーティーにマジシャンを招きます。ショウは1時間程度。ほとんどは土曜日、日曜日の昼にパーティーをしますので、マジシャンは朝から一日に3件も4件もパーティーに出演します。私が聞いたとき(40年前)は、1回100ドルから150ドルと言うギャラでした。今ならもっと高いでしょう。いずれにしましても、他に仕事があっての副収入ですからいいギャラです。この人たちをアメリカではパートマジシャンと言います。

 マジッククラブの会員の中には、このお誕生日マジシャンになりたい人もかなりいて、緩(ゆる)い師弟関係も見えました。実際、IBMやSAMの組織を動かしているプロマジシャンと称する人たちは、実際にはお誕生日マジシャン、すなわちパートマジシャンで。ラスベガスや、ブロードウェイに出演する、フルタイムマジシャンが組織の役員になることはほとんどありません。

 

 海外と日本国内のマジッククラブを比較すると、日本のクラブは混沌としています。まず相変わらず例会はマジック指導が中心です。全員にシルクやロープを持って来させて、全員が同じマジックを覚えます。クラブに所属していると、毎回2つ3つのマジックが習えます。指導と受講は一方的で、全くマジック教室です。

 教えるほうも、クラブ内の役員が専属で指導をしています。中には会長が指導しているところもあります、その会長が30年も会長を続けているところもあります。クラブによっては教材も会長がそろえ、会長はその教材の売り上げが収入になっているところもあります。こうなるとマジッククラブは、会長個人のマジック教室です。

 例会が会長の収入源となると、会長は外部からレクチュアーを依頼しなくなります。依頼すれば講習料と教材費を失うからです。中には、「コンベンションに行ってはいけない」。「許可なくネットでマジックを買ってはいけない」。などと言う会長ももいます。まったく会の私物化です。

 勿論、会員も初めの頃は何も知りませんから、会長の言うことを聞いてマジックを習っていますが、少し周囲の情報がわかればもう会長の言うことは聞きません。どんどん外に出て、コンベンションなり、コンテストに参加します。すると、会員と会長との関係が悪くなります。そこで、何人かの仲間と打ち合わせをして会から脱会します。

 日本の地方都市で同じ市や町にに複数マジッククラブが存在するのは、多くは今述べた理由で、会が分裂した結果です。多くは互いがいがみ合っています。

 

 何が問題なのでしょうか。私の見るところ、マジッククラブ自体が、種仕掛けの結びつきでしかないと言うところが大きな問題です。マジックラブとは社交の場です。マジックを売ることも、教えることも、あくまで副次的なもので、商品販売する場所ではありません。ましてや利益が個人のものとなっては、民主的な組織ですらありません。

 実際、会長が、会員に名前を出して、家元制度を敷いているところすらあります。私の一門は家元制度をしていますが、これは手妻を継承発展させるためのものです。市役所が主宰するマジック教室に参加したら、いつの間にか、一門の末席に組み込まれていた言うのは、明らかな間違いです。家元制度を作りたいなら、初めからマジッククラブから離れることです。趣旨が違います。そんな組織に若い人は入ってきません。

 「最近若い会員が集まらない。なんでだろう」。と、クラブで30年も会長を続けている人が言います。なぜ人が集まらないかはあなたがそこにいるからです。あなたが会長を譲らず、教材費を独り占めにし、家元制度を敷いているから人が集まらないのです。このクラブは既にクラブですらないのです。

次回は日本のマジッククラブの細かな内容をお話しします。