手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

才蔵 2

才蔵 2

 才蔵について書く予定が、色々入れ込みをして遅れてしまいました。才蔵とは、手妻の相方で、アシスタントや、助手とは少し違います。もっと経験豊富で、演技の中に深く入り込んで、大夫を助ける役目を担(にな)った人のことを言います。

 今、マジック界で太夫と才蔵と言った関係で古い形のマジックをする人は私の一門が残すのみです。然し、見方を変えて眺めてみると、江戸時代の太夫と才蔵に一番近いスタイルは、ナポレオンズの行き方です。

 彼らは古典奇術をするわけではありませんが、主に喋りを担当する、パルト小石さんが、才蔵役で、マジックを演じるボナ植木さんが大夫です。パルとさんはマジックはしませんが、脇で解説して大夫を助けます。そして力関係は互角です。互いに役割を分担して、ポジションを守っています。

 かつて、曲芸で、海老一染之助、染太郎さんと言う、兄弟コンビが「おめでとうございます」。と言いながらお正月など曲芸をされていましたが、あのお兄さんの染太郎さんが曲芸をしないで、口上を言う役でした。あの二人の関係がまさに、古い形の曲芸の太夫と才蔵の関係です。

 ナポレオンズも染之助染太郎さんも、演技をしないほうを助手だと紹介してはコンビは成り立ちません。実際楽屋では、染太郎さんのほうが格上で、染之助さんはお兄さんを常に立てていましたから、アシスタントと言う扱いではありませんでした。

 江戸時代の柳川一蝶斎も、長い間、鉄漿(おはぐろ)坊主と言う才蔵さんを使っていたようです。海外の使節が来ると、幕府に頼まれて度々手妻を演じていましたが、それを見たイギリス人などは、「脇で太鼓を打って、常に喋り捲る助手がいた」。と、まるで邪魔者のように書いています。然し、その後で「その助手を見て、政府の役人が笑い転げていた」。と続きます。日本語さえわかれば面白い人だったのでしょう。

 蒸籠とか、引き出しのような手妻に関しては、色々口を挟んで、笑いを入れ、太鼓を打って効果を上げていたと思いますが、恐らく、一蝶斎の得意芸の蝶に関しては、殆ど、型通りの口上を述べるだけで、笑いは加えなかったものと思います。それ故に、蝶の曲が、格式高く、西洋人に強い印象を与えたのでしょう。

 

 大夫才蔵の関係は、放下の時代にさかのぼります。今日では曲芸が、大夫才蔵のスタイルを継承しています。そこから分かれて出てきた萬歳(江戸時代は、萬歳と言い。その後、万歳、漫才となります)。も同様に大夫才蔵の関係で構成されます。

 漫才とは元々、雅楽の萬歳楽(ばんぜいらく)と言う、祝いの時に舞う舞踊を真似て演じることで萬歳と呼ばれていたようですが、やがて簡易な踊りと、めでたい言葉を連ねて見せる芸に変わって行き、更に発展して、言葉遊びの芸になって行きました。

 それでも私の子供の頃には、まだ鼓を持って、めでたい言葉を並べて、合間合間に面白いくすぐりを入れる萬歳さんが何組かいて、演芸場にも出演していました。その時、才蔵さんが、初めは役柄で少しへりくだって大夫を助けているのですが、大夫が失敗したりすると逆襲して、やり込めるのが面白く、「ははぁ、これが大夫と才蔵の関係かぁ」。と子供ながら納得して見ていました。

 服装は、大夫が、鎌倉武士のような、大きな袖の、相撲の行司さんのような装束を着て、頭に烏帽子をつけ、才蔵は普通の着物にたっつけ袴と言ういで立ちでした。残念ながら、今この古い形の万歳を見ることは稀です。

 三河万歳、大和万歳にわずかに継承者がいると聞きます。漫才だから面白いのかと思って聞いていても、決して今のスピード感のある漫才の会話とは違いますので、現代の笑いにはつながらないかもしれません。最近、末広と言うコンビが和服で鼓を持って万歳をしていますが、惜しいかな、古典の作品が入っていません。数え歌や、あほだら経のような、古典の言葉遊びを現代風の笑いに作り替えて演じたなら、あの人たちはすごい人になる可能性があります。

 

 そこで私のチームの大夫才蔵の関係ですが、私の所では、弟子が才蔵の役、大夫の役を勉強しています。常に弟子が才蔵役と言うわけではなく、時として、私が才蔵を演じる場合もあります。そうして両方のセリフを覚えておかなければ継承がなされません。

 掛け合いの手妻は、ギャグなどを入れて、面白おかしく演じるのですが、だからと言って決してコントではありません。そこにはルールがあります。少なくとも江戸末期、または明治初年の言い回しで会話が進行します。セリフは全て原稿を興し、暗記します。この時点ではアドリブを入れてはいけません。先ず古い言い回しがしっかりできなければ意味はありません。セリフを間違えた時でも、古い言い回しで言い換えるなら間違いも許されます。

「おわんと玉がいかなる動きをいたしますか、ようくお目とどめ願います」。この、お目とどめ、と言うセリフは、言いにくく、時に、間違える場合もあります。それでも、「あ、間違えちゃった」。と言ったら舞台は台無しです。「ようくお目届け、いや、元い、お目とどめ願います」。と言う風にいい直せば、時代の雰囲気を壊すことなく進行できます。そんな稽古をする内に弟子も、昔の雰囲気が身について、古風な手妻が仕上がって行きます。

 ギャグは時として、現代のセリフが混ざりますし、時事ネタも入ります。あまりそんなことばかり入れると内容が軽くなりますが、お客様はそうした話の脱線を期待しています。時に話を崩して笑いを作ることも必要です。

 喋りは、口上の語り(時代)と、世話の語りに分かれます。口上の語りと言うのは、少し声のトーンを上げて、余計なことを言わないで、きっちりと喋ります。言葉は、一音一音口をしっかり開けて発声します。例えば、植瓜術(しょっかじゅつ)の冒頭は、

 大夫が、「これよりご覧に供しまするは、植瓜術にございます」。と、しっかりと丁寧に口上を述べます。すると、才蔵が、世話のセリフ(日常会話の言い回し)で、「大夫さん、植瓜術とはどのような術ですか」。と尋ねます。「これはね、奈良平安の頃より続く、一粒万倍(いちりゅうまんばい)の術です」。「はぁ、はぁ、一粒万倍ね。一粒万倍ですかぁ。あの、一粒万倍ってなんです」。「知らないんだったら早く聞きなさい。一粒とはひとつぶのこと。一粒の種を撒くと万倍の果実がなる、これが一粒万倍」。「なるほど目出度い術ですねぇ、早速見せて下さい」。となるわけです。

 途中途中のセリフの中に口上に言い回しが出て来て、世話の語り口と混ざって、なかなかややこしいのですが、これを私の一門は稽古をします。そこで明日は、植瓜術のお話を中心に才蔵のお話をします。

続く