手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

まじめな芸人

 私は子供のころから舞台に立っていましたし、子供としては恵まれた稼ぎをしていました。舞台の仕事は親父がせっせと付き合いの仕事を持って来てくれますし、大学に入った時に既に、プロダクションにも所属していましたから結構仕事があったのです。ただし、親父の持ってくる仕事は、貰って見ないといくらになるかわからないような仕事で、大概、予定していた金額よりも安い仕事でした。本数はあってもそれで生きて行くのは少々不安でした。

 大学を卒業するころになると、プロとして生きて行くかどうか悩みました。親父は私がマジシャンになることは大賛成です。しかし母親は大反対です。そもそも親父が稼げない分、母親が働いて生活費を埋めていたのですから、そこへ同じような芸人がもう一人出来たならば、母親はたまったものではありません。

 結果として私はマジシャンになってしまいました。そしていっぱしに、自分自身の日程を書くカレンダーを買って来て、部屋に飾っておくと、母親が毎日見に来て、「あぁ、今日も仕事がないのか」と、つぶやきます。そういわれるのが悔しいため、デパートに買い物に行くときも、映画を見るときも、スケジュール表に、日本橋、とか、有楽町、などと書いておきます。行き先は映画館なのですが、町の名前を書いておくと、母親は仕事で出かけるのかと思って安心します。母親は騙せても、実際の収入を思えば行く行くが不安です。子供の頃ならいい稼ぎでも、それを本業として生きて行くとなると、やはり日々の仕事の本数では収入が足りません。

 母親にすれば。商学部に入れて、経理か何かをさせて、固く生きてくれたらいいと思っていたことが、もろくも崩れてしまったわけです。私は仕事は幸いにありました。あるにはあったのですが、私は将来のために、衣装や、道具を作っていましたので、やたらと費用が掛かりました。洋服だけでなく、和服の手順も作り始めていたので、衣装代から、道具の制作費まで、毎月とんでもない金額を支払っていました。

 でも投資はやめられません。事務所は見写真写りのいい、た目のいいものを喜んで買います。いい服、いい道具を使って、20代の若者がマジックをすると言うのはパッと仕事先が飛びつきます。売りやすいタレントなわけです。私がそうしてひたすら舞台に投資していたのも、親父があまりに受け身な生き方をしていたからです。

 

 親父と言う人は、毎日、仕事がなければ昼まで寝ていて、夜は仲間と飲んで遅くに帰ってきます。仕事がないのは、「ないのだから仕方がない」と言って、毎日遊んでいます。売れなければ、「いつか売れるだろう」と思って、世の中の流れに任せっぱなしです。どうしたら売れるか、どうしたら収入になるか、などと言うことはまるっきり考えません。むしろ仕事がなくて毎日パチンコやマージャンをしていることが楽しくて仕方がないのです。

 そうした親父を見ていると、この親父はだめだと思いました。この親の真似をしていては生涯世に出ることもない。そうは思うのですが、同時に、体の中には、親父と同じ芸人の血があることは明らかにわかります。芸事は大好きなのです。やはり芸能で生きたい。そう思って結局芸人の道を選びました。しかし、気の毒なのは母親です。母親を思えば、何とか親父のようなだらしのない芸人ではなくて、しっかりした芸人にならなければいけないと思っていました。

 折から、市川染五郎(現、松本白鸚)さんとのご縁ができて、いろいろ良くしていただいているうちに、同じ芸能人でありながら、歌舞伎とマジシャンではこうも違うかと思うようなことをいくつも見せられます。そうなると、自分自身が心を改めて芸能で生きて行かなければこの現状はどうにもならないと考えるようになりました。

 そこで私は大きな目標を立てました。つまり「真面目な芸人」です。自分はまじめな芸人になろうと決断したのです。毎朝早く起きて、柔軟体操をします。そして必ず2時間マジックの稽古をします。そして、仕事のないときには、博物館や、映画を見に行って、目を肥やします。歌舞伎やクラシックの演奏会にもゆきます。仲間のマジックも見に行きます。浅草に行ってツービートのたけちゃんと一杯飲みます。そんなことを数年続けているうちに、ある日気付きます。こんなことをしていて本当にいいマジシャンになれるだろうか、と。

 第一に、お客様がどんな芸能が見たいのかと考えたなら、いかにも芸人らしいだらだらした芸人が見たいのです。自分の会社の上役のような謹厳実直な芸人なんて金払って見たくないのです。まじめな芸人、立派な芸人なんて、世の中にいらないのです。

 みんなが面白がって金を払って見たがる芸人は、だめと分かってだめを繰り返して、人生を破滅に向かって突き進んでゆくような芸人が好きなのです。お客様にはマネできなくても、そんな生き方に憧れて金を払って見に来るのです。

 たけちゃんの生き方、親父の生き方を見て、初めはだめな人たちだと思っていましたが、よく考えたら、あれこそ正解なのです。私はなんて馬鹿な生き方をしていたんだと反省しました。だめこそが最高の芸人なのです。しかし今までの生き方が間違いだと言うなら、どんな生き方をしたらいいのか、その答えが見つかりません。

 あれこれ悩んでいるうちに、26歳くらいになると、マジックの世界で、いろいろな賞を貰うようになりました。世界大会のゲストに呼ばれるようにもなりました。自分の心の中が全く整理がつかないうちに、何だか自分の知らないまま、自分がある方向に突き進んでいるのがわかります。この先どうして行っていいのか、さっぱりわかりません。確実なことは、「まじめな芸人」はだめだと言うことでした。続きは明日。