手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミスターマジシャン待望論

 昨日(17日)は、玉ひでの舞台でした。これで5回公演しました。お客様も定着して来ましたし、演者の方も、演技慣れして来て、ある種のスタイルが出来て来ました。早稲田さんはスライハンドを熱心に稽古しています。ザッキーさんはトークマジックを掘り下げて考えています。日向さんはシルクマジックをまとめ上げようと熱心に稽古しています。前田は手妻を一つ一つ演じています。

 今は不慣れでも食い足りなくてもいいのです。こうした場があって、毎月舞台が踏めると言うことが大切なのです。若いうちは思い通りに行かない舞台を繰り返して、そこで悩むことが大切です。簡単に出来上がった芸は、簡単に消えて行くものです。じっくり基礎から学んだものは一生の宝になります。今は基礎を作る時期なのです。

 もう少し彼らがいい手順を作ったなら、大阪のセッションに出演させてあげようと考えています。また逆に、大阪のメンバーを東京のマジックセッションに出演させようと考えています。互いが交流して出演の場所を増やせば、若い人の活動の場を増やすことが出来ます。それこそが彼らの技量を伸ばす近道だと思います。

 前田はまだ24歳ですが、大阪の国立文楽劇場や銀座博品館劇場にたびたび出演しています。始めは文楽劇場の800人の観客を前にして、がちがちに緊張していましたが、二度目に出た時にはもうリラックスして演じています。文楽劇場を経験すれば、次に博品館に出ても少しも臆することがありません。若い者の順応性はこんなことで簡単に人を強くします。若い者にはなるべく早く、大舞台、観客に求められている舞台を提供することが人を育てる近道なのです。

 それには日ごろしっかりと基礎を学び、その基礎を土台として手順作りをしておかなければ大舞台は踏めません。売り物の道具で手順をつなげたり、自分勝手な、変なオリジナル手順を作って、得意になっていては永久にチャンスは来ないのです。

 

 

ミスターマジシャン待望論

 私が、東京大阪でマジシャンズセッションの舞台を続けている理由はただ一つ、誰もが認めるプロマジシャンが欲しいからです。一般の客様が見ても、マジック関係者が見ても、「この人はプロだ。日本を代表するマジシャンだ」。と、みんなが認めるマジシャンが欲しいのです。

 今の日本の奇術界を見ると、上手い人はたくさんいますし、いいアイディアを持った人もたくさんいます。然しその演技と内容を総合的に見て、この人が日本を代表するマジシャンだと言う人が見当たらないのです。

 

 イリュ―ジョンのカテゴリーには、メイガスさんや、原大樹さん、田中大貴さんなど何人か優れたマジシャンが活躍しています。彼らはアマチュアだけを相手にしているわけではありませんし、実際に多くの仕事を持っていて、一般客を相手に活躍しています。マジックのジャンルの中では、唯一と言っていいくらい、一般観客とつながった活動をしている人たちです。

 そうならこの人たちが日本のミスターマジシャンであると、申し上げたいところですが、私は少し躊躇します。皆さん優れた人です。いい人です。稼いでいます。然し、カリスマ性はと見ると、どうでしょうか。仲間のことですのでこれ以上は書きません。

 

 スライハンドはどうですか、今の時代にスライハンドマジックで一般の観客に認知されることは難しいと思います。然し、だからと言って、マジック愛好家の中に埋没して、コンベンションの中にばかり入り浸っていても仕事の数は増えないはずです。そこから抜け出て、一般客が本気になって追いかけたくなるスライハンドマジシャンの姿を、演じて見せない限り、大きな成功はないはずです。さて、そうなら誰かミスターマジシャンと、讃えられるスライハンドマジシャンがいますか?。

 

 トークマジシャンはどうですか?。かつてのアダチ龍光、ゼンジ―北京、ダーク大和、マギー司郎と続いた、日本のトークマジシャンの世界で、それを超えた、独自の世界を作り上げている人が今いますか。なんとなく喋りが達者で、器用にこなして、小ネタのマジックを演じている人はたくさんいても、そこに話術を感じて、他のジャンルの人、例えば漫才さんや、噺家さんが押し掛けて来て、マジシャンのトークを勉強したがるような独自の世界を作り上げている人をなかなか見ません。どなたかご存知の方がいらしたら、教えていただけませんか。

 

 クロースアップマジシャンは如何です?。巧い人はたくさんいますが、どうもアマチュア臭さが抜けない人が多いように思えます。あまりに近所の仲間の目を気にしすぎていて、狭い世界に埋没しているように思います。周りの人がいいの悪いのと言っても、この道で生きて行くには何にも関係ないはずです。なぜなら、近所の仲間が仕事をくれるわけではないからです。

 中には自分の世界に埋没して、観客の存在を無視している人もいます。観客が見えなければ仕事は来ません。プロと言うのは、観客を楽しませるから仕事が来るのであって、自分の楽しみでマジックをしている限りそれは素人です。そうした人たちが、コンベンションの評価だけを当てにして、その世界でしかマジックを考えていないのではプロは育ちません。

 

 なぜ日本のマジック界はこんなことになってしまったのでしょうか。それは各ジャンルに基準となるプロマジシャンが少ないからです。「マジックとはこう演じるべき」、「マジシャンとはこう生きるべき」、と、言う手本を示せるマジシャンが少ないのです。そして、自分の演技でちゃんと生活して見せられるマジシャンが少ないのです。それ故に、多くの若手が自分が生きるために何をしてよいかがわからず、右に左にうろうろしなければならないのです。

 プロマジシャンとして生きて行きたいなら、物を売ったり、レクチュアーをしていてはいけません。生きるためにはディラーもやむを得ないかもしれませんが、そうしつつも自分が毎月何日か、お客様の前に立って、マジックを見せる場を作らなければいけません。どんなに苦しくても、お客様からもらうギャラで生活して見せなければプロではないのです。そうした生き方に切り替えることからプロの道は始まります。

続く