手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 6

どう残す。どう生かす 6

 

 掛け合い物

 手妻の中には、口上を言いながら、お喋りをしながら演じるものが多々あります。私の持ち芸でいうなら、札焼き、柱抜け(サムタイ)、などがそれです。これらは20歳くらいから演じ続けてきたもので、私一人で喋りながら演じられますので、今も頻繁に演じています。

 然し、公演の規模が大きくなると、私一人が舞台上でポツンと喋ってばかりいては、舞台が寂しくなりますし、ショウの構成も変化が出しにくくなります。

 と言って際限なく大道具を持参するには限界があります。そこで、どんな場所でも演じられて、簡易な道具で、少し大きな演技ができるものが必要になります。そこで、弟子と一緒に掛け合いをしながら手妻を演じる。「掛け合い物」の需要が生まれます。

 私が40代になって一番力を入れたのが、「掛け合い物」の演目でした。これは一人喋りではなく、大夫と才蔵のコンビによる喋りです。但し、弟子を相手に喋って行くものですから、弟子の技量によってうまいへたがはっきり出てしまいます。

 そのため、弟子の技量を考えつつ、難しいきっかけを省いたり、弟子が言うべきセリフを私が言ったり修正します。逆に喋りの達者な弟子には、ギャグを足して、無理難題を押し付けて、弟子と激しいやり取りをするような作品を考えます。掛け合いは相方に合わせて、個人差を考えてセリフを書き直して演じています。

 掛け合いの話芸は、お椀と玉、若狭通いの水、植瓜術(しょっかじゅつ)などがそれにあたります。これらは今も手妻の公演では頻繁に演じています。これら一連の作品は来週、詳しくお話ししましょう。

 

 上記三作の他に、20代から演じていたもので、「一里四方(いちりしほう)取り寄せの術」と言うものがあります。演じるのに30分以上かかり、弟子との掛け合いの面白さが演技のすべてと言ってもいいくらいに喋りの技量が求められます。

 明治15年に、亜細亜萬次(あじあまんじ)と言う奇術師が西洋奇術からアレンジしたもので、箱の中から、お客さんの注文により、なんでも品物を取り出して見せると言う術です。これはどこで演じても好評で、今も時々演じています。

 

 40代になって作った、「壺中桃源郷(こちゅうとうげんきょう)」は、古典の作品をアレンジして作りました。これも掛け合いがたくさん出て来ます。大きな壺で、口が小さく、人が入ることは不可能なのですが、壺の口の上で女性が胡坐(あぐら)をかいて首に布を巻いて座っていると、徐々に体が溶けて行くかのごとくに壺の中に入って行きます。布を取ると女性は消え、壺の中に入ってしまいます。やがてまた出現します。この作品はめったに出す機会がありませんが、作品としては珍しく、見ていても面白いものです。これを生かさないのは勿体ないと思います。

 

 「怪談手品」と言う、ブラックライトを使用した演目も、一度演じたきりです。演じるとこれも30分以上かかります。骸骨が出て来て踊ったり、豆腐小僧と呼ばれる、身長40㎝ほどの小さな子供が出て来たり、犬のサイズくらいの狸が出てきて綱渡りをしたり、夢があってとても面白い作品です。但し演じるのに、人手がかかり、舞台の裏はてんやわんやです。これもいつか再演したい作品です。

 

 手妻ではありませんが、「テーブルクロス引き」なども掛け合い物に入ります。文字通り、テーブルクロスを引き抜く技ですが、それを掛け合いにして、面白く作ってみました。マジックでもなければ、手妻でもありません。然し、これを見たいと注文されるお客様は多いのです。無論頼まれれば致しますが、できる弟子と出来ない弟子がいます。無論、私は出来ますが、私は脇で邪魔する役ですので、クロス引きはしません。最近前田が習得しましたので、時々演じています。

 

 喋り物は、どれも5分から、長いもので30分演じます。30分とかかる作品は、大きな公演をするときの取りネタになります。いずれにしましても、私が2時間でも3時間でも公演が出来るのは喋り物の手順をたくさん持っているためです。つまるところ、舞台芸の要(かなめ)は喋りなのです。喋りが達者で、何時間聞いていても飽きない喋りが出来るマジシャンなら、長時間の公演は難なくできます。

 但し、掛け合いとなるとハードルは高く、一人で喋るのとはわけが違います。しかも相手は、まだこの道に入って間もない弟子を使って掛け合いをするのですから、実際には何気に演じているように見えますが、実はものすごく気を使います。弟子は自分の話し方、自分のテンポでしか話すことが出来ません。人に合わせるとか、お客様の興味をつなぐなどと言うことは考えたこともないのです。

 お客様が弟子のセリフを聞いて、明らかにダレているのに、弟子はのんびりたらたら喋っている姿を見ると、まだるっこしくて、内心イライラします。しかしここは我慢をします。弟子とすれば必死なのです。いきなり本舞台で師匠の相手役をするわけですから緊張の連続です。然しこの緊張が大切で、いくら喋りが下手な弟子でも、師匠にリードされれば技量はたちまち向上します。

 大樹も前田も、どちらかと言えば口の重たい引っ込み思案な性格でしたが、どんどんセリフを与え、舞台の感覚を仕込みます。できなければ毎回楽屋で思い切り叱ります。そうするうちに、喋りの達者な才蔵に成長します。

 実はこの、大夫と才蔵と言うコンビこそが、手妻の伝統的な形式です。手妻をする人なら必ず掛け合いの技は習得していなければいけません。これが出来るマジシャンなら、テレビのドラマや、クイズ番組にも起用されるでしょう。

 蝶の名人と言われた江戸期の柳川一蝶斎などは、一人で優雅に蝶を飛ばしていたかのように考えている人が多いのですが、実際の一蝶斎の演技は、脇に鉄漿(おはぐろ)坊主と呼ばれる、才蔵がいて、一蝶斎が演技をしている脇で太鼓をたたいたり、口上を言ったり、ギャグを言ったりして、盛んに太夫と掛け合いをしていました。

 つまり一蝶斎の演技は、シリアスなものではなく、常にギャグを取り入れたコミカルな演技だったのです。それは、昭和の名人と言われた三代目帰天斎正一も同じで、息子さんの正楽さんを才蔵にして、笑いを取り入れた演技をしていました。

 東京の一徳斎美蝶も、弟さんの蝶二さんを才蔵に使って、コミカルな演技をしていました。然し、この形式は、昭和になって各師匠が亡くなると、掛け合いを継ぐ者が耐えてしまい、今では見ることが出来なくなりました。

 私はそれを残念に思い、平成10年に芸術祭大賞を頂いて以降、自分自身の演技をより古典の形式に戻して行くことに専念し、大夫才蔵の形式を次々に復活させています。こうした活動が私のライフワークになっています。その作品の数々は来週以降、詳しくお話ししましょう。

続く

 

 明日はブログをお休みします。