手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

芸人 上、中、並、

 私の親父はお笑い芸人で、舞台も面白かったし、日常がまた面白い人でした。何か計算を立てて生きると言うことができず。着の身着のまま、飲みたいときは酒を飲み、食べたいときは好きなものを食べ、金がなくても博打をし、少し稼いではまた遊んでいました。親父は優しい人で私は好きでした。そんな親父は私を猫っ可愛がりに可愛がってくれましたが、但し、仕事として自分の芸を考えられない親父が嫌でした。ちょっと工夫して生きて行けば収入はいくらでも稼げるのに、なぜそれをしないのか、親父の生き方にはいつも不満を感じていました。大学出たての若者によくあるタイプです。

 ところがそんな親父の生き方に憧れを持っている芸人がいました。ツービートのたけちゃんです。たけちゃんは、親父のように、他の仕事をしないで、舞台の収入だけで遊んで暮らしている姿に憧れていたのです。しかも親父には少しも打算なく、まったく天然な生き方をしています。そこにたけちゃんはぞっこんなのです。

 私にすれば親父に憧れる人の気持ちがわかりません。つぶさに見れば親父の人生は失敗だらけですし、それを反省もしません。この先あれをしよう、これをしようと言う計画もありません。ただただ、日々面白おかしく生きているだけなのです。私のように何とか芸能でいい暮らしをしたい、大きな仕事をしたいなどと思っている若者にとってはどうしようもない芸人に見えます。

 私がベルギーのFISMから帰ってきて、しばらくキャバレーの仕事しているときに、ツービートは金がなくてどうにも行き詰っていました。所属の事務所から毎月借金して生活をしていて、それもこの先は借りられないような状況でした。

 一緒に酒を飲んでいても、「もう俺はだめだ。事務所に金を借りていて、それが百万円になっちゃったもの。もう一生返せない」。当時のたけちゃんにとって、百万円と言う金は一生返せない大金だったのです。その時私は、将来を考えて、このまんま一人の芸で、カードやロープをしていても大した収入にはならないだろうと思い、少しづつ金をためてイリュージョンに乗り出そうと考えていました。キャバレーの収入も毎月30万円くらいあります。貯金と来月のキャバレーの収入を合わせれば百万円はできない金ではありません。私はツービートの漫才を誰よりも認めていました。たけちゃんと酒を飲むのが何より楽しいのです。そのたけちゃんが借金で苦しんでいます。

「もう俺はだめだ、かみさんの実家が大阪で寺をやっていて、あとを継いでくれって言って来ているんだ。だから俺は坊さんになろうかと思う」。「えぇ、いや、たけちゃんが、だってたけちゃん、坊さんの修行していないでしょ」。「なんだか、今は一年くらい学校に通うと資格がもらえるんだそうだよ。だから寺を継いで、学校に通って、坊さんになろうかと思う」。

 意外でした。たけちゃんが坊さんになると言うことも意外ですが、百万円で自分の夢をあきらめてしまうことが意外でした。私はこの時考えました。今ここで私がたけちゃんに百万円渡して、藤山芸能プロダクションを起こせば、たけちゃんを専属タレントにできるのです。私の人生の中でこの人ほど才能を感じる人に出会ったことがありません。今はたけちゃんは貧乏していますが、きっと世に出て行く人です。今、この人に投資をすることと、イリュージョンに投資をすることと、どっちが人生で成功するだろうか。私は飲みながらずっと真剣に悩みました。

 一方たけちゃんは、隣に座っている奇術師が、そこまで気持ちを入れ込んで悩んでいるとは知りません。ひたすら自分はだめだと言って、負のスパイラルにはまり込んでいます。今私が、「たけちゃん借金は払ってあげるよ。そして俺が事務所を作って、たけちゃんを売り込んであげるよ」。と宣言したら、のちの北野企画の経営者は私だったわけです。しかしそれと引き換えに私はマジックの道を捨てなければいけません。

 来年には私はアメリカに行って、コンベンションを見て、あわよくばキャッスルに出演しようと考えていました。国内のショウの仕事も順調です。マジシャンをやめる理由なんて全くありません。でも、真剣に悩みました。なぜそう思ったかはわかりませんが、この瞬間、人生にいくつも来ない大きなチャンスだと思ったのです。

 結果、私は自分が建てたプランの通り、翌年アメリカに行き、キャバレーではアシスタントを使って大道具を出して、イリュージョンショウの方向に進みました。その後たけちゃんは、太田プロダクションが買ってくれて、たちまちマスコミに出て人気を得ます。その後ほどなくして漫才ブームが起こり、関東関西の漫才が一躍人気タレントになってゆきます。私がたけちゃんから悩みを聞いてから、わずか、3年の出来事です。

 

 私は芸人には、上、中、並、があると思います。

上は、天然の人です。まったく作為なく、やること言うこと芸人らしくて、面白い人。

私の親父や、昔の横山やすしさんのような人です。天然で面白い人には勝てません。その芸人を支持するお客様も、心の底からその人を愛してくれます。ちょっと面白いとか、ちょっと売れているなんて言う芸人を吹き飛ばしてしまうくらいのおかしさを、本心から備えています。ただし、作意がない分、世の中の流れに順応する力がありません。一度世間がそっぽを向いてしまったらどうにもなりません。まったく捨て身な生き方なのです。身を捨てて生きるからこそお客様に愛され、何とか生きて行けるのです。

 

中は、その上の芸人を見て憧れて生きる人です。

 ここでいうたけちゃんのような人です。たけちゃんは芸人に憧れ、無茶苦茶をして生きようとしますが、肝心なところでブレーキがかかります。これ以上やったら警察沙汰になる。と、わかると急にしおらしくなります。横山やすしさんとの違いは、犯罪を犯す寸前にブレーキをかけるところです。つまり、芸人に憧れてはいても、本当の芸人ではないのです。どこかで計算が立っていて、安全な場所に身を置いて、疑似芸人を演じようとします。たけちゃんは偽悪家であり、疑似芸人です。

 通常こういう芸人は大きくは生きては行けません。ばかばかしいことをしていても、どこか計算が見えてしまうからです。どこにでもいるようなこざかしい芸人です。ところが、たけちゃんはその計算を見せませんし、馬鹿をするときは寸前の寸前までブレーキを掛けません。危ない人です。危ない人ではありますが、常識人なのです。

 たけちゃん自身は自分の性格をよく知っていますから、密かに横山やすしさんのような無茶な生き方をする芸人に劣等感を抱いています。それがテレビ局や、プロデューサーの立場からすると、適度の人の言うことがわかり、適度に無茶をして話題を作ってくれますから、御しやすいタレントと言うことになります。それが結果としてマスコミで長く生きて来れた理由の一つなのでしょう。

 

 そこへ行くと私はだらしがないと思います。天然な生き方もできず、偽悪家にもなれず。それでいて、人生こうあるべきなどと偉そうなことを言って、小銭稼ぎに走り、結果、多少の金は作れても、努力の割には大した成功も手に入れることなく、ここまで来てしまいました。これが並の芸人の典型でしょう。結局私自身、自分がどのように生きていったらいいかがわかったのは30代も半ばを過ぎてからのことでした。

その時、長いことだめだと思っていた親父が、実は自分よりもずっと大きな存在だったことに気づきます。そのことはまた次回にお話しします。