手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

人生最高の食事

 昨日、昼には、秋田から手妻を習いの来た小野学さんにご指導をし、晩は、私の誕生日を女房和子と娘のすみれと三人で、高円寺の料理屋で祝ってもらいました。

 その間も、朝から私が書いたブログが話題になっていて、読者が一日で2200人を超えました。と言うのも、BIG SESSIONに出演した、アキットさんの演技をマジック関係者がコピーだと非難する人があったため、私なりのコメントを出しました。私は、コピーとしての問題はあっても、その内容には独自の世界があると書きました。すると、多くの人から賛同のメッセージが届きました。その反応がブログに現れたわけです。

 

 さて、久々、じっくり家族で食事をしました。その時私が、娘に「これまで人生で食べた食事の中で一番おいしかったものは何か」。と尋ねました。娘は、「一番が京都のしる幸で食べた、擦ったとろろ芋を白味噌の味噌汁に落とした落とし芋が一番。二番目は松江の宍道湖畔の料亭、みなみで食べた鯛茶漬け。三番目は浅草のおでんお多福で食べた、おでんの汁をかけた茶飯」。実になんでもない料理ばかりでしたが、確かに娘の味覚は私も納得します。女房は、鎌倉の井上蒲鉾の伊達巻を一番に上げました。これも文句のつけどころのない味です。

 京都の落とし芋の味噌汁は、京都独特の白味噌の甘みと、芋の擦りおろしの柔らかなうまみと合わさって絶妙な味です。これを一番にしたい気持ちはよくわかります。

 松江の鯛茶漬けはあの鯛のそぼろの旨味と、卵のそぼろの甘みが合わさって、薄い出汁の香りが一椀をまとめて実に上品な味で、忘れられません。更に、宍道湖の夕日を眺めての食事とくれば女性なら誰でも上位にあげたくなるでしょう。

 お多福の茶飯はこれぞ江戸の味、茶と塩で炊いた飯に、甘めのおでんの汁をかけて食べる飯は、流行っているおでん屋の、いろいろなネタのエキスの入った出汁だからうまいわけで、ここでしか味わえない絶品です。

 鎌倉の井上蒲鉾は、はんぺんと、小判上げ(小さなさつま揚げ)で有名ですが、正月限定の伊達巻が知る人ぞ知る最高の味わいです。玉子に、石鯛の擦り身を混ぜ、出汁を混ぜ、焼き上げた伊達巻は、甘みと鯛の旨味が合わさって、世間一般の伊達巻を二、三周引き離して独走する旨さです。正月はこれだけあれば他のものはいりません。

 

 さて、私はどうかと言うと、三品選ぶのが難しく悩んでしまいます。

それでも一番は、浅草並木の藪のせいろそばです。そばの中では文句なく一番でしょう。ただし、もっとそばの質のいい店もありますし、手打ちの店も数々ありますが、つゆと蕎麦との兼ね合い、店の雰囲気、すべてを言ったらここが一番です。出汁と醤油辛さの利いたつゆは江戸の味そのもので、一度食べたら生涯忘れられない味です。

二番目は、香川県善通寺の山下うどんです。山下うどんはなかなか探そうとしても探せません。讃岐平野の田んぼの真ん中にあります。値段は一杯200円程度と、めちゃくちゃ安いのですが、その味は絶品です。せっかく行ったのならざるうどんと、湯だめうどん(釜揚げうどん)を食べるとよいと思います。ざるは冷たく締めたうどんで、手打ちの腰のシャキシャキ感を味わうには最高です。湯だめの方は、うどんは少し柔らかくはなりますが、うどんとつゆが熱いため、つゆのいりこの香りが濃厚に漂って来て、うどん好きにはたまらない味です。

 さて、三番目は難しいです。どれを入れたらいいかで迷います。岡山県日生(ひなせ)の港で、魚屋さんが外で焼いていたアナゴのたれ焼き、その焼けた熱いあなごを頭からかぶりついた時の巧さは40年たった今でも忘れられません。

