手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

たけちゃん金返せ

 私は昨年小説を出しました。「たけちゃん金返せ」(創論社)です。私は子供のころから浅草の松竹演芸場に出ていました。勿論マジックをしていたのですが、そこへ、私が20歳の時、当時漫才を組んですぐの、ツービートの北野武さんが演芸場に出演するようになります。それから25歳までの5年間、私はたけしさんと楽屋も食事も、夜に一杯飲むときも、ずっと一緒に遊んでいました。

 たけしさんと言う人は、内向的で、人見知りをする人で、初対面の人とは話もできません。そんな人ですから、演芸場にいても仲間もいません。しかし舞台はとびっきり面白くて、初めからおしまいまで腹を抱えて笑ってしまいました。大概初めてコンビを組んで出て来る漫才なんて、一つも面白くないものです。それがおかしくておかしくて、見るからに才能の塊の人だったのです。

 私はすぐに寄って行って仲間になろうとしました。喫茶店に誘い出して、二回目の舞台までの間、ずっと話込みました。たけしさんからすれば、私のように手放しで喜んでくれる仲間は嬉しいらしく、初対面ながら、ポツポツと話を始めます。それが話している間中、全く相手と目を合わせません。伏し目がちに下を向いて、くだらない話をします。この話がおかしくて、私が大笑いをすると、ちらっと私の方を見て、笑いの反応を確かめます。受けているなと納得すると、また下を向いてしまいます。

 何にしても陰気臭いのです。しかし、私にすればこの陰気臭さが好きなのです。なぜなら私はこれまで、マジックの世界でこの手の陰気臭い人をいくらも見ています。マジシャンの暗さはたけしさん比ではありません。笑いがない分救いがありません。その救いのない人たちと随分付き合って来ています。それ故に陰気には免疫ができています。同様にお笑い芸人もそうです。お笑い芸人は陽気で、人と仲間を作って大騒ぎをするタイプの人と、舞台が終われば人と話もできない人がいます。

 お笑いを目指す人の多くは家が貧しかったり、親がいなかったり、両親が離婚した後にやってきた新しい父親が子供を虐待をしたりと、子供のころから家庭内で不幸を背負って生きてきた人が多いのです。彼らにとって舞台はその裏返しなのです。まったく笑いのない生活から、何とかして明るく楽しい人生を送りたい。そう思う心がお笑い芸人を目指すのです。

 ところが、たけしさんの暗さはその生活の貧しさから出ているものではないな、と私は直感します。たけしさんには知性が感じられるのです。舞台はハチャメチャですし、話はくだらない話ばかりしますが、しかしその話の奥に知性があるのです。少なくとも松竹演芸場に出演している人で知性を感じると言う人はほとんどいませんでした。もう一人、例外中の例外は、セントルイスと言う漫才をしていた星セントさんでした。(この人のことは後でお話しします)

 私の見るところ、セントさんとたけしさんの二人だけが知性を感じる人だったのです。私はこの二人に急接近します。特にたけしさんです。私はたけしさんからどれほど笑いのセンスを学んだことか、今思い出してもこんなにべったり長く付き合った人は他にはいません。

 一方、たけしさんからすると、唯一私には心を許していて、いろいろなことを話してくれるのです。演芸場に出演していても、ほかの芸人とは、あまり話をしたがらなかったようです。私は、昔からそうなのですが、この手の陰気で、気難しくて、それでいて知性のある人から信用されます。そのことが人生でどれほど幸いしたことか、多くの気難しい天才肌の人から、「こんな話をしたのは君だけだ」。と言うお褒めのお言葉を随分もらっています。なぜそうなるのかはわかりませんが、私の持つ数少ない特技の一つなのでしょう。

 さて、たけしさんと過ごした5年間は楽しいことの連続でした、詳細は「たけちゃん金返せ」を読んでいただきたいところですが、このまま何も書かないのは失礼ですので、明日、少しずつ、ばかばかしい話を紹介します。