手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ポインティはすごい

ポインティはすごい

 

 Youtuberで佐伯ポインティと言う人がいます。ネットを見ていてポインティさんのコーナーを見ました。ネタは、猥談ばかりです。初めは「どうせくだらない内容なんだろう」。と高をくくっていました。

 ところが、どうしてどうして、大変な才能の人だったのです。2分から、時々25分くらいの長講もあります。先ず、ファンからの情報をもらい、それに対してポインティさんがコメントをします。内容は猥談ばかりです。それもかなり過激なものもあります。

 「やり捨てられた人のスクショを集めて見ました」。とか、「いろんなカップルの別れる瞬間」。「思い出しても濡れる猥談」などなど。それぞれの数秒の情報が初めに掲示されて、それに対してポンティさんが10秒程度コメントして行きます。

 この人の不思議なところは、全ての性癖を丸呑みして、肯定するところです。これは簡単なようで難しいことです。そもそも性癖と言うものは、千差万別で、当人にとっては何より好きなことでも、第三者にとっては嫌悪感を持つものが多々あります。それが性癖なのですが、ポインティさんはすべてを面白がって、受け入れ、コメントし、最後は「あははは」と笑い飛ばします。何もかもOKなのです。

 彼のコメントは結論めいたことは一切言いません。ファンのしでかした失敗などを、全て受け止めて笑ってくれるのです。そこにどう生きたらいいか、と言うご教訓はありません。物事の、いい、悪いは言わないのです。

 私は始め、ポインティさんを見たときは、「まったく学生のコンパでのノリの猥談なんだな」。と思いました。正直言えばくだらない内容なのです。然し、彼のコメントは私の琴線に引っ掛かります。「この人の才能はただものではないな」。と感じます。

 コメントから引っ張って来る例えが、到底私では考えられないようなワードです。時代が違うと言えばそれまでですが、鬼滅の刃や、アニメの脇役の名前がポンポン出て来ます。

 さらに、かつて、漫才連中が、常套手段で覚えた笑いの技法、乗りとか、乗り突込みとか、勘違いとか、とんでもない比喩、などの技法がいとも簡単に駆使されています。

 かつてプロでなければ気付かなかった、笑いを作る技法が、今となっては普通に学生の日常会話に駆使されています。

 私は子供のころから芸能の世界にいて、しかも私の親父はお笑い芸人でしたから、幼いころから、随分笑いを作るための技法は学びました。その後になって、北野たけしさんとか、セントルイスさんなどの当時の人気漫才進と楽屋を同じにして、よく飲み歩いたりしたことから随分と影響を受けました。それだけに、笑いの作り方は熟知していると自負していましたが、このところ、大学生の日常会話を聞いていると、かつてのプロの技法が学生の会話に普通に使われています。「あぁ、技術と言うのはどんどん下流に流れて行くものなんだなぁ」。と感じます。

 そのことは、マジックも同じで、今となっては、アマチュアマジッククラブ所属の、ご近所の主婦でも、かなりレベルの高いのマジックが出来るようになりましたし、音響照明も駆使して、舞台作りをしています。かつてだったら、プロの仕事の領域に、アマチュアはしっかり入り込んでいます。

 

 話を戻して、佐伯ポインティさんは、かなり笑いのマニアなのでしょう。如何に今の学生が笑いのレベルを上げたとはいえ、誰でも彼でもそんな深く喋りが出来るとは思えません。やはり相当に笑いの社会の先端を探っている人なのでしょう。

 しかも、彼の比喩が斬新です。若い人ですから、物の例えが、アニメのキャラクターだったり、ゲームのヒーローだったり、試験問題の四文字熟語だったり。頻繁に私の知らないキャラクターや、予想を超えた比喩が繰り出されてきます。その出し方が、何の衒(てら)いもなく、次から次へと飛び出て来ます。語彙が新しく、数が豊富なのです。

 彼の2分間の作品は、一作20秒ほどの情報とコメントが繰り返されます。このスピード感がお笑いを見ているようで面白いのです。そして、彼のコメントは答えがありません。ファンが犯した失敗を、脇で笑っているだけです。時に比喩で笑いを倍加させますが、その出し方が非凡です。

 早稲田の卒業生と言うことで、いろいろな本も読んでいるようですし、勉強もしているようです。彼自身はなかなか知性がありますし、家庭環境もよさそうです。恵まれた環境の育ちゆえにか、彼の猥談には嫌味や臭みがありません。カラッと呆気羅漢としています。見終わった後に後ろめたさや、空虚な気持ちがなく、むしろカタルシスすらも感じます。これは上手いところを狙っているなぁ。と思います。

 彼の活動は、私の若いころに、北野武さんが、漫才を始めて、フランス座や松竹演芸場に出演していた頃とイメージが重なります。

 あの当時は、自分の笑いの才能を知らしむるには松竹演芸場に出る以外方法がなかったのでしょう。全く金にならない生活を繰り返して、10年も足踏みをしていたのです。誰も大学を出て、そんな生き方をしたいとは思っていなかった時代です。然し、あえてそこに踏み込んだことがたけしさんの人生を変えたわけです。

 私はポインティさんの猥談を聞いているうちに、かつてのたけしさんの生き方と重なって見えました。今、笑いを追求しようとしたなら、あえて漫才になる必要もなく、演芸場に出演する必要もないのです。もし、たけしさんが今、学生だったら、youtube を利用して、猥談をして生きているかもしれません。

 しかもポインティさんは、これを一人で活動しているのではなく、猥談を商品にしようと考えています。仲間何人かで会社を立ち上げ、猥談を配信する組織を作っています。驚きです。そんなことが会社になるのでしょうか。一見無謀な考えですが、彼は実にまともに物事を考えています。

 そもそも短い時間にたくさんの新しい語彙を発すると言うのは、彼の才能だけでは無理でしょう。何人かの仲間とのディスカッションの中から、コメントを生み出し、それを細かにエディケートして番組を作っているのでしょう。一見ばかばかしい内容の中に知性と才能を感じさせます。そして節度が見えます。

 かなり考え抜いて行動をしています。今の時代に成功する人はいかにバカなことをしていても底辺にコモンセンスを備えていなければ社会で成功しません。世の中は一見自由に見えながら、かなり保守化しているのです。

 ポンティさんは恐らくこの先、大きく変貌を遂げるでしょう。このまままで終わる人ではありません。今、猥談を流すyoutubeから、どう発展して、社会にのして行くのか、楽しみです。

続く