 前述の松江の鯛茶漬けも文句なしです。

 福井で食べるせいご蟹は、越前蟹のメスで、越前蟹が大きな体であるのに対して、メスは半分もありません。したがって、手足は細いため、身はあまりありませんが、それでも旨味は間違いなく越前蟹です。何より旨いのは、時期になると卵を持っていますし、蟹味噌のクリーム状の味わいと、そこから漂ってくる海藻の香りが溜まりません。

 都城の繁華街、牟田町で食べた、地鶏の半身を塩と胡椒を振って炭火で焼いただけの、地鶏焼きの巧さは、もし近所に店があるなら今からでも行きたいほどの味です。

 京都貴船の鮎茶漬けも絶品です。鮎の甘露煮が乗った飯にお茶をかけ、三分ふたをして、開けたら、鮎を箸で崩して、甘露煮の甘辛いたれと、身を飯に混ぜながら食べます。甘露煮の甘さと鮎のうまみ、お茶に飯、こんな料理は日本に住んでいなければ味わえません。木船の少し早い秋の景色を眺めながら、茶漬けを掻き込み、どんぶりの飯がだんだん無くなって行くのを寂しく思いつつ、あぁこの幸せは何なんだ。日本人に生まれてよかったと、しみじみ実感するひと時です。

 鹿児島のきびなごの刺身を酢味噌のたれをつけて食べるさっぱりとした味わいも忘れられません。鹿児島のマジシャン瀬紀代功さんが、私がきびなごの刺身が好きだと言うことを知っていて、いつも公演の後、料理屋できびなごを出してくださいます。朝方、錦江湾で泳いでいた小さな魚を、料理人が丁寧にさばいて刺身にします。それを夕方、まだ日のあるうちに、身のきらきらしたきびなごを、甘酸っぱい酢味噌をつけて、一口ほおばりながら、湯で割った焼酎を飲む。あぁ、なんて幸せだろう。

 しかし、しかしです。あえて三番に持ってくる味は何かといえば、岡山県の下津井の旅館で食べた朝食に出た、小さなカレイの一夜干しです。手のひらに収まるほどの小さなカレイでしたが、軽くあぶって、箸でさばいて暖かな飯に乗せ、口に運んだ時に、ほのかな塩気と、小さな魚ながら旨味をしっかり感じさせた味わいは、思わずうなってしまいました。外を見ると、静かな瀬戸内の海が朝日を浴びてキラキラと輝いています。濃厚な塩の香りが風に乗って入ってきます。今は世間からすっかり忘れ去られたような鄙びた港町の旅館で食べた朝食。思えばこれが三番かな、と思います。

 

 無論、飯倉の野田岩の鰻も、南千住、尾花の鰻も、帝国ホテルのサーロインステーキも、お茶の水山の上ホテルの天ぷらもうまいことは旨いのですが、何気に思い出す味は、ぜいたくな料理ではなく、お茶漬けや、そば、うどん、干物に飯と言った素朴な料理ばかりです。それも、いい景色を眺めながら、気心の知れた仲間や家族と話をしながら食べる食事が何より最高の食事です。

 

 こんなことに思いを巡らしているうちに、今日は月に一回の糖尿病の検診です。昨晩、一昨晩ともに酒を飲んでしまいましたので、少し血糖値が心配です。神に祈るような気持で血を抜かなければいけません。好きなものを好きなだけ食べて、長生きする方法はないものでしょうか。食べられないとなると、なおさら、頭の中は40年以上前に食べた料理から順に旨かった物がターンテーブルに乗って次々と現れてきます。

 あれも食べたい、これも食べたい、でも食べられません。油の多いものはだめ、穀類もダメ、甘いものはだめ、私が食べたい物はすべて私にとっては毒なのです。じっと我慢です。それでは病院へ行ってきます。