手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

九奇連物語3

 昨日は、大阪指導の後、空堀通の居酒屋そのだで忘年会。そのだは昭和の昔を思わせる小汚い店なのですが、実はこれがまだ出来て4年くらいの新しい店。古くこしらえてあるのが趣向です。稽古を終えた5人が集まり、ハイボールジンジャーエールで乾杯。そのあと、焼売や、焼きぞば、肉豆腐などをいろいろ食べてわいわい騒ぎます。

全く気のおけない店で、気楽な飲み会でした。味の方は何とも言えません。でも、面白く楽しませてもらえるのでいいと思います。

 

 さて、「九奇連3」が遅れ遅れになっています。今年の締めくくりとして九奇連3を書きましょう。九奇連の第10回大会は、SAMの国内大会と合同で九州の菊池で開催されました。その大トリを務めるのは島田晴夫師です。1994年のことです。

 この大会の一、二年前くらいから、「島田はすごい」と言う声がマニアの間からささやかれるようになりました。師の実力は今更どうこう言うべきものではありません。しかし、あまりにすごいの噂があちこちで聞かれるものですから、そうなら一度呼ばなくてはいけないと、合同大会のメインゲストに招いた次第です。

 この時のことを私は平成22年に、角川出版から「種も仕掛けもございません」と言う本の中で詳しく書いています。少し長いですが、これ以上の文章で島田氏を書くことはできないのでここに記します。

「大会の大トリに島田は鳩出しを演じたにだが、私の予想通り、それは今までの鳩出しを超えていた。演技は昔とほとんど変わらなかった。アシスタントがディアナから娘のリサに変わっているだけだ。だが、表現されている世界が明らかに違っていた。それはトーチをもって出て来る出だしからして別世界だった。これまでのように、アメリカ人が喜ぶような、歌舞伎の見得のような、ぐるりと目をむく表情が無くなって、極く普通に出て来るのだが、その顔に風格が出ていた。一つの仕事を長いことやり遂げてきた老練のマイスターが持つ揺るぎのない顔だった。一つ一つの現象にも決して過度な味付けをせず、淡々とこなしてゆく。

 もともと島田の鳩出しはスローな演技で、あまり強いアタックはない。ポロックや天功(初代)と同じ流れのショウである。それが世界を背負って演技していたころは、かなり個性が強くなり、見得のポーズが増え、過度な表情付けが目立っていた。それがこの時はほとんど姿を消し、演技の途中でもゆっくり空中を見ながら何か思い出したかのような表情をしながら、ふっと現象が起ったりする。これが何とも雰囲気があっていい。

 すべての動作が演技に溶け込んでしまって、奇術師が時として見せる意味不明な動作がない。まったく自然な動作の中で淡々と不思議が進行し、しかもその不思議を強調しない。お終いの両手から出て来るカードは、昔から技巧の極致だったが、全く技を忘れさせて、寂寥感(せきりょうかん)すら感じさせた。手先から出るカードは既にカードではなく、はらりはらりと落ち葉が尽きることなく落ちて行くように見えた。人は落ち葉の散る姿を見て、不思議とは思わないように、島田のカードは既に不思議ではなく、それを超えていた。本当にいい奇術と言うのは不思議さが無くなってしまうものなのだと知った。

 まるでブラームスの四番のシンフォニーの最終楽章を聞いているような、人生の寂しさ、儚(はかな)さを知った中年男性が、舞い散る落ち葉の中を毅然一人歩いて行くかのような孤高の姿がそこにあった。全体が既に枯れていた。別段ストーリーがあって演じているわけではない。鳩とカードを出すだけの手順にこれほどの世界を見せてくれるとは予想だにしなかった。

 気づいてみると私はほんのり涙を浮かべていた。奇術を見て涙をしたのはこの時が最初で最後だろう。ふと周りを見渡すと、九州の奇術愛好家もみんな涙を流している。これはえらいことになった。氏はスライハンドマジックで、全く新しい境地に入ったのだ」。

 

 この文章が、あの時の舞台を余すことなく語っています。仕事の上でも、私生活でもうまく行かないことの連続だった島田氏が、いつの間にか。すべてを突き抜けて、人の踏み込むことのなかった境地を作り上げたのです。

 九州で島田氏の演技を見せたことはとても良かったと思います。色々な意味で九州の奇術愛好家に大きな影響を残したと思います。しかし、その後に又、九州は門を閉ざし、海外との交流を断って行きます。これは誠に残念と言わざるを得ません。

 もう少し広く物を見る目が育てば九奇連は素晴らしい組織になったはずです。この数年、綿田氏が九奇連の打開策に乗り出しました。しかし氏には体の不調があります。何とか病を乗り越えて、九奇連を良き方向にもっていってほしいと思います。

 

 話を戻して、私はこの時の島田氏の演技を見るまでは、スライハンドと言うジャンルは終わったのではないかと考えていました。フレッドカプス亡き後のスライハンドは、取り出す素材を大きくして、インパクトを求め、スピード感で押しまくるような、無理な演技が主流となって、結果、フアンが減少してゆきました。もうまともなスライハンドマジシャンは現れないのだろうと考えていたところに島田師の演技です。技も、オリジナルもすべてを包んで淡々と何かを語って行く姿は芸術そのものでした。

 この時以来、私自身、もう一度自分のスライハンドを見直そうと言う気持ちになったは事実です。但し世の中は、島田氏の流れから逆行して行きます。それまでの長年同じ演技を繰り返して作り上げた技巧的な職人芸は消えて行き、学生のアマチュアがするような、スライハンドにメカを加えて、より細かな不思議を競って行く方向に進みます。その結果が今の韓国の状況です。これがいいとか悪いとかを私が言うことではありません。私が何を言っても今の流れはそこに行ってしまったのですから、

 ただし、今、韓国がやや減速の兆しを見せている時こそ、スライハンドの本来の旨味を若い人に伝えることは重要なことだと考えています。それができるのが日本の奇術界なのです。来年私は、スライハンドをもう一度多くの人に伝えようと考えています。

 といろいろ書きましたが、今年はこれでひとまず終わります。元旦もブログを書くかどうかは不明ですが、たぶん不眠症で朝方起きてしまうと思いますので、きっと書くと思います。それではよいお年をお迎えください。